自分が不治の病いになったら、終末期を自宅で過ごしたいというアンケート結果があります。
しかしそれによって、家族にかかる負担は、入院の場合よりかなり重いことが予想されます。
また、終末期を自宅で過ごす場合でも、ぎりぎりまで自宅にいて最後は病院に入院して死を迎える場合と、自宅で死を迎える場合があります。
家事や看病はまだまだ女性が行なうのが一般的です。したがって病人が女性の場合、
「家事や看病をだれがするのか」といった問題が男性の場合よりも発生しやすいでしょう。
せっかく自宅で生活できても、病人が家事の心配や気苦労を抱えてしまうようだと逆効果です。
苦痛がひどい場合は、無理して自宅に帰ると本人にとっても家族にとってもつらい状態を招いてしまいます。退院するには痛みのない、あるいは痛みが抑えられている状態であることが原則です。
老人の場合、医療機器に囲まれて延命処置を受けるよりも、自宅で最後を迎えさせてやりたいと、周囲の者も考えることができるようです。
これに対し50代等の若い年代の場合は、治療の可能性があるのではと考え、自宅で過ごすことへの迷いが家族にも生じやすくなっています。
死の直前まで、点滴をしたり心臓マッサージを行ったりして治療を継続することが一般的です。
こうした延命医療を最後まで必要とするか、それともその必要はないと考えるかで、在宅にするか病院にするかの選択も左右されます。また、次の3点も検討の目安となります。
(1)看病する人手があるか
(2)往診してもらえる医師がいるか
(3)訪問看護を受けられるか
在宅かどうかを決定するのに最も重要なのは病人自身の気持ちです。
たとえば、予後を自分で察知し、自分から医師を説得して自宅に帰ることがあります。
もし病人自身が、自宅で死を迎えたい場合には、家族と十分話し合うようにします。
末期といっても、人によって大きな開きがあります。また病状や運動機能がどの程度かによっても、家族に加わる負担が、個々に相違があります。
したがって、どのような状態で在宅生活を送ることになるのか、またどんな問題が発生するのかを予測するのは困難なことです。
一般にガンの場合は、脳卒中による寝たきり状態とは違い、麻痺による運動機能障害は発生しない場合が多いようです。つまり、体力低下や衰弱のために動作が緩慢になっても、歩行が出来なかったり、片手が麻痺して使えなかったりする場合は比較的少ないのです。
したがって家族の方が日常生活の世話をこまごまと行うことは、かなりの終末期になるまで必要ない場合が多いようです。むしろ病状の進行に対する不安や、告知や死に当面することに伴う精神的な苦しみの方が大きいようです。
病状が進んだときには、交代で看病する人が必要になります。病状が変化しやすく、どんどん悪化していくこともあるので、病状を見守る人が付き添うことが必要です。そして、何か異常があれば、すぐに訪問看護婦や往診してくれる医師に連絡する態勢が必要です。
同居家族内に人手が足りない時は、家政婦やホームヘルパーを頼む必要が出てくるかもしれません。
もし在宅で死を迎える場合には、死が近づいた最終段階で病人のそばにいて看病にあたっている家族が2人でついていられるような態勢ならば心づよいでしょう。
在宅で生活するときには、終末期であってもできるだけ普通の生活を送るようにするといいでしょう。
一日中ふとんの中にいる必要はなく、お客様と会ったりできるでしょう。ガンが全身の骨に転移して容易に骨折しやすい状態になると、病院ではトイレへの歩行も、入浴も禁止されることもありますが、自宅の場合は介護者が何人かいれば、入浴することも可能ですが、そうでない場合には清潔に保つために身体を吹いてあげましょう。
退院時に食事についての特別な注意があったり、消化器系のガンでチューブが食道に挿入されている場合以外は、本人が食べたいと思うものを用意するようにし、本人がしたい生活を送れるように配慮することが大切です。
自宅で死を迎えると決めた場合、臨終の際にも患者を直接診ていなければ、医師は死亡診断書を書けないので、不審な死ということになります。そのためにも、いざとなったら往診して死亡診断書を書いてもらえる医師を探しておく必要があります。