末期の状態にある人は、どのような苦しみや悲しみを経験しているのでしょうか。
基本的な以下の7つをあげてみました。
病名にもよりますが、末期の人にはそれ相応の痛みが伴います。こうした病気が肉体的な痛みをもたらし、病人に不安やいらだちなどを与えます。
人によっては「気分が安定した時に息を引きとりたい」と思うのでしょうが、痛みが持続したり、強くなると、気持ちが落ち込んでしまい、心の安定が保てないというのが一般的な気持ちでしょう。
病気が進行すると、それに伴って身体の動きが思うようにできなくなることがあり、それがいらだちや悲しみをもたらす原因となります。手が震えてはしが握れなくなったり、鉛筆が使えなくなったり、そうした日常的な行為ができなくなると、言葉に言い表せないほどショックを感じるものです。
それが原因で、人前に出たくなくなり、自信を喪失するということがあります。また視力が低下して、本も読めず、テレビも見られなくなることもあります。食欲が低下して、体力が衰え、無気力な状態が続いていくこともあります。
家族をもつ人にとっては、残していく家族への思いは切実です。特に子供が小さかったり、あるいは仕事をやり残したままであると、それが心残りとなって、心の平安は訪れません。
残していく家族の経済的見通しが出来るまでは心のゆとりができません。
自分が末期ガンであることを知っていたある男性は「自分一人ではとても耐えられません。私を理解してくれる家族があるから耐えられるのです」と語っています。
自分の死を悲しみ、支えてくれる家族がいない場合には、その人の寂しさは格別なものでしょう。
人は自分が死んだ後、何も残らないと思うと、いいようのない寂しさに襲われます。この世に残る子供や孫を通して「自分が伝えられていく」という思いに慰められるということがあります。
末期の人の精神的苦痛の一つは「自分の人生で、何も意味あることを成し遂げられなかった」という後悔の思いにさいなまれることがあります。
口にはしませんが、「自分は何のために生まれてきたのか」という後悔にさいなまれ、無口になる人もいます。
末期になると、人は死や死後の世界などについて考えたりすることがあります。
こうしたときに普段から信仰を持っている人は、そうした力にすがって精神的な領域へ心を振り向けることがあります。