もし家族に何かあったら(7)

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第7章 家族の悲しみ

家族の死を迎えたあとで

まず2つの死別のシーンを紹介します。

「父の逝ったあとかなり長期にわたって、私は軽いノイローゼ症状を呈していた。私は最初、それが父親好きだった私の、父を失った悲しみを示す一つの症状だと考えていた。したがって、コーヒーに食塩を入れるといったエキセントリックな行為に、それほどまでに父が好きだったのかとほっと安堵したり、ときにひそかに誇ったりもした。だが、それはどうやらそんなに美しい動機から発していたことではなかったようだ。父の、死にいたる9カ月間につきそって、私は自分の存在の底が抜け落ちてしまったのを感じとっていたようだ。」

(『父、卒わる』 7頁)

「悲しみの第一段階はまだありがたいというのはショックで感覚が麻痺してしまうからである。私の場合は、マーチンが死ぬ前からもうその段階に入っていた。私は多くの恐怖に慣れっこになっていた。ボルチモアにある子供の癌病棟の中を通り抜けたときすでに、私はその段階に到達していた。悲しみでやつれ果て、目を見開いた幼い犠牲者たちの姿にも、私はもう心を動かされることはなかった。私はマーチンの死を知ったときも泣かなかった。告別式もその後の日々も、私はふるえもせず、わめきもせずに通り抜けたのであった。

夫を不意になくしたある若い未亡人はこう言った。「1週間は感覚が麻痺してコチコチになっていました。それは一種の救いだったんです…体の中がずしーんと重くなったみたいで、体中がこわばってしまったんです」彼女は感覚が麻痺していなかったら、葬式の手はずを整えたり子供の世話をすることなんか、できっこなかったと、確信していた。その1週間は涙も出なかったが、そのうちに感情はまた、息を吹き返してきた。もう一人の女性の場合は、麻痺の期間はずっと長かった。」

(ケイン 『未亡人』 100頁)

ここに2つの悲嘆の形を登場させました。家族の死を体験してからの急激な悲しみ、そして死後時間が経過してから感じる心の空白感です。確かに悲嘆は大変に個人差があり、その強さや悲嘆の表出の仕方は人様々です。しかしただ一つ言えることは、悲しみを人に見せることに抵抗を感じて、無理にそれを抑えつけてしまうことです。また式典などでは自分の悲しみを抑えても、悲しみがある場合どこかでそれを表現することが必要です。悲しみは人に打ち明ける人がいない場合には、どうしても自分の心の在り方に不安になります。自分だけが特別であると思わず、悲しみを体験した人に打ち明けることが出来れば、人は誰でも大なり小なり悲しみを秘めて生きていることがわかります。そうした意味でも、悲しみの調査は意味のあるものといえます。

悲嘆調査

悲嘆についての調査は、パークス『死別からの快復』(図書出版社)やゴーラーの『死と悲しみの社会学』(ヨルダン社)などがあります。日本では、東京都老人総合研究所心理研究室で昭和59年から、配偶者と死別した184名の面接調査が行なわれ、その記録が河合千恵子『配偶者を喪う時』(廣済堂)として出版されました。

「私が今まで関わってきた調査の中で、これほどズシリと重たい手応えを感じさせた調査はかつて経験したことがなかった。(中略)配偶者を喪うということは、想像もできないほど大きなできごとであることを、私はこの調査を通じて学び、実感した。」という感想をもらされた河合さんは、配偶者に先立たれた夫や妻たちが、配偶者の死をどのように受け止めているのかを尋ねています。

調査の中で、…配偶者の死によって受ける衝撃の程度は、男性と女性とで回答にほとんど差がなかった。全体の結果について見ると、衝撃が「非常に大きかった」と回答された方は55%を占め、「やや大きかった」という回答を含めると実に7割を超える方々が、配偶者の死に大きな衝撃を受けていた。

このように、配偶者に先立たれたことは多くの人々にとって大きな衝撃であったが、心に受けた痛手の影響はそのまま身体面にも現れてきていた。…死別後に経験した心身的症状について尋ねた結果について示している。八割を超える方々が、なんらかの心身的反応を回答していた。一番多かったのは「不眠」で、半数近い。その次に多かったのは「疲労感」で、ほば4割の方々がこれらの項目に回答していた。「肩や首のこり」、「食欲不振」、という項目にも約3割の方々が回答していた。配偶者を喪った衝撃は、心の内部だけに閉じこもっているのではなく、やがて様々な症状となって、身体に現れ、心と身体の両面から危機的事態を知らせるサインを送っていたのである。

(『配偶者を喪うとき』 249頁)

死別についての調査結果

河合さんは、配偶者との死別に関する調査結果を、次のように要約しています。

「調査の結果は、遺された者の衝撃が大きいことを示していた。それは、不眠や食欲不振等の心身的な反応となって身体面にも影響を及ぼすと共に、生活面にも様々な変化を与え、そのことによって、日常生活に多くの困難を感じるようになっていた。とくに男性は日常生活の感情的な側面ばかりではなく、手段的な側面でもその影響が大きかったのである。しかしながら時の経過と共に、抑うつ感は徐々に回復してゆくのを見てきた。その一方で、死別後に高まった男性の孤独感はなかなか緩和されることはなかった。」

(同書261頁)

この調査のなかで、救われることは、配偶者との死別は単にネガティブな経験を意味するばかりではないことでした。つまり配偶者の死を克服する過程で、体験される苦悩を乗り越えたとき、遺された者は大きく人間的な成長をとげていたということでしょう。

残された男性の場合

「女性の場合は、人との情緒的な関わりが多様であり、たとえ夫を喪っても、子供や自分の兄弟、友Aなどとの緊密なつながりがあるために、充分とは言えないまでも、喪った夫との親密な関係にある程度補いをつけることができるかもしれない。それに対して、人生の大半を職業人として生きてきた男性は、人との親密な関係の蓄積が乏しいゆえに、喪った妻の存在を埋め合わせることがより困難なのではないだろうか。しかも悪いことに、中高年の男性は情緒的な関わりを女々しいものと考え、じつはそれによって人は支えられているのだという重要な事実を率直に認めようとはしていない。そうであれば、男性は配偶者と死別後は孤独に耐えて、生きるほかはないであろう。」

(『配偶者を喪う時』 262頁)

また「人気のない家に帰って、1人で夕食を取っても、むだですよー。やり始めるのが大変なんです。でも申しました通り、もう1年3か月たちました。私たちは長い間一緒にいたんですよ…まったく空しい生活です、本当に。…一切は、妻がいた時と全く同じに営まれています。それに近所の人たちも来てくれますし、実際はすべては順調に思えます。ただ、私の感じ方のせいなんでしょうが、すべてが空しいような感じがするんです。部屋の中を歩いていて、そこに誰もいない。これは家に戻った時の最悪のことですね」。

(ゴーラー 『死と悲しみの社会学』 160頁 ヨルダン社)

このように男性の場合も大変であることがわかります。ある調査によりますと、妻と死に別れた男性の場合には、その後の死亡率が極端に高いことがわかっています。

死の体験談はタブー?

悲嘆から快復に向かう途上では、自分のなかにある悲しみや抑えられた体験した事柄を人に聞かせてすっきりしたいという気持ちがあります。しかし、なかなかそうした機会にめぐまれないのが現実です。

「話をすれば、私たちは悲劇的な状態にのめり込まずにすむが、そのときですら、聞き手は抵抗しがちである。女が、「私に手術の話をさせて」と言うと、人はあざわらう。なぜだろうか。そのわけは、そういう話は人を不愉快にさせるからだ。弱みがあるからだ。たいていの人は、人間はいつか死ぬということを暗示するようなことを聞くと、こわくなる。助けたいと思う気持よりも、おそろしいと思う気持のほうが強いのである。

というわけで、未亡人には内からも外からも、話すなという圧力がかかる。それを無視するには力がいる。女性の中には、情緒的に非常にたくましい人がいて、そういう人はすぐさま、失ったものの意味を明らかにする作業にとりかかる。と同時に、失ったものをことこまかに繰り返し数え上げることによって、最後にはその鋭い刃先をにぶらせて、手で扱えるものにしてしまうのである。そうでない女性は何か力もかかってやっと、夫や夫の死について話をすることができるようになるのだが、しやべれるようになっても、そういう人たちはほんとうに恢復への道を歩み出したわけではない。」

(ケイン『未亡人』149頁)

子供を失った親の悲嘆

子供を失った親の悲嘆は、何ものにも代えがたい、自分の将来の希望そのものが失われた悲しい体験といえましょう。ロバート・バッキンガム『ぼく、ガンだったの?』(春秋社)のなかでは、悲嘆の段階が3つに分けられています。

第1相「ショックと不信の段階」

死を体験した当座にある残された家族は、亡くなった者のイメージを追い求めます。

普通に起こる体の不調として、20分から60分程度の苦痛が、波のように襲っては引いていきます。腹部の空虚感や力の喪失、のどが緊迫し、ため息や息苦しさなどが体験されます。

残された人はまた、強い罪悪感にさいなまれます。死者が生きている間に十分なことをしてやれなかったということに後悔の念を抱いたりします。

第2相「死を認識する段階」

この段階では、残された人の人格の統一が乱れるのを体験します。
死者への飽くなき思慕の情がいつまでも続きます。
代表的な身体的表現には、肉体の痛み、絶望感、涙、無力感などがあります。

第3相 死を受け入れる

残された人は家族が亡くなったことを認め、これまでとは違った新しい環境のなかでを生き始める。

「死者とのあいだの楽しかったこと、がっかりしたことなどを、現実的に思い出せるようになれば悲嘆の期間は成功裡に終了したことになる。」

(『ぼくガンだったの?』 148頁)

子供は死をどう体験するか

子供が家族の一員の死をどう感じるかについて、同じくロバート・バッキンガム『ぼく、ガンだったの?』(春秋社)のなかで示されています。その反応例は次の11項目が紹介されています。

1.ショック

愛する人の死を知らされると、多くの人はショックを受ける。現実感を失い、心ここにあらずの状態になる。

2.心身症

急激な悲嘆を経験すると、しばしば肉体に症状が現われる。人の死に会ったときによく見られる症状は、息切れ、疲労感、不眠、食欲不振などである。

こういった肉体的不快感の表現として、子どもは「のどが締めつけられる!」「おなかが痛い!」「眠れない!」などと言う。

3.否定

哀悼過程の第一歩は、人が死んだという現実を試しながら受け入れていくことである。子どもの場合、死の終局性を認めたがらないために、死を否定しがちになる。否定を表わす言葉としては、「信じられない」「そんなことは起きなかった」「ただの夢だ」「死にっこない、ぼくのにいさんだもの!」などがある。

4.怒りと罪悪感

死を悲しむ子どもは、よく怒りの反応をみせる。罪もないまわりの人々に向かって、自分と同じように人の死を経験していないからと敵意を持つこともある。多くの子どもは、自分が愛する人の死を招いたと思って罪の意識を持つ。

子どもは、十分治療してくれなかったから大切な人が死んだのだと、医師や看護婦を責めることがある。敵意は死者に向けられることすらある。こんなひどい悲しみや寂しさをもたらしたのは死者その人だと考えるからである。

5.恥

親や兄弟が死ぬと、多くの子どもは恥ずかしさを感じて当惑する。母親や父親や兄弟の死をもたらしたのは自分ではないとわかってはいるのだが、それでも何か居心地が悪く、死が話題にのぼると屈辱的な思いを味わう。

6.憂鬱

人の死を悲しむ子どもたちのほとんどは、気分の落ち込みを体験する。希望を失い、精も根も尽きたように感じる。

7.恐怖

死を体験した子どもは、また死がやってくるのではないかと恐れることが多い。親を亡くした子どもたちは、恐怖感を次のような質問にして表す。「これから誰がぼくの面倒をみてくれるの?」「おとうさんは、食べ物やおもちやを買うお金をいつもうちに持ってきてくれたのに」。兄弟が死んだ場合は、「わたしも死ぬの?」と不安げに聞くこともあるだろう。

8.好奇心

子どもはもともと死に対して興味を持っており、大人の影響でこの問題をタブーと考えるようになるまでは、あからさまな好奇心を見せる。

9.悲しみ

愛する者が死ぬと、子どもは悲しむのがふつうだ。子どもはしばらくのあいだ暗くなるが、またすぐ明るく快活になる。強い悲しみの情に、子どもは長いあいだば耐えることがでさない。

10.取り替え

死に出会った子どもは、ほかの人からの愛情を、亡くなった親や兄弟からの愛情の代わりにしようとする。残ったほうの親からの励ましを求めたり、別の子どもを死んだきょうだいの代理と考えたりする。

11.死者の真似

子どもはしばしば亡くなった親を見習う。たとえば、男の子は父親そっくりの話し方や歩き方をして、亡くなった父親のふりをしようとする。また、亡くなった兄弟の服の好みや趣味を真似たりする。

(『ぼくガンだったの?』125頁)

 

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