もし家族に何かあったら(3)

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第3章 病気になった家族にしてあげられること

人は病気になったとき、その人が必要としている介護だけでなく、感情面でもサポートすることが大切とされます。介護をしている時に、義務的にいやいや行なったりしますと、それがすぐにも相手に知られてしまいますので、感情面での接しかたは特に大切となります。

サポートのためのチェックリスト

  1. 病人のニーズと、家族が出来ることをあげてみましょう。
  2. 病人の心理は大変に変わりやすいといわれています。それに合った対応が必要となります。
  3. リストアップしてみましょう。
    自分の知っている民間療法や食事療法でも、病人が必要としなければ無理にすすめてはいけません。病人がすでに行なっていることから試みてみましょう。
  4. 事情通になりなさい。
     介護プランを実施するために、現在患っている病気について最低限の医学知識が必要です。その病気はどんな症状が出たり、どの部分が痛くなるかなど知識を予め知っておくことが大切です。

患者の行動能力やニーズを調べてみましょう。

病人が自分のことをどこまで出来るのか、また助けを必要とする事柄をあげてみましょう。また病人だけでなく、それを介護する家族のそれぞれの役割や、時間的にどう分担するかなどを予め把握しておく必要があります。

  1. 病人の世話を誰がするのか。その時間帯や行なう事柄は?
  2. 病人は自分でトイレに行くことができるか? できない場合はどうするか。
  3. 病人は自分の食事をすることができるか?
  4. 病人は自分で風呂に入ることができるか。
  5. 病人は自分で電話をかけることができるか?
  6. 着替えや洗濯の準備は万全か?
  7. 好きな食物で許可されているものは何か?
  8. 好きな新聞や雑誌は何か?
  9. 病人は自分で字を書くことが出来るか?
  10. 助けを必要とする時に、人を呼ぶことができるか?
  11. 見舞客の対応はどのように行なうのか?

●家族が必要とすること

  1. 子供を学校に送迎する必要があるか?
  2. 家の掃除や留守番を誰が行なうか?
  3. 買い物や食事の用意は誰がするか?

必要事項のリストは初めは不確かで不完全ですが、徐々に正確なものになっていきます。あなたの家族(病人)の一日の生活を通じて、各段階で必要とされることをチェックしていきます。なおこうした作業は家族全員と相談して決定したいものです。

●退院した際の介護事項チェックリスト

退院してからも同じような介護リストが必要となります。

  1. 病人は階段を自分で登り降りができるか?
  2. 病人は自分でトイレに行くことができるか?
  3. 病人は自分の食事をすることができるか?
  4. 病人は自分で風呂に入ることができるか。
  5. 病人は自分で電話をかけることができるか?

病人が朝起きてから寝るまでの間に行なうことの中で、助けを必要とする事柄を記録しておいて、交替で付き添う人があれば、引き継ぐ際に渡します。こうしたリストは時間がたつに連れて、より正確なものになっていきます。

患者の状態によっては、何日あるいは何ケ月もの間、個人的に介護しなければならないかも知れません。しかし最初から全力をあげて献身しようとしますと身体が持ちませんので、病気が長引くことも考えて、多少余裕をもった介護プランが必要となります。

また居住地での市町村が行なう介護事業を活用することも大切です。

がん患者の心理的な変化

死を告知された人々の心理経過については、キューブラ・ロス女史以後何人もの学者が臨床例を発表してきました。ここでは季羽倭文子著『がん告知以後』(岩波新書)に紹介されている、がんを告知された患者の心理経過を取り上げてみました。

1.ショック・信じられない

人は予測しない場面に直面したときに、とっさに判断力を失い、思考が止まってしまい、どう行動してよいかわからなくなります。

「説明された内容も記憶していないことが多いし、わからないことを質問してくださいといわれても、質問することもできない。「わかりました」と答えても、がんと告知された事実がわかっているだけで、説明された内容が理解できているというわけではない。こんなに元気なのに信じられないと思うのも、また自然な気持ちである。時間がたって衝撃が少ししずまらないと、告知されたことが事実だと認識するのさえ難しい。

"信じられない"という気持ちから、別の病院をつぎつぎと受診して、がんではないという診断をしてくれる医師を捜す行動をとることもある。

(100頁)

2.怒り

人は自分が予期しない場面に直面すると、「怒り」の感情があらわれます。それは事態が避けられないと認識したあとにおとずれるようです。

○○さんは、診断が遅れたことへの怒りを、がんと診断された初期だけでなく、病状がさらに進んだ段階でもあらわした。

○○さんは疼痛や食欲不振による体力の低下などにより、在宅が困難になったとき、ホスピスに入院した。しかし適切な症状コントロールと行き届いたケアにより、ふたたび元気になって退院した。退院後、予測以上によい状態が長く続き、旅行をしたり、お芝居を見に行ったり、楽しい日々を過ごした。しかしその間も、がんは少しずつ進行していたので、やがて再度ホスピスに入院しなければならない状態になった。そうなることは十分理解していたはずなのに、再入院の話が出だすといらいらし、○○さんをなにかと手伝っていた親しい友人や知人に、そうした感情をぶつけるようになった。一度は死を覚悟して入院したホスピスから退院した後、気分のよい状態が続いたために、このままずっと自宅で過ごせるのではないかという期待が高まってしまったからだ。死が避けられない状況にふたたび直面したとき、〃怒り〃が再度爆発したのである。

 (中略)怒りは、身近な人や心を許しやすい人に向かって、ぶつけられることが多い。怒りをぶつけられた人は、怒りの感情に怯えたり、腫れ物にさわるような対応や、怒りをなだめようと説得したりしないで、怒りをあらわしている患者が、本当はどんな気持ちでいるのか、考えてみることが大切である。そして、患者の苦しい気持ちを理解するよう努めてほしい。

(同書102頁)

3.否認

誰しも自分に都合の悪い事実については、疑ってみたいものである。

事実を「事実として認めない」ことで、自分が直面している危機的な状況から自分を守ろうとする気持ちになることもある。がんが発病したという事実を否認することにより、ときには大切な治療のチャンスを失ってしまうこともあるかもしれない。しかし、強い衝撃を受けて苦しみながら、何とか毎日の生活を続けていくためには、ときには”否認”することによって気持ちの安定を図ることも必要になる。

(中略)否認行為により、無意識のうちに自分で自分を守ろうとしている時に、他人が事実を認めさせようとする働きかけをすることは、逆効果になってしまう怖れもある。

(同書104頁)

4.抑うつ

死の告知を受けると、それに対して落ち込んでしまうタイプと、敢然と立ち向かうタイプがありますが、多くの人はこの両方の間を揺れ動いているものです。しかし回復の望みがなくなっていくと、表面は明るく装っていても、内面は大変に抑うつしていることがあります。

先が暗い、未来に希望が持てないと感じ、憂うつになる。怒る気力も、自分の気持ちを人に話す元気も起こらなくなり、ふさぎ込んでしまう。思いつめ、ときにはいますぐ死んでしまいたいという気持ちになったりする。自殺しようと考えたりするのも、この時期である。医師が、がん告知をためらうのも、こうした抑うつ状態の時期と告知の時期が重なり、自殺を図るのではないかという不安を持つからである。

(同書105頁)

次は、こうした状態にある患者を家族や友人はどう対処したらよいかについて、季羽倭さんが学んだアメリカの(I can cope)では、次のような考え方が基本となっています。

がん患者の家族がたどる心理的変化

告知を受けたがん患者の心理は大変深刻なものがありますが、がん患者を支える家族の心理も、複雑なものがあります。そのおかれた状況や家族一人一人のの性格によっても、反応の仕方は様々でしょうが、大きく捉えてみると次の様なことがいえるでしょう。同じく季羽倭文子さんの『がん告知以後』岩波新書(120頁以降)には、絶望、孤立、不安、引きこもる、無力感が紹介されています。

〈絶望〉

医師は、患者に告知しない場合でも、家族にはすべてを告知する傾向がある。したがって、家族のほうが告知されていない病人よりも強いショックを受け、絶望感を感じる場合が少なくない。

 

〈孤立〉

家族のそれぞれが、なにか病人の役に立ちたいと思っていても、通常の日常生活は続いているから、思うように看病に加わることができない。したがって、家族のなかで主に看病の役割をうけもっている人だけに負担が集中することが多い。また、病人との関係や、社会生活の責任の重さなどにより、中心的に介護をになっている家族の思いと、他の家族の病人に対する気持ちの間に開きができたりする。

(同121頁)

 

〈不安〉

…手術をしてみると、検査ではわからなかった転移が見つかったり、予測以上に血管の癒着があって、思うように病巣部を取り除けなかったりすることがある。手術だけで大丈夫と思っていたのに、化学療法あるいは放射線療法をすることになり、その副作用に対する不安を、家族が強く感じることもある。
外来で会ったり、入院時の同室の患者やその家族から、いろいろな情報が入ってくる。患者の病状のことだけでも不安で一杯なのに、入ってくる情報には家族の不安をいっそう強めるものも含まれている。また、よかれと思って民間療法を勧める親戚や知人との対応に心を痛めたり、どの治療法がよいか迷いだすこともある。

 

〈引きこもる〉

しだいに病状が進むと、病人の行動範囲も狭くなるし、看病にかかる時間も多くなるので、中心になって看病している家族の行動範囲は制約されてくる。家のなかにとじこもりがちになるだけでなく、心理的にもあれこれ自分の気持ちのなかで思い込むようになりやすい。それをさけるためには、他の家族や友人・知人に、悩みや当面している問題を伝えるように心がける必要がある。

 

〈無力感〉

さらに病状が進行し続け、残された寿命が限られたものであることを認めなければならない状態になってくると、家族は無力感におそわれる。(中略)情緒的にも動揺しやすくなり、問題に対する判断力や対応力が衰える。
家族の一人が死を迎えることにより、さまざまな問題が発生することが多い。死が近い家族を看とることだけでもやっと、という状態のところに、家族や親戚内のごたごたした問題が加わってくることが多い。心身ともに疲れ果てて、もうなにも対応できないと無力感に陥る。

(同124頁)

悲しみの先取り

以上のような心の状態が、末期患者を抱える家族に普通に見られるもののようです。その他、忘れてならないのは、「悲しみの先取り」という感情でしょう。これもアメリカでの研究が進んでおり、いくつもの研究が発表されています。人は、家族の不治の病を告知されますと、その時点で悲しみに襲われたり、容態が急変して泣くという場合など、実際の死より以前に悲しみをあらわすことがあります。

仮にあと3カ月と宣告され、その3カ月目を迎えいよいよ死ぬのかと思うと、死が大変に現実感を帯びてきます。しかし実際には体調が維持されて、死の時期が過ぎてもまだ死なないことが往々にしてあり、次に危篤の知らせを受けた時や実際に死を迎えたときには、涙が出なかったりして、悲しみのタイミングが狂ってしまうことがあります。こうした現象を「悲しみの先取り」といい、死の悲しみをあらかじめ体験してしまうことは往々にして見られることなのです。しかしそのことを知らないで、親の死亡時に泣かなかった場合、「自分は冷たい人間だ」と感じて自責の念を感じることもあります。この「悲しみの先取り」と死後の悲嘆との違いをキューブラー・ロスは質問に答えています。

問:予測悲嘆の過程は、予測悲嘆が起こらなかった場合の死の後の悲嘆過程と似たものなのでしょうか、それとも同じものなのでしょうか?

答:予測悲歎過程は死後の悲嘆とはわずかながら差があります。喪失(死)が迫りくる期間、患者はこころから悲しむのです、また家族も悲しむのです。死の後の悲嘆過程では、家族が過ぎた喪失を悲しむ(悼む)のです。ふつう後者のほうが長くかかります。ただし、前者すなわち死ぬ前の予測悲歎は、患者もしくは家族が悲しむことを許されないと、長くかかります。

(ロス『死ぬ瞬間の対話』 157頁)

ストレスの対応法

ストレスというのは、ふだんの状況のなかでも少なからずあるものですが、末期の患者を抱えた家族は、普段のストレスに加えてそれ以上の数々のストレスが襲ってきます。この種類のストレスは病気の種類によっては長く続くため、それらには計画的に対応していかなければ、自分を見失ってしまうでしょう。ノーマ・アプソンの『愛するものが死に行くとき』の四章には、ストレスの鑑定方法とその対処方法が書かれています。

ストレスの見分け方

ストレスは、筋肉が堅くなり首の後が痛くなります。ストレスは眠れなくなったり、集中力がなくなりす。車のキーをなくしたり、すぐに機嫌が悪くなったりします。人の名前や電話番号、保険証券の場所を忘れたり、また以前は重要だと思ったこと、例えば外見、仕事、関係者、財政、食事、態度を気にしなくなります。また管理の必要なものを無視したりします。

残念ながらあなたのストレスの原因を取り除くことはできません。しかしそれに耐え、そして支配できるようにすることは可能であり、必要なことです。答えは、あなたが直面している種々のストレスについて、何が出来、何ができないことかを理解することです。

ストレス・チェック

普段よりも、食欲を感じたり煙草を吸いたいと感じている。
睡眠や休息をとっても疲れが取れない。手を堅く握りしめたり、落ち着きなく動かしていたりしている。
呼吸が苦しかったり、心臓の近くに痛みを感じたりする。
悪夢を見たり、寝つかれないでいる。
たくさん汗をかいたり、寒気を感じている。下痢か便秘ぎみである。
非常に忘れっぽいか、集中力が不足している。
以前平気だったことにも、恐れを感じる。
普段なら交際している人も避けたいと感じている。
以前には何でもなかった事態でも、怒ったりとまどったりする。
大変憂鬱である。ユーモアや、将来に対する感覚を失っている。

以上の項目はストレスがある兆候です。

ストレスを和らげる方法

1.散歩をし、新鮮な外気の中で深呼吸をします。

2.風呂に入って心身をリラックスさせます。泣きたいと感じたのなら泣き、もっぱら楽しい事柄を考えるようにします。
もし恐ろしく感じ始めたなら、恐怖を重要ではないと考え、幸福なことを考えるようにします。

3.週に何度かは、気分転換をする。

細かな計画が立てられるなら、気分転換の時間を取ることは、難しくないかもしれません。規則的に見舞にくる人があれば、その人に計画を話して、しばらくの間自分を解放しましょう。
これには3つの効用があります。第1にあなたの患者と訪問者との間にプライバシーを作ります。2番目に病人があなたに対して感じている重荷を軽減させます。第3にあなたが必要な時間が得られます。
気分転換の時間を使って、散歩をしたり、買い物をしましょう。初めはそうした行動に罪を感じたり、心地悪い感じを味わうかもしれません。しかしやがてこの時間に息抜きが大事であることがわかります。それはストレスからの解放となります。

4.あなたの不満と悲嘆を友達と共有する。

本当の友達は、あなたの言葉を批判なしで聞いてくれ、あなたの感じている怖れと行動の共鳴者としての役目をしてくれるでしょう。あなたは聞き手を慎重に選び、その人にあなたの心配を語ります。もし何でも話せ、そして忘れることができる友達を持っていなければ、あなたの不満を書き留めてみましょう。そしてそれらを分析しましょう。あなたは問題の解決と見通しをもつことができるでしょう。そのあとメモを燃やします。

ストレスの指数

ストレスは家族の一員の病気が告げられたときから始まりますが、それは死によっても終了しません。時によっては、死によってその目盛は強くなることがあります。次の例は、若くして夫を亡くした女性のストレスの数字です。

未亡人になる前のストレスの指数がどれくらいだったかわからないが、わかっていたら少しは用心深くことがはこべたかも知れない。私は反対に、自分には扱いきれないほどの「生活変化指数」をその一年に背負いこんだのだ。ホームズ博士の指摘するところによれば、私の合計は次のようになる。

配偶者の死亡  100
経済状態の変化 38
1万ドル以上の抵当 31
生活状態の変化 25
私的な習慣の修正 24
住宅の変更 20
社会活動の変化 18
睡眠習慣の変化 16
食習慣の変化 15
クリスマス 12

生活変化指数の合計が299になると、精神に異常をきたす。ホームズ博士の研究によると、1年間の指数の累積が200かそれ以上になると、人間はたいてい参ってしまうという。博士は、指数が200以上の人はしばらくはじっとしていたほうがいいと忠告する。医者か資格を持ったカウンセラーに相談するのもよい考えだと言っている。

(ケイン『未亡人』 110頁)

末期の人との接し方

「老年痴呆者へのケア20カ条」

末期患者の接し方とボケ老人との接し方とは、まったく異なる場合があるでしょう。しかし、病床に横になって健康に不安を感じていることに変わりはありません。しかし痴呆者へのケアも大変に参考になる部分がありますので、ここにあげてみました。資料は、大熊一夫『あなたの「老い」をだれがみる』朝日新聞社です。

 

  1. ボケの強いお年寄りほど融通性かないので、急激な環境の変化はできるだけ避ける。
  2. お年寄りはボケても礼儀正しいので、あいさつなどを通じて、なじみの人、頼りになる人になり切る。
  3. 安心の場を与える。
  4. そのための最もふさわしい手段として、「おなじみの仲間」をつくる。
  5. できるだけ孤立させないよう、たとえば骨折などで寝込んだときにも人影少ない部屋に放置してはいけない。
  6. お年寄りの不機嫌、執拗な要求には、面倒くさがらずに耳を傾け、受けとめることが肝要。無視、侮辱、矛盾指摘で怒らせたり萎縮させたりしてはいけない。できる限り、お年寄りの気のすむように受け入れてあげる。
  7. 「老人のたわごと」と片づけずに、その裏の本当の意味を汲み取ってあげる。
  8. 自分は若いと信じている老人には、老人扱いしない。
  9. 「説得」より「納得」を心がける。
  10. 行動パターンを把握して接する。たとえば、物盗られ妄想で落ち着かないときにその人の好きな歌を歌うと落ち着く、など。
  11. お年寄りの残された知的能力を見つけ、伸ばすこと。たとえば、夫の名も忘れているようなお婆ちゃんが百人一首はすべて暗記している例もある。
  12. 欠点をあげつらわず、とにかく生きてゆけるような方法を考える。
  13. 蔑視、排除、拒否を避ける。
  14. 叱責で窮地に追い込んではいけない。
  15. 感情的に対応してはいけない。
  16. 老人のゆっくりしたぺースに合わせる。
  17. できるだけ一緒に動いてあげる。
  18. 話はパターン化して繰り返し教える。骨折してギプスをはめられたお年寄りが、骨折したことを忘れ、「縛られた」と怒った。それに対して看護者が1日に数回ずつ、「目まいがして倒れて手をついて骨を折った」ことを教えたら2週間後には、ほば正確に覚えてくれた、という例もある。
  19. どんなにシッチャカメッチャカでも動けるうちが花。寝こまれるとボケはさらに進む。「寝こませるな」は鉄則。向精神薬などみだりに使うと寝こみやすいので要注意。
  20. 適切な刺激を少しずつ与える。昔得意にしていた民謡でも園芸でも掃除でも、なんでもいい。

考えてみれば、これはボケの強いお年寄りに限らない。この項目のいくつかは、シルバーエイジにさしかかったすべての人々に対する基本的な接し方でもある。

(同書 152頁)

最後の望みをかなえる

自分の死までの期間を知っている人は、その残された時間を有意義に使うことが出来ます。そうした例を次に見ていきたいと思います。

5月に退院して翌々年の6月に再入院するまでの2年間、夫は多くの新作映画を見、コンサートにもたびたび足を運び、新刊本や新創刊の雑誌を読みあさり、仕事も精力的にこなしていきました。まるで何かに憑かれてでもいるかのようでした。同時に家族との交流にも気を配り、何度か旅行にも出かけています。

退院してすぐの6月下旬には、群馬県の猿ケ京温泉に1泊旅行に行きました。入院中、ずっと夢見た夫婦2人だけの旅行です。

(「がん告知」111頁)

あらかじめ整理しておきたい事項

がんを告知されていないまま何の準備もなく死を迎えますと、残された遺族の方々は、故人の名義の証書の保管場所がわからなかったり、どの印鑑が使用されたのかなど、その後の諸手続きなどに大変苦慮する場合があります。次は、病気になる以前からあらかじめもしもの時のために、本人が整理しておきたい事項を扱っています。整理しておいた事柄については、一覧表などにして、家族の方に説明をしておいた方が確かな方法といえるでしょう。

(1)銀行・郵便局の預金

どの銀行・郵便局に、どんな種類の預金を、だれの名義で預けてあるか。口座番号、定期預金の期限はどうかを一覧表にしておきます。そしてそのあとには、保管場所や登録した印鑑を明らかにしておきます。通帳が病人名義の場合、残す相手を決めている場合には、遺言などで指定しておきます。

(2)生命保険(証書、受取人)

生命保険も、預金と同じように一覧表にして保管しておきます。生保会社名、商品名、条件などを示しておきます。

(3)医療保険

医療保険には、がん保険など特定の病名を規定しているものがあります。また疾病の種類に関係なく、入院費などが支払われる医療保険があります。従ってどの医療保険をかけているかを、家族や友人にあらかじめ知らせておきます。

(4)株券・債券など

株券の銘柄、金額、保管場所を明らかにします。

(5)年金(証書)

今まで掛金を払っていたり、すでに支給を受けていた年金の場合、死亡後も配偶者に年金の給付が行われるものがあります。そのための手続きが必要なので、証書とともに伝えておきます。

(6)不動産登記書(契約書)

自分名義の持ち家がある場合は登記書類、借家の場合には契約書とその保管場所を確認しておきます。
公営住宅や借地の場合、どのような条件で借りているかを確認し、必要な手続きがあれば、早目に行っておきます。

(7)貸し金庫

銀行の貸し金庫に書類を保管している場合には、貸し金庫を借りている銀行名、保管している書類などを明らかにしておきます。また使用者の名義変更の手続きなども知らせておきます。

(8)遺言書(財産分与、相続、仕事に関すること、葬儀など)

遺言書は、自分が望む方法で遺産を分配することを可能にするための、法的な文書です。遺言書がなく、遺産分割に対する異議が申し立てられた場合には、民法の規定にしたがって遺産分配が行われます。

身の回りの整理

用意しておくものは遺産や重要書類だけではありません。本人の趣味の書籍、骨董、コレクションなどさまざまです。こうしたものの整理は、家族の側からはなかなか言いだせることではありませんので、本人が健康のうちにあらかじめ整理しておきたいと思います。

私は少しずつ、身のまわりを整理をしておこうと思い出した。

とはいえ、私の書斎はいつも割合、整然としているのである。数十冊の辞典類と、3百冊の書籍は置く場所がきまっていた。仕事の都合で、ときどき机の周辺が乱雑になることはある。しかし仕事が一段落すると、部屋の中はすぐに整頓されてしまう。大体、散らかして置くことが嫌いな質なのである。

庭の一隅に小さな書庫が建てられているが、その中もほぼ、整理されていた。書庫を乱雑にして置くと、必要な時に必要な本を探すことがむずかしいからだった。しかし新聞の切抜きとか、古い手紙や写真の類は、箱や袋に納めて重ねられている。中には何年も、私の目に触れることなく、眠っているものもある。私は暇が出来ると書庫に入り、不要なものは庭の焼却炉で焼いた。さいわい、私に借財はなかった。しかし、友達から借りた資料で、借りっぱなしになっているものはあった。一度、挨拶をして置かなければ、義理の悪い人もいた。

(澤野久雄『生きていた』 27頁)

最後の孝行

家族の者が介護するにあたって何が出来るか、こうした悩みはついてまわるものです。病室で昏睡状態になっている患者をただ何もせずに何時間も何時間も黙って見つめていることほど、辛いことはありません。そこで、病院で家族を見守る時に、その治療記録を取って何かの役にたとうとした人がいます。それは、長野県に住む内藤さんの三男尚君(当時2歳)の骨肉腫の記録です。2カ月の命を宣告されていました。

ここで内藤氏の取った行動は特筆される。「受けた治療は、すべて記録しておくように」と、尚君につき添うことになった幹枝さんに内藤氏はいったのである。記録しておけばなにかの時に役立つというのである。彼女は、内藤氏が取引先から贈られた『ゴルフ・ダイヤリー』に、1月6日からつけはじめた。

1月6日(金)
信大附属病院入院。主治医、松井、古川、久津間。微熱あり(37.2度C)。家へ帰りたいと泣く。
さりげない記録であったが、尚君の闘病の様子がこの短い言葉につくされている。

1月7日(土)
食欲あり。松井先生の診察あり。

1月8日(日)
元気。(主人とつき添いを交替し家へ帰る)

1月9日(月)
点滴はじめる。これより静注(注・静脈注射)は、すべて、この点滴より入れる。静注(1)。レントゲン撮影(全身5枚)、元気なくなる。

1月10日(火)
筋注(注・筋肉注射)、静注(2)。泌尿器レントゲン。食欲なし。微熱あり(37.2度)。

1月11日(水)
静注(3)。小児科にて、骨の成分調べ(骨盤より)。食欲なし。

つけはじめて間もない頃の記録には、注射の薬液名が入っていない。それは幹枝さん自身が慣れていなかったせいである。彼女は、のちになって静脈注射は、抗がん剤のコスメゲン、筋肉注射は、ピシバニールであったことをつけ加えている。注射のあとのカッコの中の数字は注射の累計数である。

(大野芳『がん生還者の記録』 178頁)

 

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