もし家族に何かあったら(4)

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第4章 どこで看取るか

末期を病院で過ごす

◎入院期間の目安

入院先の病院や日時が決まったら、次は入院の日数や入院の準備に何が必要かなどが気になるところです。

◎病院に行く

病院に入院することは本人はもちろん、家族にとっても準備、見舞、付き添いなど大変なことがたくさんあります。

◎入院時に携帯するもの

入院する時に携帯すべきものが、病院でもらった書類に列挙されていた。印鑑、洗面用具、下着類、夜着、スリッパーその一つ一つを、妻は慎重に整えていた。

私は書庫へ行って、病室で読むべき書籍を探した。とりあえず、ドストエフスキーの全集の中から「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」それに同じ作家の短篇集を1冊。それらはすべて、私が青春時代に熱心に読み破った本であった。かし最近では、ほとんど手にとることのなかった種類のものである。

病院では、1日、1日の時間は充分にあるはずだ。と、私は思った。

久しぶりにドストエフスキーに親しむのもいいことではないか。私は、以前、訪ねて行ったことのあるレーニングラードの町を、遥かに憶い起した。(中略)私は、数冊の本をボストン・バッグに入れると、その上に近刊の雑誌を2冊、更に百枚の原稿用紙とインク瓶とを収めた。

(澤野久雄『生きていた』 100頁)

入院に必要なもの

緊急入院の場合には、何も用意をしていないことがありますが、最低限、保険証とお金だけあれば間に合います。身の回りの品は、たいてい病院の売店か近くの店で揃えることができます。パジャマなどは新しいものを買うことが多いようですが、一度洗濯してから使用すると体に刺激が少なくなります。

1. 保険証
  入院の手続きのさいに、窓口に提出します。すでに外来で診療を受けている人も持参します。
2. 印鑑
  入院手続きの書類に使用します。認め印で構いません。また書類には、保証人を書く欄があります。
3. 現金
  病院によっては、入院前の手続きのときに保証金が必要な場合があります。金額は病院によって異なり、だいたい10万円くらいが多いようです。この保証金は、退院のときの清算で差し引かれます。入院費や治療費の支払いについては、病院の中に相談窓口があります。分割して支払うなど、さまざまな方法があります。
4. 洗面用具
  (石けん、タオル、コップ、歯ブラシ、歯磨き粉、ブラシ、シャンプー、バスタオル、男性はひげそり)
5. 寝巻
  病院によっては用意されており、必要のないところもあります。素材には、木綿やガーゼ地、ネル、薄いタオル地など吸湿性のよいものを選びます。前開きのものが診察のときに便利です。背ぬいがあると床ずれを起こすことがあるので、背ぬいのないものがベターです。入院期間にもよりますが、2〜3枚用意するといいでしょう。
6. ガウンなど
  検査などで病院内を移動するときに羽織ります。
7. 下着類
  洗濯の心配もありますから、少し多めに用意します。
8. 食器(スプーン、箸、湯飲みなど)
  病院の給食に箸がついている場合もありますが、多くの場合、各自で用意します。
9. ティッシュペーパー
  ひと箱、枕元にあると便利です。
10. スリッパ
11. 時計
  小さな目覚まし時計のようなものを枕元に置いておく人が多いようです。病院の生活は規則的です。朝7時に検温があり、その後、顔を洗ったりすると、すぐに朝食。午前の回診があり、午前11時半頃に昼食、午後5時半頃から夕食といった調子です。面会時間に制限があるところもあります。消灯時間も決められています。こういった生活のリズムに慣れるためにも、時計は必要です。

(手術後に必要なもの)

 
12. 腹帯、胸帯
病院で用意する場合もあります。確認してください。
13. ウエットティッシュ
14. 消臭スプレー
開腹手術などを受けると、三日は起き上がれません。ベッドで寝たまま用を足すことになります。必ずしも必要というわけではありませんが、そのときにウエットティッシュや消臭スプレーは重宝します。
15. 水のみ
手術後、体を動かせないときにこれで水分を補給します。病院で借りられることもあります。確認してください。
16. 現在、投与されている薬
入院前に、外来で通院していた場合、投与されていた薬を持参します。入院後も、その薬を飲むことがあります。
(『手術のことがよくわかる本』256〜260頁)

病院との関係を正しく保つために

わたしたちが病院の提供するサービスを知らなかったり、病院がわたしたちの要求に気づいていないときに、病院との間でトラブルが起こることがあります。こうした状態を、なくすには、わたしたちの希望を病院に伝えることです。失望を味わった家族の不平は、 3つに分けられます。

  1. 個室の料金が高く、保険で賄われないこと。病室でのプライバシーは重要な関心事です。

  2. 病人が痛みや苦痛を訴えているにもかかわらず、適切な処置が取られていない場合には、ぜひとも医師に相談する必要があります。また治療が不可能でただ生命を延長させるために、必要以上の診察や治療が行なわれていると感じた場合で、治療をやめさせたいと感じることがあります。この場合には医師の治療方針を確認してもよいでしょう。

  3. 患者が入院したあと、担当の医師とのコミュニケーションがうまくいかないことがあります。それは医師の診察時間とあなたの訪問時間とが一致しないことから来ることがあります。医師は患者の家族に情報を与える責任がありますが、コミュニケーション不足から家族が不満をもつことがあります。入院の初めにでも、容態について医師に聞くために、いつ時間を取ったり電話出来るかをあらかじめ確認しておき、それを実行することが大切です。

通院のつきそい

「お父さんがあんまりしんどいというさかいに今日からタクシーで行くことにした」
私が無造作にあいづちを打っていると、
「わるいんやけど、明日から1日おきでええから、お父さんが病院行くのんにつきそってくれへんやろうか。お母ちゃんは2、3日無理してお父さんといっしょに病院について行っとったら、リュウーマチ、悪うしてしもうて、手塚先生に1日おきでええから、朝、ウチに来い、いわれたんや」
私は無論、母の申し出を受け容れた。

そうして父の通院のつきそいが始まったが、一日一日父は出かけるのをしぶり始めた。
「しんどいんや、今日は休みたい」と、毎日のように私を手こずらせている。

タクシーが着いて、警笛が聞こえてから父がタクシーに乗りこむまで最初の元気な頃でも10分近くかかった。玄関から門まで私が早足で歩けばせいぜい5、6歩の距離を、父が歯をくいしばって脇目もふらず歩いてももどかしいことに5分間を要するのだ。

一昨日の父は、警笛が聴こえてから起き出し、私といい争った末にやっと出かけることになった。それで、タクシーにたどり着くまで20分以上もかけて、
「電話かけはったときから分かってるんですさかいに、もうちょっと段どりよう待ってて下さい」と、運転手の叱言をもらったばかりだった。

(『父、卒わる』 講談社 219頁)

介護する家族の心得

病院で家族が入院中の病人に付き添う場合には、いろいろな問題や気をつけたい事柄があります。しかし、そうしたことは誰に聞いてよいかわかりません。場合によっては、病院の婦長さんや同室の患者さんにおたずねすることも必要です。ここでは、病院で付き添う家族の心得について考えてみましょう。

◎同室の患者への気配りを

一日中一緒に生活する同室の患者さんとの人間関係はとても大切です。入室したときには自己紹介、そして顔を合わせるたび、あいさつをしたいものです。

同室に重症患者や手術直後の患者がいる場合には、なるべく静かにして、迷惑にならないようにしたいものです。また見舞客が長居するようなら、ロビーなどに行って話すなどの注意が必要です。

もし、同室の患者にお見舞の方があまりみえないようでしたら、ちょっとしたお手伝いなどをしてあげるのもいいでしょう。また話しかける場合には、親しみのこもった言葉をかけてあげてください。また病名については、あまり深くおたずねしない方がよい場合があります。

また頂いたお見舞いの品で、食物などの腐敗しやすいものは、家族の人が持ち帰るのがいいでしょう。

◎医者との相談は窓口になる人を決める

お見舞いにやって来た家族が、そのたびに、医者に病気の経過や退院時期などを相談することがあります。これは例えばガンなどで病名を隠したりした場合に、別居している家族が自分で詳しく確かめたいということもあるでしょう。医者との窓口は患者の最も近しい人がよいと思われます。

◎食べ物を病室に持ちこまない

「病院の食事が口に合わないから」と、病人に頼まれても食べ物を用意しないほうがいいでしょう。病院の食事は病状にあわせて栄養士が考えて作っています。特に消化器系の病気の場合には、食事のメニューには細心の注意が必要です。基本的には家族の人は、病室に食べ物を差し入れないほうがよいでしょう。

もし病院の食事以外に、何か食べたいものがある場合には、看護婦さんに相談してからにします。

◎電話は控えめに。

病室に電話が備え付けられていない場合には、看護婦さんが取り次ぐことになります。緊急の用事以外にはあまりかけないほうがよいでしょう。

病院での末期医療

病院は治療を目的にして作られていますので、末期患者に必要な精神面でのケアは難しいと言われています。また、治療上の必要から面会時間や生活面に対して様々な規制が設けられています。

さらに、末期患者の精神的な問題や痛みの治療等に熟練した医師、看護婦等の人員が少なく、常に対応することはできません。

末期医療を行う施設

末期患者が十分なケアを受けるために必要な条件は、次のことがあげられます。
  1. 末期がんの場合、その病気に特有な痛みや症状に対して、医学的な処置ができる。
  2. 死に対する不安などの精神的な悩みに対して相談できる。
  3. 花壇などの自然環境や、環境音楽などを楽しむなどリラックスできる設備がある。
  4. 家族や親しい人が一緒に過ごせる宿泊施設、調理施設等があり、面会や外泊等についても配慮がなされている。

欧米には、末期患者を対象にケアをする「ホスピス」という施設や、家庭内での「ホスピスケア」が行なわれています。日本では、ようやく医療施設の一病棟にこうした施設が運営され始めたところで、まだまだ「ホスピス」そのものの数も多くありません。日本での「ホスピス」が普及していない理由として、次のものが上げられます。

  1. 末期状態の患者の施設であるため、患者に病名や余命を知らせなければならない。そうしたことにまだとまどいがある。
  2. 痛みや精神的ケアに専門に対応できる医師や看護婦等の人材が不足している。
  3. 患者や家族に対応する医療ソーシャル・ワーカーが不足している。
  4. ケアに人手がかかり、医療費のなかでの人件費の占める割合が高い。

一時退院

再入院

再入院は患者にとって初めの入院とはまた違った意味あいがあります。「生きたまま家に戻ることが出来ないかもしれない」という不安な気持ちが、入院を大変深刻なものにします。

入院を明日にひかえ、しなければならないことがたくさんありました。一番悩んだのは夫を病院に運ぶ方法です。衰弱の具合から電車というわけにはいきません。タクシーに長時間座っていくのも無理でしょう。思いついたのが、体の不自由な人や重病人を運ぶ寝台自動車です。

しかし、どうやって呼び出したらいいのか、電話帳を開いても要領をえません。119に電話してみました。応対に出た係の人は親切な方で、こちらの要望を落ち着いて聞いてから、寝台自動車を保有している全日急(全日急患者輸送株式会社)という会社のフリーダイヤルを教えてくれました。

全日急は、タクシーやマイカーで運ぶには不安な病人や身体障害者を、機材の完備した寝台自動車で、全国のどこへでも運んでくれる会社です。

さっそく教えられた番号に電話をして、明日の11時に迎えにまいりますとの返事をもらうことができました。

 (小野厚子 「がん告知」 152頁、立風書房)

入院の前に、病院に持っていく物を自分で準備しなければなりません。

2年前の初めての入院のときは、あれもこれもと、何枚ものCDやテープを棚から引き出し、病院に持っていきました。でも今回は、ビートルズ、キャロル・キング、カーペンターズ、スティング、ジョン・コルトレーンなどの10枚ほどにしぼりこみました。

(同書154頁)

さらに筆者は、葬儀の方法や葬儀の時に呼ぶべき友人などの名前を聞きだしています。これは大変に辛いことでしょうが、ガンの告知をしていたからこそ、聞けた事柄でした。もしガン告知をしていなかったら、こうした場合の連絡先などはとても聞けるものではないかと思います。

「連絡は?お世話になった方々やお友達への。誰に連絡したらいいの」
夫は、ああそうか、というようにうなずくと、二階の自室から手帳と電話帳と、先日整理した名刺の束をもってこさせ、連絡すべき人々の名をあげはじめました。それを私は、仕事関係の人、郷里長岡時代の友人、私と共通の友人・知人といった具合にレポート用紙にまとめ、氏名、電話番号、住所の順に書き留めていきます。

(同書155頁)

病院での死は辛いか

統計を取ってみると、自宅で死にたいという人は大変多くのパーセンテージがあります。特に面白いと思われるのは、医師や看護婦もそう考えている割合が高いということです。しかし、医師の竹中文良さんは病院での死を推薦しています。

「病院で迎える最期は、たくさんのチューブにつながれてみじめだ。そんなスパゲティ症候群も、いたずらな延命もごめんだ。自分の死は畳の上で迎えたい」
といった著名人の意見を雑誌や新聞等で見かける。

本人の希望に従うのがよいと思うが、少々現実を無視した考えではという気もする。たとえば癌の末期などに、家で看取りたいとの希望で退院するケースもしばしばある。その際には、先におこりうる症状や看護の方法を教え、近所の医師への紹介状など打つべき手は尽くし、家族は十二分に承知のうえで退院させる。しかし、土壇場で、予告された大量出血が始まったりすると、なかなか往診にも応じてもらえずにいるうち、集まった親戚から家族を人非人扱いするような言葉まで出る事態となる。そこで再入院を考えても、うまくベッドが空いているともかぎらず、いたずらに時を過ごすうち後味の悪い幕切れを迎えることとなる。

それに内緒話をすれば、この種の出戻り患者の到来はナースたちのアレルギー反応を呼ぶ。なぜか?ナースとて人の子。治療の延長線上の死は自然に受け入れられるが、純然たる最後、死だけを看取ることには抵抗があり、葬儀屋じゃないという過激な言葉も出るのだ。

また、スパゲティ症候群もマスコミでいわれるほど頻繁にあるのだろうか。僕の病院では患者さんの近くにいるのは家族で、チューブも酸素やフォーレなど最低限並んでいるのがふつうだ。

(竹中文良『医者が癌にかかったとき』280頁)

 

末期を自宅で過ごす(在宅療法)

在宅か病院か、ということは本人の希望もありますが、実際問題として在宅介護が可能か、ということが本当のところではないでしょうか。キューブラ・ロスは次の答えでもわかりますように、どの場合であっても、希望がかなうように努力しなければならないと答えています。

問:末期患者は、施設で死ぬよりは、家で家族のものたちに囲まれて死ぬほうが、迫り来る死によりよく適応できるものでしょうか?

答:たいていの患者は家で死ぬほうを好みます。しかし病院で死にたがる患者も多少はいます。たとえば、子供たちを最終危機に立ち会わせたくないと思う母親とか、一生ずっと孤独で過ごし、家族とはきわめて縁の薄かった人々とかはむしろ施設での死を選ぶ場合があります。あなたはそれぞれのケースを評価しなければなりません。決してムリに退院を勧めてはなりません。わたしたちの患者の大多数は家で死ぬほうを選びました。わたしたちはこの希望が実現するよう、できるだけのことをしてやらなければなりません。

(ロス『死ぬ瞬間の対話』読売新聞社、134頁)

◎在宅での末期医療の現状

昭和二五年には病院などの医療施設で亡くなった人の割合は約10%、それに対して自宅で亡くなった人の割合は約90%でした。しかし昭和六二年には、病院で亡くなった人は約70%、自宅や老人ホーム等で亡くなった人は約30%となり、病院内で亡くなる人が増大しています。

「看取りに関する調査」(総理府老人対策室調査、昭和57年2月)で、亡くなった人について家族から聴取した結果では、自宅での死を希望している人が約95%ありました。また、一般の老人から聴取した結果、約75%の方が自宅での死を希望していました。

◎在宅での末期医療の利点

病院などの施設は治療に力点が置かれているため、末期患者にとっては、このまま気兼ねなく過ごしたいという希望とは異なり、大変に緊張し窮屈なところと感じられることでしょう。一方在宅では、住み慣れた家で家族と一緒に残された時間を過ごすことができ、家族も患者の希望に沿ったケアができます。

◎在宅で末期医療を進めるためのポイント

  1.  末期患者の在宅ケアを実施するには、次の点が重要です。
  2. 家族は、介護についての知識が乏しいし、「もしも何かあったら」という不安から、出来るなら入院させたいと考えている。
  3. 在宅でも、酸素吸入や点滴、痛み止めなどの治療は出来るようになってきていますが、こうした治療を在宅で行なうためには、往診出来る医師の協力が不可欠です。
  4. 患者の病態が急変した場合に、夜中でも駆けつける「かかりつけ医」の確保や、必要に応じて緊急入院ができる病院との連携が必要です。
  5. 介護を行なう人手が少ない家庭への支援として、訪問看護の充実を図るとともに、ホームヘルパー制度、ポランティア活動、移動入浴車等の活用が必要です。
  6. 介護の方法や家屋の改善など、在宅での末期医療を進めるために保健所や福祉事務所等で相談することが必要です。

介護サービスを利用しよう

自宅で介護することは、精神的にも肉体的に大変な負担があります。まして、介護する人数が限られている場合には、どうしても負担が重くなります。そのような時には、介護の手を補うための制度があります。

◎公的ホームヘルパー

ホームヘルパーは、「老人家庭奉仕員」とよばれるものです。介護を必要とする高齢者の家庭に派遣され、日常生活の手助けをするのが目的です。これは、重度身体障害者や重度身体障害児に対するヘルパーと一体に運営されています。公的なホームヘルパーは、65歳以上の日常生活に支障のある高齢者のいる家庭が対象です。

家庭の事情や高齢者の状態に応じて、ホームヘルパーが派遣されます。その役目は、入浴の介護、身体の清拭、洗髪、排泄など日常の身のまわりの介助や調理、洗濯、掃除、などの家事の援助サービスです。

この奉仕員は、98年度で全国に14万4758人います。 費用負担は介護の必要な世帯の所得に応じて決められています。 時間帯や費用等は自治体によって差があるので、居住地の自治体で確認して下さい。 申込みは、市区町村の老人福祉担当課または福祉事務所で受けつけています。

◎民間のホームヘルパー

緊急の場合や、公的ホームヘルパーの利用時間以外にもへルパーに来てもらいたい場合には、地元のポランティア団体、あるいは民間のホームへルパーの利用が考えられます。これによって家族が無休の介護から解放されるばかりでなく、体の不自由な老人の独り暮らしも可能になります。

非営利団体の場合、費用は1時間500円から800円くらい。ただし会員制で入会金や会費が必要なところもあります。サービス内容は、日常生活の介助や家事の援助サービス、交通費は実費。土・日休みで、時間外は割増料金を取る場合があります。

家政婦紹介所に頼んで人を派遣してもらう場合、家政婦料金は東京の場合、1日8時間で、8千円かかります。炊事、洗濯、掃除などの家事サービスだけか、老人の介助が含まれるかで、料金は違います。もちろん後者の方が高く、それも手間がかかるほど高料金になります。これに交通費が必要です。

民間企業の場合には、契約金や会費が必要をところもあり、時間当りの費用も1,000円から3,500円前後と割高になっています。民間企業のシルパーサービス向上のため、財団法人シルバーサービス振興会では、基準を満たしているサービス業者にシルバーマークをつけています。

◎入浴サービス

地方自治体では、3〜6カ月以上寝たきりの人に対して入浴サービスを行っています。老人福祉センターなどの施設に送迎して、施設職員の介助で入浴サービスをする入浴サービスと、自宅を訪問して入浴車内やポータブル浴槽などで入浴させる巡回入浴サービスがあります。

サービス方法や回数、費用は自治体によって違いますが、月1〜2回位が一般的のようです。申込みは、市区町村の老人福祉担当課に行います。もっと入浴回数を増やしたい場合には、民間の入浴サービスを利用する方法もあります。シルバーサービス振興会では、看護婦を含め最低3人で入浴させるという基準を設けており、この認定業者は平成5年9月現在33社あります。費用は割高なので(1回1万2千円から1万5千円位)料金等を確認してから申し込みましょう。

◎ショートスティ

在宅で寝たきり老人などを介護している人が、結婚式や旅行、事故などで一時的に介護できなくなった場合に、特別養護老人ホームなどの施設で短期間預かる制度です。保護施設は、特別養護老人ホームや養護老人ホームで、期間は原則として7日以内です。申込みは各市区町村の老人福祉担当課で行います。所得制限はありませんが、ホームの収容能力がないため、申し込んでもかなり待たされるところもあるようです。利用科は、国の基準では特別養護老人ホームの場合は食事の実費相当分のみを負担します。

またショートスティの他、夜間の介護が困難な寝たきり老人を一時的に夜間だけ入所させ、夜間の家族の介護の負担を軽減するナイトケア事業もあります。

民間の有料老人ホームでもショートステイを行っているところがあります。この場合は利用期間の制限も多少ゆるやかですが、費用やサービス内容はホームによって違い、公的サービスに比べて割高です。費用は1泊2日で1万5千円前後のものが多く、そのほか入会金・保証金が必要な場合があります。

◎介護要員を雇う場合のチェックポイント

介護要員を雇う場合には、どんな人が来てもらえるか、わかりません。しかし、あらかじめ、その人の出来ること、出来ないことをはっきりと理解していることが大切なことです。

  1. 介護サービスで何と何をしてもらえるのか?
  2. サービス時間は何時から何時までか?
  3. 時間を延長することは可能か?
  4. 注射や投薬を行なう資格があるか?
  5. 必要な器具の使用に精通しているか?
  6. 介護費用は保険で負担できるか?
  7. 時間当たりの費用はいくらか?
  8. 交通費はいくらか?
  9. その他、休憩時間や食事について。

途方にくれて、保健所へ

自宅介護を家族の手だけで行なうことはとても大変である。そこでどうしたらよいか。90歳の母をかかえての「在宅ケア」体験を、向井承子さんは『看護婦の現場から』(講談社)に書いています。

私はまず、病院のソーシャルワーカーに相談してみた。が、退院後の訪問医療を行っていない施設では、なんのアドバイスも得られず、むしろ老人を帰す場のない「この国の現実」への悩みを聞かされる始末で、「私のたったいまの現実」へのなんの解決策にもならなかった。

こんな時、いったいだれに相談したらいいものか。途方にくれて電話したのが、私の地域の所管である杉並区西保健所だった。

保健所に電話したのは、あくまでも「在宅ケア」の手立てがほしかったからである。保健、医療、福祉の窓口がたくさんある中から、最初の駆け込み寺に保健所を選んだのには、深い意味があったわけではない。病院からひきずり出したものの、その後の医療的なケアをだれに頼んだらいいのか見当がつかなかったのである。母に必要なのは、まずは在宅の医療であった。(中略)排尿、排便、着替えからからだの清拭などなど、人間が生活するに必要な動作のひとつひとつに専門家のアドバイスが必要で、しろうとの介助による「在宅」が果たして成り立つのか、見当もつかなかった。

(同書、164頁)

向井さんが、具体的に保健婦さんにお願いしたことは、・継続して心身の状態をみてくれて、さまざまな相談にのってくれる看護婦さんが欲しい。・手足の機能が戻るために、リハビリが派遣されないかどうか・私が仕事を続けるためには、ヘルパーさんが必要である、の3点でした。

若い保健婦の谷坂さんは、根気良く私の相談に耳を傾けてくれて、退院の2週間後には、週1回の看護婦さんと月2回の理学療養士の派遣を決めてくれた。

それから、へルパーや在宅介護用品のことなど、福祉の窓口のほうがふさわしい事柄について、福祉事務所や杉並区の福祉公社にも連絡をとってくれた。結果的にはヘルパーは数そのものが足りなく、重い介護を必要とする母のようなケースではなかなかみつからなかったのだが、とにかく、最初のコーディネーター役を、本人の状態を医療的にもきちんと把握できる保健婦さんがしてくれたのは、結果的にはとてもよかったと思っている。

(同書、164頁)

行政の仕事は、最も困った時に役立たなかったこともつけ加えなければならない。

退院直後、点滴漬けの栄養摂取になれ切っていた老母のからだが、水分摂取能力を失っていたらしく、尿量がどんどん減っていってしまったのである。しかも病院と地域の連携はない。そして保健所の力量は24時間ケア、即戦力という具合にはつくられていない。私たちは病人を抱えながら自分で医療を探さなければならなかった。そして、知人に紹介されて、在宅看護の先駆的なグルーブである村松静子さんたちの「日本在宅看護システム」と出会った。確実な技量を持って、主治医と連携をとりながら基本看護から高度な専門性を駆使しての看護まで安定した力量で対応してくれるという。それが5月の初めだった。

(中略)主治医制をとり、その指示を受けての、日本在宅看護システムによる看護は、なんと連絡をとった翌日から始まったのである。

ケアの力を目の当たりに彼女たちのシステムに感じたのは、まずは迅速性と24時間対応の安心感だった。それは、現行の制度をベースにしか動けない行政の対応では得られない機動力であった。

初回は、チーフ・ナースの山田さんと、ナースの鈴木さんが2人でこられた。ふたりの眼で母の様子を観察。尿量、尿の比重、色調などを主治医に連絡。指示を受けたその日、すぐさまの点滴となった。点滴をしながら、数日間溜まったまま頑として動かなくなった便でふくらんだ腹部をあたため、ゆっくりとやさしくマッサ−ジしては聴診器で腹の音を聞く。なにげないおしやべりで身も心もゆったりしたのか、まもなく、母の肛門から兎の糞のような便がこぼれ始めた。

できるだけ口から食事がとれるように、自然に排便ができるように、自然の心で生きられるように。たったそれだけのことで、2、3日で母の食欲は蘇り、点滴は終了である。驚いたのは、現実のつらさから逃避していたような心のエネルギーまで戻ってきたことである。表情に生気があらわれるうち、時間、記憶、会話の楽しみなどあらゆる現実感覚が戻ってくるまで、たった2週間。目の当たりに見せられたケアの力に私はすっかり感動してしまった。

その日その日の状態は、私からの在宅看護システムあてのファックスで知らせた。励ましと指導をこめた返事は当日、あるいは翌日には必ずいただけた。よくトレーニングされた介護スタッフもいる。介護と看護の対等な連携プレイも、仕事をしながらの「危機管理」には大助かりだった。

しかし、訪問の形と内容にもよるが、1時間1万円平均の費用負担には頭を抱えた。

(同書、166頁)

私も、いまの制度のもとでの訪問看護の水準は、病む人を在宅で支えるために必要なケアの水準にはなっていないと思う。不安な時、せめて電話相談ができて、必要な時にはすぐ飛んできてくれる。そして、直ちに必要なケアが展開できる。緊急時には必要な措置がとれる。そんなことができなければ「在宅ケア」とは言えない。それはケアにおける「最低保障」というものだと思う。

(中略)ともあれ、人手や設備も用意されている病院と比べて、緊急事態に対応する力が乏しい在宅では、病院にいるよりももっと、緊急事態を招かないため、また不安を増幅しないための早め早め、の適切なアドバイスが必要ではないだろうか。

(同書170頁)

家庭介護のむずかしさ

次は家庭介護のむずかしさを示した体験です。何も家庭介護のむずかしさばかりを強調して、それに反対するわけではありませんが、現在病院の病床が患者数に比べて減りつつあり、行政が家庭介護を促進していく方向を打ち出している状況を考えると、一刻も早く「誰でもが、安心できる家庭介護が出来る制度」をつくっていただきたいと思うからです。

「病人は、自宅で死にたがる。家族は初めのうちこそ、患者の希望にもそい、自分たちも一刻でも長く患者と一緒にいたいと思って、病人とともに長期戦を闘う準備をする。

しかし、ガン患者特有の、夜中まで襲う痛苦が激しくなるにしたがって、家族は心身ともに疲れ果て、これでは共倒れになるからと、結局入院させられるようになる。

病院へはもどりたくない!家にいたい!と強く希望しながらも、四囲の事情からあきらめて再入院、再々入院し、家へ帰る日のことばかりいいながら死んでいった人を、私は何人も知っている。」

(中島みち『誰も知らないあした』189頁)

夫の「積極的非協力」が最悪

野木裕子の『あなたの親が倒れたとき』(新潮社)に家族による介護のむずかしさが取り上げられています。

老人性痴呆の姑を介護している清水妙子さんにとってもう一つ苛立たしいのは、夫の貢さんが非協力的なことである。さまざまな人達に話を聞くと、非協力にも、消極的非協力と積極的非協力があるらしい。前者は介護を妻任せにするタイプである。後者は手助けしないだけでなく、妻の世話の仕方を難詰したり、在宅介護に反対する。貢さんは残念ながら、後者であった。

「あの年代の男に、お世話を手伝ってくれといっても無理です。私もそこまでは望みません。でもせめて、大変だけど頼むぐらい、いってもいいのじやないかと思います。本当に憎らしい」妙子さんは華著な体型で、動作ももの静かなら声も柔らかい。「憎らしい」という言葉もまろやかな口調で語られたが、それだけに抑えたいいきどおりがひしひしと感じられた。

姑は食堂のテーブルに向かって、よく所在なげに〈イタズラ〉をする。頭を掻いてフケを取り、テーブルに並べたりするのである。それを見た貢さんは、「あんなこと、させるな」と妙子さんどなる。失禁すればしたで、「お前がちやんと世話しないからだ、お前が注意していないから呆けたのだ、といわれた時は、頭に血がのぼった。

「お姑さんのお話相手して、といっても、それもダメなんですよ。主人も、呆けた姑の相手は面倒臭いみたいです。自分の親なのにねえ。お前の仕事だ、お前の仕事だっていうばかり」

姑の痴呆状態がひどくなってから、妙子さんは胃腸を悪くし、さらに自律神経失調症も起こした。病院で「家庭にイザコザがあると治りませんよ」といわれたが、それを貢さんに伝えても「うちはイザコザなんかないぞ」と奇妙な顔をする。

「主人がワンマンなのは、昔からです。わかって結婚したのですから、姑のことさえなけれぱ我慢できました。でも姑の介護で神経が疲れているところへ、あんなにいわれては…ねえ」と妙子さんは小さく頭を振ってみせた。

(野木裕子『あなたの親が倒れたとき』新潮社 191頁)

床ずれをふせぐ

病気で長く寝た生活をしているかと、必ずあらわれる問題に「床ずれ」があります。これは寝かせたままの姿勢を長く続けると、その部分が鬱血して、化膿する病気です。これを防ぐ方法として、大熊一夫さんが『あなたの「老い」をだれがみる』(朝日新聞社)が紹介しています。

床ずれはよく靴ずれにたとえられる。靴ずれは直径たった一センチほどのものでも痛くて歩けなくなる。あの傷がもっと深く大きくなったと思えばいい。痛いし、化膿はするし、熱も出る。敗血症で命を落とすこともある。寝たきりのお年寄りにとって、これほどの大敵はない。

(中略)大病院がお手あげの巨大な床ずれを、老人ホームは、どんな方法で退治するのか。何か、秘術でもあるのか。これが全くなんの変哲もないのである。

まずベッドのマットの上に、ムアツブトンという柔らかいスポンジの布団を敷く。そして、患部に当たる部分のスポンジを患部よりやや大きめに切り抜いてしまう。こうすることで、仰向けに寝たままのお爺ちゃんの患部は、布団で圧迫されずにすむ。

特別の秘薬もない。毎日一度は必ず、熱い湯にひたしてしぼった布で患部周辺をよくぬぐう。ガーゼにイソジン白糖をぬりのばしたものを患部に当てる。イソジン白糖とは、イソジンというどこにでもある「透明な赤チン」(消毒薬)と白砂糖をねり合わせたものだという。

しかし、これで治るなら苦労はない。手間、手間、手間。まず「体位変換」といって、かなりひんぱんに体を動かすことで特定の部位が長時間圧迫されないようにする。体調のよい人で2時間おき。おむつを当てている人、とくに寿命もつきようという動けなくて骨と皮の人には1時間おき、または30分おき。

これに加えて、おむつ交換のたびに行われるマッサージ、患部だけの日光浴・空気浴、シーッや衣類のしわのばし、食欲をそそるよう工夫された特別食…おむつの材質も吟味される。保水力があるからといって、ネルなどを使ってはならない。ネルは何度も洗濯すると硬くなる。それがまた、床ずれの原因になるのだという。

(大熊一夫『あなたの「老い」をだれがみる』179頁)

介護の心得

末期患者に対し、どのような接し方があるのでしょうか。キューブラー・ロスは手を握ることを勧めています。

手を握る

問:われわれの感覚能力のなかで、死に際して最後まで残るものは聴覚であるというのは本当でしょうか?もし本当なら、死にかかっている患者を看とっている人は、いまここに、自分がいるということを口頭で告げ、安心させてやるべきでしょうか?これは慰めになるでしょうか?それとも不安を創りだすことにはならないでしょうか?

答:自分が死にかかっているときに、誰かがいっしょに坐ってくれており、自分の手を握ってくれてると知ることは非常な慰めだとわたしは思います。来訪者は、そこに腰かけて絶えず話しかけている必要はないのです。ただ、「あなたの娘がここに来ているのよ。わたしの声聞こえる?」と言い、患者の手を握り、患者が健康なときだったら告げるのを躊躇しただろうようなことでも、いろいろと話してあげるのです。

(ロス『死ぬ瞬間の対話』読売新聞社、75頁)

手を握ってやる

問:もうすぐ死が近いにもかかわらず、脳卒中のため話すことができない患者ですが、どう扱ったらいいでしょうか?

答:ただ患者のそばに腰かけ、手を握ってやります。

昏睡の深さによる

問:昏睡状態の人は感覚能力があるものでしょうか?部屋にいる人たちの声が聞こえたりするものでしょうか?

答:はい、それはよくあることです。昏睡の深さによります。

(同書、77頁)

延命医療について

回復の見込のない末期患者に対して、単なる延命のための医療を行なうことは、患者本人の身体的苦しみを長引かせるだけで、人間としての尊厳をそこねるのではないかという意見があります。またそれを見守る家族にとっても、精神的苦痛や、費用、介護疲れなどのさまざまな事情から、現在の医療体制を見直してみようという意見が出てきています。

例えば、末期患者が心停止や呼吸停止などになったとき、蘇生術を実施することは、患者の苦しみを一時的に長びかせるだけのこともあります。米国でもこうした問題に対して、生命倫理に関する大統領委員会では、「本人の意思を尊重して判断すべきである」という意見がまとめられています。また、延命医療を拒否した本人の意思表明書(リビングウイル)を定めている州や、そうした取り決めを行っている病院があります。

日本では、まだ「延命拒否」という考え方が一般的に受け入れられるまでに至っていませんが、日本尊厳死協会は、九四年四月現在、その会員数が六万五千人を超え、その関心の高さを示しています。同協会が作成したリビングウイルには、「私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、すでに死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き伸ばすための延命処置は一切お断りします。」などの項目が書かれており、その書類の一部を協会が、そして一部を本人が預かり、必要な場合に担当の医師に提示するというものです。

現在の法律では、このリビングウイルは法的強制力を持っているわけではありませんので、医療の現場では、あくもでも患者の考え方を示す参考資料として取り扱われることになります。

望ましい末期医療に関するケア

末期医療に対してどうケアしていったらよいのか。そのためには末期の人が起こりがちな症状や悩みを知っておくといざというときの参考になります。

1.痛みの治療

末期がん患者がかかえている最も大きな問題の一つに痛みがあります。ガンはその部位や進行の度合いによってその痛みに個人差がありますが、その痛みを回避する為に沈痛薬を使用する方法があります。特にモルヒネ等の麻薬系鎮痛薬は非常に有効であるにも拘らず、その長期投与によって習慣性が出来たり、生存期間が短縮されることもあるとしてかっては医師も使用することに消極的でした。しかし近年、麻薬系鎮痛薬の改良と経口投与等の投与法の変更等によって、こうした問題はほぼ解決されて厚生省も積極的に沈痛剤の使用を勧めるようになっています。

2.痛み以外の身体的症状

痛み以外の身体的症状には、比較的よくみられるものとして出血、呼吸困難、腸閉塞、痙撃等があります。また慢性症状として嘔気、嘔吐、食欲不振、便秘、不眠、全身倦怠等があり、褥創(床ずれ)等もしばしばみられます。末期状態でのこれらの症状のなかには、本人の訴えを聴かなければわからないものがあります。各々の症状に対しては、医師に相談するなど適切に対応してあげることが介護する人の大切な役目です。

3.生活面でのケア

治癒する見込みのある患者にとって医療施設は一時の治療の場にすぎませんが、末期の患者にとっては、残された時間を有意義にまた身体的、精神的にも心地よく過ごすことが出来るようにするために、食事や睡眠、環境面での生活について十分配慮する必要があります。

4.医師への問いかけ

末期医療においては、家族は患者の精神的な支えとして特に重要な役割を果たしていますので、家族が患者の状態について正しい理解を持ち、精神的にも安定していることが必要です。また家族は、死が迫ったときにどのような症状となるのか、それに対してどう対処したらよいか等を医師にたずねておくことが必要です。

死は待ったなしにやってくる。その死は予期していた家族にとっても「不意打ち」をつかれたようなもので、取り返しのつかないものとなる。次は付添婦として多くの患者の死を見つめてきた新井さんの文章です。

死は美しいものではない。こうした死を見つめてきたのは、医師よりも付添婦の方が多いかもしれない。

深夜。〃ヒューヒューゼーゼー〃
萩原さんの呼吸が荒い、機械は?数字に乱れが出た、ナースコール!
なだれおちるようにカウントダウン、見るまにゼロ。見るまに血の気が失せる。ツーッ山が消えた。
「先生呼んで早く、電話してすぐお家の方呼んで」
「はい!」
主治医みえる。気道切開、人工呼吸。
「ばかやろう早くしろ!なにしてんだ!」
ドクターのすさまじい怒声。御家族みえる。
「御臨終です」

萩原さんは物体となった。物体にとりすがって泣いてる人がいる。最終ステップのための通過儀礼であった。事後処置が始まる。荷物を片づけ、遺体の清拭を始める。たちまち体はこわばりはじめる。凍りついたままの表情がむごい。目はいつもこの世に執着を残してしまう。それでもまぶたを閉じると顔がやわらかくなった。ナースといっしょに人間剥製をつくる。鼻の穴、口、肛門に綿を詰める、ぎゅうぎゅうと割りばしで押し込んで詰める。そして真新しい浴衣を着せて霊安室に運ぶ。御家族の簡単な御焼香がすむのを待って、出て来た奥さんに耳うちをする。
「私の方の残りの請求はあとで会の方からお宅へまわしますので、支払いの方はおちつかれしだい、会へ送るようお願いします」
これが私の仕事であった。

(新井登美子「いくつもの死を見つめて」朝日新聞社、151頁)

 

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