もし家族に何かあったら(2)

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第2章 家族が死の宣告を受けたら

がん告知のむずかしさ

がん告知は大変にむずかしい。特にがんの進行の度合いにより、進行が進んでいればいるほど、本当のことを告げることはむずかしいものです。告知することの必要性・重要性が説かれているにもかかわらず、実際に告知されている例はそんなに多くありません。厚生省の「人口動態社会経済面調査」(1992年)によると、がんで死亡した患者のうち、本人が「告知を受けた」のは18.2%、「察していたと思う」が42.5%、「最後まで知らなかったと思う」が25.1%で、患者の年令が高いほど告知率が減少しています。告知した人は医師が7割で、あとは家族からです。また告知した場合、介護者の58.7%が「知らせてよかった」と答えたといいます。(『毎日新聞』 93年5月8日)

このように告知率はまだ2割に達していない状況にあります。その理由はいくつかあるでしょう。患者自身よりも、家族が「がん」の現実に圧倒され、どうしてよいかわからなくなります。また、「告知」をした場合にも、患者が受ける精神的ダメージを考えると、どう対処したらよいかがわからないからだと思います。

病名を初めて知らされるのは病人自身ではなく、配偶者なり、その病人の近くにいて経済的にも精神的にも面倒を見る立場にある者ということになります。

そうした立場の人が「家族の死」の可能性を知らされますと、自分ではどうしたらよいか判断がつかなくなります。「可哀相」という思いでいっぱいになり、その瞬間からこれまでの楽しい生活が、一転して暗いものになります。もはや家族の間では、病気のことは語られなくなり、本人が「病名」を聞きたいと言っても、あたかも何事もなかったかのように「その場」が取り繕われます。

そしてこの時の一時的な「嘘」があとに尾を引いて、最後まで真実を語ることが出来なくなるという経過をたどる場合が多いのです。

告げる側と告げられる側の告知の条件

といっても、いずれがんに対して何らかの手を打たなくてはなりません。がんを告知しないまでも、初期のがんであれば告知したほうが治療効果の高いこともあります。では、告知する場合にはどのような条件が必要でしょうか。

永田勝太郎氏は『家族ががんといわれたとき』で、がんを告げる時期や、協力者の必要性を語っています。

  1. 告げる時期は、医師と患者の関係が十分によくなってから、かつ、患者さんに治療の可能性があり、それを患者さん自身がよくわかっており、今後に希望の持てるときであるべきです。
  2. 患者さん側の問題として、告げられたあと自暴自棄にならず、みずから治療チームの一員になれるような強い自我や、信仰、信念を持っていること、また社会的役割を強く認識しており、それを遂行していけるだけの責任感を持っていることが必要です(治療に当たっては、多くの医療スタッフはもちろん、家族、友人も加わる必要があります。しかし、その輪の中心に位置するのは、患者さん自身です。本人が治療の意欲をなくしたとき、治療は中断されてしまいます。その意味で患者さん自身は、重要な治療チームの一員です)。
  3. 患者さんを支えていける家族、友人があることも大切です。医療スタッフだけの力では、とても足りません。家族や友人の存在はたいせつなことです。
  4. がんの種類については、早期がん(これの治癒率は高い)や告げなくても知れてしまうがんのときは、告知せざるをえません。特に早期がんの予後(病気の経過)はよく、正しい治療を継続的に受けさせるためにも、すなわち、患者さんを治療チームの一員にするためにも、告知することは重要です。
  5. 医療スタッフ側の問題として、みずからの死生観を絶えず磨き上げることのできるようなチームが責任を持って、患者さんを継続的に援助することが重要です。

告知するにあたって、このような条件がすべて揃うことはとてもむずかしいといえるでしょう。それは、告げる側の条件だけではなく、患者を管理し治療する側の条件も問われているからです。

そのため、こうした条件が揃わなくても本人が告知してもらいたい場合には、健康の時点であらかじめ家族に、がんにかかったら告知してほしいと言っておく必要があるようです。そうでないと、その場になって本人が言って欲しいと言っても、なかなか家族の決断が出来ませんし、医師も告知に協力してくれない場合が多いからです。

次にあげる例は、自分が告知をのぞんでおり、それが偶然医師の口からかなえられた例です。

告知をしてほしい

自分が病んだ病気については正確に知っていたい。がんに罹ると、医師たちの多くはそれを患者に隠すものらしいが、私は死ぬ時まで真実を隠されたり、だまされたりするのはいやだ。出来ることなら死の1、2カ月前には、死の予告を受けたい。そうすれば私は、当然、処理しておくべきことを正確に処理して死ぬだろう。(読者の気持ちが余り暗くならないために書き添えるが、私は次のようなことも書いているのである。やがて死ぬとわかったら、私は死ぬ前に会っておきたいと思う何人かの人たちに、ぜひ会わせてもらいたい。その中には、かつて愛した何人かの女性もいるかもしれない。私はその人たちにも、ひとことずつ「ありがとう」と言って死にたい。そのためには、病みほうけて不様な状態になってからでは困る。私の病気ががんである場合は、余り体力の衰えない内に死の予告をしてもらいたい。)

(澤野久雄『生きていた』集英社文庫 58頁)

澤野さんの場合は、家族からがんのことを聞いたのではなかった。彼がたまたま主治医に「がんですか。」とたずね、そのタイミングのよさに、医師は「がんといっても、本当に初期のものです。切ってしまえば、今なら完全に癒ります。」と答えたのです。このようにがんを告知してほしいという人は、それ以前からがん告知を受けるメリットをはっきりと知っており、そのあとの準備までを考える人です。しかし世の中の人はすべてこのような人ばかりではなく、なかには「がんにかかったとわかっても、知らせてくれるな」という人もいるのです。毎日新聞社が、1982年に行なったがんの全国調査では、「がんを知らせてほしい」と答えた人は53%、「ほしくない」が21%、「場合による」が24%。また治るみこみがある場合には85%が「知らせてほしい」と回答しています。

医師が「病名を知らせたくない」理由

家族が病人に対して「不治の病」であることを隠したがるように、医師もまた同じように患者に対して事実を知らせたくないようです。では医師が「病名を知らせたくない」理由はなんでしょうか。慶応大学の医学部講師の近藤誠氏は『がん治療「常識」のウソ』の中で次のように言っています。

ひとことで言えば、患者さんの不安である。がんと知ったら不安になる、パニックになるというのだ。生活の張りをなくし、闘病意欲も喪失し、治療に悪影響がでる、はなはだしぎは自殺する、という。(中略)

がんと知らされた直後は、ショックも不安も大きいだろう。しかし動揺や不安は日がたつにつれて薄れ、闘病意欲がわいてくるようだ。そもそも病名を知らされる前にも不安があったはずだし、長い目でみれば、知らされる前よりも不安は減少するのではないだろうか。

これに対し、がんと知らされないとずっと不安が続くわけだし、知らされないままがんが再発や進行でもしたら、本当のパニックになってしまうのではないだろうか。不安を根拠に真実を知らせないと、かえって不安地獄に落ちるという背理があるのだ。

(近藤誠『がん治療「常識」のウソ』朝日新聞社 170頁)

近藤氏は医師が、患者本人に「がん告知」をしないことに批判する立場にあるようです。厚生省の「末期医療に関するケアの在り方の検討会」では、1989年に、末期がんの告知問題について、患者自身が残された時間を最も必要としている点などをあげて、「一律の告知は適当ではないが、告知には有益な点が多いので、告知問題に一層積極的に取り組むべきだ」という見解を打ち出しました。(「毎日新聞」 89年6月17日)いずれにしても、がんとわかったらそれを聞いた家族は、まず自分たちの気持ちの整理をしなければなりません。患者は自分のことですからある程度の覚悟をしている場合もありますが、家族は全く突然なのですから。

医師から報告を受けたら

診断の結果がんとわかったとき、医師は本人以外の人を呼んで病名を伝えます。この場面は熟練した医師でも緊張する瞬間でしょう。まして家族の者は、告知を受けた瞬間、頭が空白になることでしょう。

医師からがん告知などの報告を受けたら、患者の妻は大変にショックを受けて、そのあとの言葉(病気の進行状況、治療の可能性、予後)をほとんど覚えていません。そのため次のようにもう一度医師に面会するという場面が必要な場合が出てきます。

そういう場合は、後日、別の家族にもう一度医師のところへ行ってもらいます。その場合、必ず事前に医師に電話して、何時に、どこへ行ったらよいか、確認してください。なぜなら、私たち医師は忙しく、また、医療は、突然にさまざまなことが発生するため、急に来院されても時間がとれないことがあります。また、説明するのにいろいろ資料が必要で、それをとりそろえるのにも時間がかかります。そういうとき、医師も不機嫌になることがありますし、また家族のかたにしてみると、待たされるのはいやなものでしょう。

(永田勝太郎「家族ががんと言われたとき」 14頁)

医師からがんなどの病名を聞いたとき、まずその家族が大変なショックに陥ることがあります。子どものがんを最後まで否定しつづけたため、治療の時期をのがしてしまった母親もいます。また、夫の胃がんを信じられず、すぐに怒りの段階に入り、がんと診断する病院や医師を怒り、行く先々で病院や医師とトラブルを起こし、点々と病院をかえていた妻もいました。

(同書 17頁)

このように告知を受けた家族は大変動揺を受け、正しい判断がとれなくなる場合も出てきます。家族がその後この事態にどう対処したらいいか、その方法を間違え、より問題をこじらせていった例はいくつもあることでしょう。患者本人に話せる場合は良いのですが、そうでない場合、親戚や友人と相談することも多いでしょう。また、医師に「どのようにするのが一番いい方法なのか」を質問こともあるでしょう。

また、医師が告知を勧めない場合でも、家族が本人に告知した方が良いと考える人も当然出てきます。次は医師の反対にもかかわらず、告知する立場をはっきりさせた場合です。

告知について医師との相談

「奥さんがそうしたいとおっしゃるのでしたら止める権利は私にはありません…。しかし、どうも患者さんのごようすを見るかぎり、動揺しやすい方のようですし、告げるにしてもよくよく時期を見計らってからでないと…」

(小野厚子「がん告知」立風書房 16頁)

このように医師が、がん告知について消極的な態度を示す場合があります。これに対して手記の作者は、次のように自分の意見をはっきりと述べています。

「先生、ともかく私は主人にすべてを話します。主人のためとはいえ、主人に内緒で先生と私だけでこんな大切な話をしていることは主人に対する裏切りのようにも思えるんです。もし私ががんで、主人と私の主治医が私に内緒で、これからこうしよう、ああしよう、と話し合うとしたら、たまらなくいやです。これは誰のことでもない、私のことよ、私の人生なのよっていいたくなります。私がしてもらいたくないことを、私は主人にすることはできません。(中略)話すタイミングはよく考えなきゃならないと思いますが、とにかくなるべく早い時期に話します…。子供には今夜にでも話します。子供の意見も聞いてみます。

(同書 19頁)

告知は良しわるしはありません。その結果が良く出たとしても悪く出たとしても、それだから告知すべきであるとか、しない方がいいということは言えないでしょう。最終的には、患者本人の意志が最優先されるべきことなのですから。

告知(家族に知らせる)

告知は、患者本人にどう知らせたらよいか、あるいは知らせないかに焦点があてられています。また一方で、患者の親や子供などに真実を知らせるかどうかも大変に難しい問題です。その理由一つは、知らせを聞いた者が大変に悲しみ、それによって患者が自分の病名に気づいてしまう危険があるからです。また子供や親がそれを聞いて、精神的に必要以上のショックを受けてしまう危険性があるからです。

「夫の病名を知らせることは義母を悲しませるだけではないか。そんな疑問が沸いてきたのです。事実を知らせて、もし寝込まれでもしたらどうしよう。離れて暮らしている私に力づける方法は限られています。結局は義兄や義姉に迷惑をかけることになってしまいます。責任の取れないことはやめよう。夫のがんを告げるかどうかは判断を義兄や義姉に任せよう。
そう決めたところで私はダイヤルを回しました。
幸いに義姉が出ました。(中略)私は夫の病気について話し、母に真実を告げるかどうかは義兄夫婦に任せたいといいました。」

(「がん告知」 47頁)

この場面は、患者の妻が義兄夫婦に伝え、同居している義母に告げるか否かの判断を委ねたところです。
次に娘に病気を告げる場面があります。

ほっとする間もなく、2階の娘の部屋を覗きに行きました。
動揺していたのかもしれません、ノックをせずにドアを開けてしまいました。振り向いた幸絵の目が真っ赤でした。
こういうときこそ冷静でなければ、と心を励まして私は幸絵に語りかけました。

「あなたの悲しみを、お母さんはどうしてあげることもできないわ。結局あなたが自分で考えて処理していかなければいけないのよね。お母さんはさっちゃんではないんだから…。
でも、これだけはいっておくけど、お母さんに何かしてもらいたいと思ったことはいってね、お母さんにできることはするから。それともうひとつ、絶対に自分を可哀そうだとか、不幸な人とか、哀れな人とか思ってはだめよ。あなたは可哀そうな人でも不幸な人でもなんでもないの。自分を哀れむことだけはどんな場合でもしないでね」

(「がん告知」 48頁)

今度は自分の病名を知った患者が、実家の母親にそれをに知らせたいと思う場面です。

は死ぬまで、病名を家族以外のだれにも打ち明けませんでした。勤め先の社長には、再入院の長期休暇をいただくため報告しなければなりませんでしたが、そのほかの方にはだれにも黙っていました。

それが、退院して約一年半たった10月に、「母には打ち明けたい」と突然いいだしました。
「母には自分の病気と、おかれた状態をよく理解して適切に行動してほしい」
というのがその理由でした。

(「がん告知」 121頁)

子供に病名を伝える

山内喜美子さんの『告知せず』(文春文庫)には、テレビ司会者の溝口泰男夫人が、大学生になった朝くんにお父さんががんであることをを告げる場面があります。

食堂へ行くと、待っていたように朝くんが聞いた。

「ママ。パパの病気は、普通じゃないんじゃいの?前から言おうと思ってたんだ。みんなから『だいぶ悪いんじゃないの』って聞かれる。でも、ママが家へ帰って泣いてる姿を見せたことがないから、大丈夫だと思ってた。でも、ほんとうに大丈夫なの?」

「あんたの入学式に言うのはいけないけれども、パパには、実はもうあまり先がないのよ。…がんなの」

「やっぱり…」

「あなたは受験があったし、今まで黙ってたけど、入学が済んだらちやんと言おうと思ってたの。これからは、あなたも、水泳で頑張って、パパにこんな大会で勝つんたよ、っていい報告をしてあげて。今までママが奇跡をおこそうと頑張ってきたけど、今度はあなたが奇跡をおこしてあげて」

「うん、わかった。ママ、大変だったね。僕、わからなかったよ。もっと早く言ってくれればよかったのに。でも公には言わないで。公は感受性の強い子だから」

(山内喜美子『告知せず』春秋文庫 41頁)

マーチンは子供たちを居間に呼んだ。彼は自分のロッキング・チェアーに腰かけていた。私は長いブルーのソファーの上にパフィを膝に抱いて腰かけた。ジョニーは私のそばに坐った。

「私はとても重い病気にかかっているんだ。病院でわかったのだがね。癌と言ってね、治らない病気なんだ。だけど、何人ものお医者がパパのために、できる限りのことをしてくれているんだ。これから私は多分、病院へ入ったり出たりするだろうけど、いられる限りおまえたちと一緒にうちにいるからね」

(ケイン『未亡人』 30頁)

これはいかにもアメリカ人的であるが、彼らにとっても大変な作業であることがわかる。それは、その夜この夫婦は自分たちが正しいことをしたと信じていたが、あとからこの夫人は「今一度やり直すチャンスが与えられたとしたら、私はこの場面をまったく別の形で演じたような気がする」と書いている。そして次のような反省を述べている。

私たちは子供に(死の)事実を伝えることを避けただけではない。気持ちを伝えることにも失敗した。人は苦しみ、猛り狂うが、それでもなお、死に対抗することはできないのだ、ということを、子供たちは学ぶべきであった。(中略)もう一度、子供たちに告げるチャンスを与えられたとしたら、私は子供たちに泣き叫ぶように勧めたと思う。パパの病気について質問したり、話し合ったりさせるように、いっしょうけんめい努めたと思う。

(ケイン『未亡人』 32頁)

死までの具体的な数字はいえない

問:あなたは寿命(余命)があと何カ月あるいは何年というふうな具体的な数字を患者にいうべきではないというご意見ですが、あと12カ月、あるいは1年、2年、もしくは5年間は生きのびるチャンスはあるというふうな励ましのコトバをいうのは良いことだとお考えでしょうか?

答:期待存命数カ月などという具体的な数字を知らされた患者は、元気がなくなるということが分っております。わたしたちの予後診断は、あとどれだけ生きられるかを患者に教えられるほど正確なものではありません。

もしわたしたちが患者に、あと6カ月は生きられますなどといったら、患者はしばしば非常な苦しい立場に陥ってしまい、もう生きている気はしない、さりとて死ぬこともできないという状態になってしまいます。それより、わたしには分りません、現時点ではチャンスはかなり乏しいように思われますというほうが、ずっと正直な言い方だと思います。

もし患者が具体的な数字を聞きたいたいと言い張ったら、医師は統計的な近似値を教えてやるべきです。そうすれば患者は、家のことを片づけるのにあとどれくらい時間があるか、なんらかの予測を立てるものです。

(ロス『死ぬ瞬間の対話』 26頁)

告知された本人の反応

本人に知らせる場合、どのようにしたらよいのでしょう。これは失敗してはいけないという気持ちと、どう切り出していったらよいのかがむずかしいために、結局知らせないでおくというケースも多いと思われます。ところで実際に告知をしている医師の体験では、告知された本人の感情を次のようにまとめています。

私の経験では、言われたとき顔がこわばるとか、取り乱すといったショックをおもてにあらわす人はほんのわずかです。意外に冷静なのに驚きますが、しかし、あとでアンケートで確かめてみますと、「あのときはショックだった」という人、「ショックではあったがすぐ受け止めた」「あるていど予期していたからショックは少なかった」とさまざまでした。家族の目から本人をみた場合は、だいぶちがっていて「平静を装っているけれど、明らかに動転していた」「普段しないことをやってみたり、なにかをするときあせったり」という感想でした。

さらに詳しくみますと、「ショックで目の前が真っ暗になった」人が16パーセントもおりますから、言われたときは必死に耐えていたのでしょうね。その後ショックからの立ち直りにかかった期間をみますと、「1か月以上かかっている」という人は2パーセントで、立ち直りは意外に早いようです。

このようにどんな人でも、なんらかのショックけ受けるものです。しかしより大切なことは、どうやって、いつ立ち直ってゆくかということではないでしょうか。

(笹子三津留「家族ががんにかかったとき」築地書館 80頁)

1980年10月の朝日新聞の調査によると、国民の61%が、もし自分ががんになったら告知してほしいと考えているようです。しかし悪性のがんの場合には、実際に告知されているのは2割に満たないというのが実情のようです。アメリカでは1997年の時点で、医師の97%が、患者にがんであることを知らせると答えています。それはアメリカ映画を見てもわかります。

映画「ドクター」では、主人公の医師自身ががんにかかるわけですが、自分のがんの性質や進行状態、そしてそれに対処するためにどんな手段をとったらよいかを細部まで担当の医師と相談する場面がありました。それとは対象的なのが、やはり日本。これは何事も口にしないことが美徳という国民性の問題であるとともに、一方では告知してほしくないという人が現に4割近く存在するのです。また、自分は知らせて欲しいが、人には知らせたくないという人もあり、治らないがんの告知については、大変にむずがしいと思われます。次は、俳優の大塚京子さんががんになった夫を見舞うシーンです。

そんな幾日かが過ぎて、大塚さんはもう何も言わなくなった。ただ黙ってべッドに横たわり、虚ろに天井を見つめているだけだ。京子さんも、病気のことについて、夫とは何も話さなかった。ベッドで暴れた時、「あ、気がついたんだな」と京子さんにはわかっていた。でも、自分の口からはっきりと、がんの宣告をすることはできなかった。

告知するということは、しないでいることより、実は数倍も勇気のいることだ。誰だって、「あなたはもう死ぬのよ」なんていうことを平気で言えるはずがない。できることならずっと言わずにすませたい。相手が近しい人であるほど、そう思う。死を宣告するということは、彼がたどるあらゆることに責任を負うということでもあるのだ。家族でも、医師でも、告知した後、患者とどうつきあうか、とことん考えた上でなければ容易にできることではない。京子さんにも、その勇気が持てなかった。

(山内喜美子『告知せず』 85頁)

これが多くの日本人の心情なのではないでしょうか。

医師に質問すること

家族は患者の支えであり、家庭や社会とのパイプ役でもあります。そして一番患者が知りたいのは、自分の病気の状態とこれからの経過ではないでしょうか。ガンを告知していない場合には病状を正しく伝えるかどうかは問題ですが、家族の方は正しく把握しておく必要があります。重要な話は担当の医師から説明があると思いますが、しばらく説明がないと心配になることがあります。そうした場合、何度も病状を聞きに行くと迷惑ではないかと、つい遠慮がちになってしまいます。しかし心配なこと、聞きたいことがあれば積極的に質問することをお勧めします。そうすることによって、医師とのコミュニケーションが円滑に行くことがあります。

医師に対する質問内容

1.診察の結果はどうでしたか?

先生のいわれる医学用語がわからないときは、質問しましょう。
多くの人は医師の説明でわからない点があるにもかかわらず、
それを尋ねることを遠慮しています。

2.病人の容態はどのように進展するのでしょうか?

3..容態が急変することはあるのでしょうか?

4.治療方法と、それによってどんな副作用があるでしょうか?

5.退院した場合、家庭でどんな介護が必要でしょうか?

6..摂取してはいけないアルコール類や嗜好品は?

7.薬についての質問

(a)薬の種類と効能 (b)使用量と時期 (c)薬の副作用と、それが起きた場合の処置。などがあります。
医師に質問することで、家族と医師との間にコミュニケーションが生まれますので、わからないことがあれば質問しましょう。

 

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