2000.05 |
90年代は21世紀に向けて大きな時代の転換期を迎える葬儀業界の、さまざまな変化の芽が出そろった時期といえる。その芽がどのように発展していくかは、予断を許さないところである。
雑誌は広告収入に依存している部分が多いが、葬儀の業界紙が出たことは、そこに広告を載せる業種も多様になっていることを示している。また業界の経済的動きの取り扱いを見ていると、多死社会の到来ということで、ビジネスチャンスを予告するものが多かったが、最近では経済の落ち込みを反映してトーンダウンしている。
(91年1月)葬儀の雑誌『SOGI』が 表現社(現/表現文化社)から発刊された。年6回の発行で、業界初の雑誌として、業界に大きな影響を与えた。2000年1月で通巻55号を迎えた。
(96年12月)葬儀の業界誌『フューネラルビジネス』が綜合ユニコムから発刊された。多死社会へ向けて、葬祭ビジネスへの参入が予想されるが、そうした層にも目が向けられている。月刊で創刊号には全国主要葬儀ホールのリストがある。
(91年5月)「日経流通新聞」(91.5.2)は、21世紀のニュービジネスを予想した。そのなかの「死亡ビジネス」で、次のような紹介がある。
遺言ビデオ付き高層墓ビル
墓参りが見直され、年々豪華に。故人の在りし日の姿や、子孫への遺言をじかに語るビデオを大スクリーンで見られる「AV墓ビルが都心に続々誕生する。」臨終ファッション
「棺桶のなかではこんな服で」と老人が予約できるシステム。その他、デザイナーブランドの墓などを紹介している。
(93年10月)『宗教工芸新聞』(93.10)によると、平成3年度の死亡人口である85万人のレベルでの葬祭市場規模は、葬儀本体の市場規模が9,500億円。お経料・戒名料など寺院費用市場規模が4,300億円。通夜からの飲食接待費用が3,700億円であると推定される。これにギフト市場規模1,000億円を加えると1兆8,500億円の市場となる。20年後に市場規模が1.6倍になるとすれば、平成23年頃の市場規模は、約3兆円の市場に発展することになる。
(*この数字は、現在の時点では経済情勢などの理由から下方修正を余儀なくさせている)
(94年10月)日経新聞社がまとめた「第12回サービス業総合調査」によると、冠婚葬祭互助会の売上は、22社のうち前年度比3.9%の伸びを示した。葬祭業は5.6%の伸び。しかし「死亡人口は30年後には2倍に膨らむと推定されているが、葬儀費用を出す遺族の側は逆に減少傾向にある」と、すでに費用の減少が指摘されてきている。
(95年5月)日本債券信用銀行の産業調査部の葬儀市場調査によると、葬祭市場はこれまで「本格的な競争がないまま、業者は売り手市場的に営業出来たが、売り手市場としてあり続けるのはもはや困難」とコメントした。葬祭業界には異業種からの参入が活発化する一方、利用者の側が従来の業者主導の葬儀では納得しなくなってきたからという。
具体的な課題には、
(1)商品・サービスの内容と料金を明示する。
(2)商品・サービスは利用者の必要に応じて追加、削除、変更が出来る
(3)葬儀料金が容易に理解でき、他社との比較が出来るような標準見積書を業界で導入する
と葬儀業界の情報開示を勧めるアドバイスを述べている。
(91年7月)『カナダ葬儀』7月号に、「カナダのエンバーマー、日本の歴史を変える」という見出しが載った。カナダ人のエンバーマーが、3年の契約で日本の葬祭業を手伝うとあった。この年に日本でのエンバーミング会社が生まれ、その後大阪、広島にも出来た。
(91年9月)本田技研創業者の本田宗一郎の死去にともない、「お礼の会」が9月5日から3日間、東京都港区の本社ホンダ青山ビルで行われた。会場には創業期の製品や故人が愛したレーシングマシンなどが展示された。この時は「お礼の会」という名称であったが、「お別れの会」という名称での社葬の先駆けとなった。
( 94年3月)大阪の葬儀会社・公益社が初めて大阪証券取引所の新二部に上場した。業界全体の企業イメージを良くするのが目的という。公益社は1932年の創業で資本金は約17億円。93年3月期の業績は、売上高に相当する営業収益が約94億円。
(94年8月)伊勢丹本店(東京・新宿)では、斎場紹介など葬儀関連の相談を専門に受け付ける「葬儀式場相談コーナー」を設けた。葬儀相談がデパートという場所で行なえる時代となった。
(95年6月)電気・自動車部品メーカーの日東電気(茨城県)は、経営多角化の一環として葬儀社「ふくのかい」を設立した。同じ時期に、九州最大の組合員数を誇るエフコープ(本部・福岡市)が、葬祭事業「エフセ」を始めた。
(97年6月)阪急東宝グループの阪急メディアックスは、兵庫県西宮市の阪急西宮北口駅南側に葬祭会館「エテルノ西宮」をオープン。どの既存業界も将来性がはっきりとしない時代、多死時代に向けて新規参入が今後も続くことが予想される。
(95年7月)葬儀の生前予約はアメリカで生まれたシステムであるが、このシステムが日本にも誕生した。生前予約と訃報の連絡代行、保険の3つを組み合わせたサービス。同年4月に、「日本FAN倶楽部」が始めたもの。入会するには、入会金1万円を払って葬儀内容を予約、訃報の連絡先は50人まで登録出来る。
(95年9月)葬儀の公益社(大阪)は、大阪、東京の営業拠点約20ケ所に携帯型パソコンを順次配置し、個人向け営業を強化した。喪家を訪れる際に、パソコンを持参して、祭壇の飾り付けや齋場を選択。見積もその場で行なえるという。
(96年3月)葬祭ディレクター技能審査制度が、3月に労働省の認可を受け、8月に第一回の試験が行われた。ディレクターには、1級と2級があり、96年の第1次技能審査には全国で約3500人が受験し、約3,000人が合格した。
『フューネラルビジネス』(2000年3月号)によると、99年末現在の全国ホール数は2,331ケ所で、ピーク時の98年には全国で217ホールが完成したという。葬儀ホールの使用率が高まるのにともなって、演出にAV設備の導入など葬儀のスタイルにも大きな変化をもたらした。
(98年1月)葬儀業の公益社は、大阪ドーム(大阪市西区)で初めて社葬を執り行った。収容規模が大きく、映像機器の設備の機能にも着目したもの。
(98年9月)厚木市内の葬儀会社が、葬儀サービスの流れを、国際的な品質システム規格にマニュアル化した国際標準化機構(ISO)日本環境認証機構から認証された。ISOの認証を受ける企業は葬祭業界では始めて。その後、名古屋市の葬祭会社の一柳葬具総本店は2000年1月、品質管理システムの「ISO9001」を取得し、同時期に牛久市・阿見町斎場組合運営の「うしくあみ斎場」が、環境管理システム「ISO14001」規格を取得している。
葬儀に対する意識の変化をもたらしたものには、葬儀の展示会やイベントの影響が見のがせない。特に葬儀会館の登場にともなってオープン・イベントが、消費者の葬儀に対する関心を高めたことはいなめないだろう。そうした風潮から、閉ざされた葬儀から開かれた葬儀に変化していくだろう。
(93年12月)93年暮れ、芦屋市立公民館で模擬「お葬式」が営まれ、約50人が参列した。これは芦屋市の市民講座「お墓を考える講座」の一環で行ったもの。受講者の希望で、いわゆる無宗教形式の葬儀が行われた。会場にはピアノが持ち込まれ、ジャズの生演奏が演じられた。
(94年7月)94年7月から三重県伊勢市で、県が中心になって「世界祝祭博覧会」(まつり博・三重)が開かれた。この祭りの出展の一つに県内の葬儀会社「ふじや本店」とイベント企画会社「三重ふじや」が「葬送」のパビリオンを出した。
( 96年3月)神奈川県葬祭業組合主催で、横浜市内の百貨店で葬儀イベントが開催された。会場には石原裕次郎さんの葬儀に使われた同タイプの300万円を越す棺や、骨壷なども展示した。
(96 年11月)綜合ユニコム主催による「フューネラルビジネスフェア 」が東京流通センターで行われた。これは主に葬儀のプロを対象とした展示会で、葬祭サービス部門、返礼品、霊柩車、葬具新製品、斎場ハード・ソフト設備機器・演出機器の展示がされた。葬儀関連業者55社が出展し、会期の2日間に3,393人が来場した。このフェアは、その後毎年開催されている。
(97年7月)仙台市消費生活センターは、葬儀の基礎知識を身に付け、変化する葬儀事情を知ってもらおうと、仙台市青葉区の同センターで「はじめてのお葬式」展を開催した。このなかで時代の先端である無宗教の葬儀や生前葬、自然葬の説明もあった。
(95年3月)中国で最初の国際葬儀業者博が3月15日から17日まで、諸外国が参加して開催された。この博覧会には、アメリカのルディ・アンド・アソシェートが、中国での博覧会のアメリカ企業の代表代理店として参加し、中国国内の1,200以上の葬儀場、300の商業霊園、10万の公営福祉霊園における技術協力を行う予定という。
(97年3月)国際ゴールデンルール協会の主催により、死に関する業者やサービス会社が一同に集う、「デスケア・ワールドエキスポ」が3月17、18日の両日、ラスベガスのバリーズ・カジノ・リゾートで開催された。出展企業は霊園、アフターケア・コンサルタント・サービス、生花、棺、プレニードサービスなど多彩。この催しは、その後毎年開催されている。
「インターネット白書」によると、99年2月現在の日本のインターネット利用者数は1508万人である。またインターネット利用世帯数では5万世帯で、約13%である。ただし今後急速に普及が予想されるインターネット。葬儀業界にも何らかの影響を与えずにはおかないだろう。
(97年7月)朝日大学(岐阜県)創立者の宮田慶三郎氏の死にともない、7月8日午後1時から記念館大ホールで合同葬が行われた。この葬儀では、朝日大学、明海大学(坂戸キャンパス、浦安キャンパス)の3会場をISDN回線で結び、マルチメディアシステムを利用するとともに、インターネットを通して同時中継をした。
( 95年7月)バージニア州の葬儀社が、インターネットを通して、棺と葬式サービスを始めた。ハワード社は低価格を方針として売り出した。
( 95年9月)カナダの葬儀社のアームストロング社は、故人の記録がインターネットのページに永遠に記録されるサイトを開設した。ここには顔写真や経歴はもちろん、音声やビデオも記録が可能。いわゆるヴァーチャル霊園の一つであるが、こうしたサイトがその後いくつも開設された。
*2000年3月の時点では、アメリカの北シラキュースにあるファーガソン葬儀場は、世界で最初のインターネット葬式を行っている葬儀場と自称している。式場のあちこちにテレビカメラが配置され、インターネットを通して、視聴者は出棺や葬列の場面を見ることができる。こうしたインターネットの活用方法は、今後どのように利用され、あるいは普及していくか、目が離せない。
葬儀料金は99年のアンケートでは、予想に反して値上がりを続けている。葬儀料金がどこまで含まれるかによって、値段が変わってくる。そこらあたりが葬儀料金は分りにくいという原因であろう。
(93年3月)国民生活センターは、葬儀サービスの内容や料金設定の仕組みについて報告書をまとめた。調査対象は全国99の業者と45の互助会。設定価格は互助会が、3万から120万円で、最も利用度の高いのが18万円。一般業者は5万から2,000万と選択の幅が広く、21万から30万円が一般的である。
(97年11月)神奈川県の「葬祭サービスに関するアンケート」で、最近5年間に葬儀を行った県民の葬儀費用は平均236万円、香典返し費用は94万円、香典収入は196万円という結果が出た。葬祭業者に求めるものとして6割以上が、「希望通りの葬儀を行う」「価格設定がわかりやすい」と回答している。
(99年2月)全葬連の依託を受け、日本消費者協会が同会員1,060人を対象に葬儀に関するアンケートを行った。葬儀費用の合計額は全国平均で約229万円。主な内訳は通夜から始まる飲食接待費約45万円、葬儀一式費用約131万円、寺院への費用(お経料、戒名料)約50万円など。同協会の調査は93年、95年、99年の3回行われ、葬儀費用の金額はそれぞれ208万円、204万円、229万円と上昇傾向が続いている。
アメリカのカルフォルニア州では1965年に散骨が合法化され、最も近い海岸線から三マイル(約5キロ)離れた所からの骨灰の海中投棄が許可されている。散骨は飛行機もあるがボートが一般的。日本では「自然葬」の会が先べんをつけた。
(91年2月)墓への埋葬を拒否し、海や山への散骨で死後自然に帰ろうとする「葬送の自由をすすめる会」が1991年2月東京で発足。同年10月、神奈川県三浦半島沖の相模灘で初めて公に散骨を実施した。これに対して法務省は「節度をもって葬送の一つとして行われる限り違法ではない」との見解を出し、散骨が初めて認められることとなる。
(93年3月)同会では、3月7日宮城県内の山中で二人の自然葬を行なった。散骨の場所は宮城県老人福祉会が所有する梅林予定地の約10平方米を借り、2本の梅の木の根本にそれぞれの遺族らが遺灰をまいた。
(94年6月)同会は5月、山梨県小菅村の公有林に散骨をしたが、それに対し小菅村はじめ四市町村では東京都に対し散骨の中止を申し入れた。反対理由は@村民の水源地でもあるA観光立村を目指しているがイメージが悪くなるB山菜取りに入るのに気持ちが悪いなどの理由。
(94年2月)東京都は2月17日、都営霊園内に「散骨」が出来るお墓が検討される。霊園の一区画を散骨場所にするというもの。都建設局では「お墓に関する意識は多様化しており、それに対応する新しい公営墓地を考えていきたい」という。
(94年2月)東京都新宿区の葬儀会社公営社が、散骨サービスを始めた。日本で一般の葬儀業者が業務として散骨に携わるのは初めて。公営社はアメリカのカリフォルニア州法などを参考に実施基準を決めた。
(94年7月)遺骨を砕いた遺灰を海などにまく散骨を、九州の(株)香栄社グループが扱うことになった。同グループは、福岡市と大野城市に4つの葬祭場を展開している地場大手。
(97年4月)人が死後に夢を託すロマンチックな「宇宙葬」の第1回打ち上げが行われた。スペインのカナリア諸島で打ち上げたロケットに、24人分の遺灰を搭載。このなかに、米国在住で5歳で死亡した日本人少年も含まれていた。
(90年11月)総理府が11月4日に発表した「墓地に関する世論調査」の中で、海や山への散骨について、20%が認めてよいと答えた。しかし56.7%が認めるべきでないと答えた。
(95年8月)互助会の「くらしの友」は、首都圏のサラリーマン、OLなど310人を対象に「お墓に関する意識調査」を行なった。自分の死後の遺骨処置については、7.19%が「墓地への埋葬」と答えている。「海・川・山などへの散骨」が18.1%。「共同納骨堂の納骨」が10%あった。
(99年4月)リビング生活研究所が行った「女性のお墓意識」に関する調査で、遺灰の処置に散骨を希望とした人が3割を越えた。「自分の死後、お墓や埋葬はどんなスタイルがいいか」の質問に、「自然葬」が30%、次いで「伝統的な墓」(27%)、「芝生墓地」(22%)の順となっている。これに対し、近親者の死後処置は「伝統的な墓」が50%で一番多い。
(93年5月)遺灰を中国の山河にまく葬儀社が北京に誕生した。飛行機と船を使い、まく模様をビデオに収録して遺族に見せるもの。
(99年8月)葬儀部門の企業化を進めている上海市は、海に遺骨をまく「海葬」専門会社を設立した。市政府が葬儀部門を100%出資で企業化したもの。
このように大きく変化をしている葬儀業界であるが、これまで地域の習慣と宗教色の強かった葬儀が、21世紀に、どのように変貌を遂げるかは誰も知らない。