1999.10
死がもたらす人間関係

死と人間関係

  身内の者や友人が亡くなると、その家族を中心に葬儀が営まれる。かっては死者を埋葬しあの世に送ることが葬儀の中心であったが、現在ではそれに加え、これまでにつちかわれた人間関係の再調整という意味合いが強い。これまで親しくおつき合いがあった先であっても、死をきっかけにして交際が途絶えたり、代替わりすることによって新しい人間関係が生れるということもある。そこで今回は、死によって「人間関係」に、どのような変化が生じるのかについて考えてみたい。

 

死亡連絡先はどこまで?

  人が亡くなるとまず死亡連絡が必要である。その時に問題となるのは、遺族がどの範囲まで死亡連絡をするかである。身内はさておき、故人の友人関係がはっきりしない。人との交友関係は、故人本人しか分らないことが多く、遺族には知らされていない。そのため深い友人関係先に連絡を怠れば、「どうして知らせてくれなかった」として注意されるし、浅いところに連絡をすれば、その人に「葬儀に来い」と請求しているようにもとれる。そのために遺族は迷うのである。
  故人の交友関係を知る方法として、年賀状や住所録がある。これをもとにして、全員に死亡連絡をするという方法もある。こうしておけば、「どこまで連絡したらよいか」迷うことはないし、関係の浅い人に連絡したからと言ってもお叱りを受けることはないからである。
  これを死亡通知を受けた人の立ち場になって考えると、「その葬儀に出席した方がよいかどうか。出席しなければ義理を欠くのではないか?」とまず考える。
  最近、葬儀での会葬者数が減っている理由として、死亡通知をすることでわざわざ葬儀に来てもらうのは、その人に負担をかけると考え、通知しない人が増えてきたという説がある。またもう一つの理由に、葬儀を会館で行うことがあげられる。これまで自宅で葬儀をした場合には、近所の人はつきあい上、お互いに誘い合わせて焼香に出かける姿が見られた。隣の人が葬儀に参加しているのに、自分だけが行かないわけにはいかなかったのである。ところが会館での葬儀であれば、近所の人が列をなして行くことはなく、参列しなくても目立たなくなった。これらのことが会葬者数の減少の要因と考えられる。

 

家族および親戚間の人間関係

 家族の一員が死亡すれば、家族はもちろん親戚も駆けつける。人の死によって、家族内はもちろん、親戚間の人間関係までもが変化する可能性を秘めている。変化そのものは悪いものではないが、それに適切な対応ができないと、精神的ストレスとなったり、これまで維持されていた関係までも壊してしまうことがある。
  家族のだれが亡くなるかによって、その後の人間関係の在り方が違うが、夫婦世帯の一方が死亡した場合には、それまで別居していた子が、親を引き取ることになるかも知れない。相続人は遺産相続や財産の名義変更などの手続き、また故人が生活していた部屋や家財の処置、そして仏壇やお墓の問題もある。こうした問題を、故人が生前に取り決めておかなかった場合は、すべてを遺族同士間で決定することになる。これまでは何も利害関係がなかった場合であったも、問題が一挙に吹き出してくることもある。人間関係よりも、自分の権利を守ることに拘泥すれば、裁判所に持ち込むことになる。

 

故人の知人との人間関係

 故人の知人に対しては、葬儀を境にして関係が遠のいていくだろう。二人の間にあった話題を、遺族は受け継ぐことはできないのである。年末には、故人宛てに今年届いた年賀状を取り出し、そのなかから死亡通知をしなかった先を選びだし、故人に代って年賀欠礼の挨拶状を差し出すことになる。そういう形で最終的な死亡通知をするこになる。

 

人間関係の分類

 社会学者のウイリアム・サムナーは、人の集団を「内集団」、「外集団」にわけた。これは日本での「ウチ」と「ソト」の分け方に似ている。このように、人間関係を私的なものから公的なものまで、8段階にわけると次のような分類となる。
  1. 家族関係 2. 親戚関係 3.友人関係 4.地域関係(町内会、子供会などのつきあい) 5.生活関係(米屋、酒屋、新聞店など) 6.職場関係 7.先生関係(医師、議員) 8.仕事関係
  人は依存している関係先に応じて、気を使ったり、見栄を張ったり、影響を受けたりしている。しかし現在では、こうした影響の他に、テレビや新聞などのマスコミを通してさまざまな影響を受けることが多くなっている。そのため、親戚や友人、あるいは職場などの依存関係が以前よりも機能しなくなってきている。そして、個人は親戚や職場関係の思惑から離れて、独自の行動を起こすようになっている。
  アメリカの親子関係は、日本のように依存しあっておらず、友人関係に近いものであるという。そのため別居したあともアメリカの親子の場合には行き来があるが、日本人の親子は、別居してからはめったに訪問しあわないという。
  これはどういうことが言えるだろう。かつての家制度は、機能集団ということがいえた。自分の利益よりも家の利益が優先して家を守った。それによって個人の生活をささえたのである。しかし現在は家よりも個人が優先する。個人が家によって維持されているのではなく、個人が勤める会社によってなりたっているからである。特に終身雇用が基本であった日本では、会社の為に身を粉にして働くという生き方は珍しくなかった。このように個人が会社に尽くすということによって、また会社は個人の面倒を見、個人の家に不幸があった場合には、会社は率先して社員の葬儀のお手伝いをした。こうした風潮によって現在も、葬儀の会葬者は会社関係の列席が多い。しかしリストラが進み、会社が終身雇用制を廃止するようになると、これまでのように社員の家の葬儀には協力しなくなるだろう。

 

人間関係儀礼

  儀礼には、宗教儀礼から入信儀礼、あるいは豊穣儀礼などの分野があるが、どのような儀礼であっても、本来もっていた宗教性が形骸化してくると、儀式に参列する人々の役割に重点が置かれてくる。これを人間関係儀礼といってもよいだろう。
  不特定多数の人々が集まって行う儀礼では、式次第が重要な要素となる。式次第は式典にめりはりをもたせ、目的にふさわしくない要素を排除することによって成立する。結婚や葬儀などの人間関係儀礼では、格式や人間関係を再確認するための有効な手段といえるだろう。
  しかしこれまでの儀礼ではタテの秩序が重んじられていたが、人間関係そのものが多様化したことによって、一概にタテに位置付けることが出来なくなり、ヨコの位置付けが多くなっている。例えば、固定式の席配列では上座、下座を作るが、立食式なテーブルセッティングであれば、そうした配慮は必要ではない。

 

慣習としての上座

  儀礼の場で細かく規定されていた上座、下座の配置の由来は、戦国時代の陣地から来ており、敵の攻撃を最も受けにくい場所を上座としたという説がある。もっと古くは、神が降臨する場を上座といったのではないだろうか。
  葬儀では喪主が上座に位置し、告別式では下座に移るのは儀式の主賓がどこにあるかによって決まる例といえる。しかし最近では、上座に座る優越性が見い出しにくくなっているため、上座・下座にこだわることが少なくなった。現代の西洋建築様式では、上座を意識した設計がなされていないので、会館での葬儀では上下の感覚が出しにくい。能力主義の時代では、上下関係を固定化することは時代遅れなのである。
  人間関係儀礼には会食がつきものである。会食はもともと神人共食が原形にあり、葬儀の場合にかかせなかった死者と一緒に食事をする儀礼が、通俗化したものである。現在、通夜の弔問客に食事を出し、初七日法要後に親族を中心に会食を行っているところがあるが、儀礼のあとでの会食は世界中で行われている。

 

家制度がささえる日本の葬儀

  葬送儀礼は人類史の初めから行われたというが、現在も欠かすことの出来ない人間関係儀礼として、形を変えながら継続されてきた。
  今後、葬儀の形は、これまでの家制度を中心とした儀礼が次第に消失していくだろう。しかし伝統的な葬儀ではなく、たとえば無宗教葬を行うとした場合、反対者を納得させる用意が必要となるだろう。仏式葬儀の場合には、死者へ戒名を与えることが重要なポイントであり、その背景には我々のなかに先祖崇拝の慣習が根づいていることがある。

 

データ1: 核家族が中心の葬儀

 平成10年6月調査によれば、全国の世帯数は4,450万世帯で、1世帯あたりの人数は2.8人である。65歳以上の者がいる世帯数は1,482万世帯で、全世帯の33.3%を占め、3世帯に一世帯は65歳以上の人がいる計算になる。65歳以上の人の世帯構成は、3世代世帯が440万世帯で29.7%、夫婦のみの世帯が395万世帯で26.7%、老人の単独世帯は272万世帯で18.4%、老親と子のみの世帯は202万世帯で13.7%となっている。
  これから計算すると、65歳以上の人が死亡した場合、葬儀を施行する施主の構成は、3分の1が三世代のなかから、3分の1が夫婦世帯であるから伴侶が喪主になるもの、そして2世代が13.7%となる。問題は18.4%を占める老人の単独世帯で、死の時まで一緒に生活してこなかった者が喪主になる場合である。この喪主は、親と別居していたにもかかわらず、葬儀社の選択から寺院のお願いまでを独自に決定しなければならないのである。

 

データ2: 2020年にみる世帯主が65歳以上の世帯

  世帯主年齢が65歳以上の世帯の総数は、1995年の867万世帯から2020年の1,718万世帯とおよそ2倍となる。ちなみに、この間の総世帯数は1.1倍、65歳以上人口の増加は1.82倍である。
  世帯主が65歳以上の世帯数は、1995年の19.7%から2020年の35.2%ヘと大幅に上昇する。すなわち、5世帯に1世帯から、3世帯に1世帯が65歳以上の世帯主となる。また、世帯主が65歳以上の世帯に占める世帯主が75歳以上の世帯の割合も1995年の32.8%から2020年には48.1%ヘと増大し、世帯主の高齢化が一層進むことになる。
  1995年から2020年の世帯主が65歳以上世帯の変化を家族類型別にみると、もっとも増加するのは
  「単独世帯」の2.44倍(220万世帯→537万世帯)で、増加分のほぼ全てを世帯主65歳以上の世帯が占めていることになる。
  次いで
  「ひとり親と子からなる世帯」の2.22倍(55万世帯→122万世帯)である。
  「夫婦のみの世帯」は1.99倍(294万世帯→585万世帯)、
  「夫婦と子からなる世帯」も1.99倍(105万世帯→209万世帯)の増加となる。
  また、
  「その他の一般世帯」は1.38倍(193万世帯→266万世帯)の増加である。
  (資料は『厚生の指標』99.2より)

 

相互扶助としての香典

  葬儀に香典を持参する慣習は長い間続けられてきた。香典の額は、故人との血縁関係が強いほど多くなっており、葬儀費用の多くをこの香典金で負担している。しかし最近では、会葬者が減って、集まった香典額だけでは葬儀費用をまかなえなくなってきている。ただし会葬者が減少しているといっても、家族だけで葬儀を行うわけではない。わずかであっても他人が参加するために、まったく質素な葬儀をする訳にはいかないのである。会葬者数が100人でも50人でも同じように祭壇を用意しなければならないし、僧侶の数も半分というわけにはいかない。そこで葬儀費用はそれほど安くならないのである。会葬者が減ることで減らせるものは、接待の食事や会葬御礼品などの接待費用が中心となる。

 

葬儀社との人間関係

  葬儀社の役目はファースト・コール、つまり電話での依頼を受けてから始まる。そして、通常初七日法要がすんだ時点で関係が終わる。葬儀後も遺族にはニーズがあるが、そこに介入するには限界がある。葬儀・初七日がすんだら、担当者は次の仕事が待ち構えており、葬儀後のアフターケアまでのお世話はむずかしい。葬儀社の立場からすれば、葬儀後の世話よりも葬儀前の関係作りに力を入れたほうが、次の施行に繋がるからだ。葬儀会社が介護問題に関心を持つのも、そのあたりが最も関係がありそうである。

 

僧侶との人間関係

  一般の家庭が普段から寺院との関係をもつことは少ない。死が発生して葬儀が生ずるとはじめて関係が出来るといってよい。その後の寺院に対するニーズは、忌明け法要や年忌法要などでの読経がある。月参りを寺院に依頼する家庭もあるが、一般的には普段の関係はないといえる。
  そのため寺院の運営のために葬儀料や戒名料という名目で、一時にお金を徴収する必要がある。それがまた寺院の評判を落すという悪循環に陥っているのが現状である。仏教はもともと最先端情報を売っていた業界であった。そして現在の情報産業全盛の時代においても、アメリカの宗教界のようにまだまだ成長する可能性が残されている。

 

死者との人間関係

  死者との関係は、結びつきが強かった関係ほど、亡くなったあとに心に空白が残される。死後、死者との結びつきといえるものは、死者を思い起こすときだけである。その一つの形が、墓地や仏壇などに死者を祭ることである。これまで仏壇がなかった家でも、家族の死をきっかけに仏壇を購入する場合が多い。また墓を用意していない家では、自宅で遺骨を管理するケースが多い。
  夫婦二人暮らしの一方が亡くなった場合には、残された者が伴侶の位牌を守ることになる。しかし、いずれも亡くなるときが来るので、二つの位牌は誰が守るのだろう。

 

データ: 遺産相続の問題

  郵政研究所は、96年8月30日に、「貯蓄に関する日米比較調査」結果を取りまとめた。この調査は、日米両国における世帯の貯蓄や遺産・相続に関する考え方、資産・負債の実態等を把握するために実施したものである。それによると、

1.子供のために遺産を残す意向は米国の方が強い

  子供に残す遺産(生前贈与を含む)は、日米とも「遺産を残す努力は特にしないが、結果的に財産が余れば遺産として残す」と回答した世帯が最も多く(日本が56%、米国が48%)、「子供が老後の面倒をみるか否かにかかわらず、遺産を残すための努力をしたい」と回答した世帯の割合は、日本(16%)よりも米国(40%)の方が高い。

2.相続資産は日本では不動産、米国では金融資産が多い

  相続資産の種類(複数回答)をみると、日本では、住宅用の土地(85%)、建物(59%)が中心。米国では、金融資産(88%)が中心。相続資産の時価評価額の平均は、資産の種類を問わず日本の方が大きく、総相続資産の時価評価額の平均は、日本が5,521万円(年収の8.1倍)、米国が1,089万円(年収の2.3倍)となっている。

 

一人で生きる智恵

 小説家の岡田信子さんが書いた『たった一人、老後を生きる』(主婦の友社)は、「213の教訓でつづる」の副題どおり、一人で生きるにあたっての辛口の教訓がちりばめられている。これは死後の人間関係というよりも、死ぬ前の人間関係を中心にしたものであるが、そこから五つを紹介すると、
  「必ずやってくる、自分で起きられない日」(教訓193)、「お金をもっている限り老親は子から愛される」(教訓155)「大鉄則。絶対子に渡すな、権利証と実印」(教訓156)「必ずいる、親の葬式で遺産の話をする兄弟」(教訓160)、「注意!単身の女は遺産相続で孤立無援に陥る」(教訓169)など、川柳のようなはぎれのいい文章でまとめられており、覚えておくにも都合がいい。

 

一人暮らしの人が死亡したとき

 一人暮らしの人は、死、相続、納骨など、心残りの種が尽きないものである。特に子供を含め、信頼出来る身内がいない人は辛い。
  老人ホームや病院に入るときには身元保証人が必要となる。施設や病院では死亡したあとに遺体を引き取ってくれる人がいなければ困るからである。普通は病院や施設で亡くなった場合には、身元保証人に連絡が入り、その人が遺体の引き取りから葬儀までを行い、遺灰の管理までを役目として負うことになる。
  残された財産は遺言書がなければ、法定相続の割合で相続されることが考えられる。血族相続人の順序は、(1)直系卑属/子や孫、(2)直系尊属/親や祖父母、(3)兄弟姉妹となる。子や孫がいれば、親や祖父母は相続人にはなれない。直系卑属と直系尊属は孫、ひ孫と際限なく続くが、兄弟姉妹の場合は甥、姪までしか受け継ぐことは出来ない。

 

相続人がいない場合

 相続人がいない。いても法定相続人になれない範囲の人であった場合を「相続人の不存在」という。
  家庭裁判所で「遺言により遺産受取人と認められた人」の請求により、相続財産管理人を選任する。この場合、家庭裁判所が管理人の選任を公告する。
  管理人選任の公告は、相続人捜索の公告も兼ねており、その結果相続人が現われれば、故人の財産は相続人のものとなる。この場合、受遺者は自分の権利を請求する旨を申し出る。
  2ヶ月たっても相続人が見つからなければ2回目の公告を行い、その公告の期間中に相続人が現れなかったら最後の公告をする。そしてこの期間中にも相続人が現れない場合は、財産は受遺者のものとなる。

 

特別な縁故者

  法定相続人の資格はないが「故人と生計をともにしていた内縁の妻」「故人の療養看護に努めた」など、故人と特別な縁故があった人を特別縁故者という。特別縁故者は、「相続人の不存在」の最終公告が終わったあと3月以内に財産分与の申し立てができる。財産分与の認定は裁判所の審判によって決まる。それによって分与される遺産は、負債などを弁済した残りの財産となる。

 

Copyright (C) 1999 SEKISE, Inc.