1997.12 |
できれば葬儀を自分なりのスタイルでしたいという希望をもつ人が増えてきている。しかし、あらかじめ自分の希望する葬儀の形を考えても、それを誰かに託していない限り、突然に死がやってきた場合、家族は希望した葬儀を実行してくれないだろう。またそれを施行する葬儀社としても、あらかじめ当人との間で打ち合わせがなければ、既存の葬儀を提供する方が慣れているし、仕事も早いので、それを勧めることになる。
そこで自分なりの個性的な葬儀をするためには、どのような準備が必要かを考えておく必要がある。
1.あらかじめ具体的で実行可能な葬儀プランを用意する。
2.個性的なものを希望すればするほど準備が大変で、費用がかさむことがある。
たとえば、生花だけで祭壇を作ろうとすれば、普通の仏式祭壇よりもかなり高価となる。また花の種類を選択する場合には、季節によって用意できないものがある。
3.葬儀で必ずしなければならないことと、自由に付け加えたり出来る部分を知っておく必要がある。たとえば、遺体は24時間以上たたないと火葬出来ないので、死亡したらすぐに火葬をすると遺言しておいても、法的に禁じられている。そのため、「葬儀をしない」との遺言があっても、遺体を24時間安置する場所を用意しなければならない。
葬儀をあらかじめ設計しておく場合、特に決まった書式があるわけではない。そこで自分で設計したいと思われる方のために決めておきたいことを次にまとめ、チェックできるようにした。
□葬儀をしない(しない・身内だけで最低限行なう)
□葬儀をする (一般的な葬儀・自分の希望する葬儀)
*葬儀をしない場合の利点と不利益
葬儀は長年にわたって培われた慣習のため、葬儀をしないと、近所の人や親戚がとまどったり、反対されることがある。そのために、あらかじめ根回しが必要である。
□ある □ない
・契約のある場合
□契約商品名( )
□契約会社名( )
□電話 ( )
*契約内容を簡単に
□決めている □決めていない
会社名( )
住所 ( )
電話 ( )
□宗教葬
□無宗教葬
□お別れ会
□密葬
□葬儀をしない
□その他
□葬儀費用( 円)
□布施 ( 円)
□戒名料 ( 円)
□料理 ( 円)
□香典返し( 円)
□香典からの入金 ( 円)
□準備している金額( 円)
□宗教( )
□宗派( )
□住所( )
□電話( )
□いる(ランク: )
□いらない
□すでにある
□希望する文字・漢字
□連絡してほしい人
□連絡してほしい団体
□自宅
□会館
□その他
□葬儀委員長( )
□喪主 ( )
□病院で死亡したら自宅にもどりたい
□特に希望はない
□普通の葬儀祭壇
□生花祭壇
□オリジナル祭壇
□属している宗教の祭壇
□その他
□花を多く飾ってほしい
□自分の作品を展示してほしい
□その他
□好きな花を飾る(花名 )
□普通でいい
□葬儀で自分の好きな音楽を流す(曲名 )
□特に希望はない
□抹香
□献花
□希望する写真を使う
□特に希望はない
□白の経かたびら
□自分の好きな服( )
□その他 ( )
□宮型
□洋型
□その他( )
□和風木製(普通・高級)
□西洋型 (普通・高級)
□その他
□生花 ( )
□希望するもの( )
□普通
□その他 ( )
□分骨の有無(ある・ない)
□ある
・氏名
・肩書き
・続柄
□ない
□作る
□作らない
□文面
・普通
・こちらで用意する
・その他
□する
□しない
*する場合の希望
□する
□しない
*する場合の希望
□受け取る
□辞退する
□その他
*香典を辞退する場合には、あらかじめその旨を通知し、受付ではそれを徹底しなければならない。
□する
□しない
□寄付する
*受け取った香典を施設などに寄付する場合、その旨を忌明け御礼の挨拶などの際に、通知する必要がある。
□必要
□必要ない
.・必要な場合の伝えたい文面
□一般的
□その他
□先祖の墓 (所在地 )
□用意した墓 (所在地 )
□用意した納骨堂(所在地 )
□散骨 (依頼先 )
□その他
□希望する
□希望しない
□正式のもの(公正証書遺言)がある
□覚書がある
□ない
□保管場所( )
これを書く意味は大きいが、ただし問題点も見据えておかなければならない。それは次のことが上げられる。
自分の葬儀を設計するのは、高齢にならなければいけないということはないが、あまり若いと、当然その後に考え方が変化することが予想される。そのため、記述したら年に1回は見直し、訂正箇所があれば訂正をしなければならないだろう。
事前プランをする必要度の高い一人暮らしの老人の場合、それを誰に預けておくか。せっかく書いたとしても、それがタンスにしまわれたままであれば、自分の計画が実行されないことになってしまう。そこで実子か親戚縁者に預けることになる。いずれにしても葬儀を采配する人(喪主)が預かれば、一番妥当である。そして渡す時期は早くてもかまわない。業者に預けると、今度は彼が死亡したときに、死亡したことをその業者に伝える人間が必要となる。
早すぎると訂正が出るし、遅すぎては何にもならない。そこで、ある時期(たとえば誕生日とか、重い病いにかかったとき)に渡し、写をとって毎年見直し、訂正があったらそれを伝えるようにすればいい。
葬儀は、亡くなった本人がすることは出来ないので、故人の意思を受け継ぐ喪主が行なうことになる。しかし、故人から具体的な指示を受けていない場合(そのケースがほとんどである)には、世間標準な葬儀を行なうことになりがちである。しかし、今後これまでのような葬儀社主導型ではなく、遺族主導型の葬儀が徐々に増えてくることが考えられる。それは次の5つの理由をあげることができる。
1. 高齢社会が進み、会葬者は身内が中心となり、豪華な葬儀が減る。
2. 葬儀が合理化されるにつれ、無駄なものをはぶくようになる。
3. 葬儀に関する情報がタブーでなくなり、人に聞いたりして準備ができるようになる。
4. 高齢者間で葬儀に出席する回数が増え、自分の葬儀の仕方も想像できるようになる。
5. 地域差や慣習、しきたりも年々減っていき、また葬儀の情報も増え、疑問も少なくなる。
日本では仏式葬儀が9割を超えているといわれ、残りの1割を神式、キリスト式、新宗教葬、お別れ葬等が占める。むかしから葬儀と仏教との結び付きが強く、追善供養の関係で、仏式葬はそんなに減少しないだろう。ただし初七日が葬儀当日に変わり、寺院葬も会館葬に変わるなどの変化は見られるし、戒名などの費用がかかるものについては、それが見直されるようになるだろう。
散骨はこれまでのところ、開始されてからトータルで200人を超えておらず、年間80万人の死亡者数からみれば、微々たるものである。
散骨が普及する条件としては、
(1)本人の遺言がある。(拘束性)
(2)散骨を扱う業者が各地に存在する。(利便性)
(3)お墓がなく、祭祀をする跡継ぎがいない。(祭祀権の断絶)
(4)海や山に帰りたい(自然回帰志向)
現在、普及の条件が整っているのは、(3)、(4)であるが、(1)、(2)が増えない限り、散骨は増えないだろう。
これは、人々が葬儀に何を望んでいるかということになる。故人の意思を尊重した「個性的な葬儀」がしたいという意見が多いが、それは現在の仏式葬儀が形骸化している反動なのかもしれない。では仏式葬儀を本格的にやってほしいかというと、誰もそれを望んではいないだろう。正式に行なうならば、何時間もかかるし、また寺院へのお布施もこれまでの何倍にもなるからだ。
そこでこれからは、もっと実質的なことに費用をかけるようになるだろう。かって盆とお正月はご馳走が食べられたが、現在では盆や正月でなくても、ご馳走を食べることが出来る。そこで正月そのものの特異性がなくなった。葬儀も村中の人が集まり、式のあとにはご馳走を食べた。
今は式はプロが準備し、会葬者も食事を目当てに来る人はまずいない。いうなれば聖なる空間と俗なる空間との差が消失して、葬儀も会葬者にとって日常の1こまに過ぎなくなった。こうした価値観の変化により、人はこれから金をかけるようになるとは考えにくいのである。
では、理想的な葬儀とは何かというと、それは遺族や故人が本当にのぞんでいる葬儀である。
かって葬儀は、死者を極楽に導くために欠くことのできない宗教儀礼であった。今でもそのように信じて行なっている人はいるが、それはわずかであろう。多くは宗教的儀礼のもつ霊力というより、世間のしきたりから行なっていることの方が強い。何しろ、葬儀をしないということになれば、親戚中から反対を受けるだろうし、無宗教葬を行なうと宣言をしても、やはりまわりの圧力はあるだろう。では親戚をおこらしてまで、自由葬を行なうだけのメリットがあるかというとそれはまたむずかしいのである。
ただし、現在では5割の家に仏壇がないというし、自分の家の宗派も知らない人が多いということなので、彼等が本当の宗教に属しているとは言い難いといえる。そういう人は、あえて親戚が無宗教葬をするといっても、特に反対はしないだろう。
1. 経済的
2. 楽しい
3. 明るい
4. 設備が整っている
5. 個性的である
ではこれまでの葬儀に対し、どこが批判されているのか。
1. 費用が高い
2. 線香の匂いが臭く、お経も退屈である
3. 暗く陰気である
4. 式場内に温度調節がないなど、設備が悪い
5. 故人の顔が見えない(没個性的である)
確かに無宗教葬儀は、葬儀会館などを利用すれば、一番以外は理想に近くなっているといってもよいだろう。しかし、これだけではない。やはり精神性と荘厳さは、今後もますます葬儀に欠かせない要素といえる。
いま新しい葬儀の形式として注目を集めているのが、エコロジー葬である。これは、世界の自然環境を守るという意識を、葬儀の領域まで拡大させたものである。具体的にはどのようなものがあるかというと、一つは散骨である。これは中国で奨励されている政策である。中国やインドなどでは、死亡者が年間百万人を超すと、遺体を納める棺だけで、何ヘクタールもの森林を伐採することになるので、その対策である。また韓国のように風水思想が根強く残っている国では、埋葬する土地が国土の何パーセントも占めるようになり、経済発展の妨げになるという意味から、豪華な墓に税金をかけたり、制限を設けたりしている。これは伝統的な葬儀・埋葬形式を保持することに対する国家からの規制である。
これに対してヨーロッパやアメリカでは「グリーン・べリアル」という、民衆から生まれたエコロジー葬運動がある。これは、棺はダイオキシンなどの有害ガスを発生させない材質でつくるとか、また墓を持つ代わりにその費用で植林をしようという運動である。またもっと極端なものになると、故人を埋葬し、その上に植林をするというものまである。その死者が樹木のこやしになるというもので、その霊園は墓石の代わりに樹木が繁っているということになる。一種のナショナル・トラスト(自然保護のために共同で土地を購入するための基金)といえるだろう。
死亡者数が、平成48年には現在の2倍の176万人になると予想されているが、そうなれば2倍の火葬場が必要になる。また、墓の需要もそれに伴って伸びることが予想されるが、現在すでに都市部では一杯であり、都市近郊に大規模に霊園を開発することになれば、これも環境問題として捉える必要があるだろう。
現在の散骨は多分にロマンティックな響きがあるが、今後はエコロジー的観点から切実なものとなるだろう。ただし、これはあくまでも火葬した遺骨をどう処理するかという問題で、正しくは葬儀の問題ではないかも知れない。
同じく、日本の将来人口推計(平成9年)によれば、高齢者人口の比率が平成7年の14.6%から平成37年の27.4%と急激に増大する方向にあるのを考えると、今後の葬儀の方向は、現在流行語になっている「地味葬」になるだろうし、また国際的視野から言っても、「エコロジー葬」に移って行くだろう。