1993.07 |
葬儀でよく問題になるのは、葬儀に集まった身内の人間関係と会葬者に対する人間関係です。式で読み上げる焼香順位、花輪の並べる順位、香奠額などは人間関係によって色々と異なってきますので、その取り扱いには大変に気を使います。
今回はセキセー(株)が平成2年3月に行なった「葬にまつわる体験談」募集、平成4年12月の「体験者からのアドバイス」募集の原稿から、親族間での揉め事や、葬儀での失敗、寺院とのトラブルなどを取り上げてみました。
日本人の人間関係は小集団を中心になりたっており、そこに属する構成員は常に序列をもっているといわれています。(中根千枝説)そしてこの人間関係で大切なことは、下位の者が上位に従属するということよりも、うまく組み合うことであり、ソトに対しては上下の礼節を忘れないことであるといいます。個人はそれぞれ家族、会社、サークルなどの小集団に属しています。そして親戚関係は甘えの許される小集団というより、上下関係を要求するソトに近い関係といえるでしょう。そうすると、親戚といえども家同志のしきたりの違いなどから、トラブルなどが生じやすくなります。
義父が亡くなり、長男である夫が喪主となったわけだが、喪主など初めての経験。いろいろなことが、わけのわからないうちに一度に押し寄せる。夫は「わからないことは葬儀社の人と、故人の弟である叔父に相談して」という姿勢。例の叔母はこれが気にいらないらしい。夫は、ひたすら聞こえないふり。
我家は真言宗なのだが、同じ宗派でも地域によって、葬儀の仕方などは多小異なる。…その、どうでもいいような微妙なものが、葬式では重要なことだったりする。
叔母も悪意はない。しかたなく無視する夫も悪意はない。私は間に立って、誰の肩をもつわけにもいかず、ただ「ハイ」「そうですね」としか言えない。叔母二人や義妹など女同志があいづちを打ち合って、どうも形成不利なのは喪主である夫。それでも親切、丁寧な葬儀社の方のおかげで、通夜、葬式と無事に過ぎていった。
父が亡くなった通夜の席のことであった。田舎から出てきた親戚の人が、線香を数本まとめて祭壇にあげた。その時である。
「一本線香ですよ。多ければ仏が迷います」
わけ知り顔の知人の声が響いた。一瞬、気まずい空気が流れた。
「すみませんなあ、田舎では、少ないと仏が寂しがると言いますのでなあ。何せ、門徒もの知らずで、かんべんしてくだっせい」
おだやかな返答に、緊張がほぐれた。門徒もの知らずとはどういう意味だろう。門徒は無教養で、無教育でものを知らないという意味なのだろうか。(中略)門徒は決して「もの知らず」ではなく、自分のままに生きる強い「もの忌み知らず」なのである。
葬式でも結婚式でも同じ事だが、あとでガタガタもめるのはやはり「金」である。そう金があるのに金を出さないとか、金がないのにくだらん見栄を張るから借金が残る。だから私は一度だけ喪主をやったけど、その時には親類の小うるさい、そして葬式のことに詳しい人にすべてまかせた。その人が、「お前には××の財産があるんだから、××位金をかけろ」と言ったので私はその人にすべてまかせ、その人の言う通り金を出した。だから葬式のあとで、親類から文句は何一つ出なかった。もしあの時、中途半端に口を出したり、ましてやもったいないとかなんとか、金をケチったら、親類の小うるさい連中から、あれこれ言われただろう。あれこれ言われるのがいやだからではない。そう葬式は私の問題ではなく、死んだ人の問題だから、やはり死んだ人の気持ちになって何はともあれ、あとでガタガタもめる事はなく、死んだ人をあの世へ送り出すのが、そう喪主の責任だから…。
先日父親が病気で亡くなり葬儀に出席した。葬式の際、兄弟で花輪を贈ることにした。その花輪に貼りつける名札に兄弟の名前を一人ひとり書いた。ところが嫁いでいる妹の名前を書いた所、嫁ぎ先の親戚より、夫である旦那の名前を書くのが本筋であるとのクレームがつけられた。
花輪を贈る機会が今までにまったくなかった私であるが、あとで考えれば、嫁ぎ先の家を重んじ、義理立てかと思われるが、私の思うには、一般的に考え、実の父親、実の子である、さらに言わせてもらうなら、父に対して最後の奉公だと思い、あくまでもこの時の名前は実子の名前を書くべきだと思います。
酒が足りない。ケチのつけ始めは、まずそれだった。続いて肴が少ない、場所が狭い、照明が暗すぎる、座布団が汚い。そして、また酒が少なくなったと言い始める。
それでも親戚か。見かねて言いだしそうになった私を父が目で制する。…逝ったのは、私の母方の祖母だった。騒いでいたのは祖母の兄弟達だった。祖母は2カ月間患っていた。回復の見込のないことは誰の目にも明らかだった。
なぜ、真っ先に我々に知らせぬ。彼らの騒ぐ理由だった。誰よりも我々に知らせを届けるのが筋だろう、そんな意味のことを、遠回しにくどくどと並べ立てる。4人。いずれも70をとうに過ぎている。聞き役を引受たのは、私の母とその兄弟たちだった。
知らせが遅れたことに、他意はなかった。親戚にはなぜか長寿が多く、いざ葬儀となると、その段取りをてきぱきと仕切れる者が全くいなかった。私を含めていい大人がそれでも10人近くいたのに、仕出し屋に料理の注文をしたのは、通夜の翌日、朝一番という有様だった。それでも落ち度と言えば落ち度だった。(中略)老人たちの御託に、その夜、結局日付の変わった2時過ぎまで付き合っていた。夜が明けると忙殺された。お互いが手順よくこなせない。4人の老人に気合いが入っていた。そして棺をのぞき込んで大泣きをした。掛け値なしに泣いていた。昨夜、私は何も言わなくてよかった。そう思った。
「世間体」というものはどのようなものでしょうか。
「小集団的世界に棲息する人々は、常にその世界が、レベルにおいても可能性においても、自己と接近した人々に限られているから、そのレベルからかけ離れた立場にある者を容認しえない性質をもっている。…とくに相対的には劣勢の立場にある場合、強制される傾向である」中根千枝著『タテ社会の力学』
母の死から6年、父は自殺した。通夜に集まって来て、「鬼だ」「親殺しだ」と非難する縁者達。その人達の食事の賄いに始まり、種々の雑事が押し寄せて来た。祭壇、喪主、葬儀委員長、会葬御礼、読経僧、永代供養料、焼香順序、決めることは多い。叔父も叔母も土地の顔役さんも様々に意見を述べる。二言目には決まって、
「儂らがついていて、そんなみっともないことはさせられん」ばかり。あれよ、あれよと言う間に費用が膨らんでいく。父の葬式も父の死を悼むために出されるのではなかった。生き残った縁者達の体面と見栄を傷つけないことが一番大切なのだと知った。忌明けの法要を済せ、年配の人の口出しから解放された時、私は声をあげて泣いた。
生前、「自分が死んだら、葬式はしなくてもいい。けどうるさい連中もおろうから、一番安い葬式をあげといて、余った金でよう世話になった近所の人にふるまってくれ」と言っていた。後事を託された父がそうしようとすると、親族の反対にあった。(中略)その人達がやってきて、体面と世間体、H家にふさわしい葬儀を主張しお、結局そうなった。近所への振る舞いも、前例がないという理由でできなかった。
葬式は祭壇ばかり大きいのに、親族からの花輪、供物のわずかな寂しいものになってしまった。葬式とは、死者のためというよりも、生者のためだときいたことがある。心の切りををつけるため、最後の別れをするのだと。でも、あの葬式の時、先生の事を思っていた人が何人いたのだろう。私達は疲れと、親族からの言葉に、ひどく痛めつけられていて、悲しむどころではなかった。
午前十時から読経が始まり、葬儀が開始された。私たち縁者は祭壇の前に並び、一般の参列者は境内の広場で立っておられた。葬儀屋の式次第で焼香が始まった。次々と焼香を終える親族の姿を眺めながら、いつ迄経っても、自分の名が読み上げられないことにいぶかしさを覚えた。私よりも血縁の薄い人たちも、ほとんどが終わっていた。そして、私の名は遂に読み上げられなかった。私は、会社の上司や同僚の手前、じっと坐っていられない気持ちだった。焼香は既に一般の人々に移っていた。私は、とうとう自分の名が洩れていることに気づいて、気まずい思いで焼香に立った。並みいる親族も当惑したように、私の姿を見ていた。私は焼香を終えて、会社の人達のいる境内へ降りて行った。そして弁明するように言った、
「私が留め焼香することになっていたのだが、係りが焼香順の帳面に記入するのを忘れていたようだ」
私は、私の名を帳面に記さなかった遺族の誰かに、怒を覚えていた。故人の弟である私の存在を忘れられたことに対する憤りだった。私はそのまま、大葬場へ行く車にも乗らず、家へ帰った。
翌日、喪主である甥から詫びの電話があったがん、何か釈然としなかった。その思いは未だに続いている。
死者が出ると、真っ先に駆けつけ、事後一切の行事は、本家の役目という風習がある。20数年前、数代前の先祖から、分家した親類の主人の死亡の時、初めて本家役の大任をまかせられた。喪主(長男)の意志を尊重し、主だった親類と相談の上で、葬儀にかかわるすべてについて、死者の枕元で決めた。(中略)式は形の通り進み、喪主の長男と家族、続いて、二、三男、娘、それぞれの家族とともに、焼香が続いた。…咳一つ聞こえない静けさ、読経の中で焼香が続いた。しばらくして、「人をばかにしている。」と小声が聞こえ、中年の男女三人が、亢奮した顔で、席をかき分け、急ぎ足で堂外に出た。一瞬の出来事で誰も気づかなかった。
彼らは、法要の席にも顔を出さなかった。喪主を含め親類で原因を確かめたところ、新仏の甥、姪で、県外に住んでいたが、今回は知らせていた。他の甥、姪と同様に焼香するつもりだったが、呼び出しがない。立腹するのは当然である。焼香順のメモにはなかった。そつなく進めたつもりだったが千慮の一失、相手に対する非礼は弁解の言葉もない。本家役失敗である。
遺産騒動
死は必ず故人の精神的・物質的財産のすべてを、特定の後継者に譲っていく手続きが必要となります。この場合、問題になるのは相続権のある者の間に生ずる権利意識でしょう。
ある日曜日の朝、電話が鳴った。私はまだ寝ていたが、誰も出ないので受話器を取った。眠くて声がガラガラだった。
「はい、小林です」
「もしもし、春子じゃないな」
母方の伯父からだった。
「うん、違うよ。今出かけているみたい」
「声色出したってだめだぞ」
「え?」
「声色出したって駄目だって言っているんだ。今から行くからな」
そう言って電話は切れた。なぜ来るかは想像がついたが、伯父の口のきき方に私はしばらく茫然としてしまった。まるで私を憎んでいるみたいだ。母と声が似ているのは仕方ないのに、何が気に障ったのだろう。(中略)小一時間もして伯父と、その長男がやって来た。両親はまだ帰っていなかったので応接間に通してお茶を出した。中学生なのだからこのくらいのことをしなければと思ったのだ。
「お茶を出してくれるのか。へえ、ご機嫌とりか。春子に言われたのか」にこりともしないで伯父が言った。私はそんなつもりじゃないと言おうとしたが、悲しくて言葉にならなかった。大人の話の内容はわからないが、もう楽しい日々はやってこないと確信した。大人の汚い面を初めて見た。その伯父も3年前死んだが、お葬式には母も行かなかった。
(以上仮名)
葬儀に限らず何事も失敗の原因には準備の不足があります。次にあげるチップと納棺は葬儀に直接関係ありませんが、いずれにしろ、初めてのことゆえに起こったことでしょう。
何よりも夫の死のショックで私の頭の中は空白同然、まるで夢でも見ているようで、呆然としたまますべてを葬儀社の方にやっていただいた。当日は、参列者の方々への挨拶もすみ、一応滞りなく終わった。失敗はそれからであった。
出棺の際、葬儀社の方から「齋場へ着いたら遺体を焼く係りの方への心付けを忘れないように」とのことだった。娘婿が霊柩車の運転手の方への心付けの袋と共に用意しているのを見届けていた私は当然持参しているものと思い、安心して齋場に臨んだが、さてその場になって娘婿は娘に手渡したといい、娘はバッグに入れたが急遽遺影を持つことになり、うっかりバッグを置いたまま来たという。さあ大変なことになった。もし手渡さなかったら夫の遺体は、きっと粗暴に取り扱われるであろうと、つまらないことが頭をよぎり、とにかく一刻も早く心付けをお渡ししなくてはと、慌てたが自分をはじめ、身内の者誰ひとり喪服のポケットに持ち合わせがなく、サイフはカバンの中で私の家に置いてきたという。…結局葬儀社の方からお借りして、その場はなんとか埋め合わせることが出来たが、愛する者に姿がこの世から消え去るという最も悲しい場面に直面している齋場で、悲しむ余裕もなく、金策に走り回った自分の姿を思い出すたびに、夫に申し分けないことをしたと後悔している。
この我家での葬儀で大変な事件が起こった。祖父は病院で亡くなったため、全ての処置は病院で済せてくれ、家に帰ってきた。自宅ではすでに葬儀屋さんが準備をしておいてくれたので、そのまま祖父を寝かして通夜になった。その時事件は起こった。
そろそろお棺の中に祖父を入れようということになり、入れようとしたら入らないのである。祖母は祖父が嫌がってると泣き出すし、大騒ぎになってしまった。
慌てて葬儀屋さんに電話で相談すると、信じられないくらい落ち着いて、「よくあるんですよ。入らない部分を蒸しタオルで根気よく暖めて下さい」と言うのである。私達は必死で入らない腕の部分に、蒸しタオルをあてがった。出棺になって、まだ祖父がお棺の中に入ってなかったら、本当に大騒ぎになってしまう。とにかく必死だった。どれくらいの時間がかかったのか、とにかく必死だったので覚えていないが、信じられないことに、葬儀屋さんの言ったとおり、腕の部分が曲がり、お棺に入ったのである。今となっては笑い話であるが、あの時は本当に驚きました。
現在自分の宗派が何であるかを知っている人は、そんなに多くありません。仏壇の普及率が5割程度ですから、自分の家の宗派が何であるかを知る機会が少ないのは当然でしょう。それだけに葬儀になって初めて寺院にコンタクトして、誤解を生じることが出てくるようです。
事情があって父と別居して官舎住まいをしていたが、私は長男だったので葬儀万端取りしきらねばならない立場にあった。急いで実家へ戻ったが、身内の葬儀をするのは初めての経験で、父の死を悼んでいるゆとりもなく、どこから手をつけて良いか迷った。
当地の習慣ではこのような場合は、本家と親元(母の実家)で諸事指図をして呉れるのだそうだが、たまたま私の家は本家だったし、実母は幼児に亡くなり継母がいたが、それぞれの親元では立場が微妙で積極的に動いては呉れない。…
とにかく菩提寺へ葬儀の依頼をしなければと、かねがね聞いていたZ寺へ電話をした。ところが住職は「それならG寺へ言ってください」と言うと電話を切ってしまった。(G寺はZ寺の「お手繼ぎ」で、そこを通じて行なう仕組みである:編注)その他、親戚でよぶべきところを知らない事とはいえ落としてしまったり、席順が違っていて不愉快な思いをさせてしまったりで、葬儀が終わった時は疲労困憊で死んでしまいたいくらいであった。
義姉は以前からある神道系新興宗教団体に入信し、熱心な信者でした。突然の(兄の)訃報を聞き、両親をはじめ親族一同が兄の家へ駆け付けた時、もうすでにその宗教関係の方々が大勢詰めかけており、私どものいる場所はありません。聞き慣れぬ呪文の様な言葉が朗々と唱えられ、悲しみと驚きの整理もつかぬまま、おろおろとしていたのです。
両親と兄とは別居でしたし、もめ事を避けて一切口出しはせず、じっと耐えている老父母を見ているのはとても辛い事でした。(中略)その後のご供養は誠に妙な形でした。七七忌は仏式で、百日祭は神式、新盆は仏式、一周忌は日を変えて神仏両方でという形で、私の夫が「仏様が迷うんじやないか」と冗談の様に申しましたが、まさにその通りです。数年後、義姉が宗教から離れ現在は仏式に定まり、心静かに十三回忌を迎えます。
長年連れ添った妻を、亡くしたときのことだった。(中略)早く元気になって帰りたがっていたわが家で、葬儀を行なうことになり、親戚の者が中心になって、葬儀社と相談しながら、準備を進めていた。
祭壇が半ば出来上がったのを見ると、わが家は真言宗であるのに、祭壇のつくり方が、どうも宗派と違うような気がして、葬儀社の者に確かめると、真宗のものと判り、信じられないようなことがおこり、がっくりー。親戚の者は、真言宗と言ったはずだ、と言い、一方葬儀社側は、真宗と聞いた、と言い張り、どさくさの中で行なわれた相談で。どちらに責任があるのか判らず、結局話しは、水かけ論に終り、祭壇をつくり直すことになった。それに手間取り、葬儀は予定より大幅に遅れ、午前中に終わるものが、午後にまでずれこんでしまった。このため、僧侶は、他所の法要に行く時間が狂ってしまった、とご機嫌ななめ。予定になかった昼食を、皆に出さねばならなくなり、余計な支出になるし、身内の者はてんてこ舞い。
戒名をつけるとき、義父が愛娘のため、自分がつけてやりたい、と考えたすえの戒名を僧侶に見せた。長年教職にあり、漢文の素養がある義父だ蘊蓄を傾けてつけたものである。ところが、僧侶から戒名代として多額の金を、求められたのには驚いた。
義父がつけた戒名に、なぜ多額の金を出 さねばならないのか、素直にわけを聞いたが、本山に納めるのでと言うばかりで、納得出来る返事は聞けなかった。だが、葬儀のことで、ごたつくのは、外聞が悪いので、求められた金を支払ったが、いまでも割り切れないものが、胸に残っている。
母は私達と同居してから、2年後に突然亡くなりました。その日私は近くの海へ釣りにいっていて、帰宅したときには、母は既に亡くなっていました。突然だったので、あわただしく、葬儀の準備に取りかかりました。ところで、私の家の宗旨は真言宗ですが、遠い前橋市から、住職に来てもらうことも出来ないので、葬儀屋に、内は真言宗だから真言宗の寺の住職をお願いします、と何度も念を押して頼んだのです。が通夜と告別式に来た住職は、日蓮宗だったわけです。
私は、あまり物にこだわらない性質なので、何でもいいと、気にしなかったのですが、郷里から来た親戚の人達が、お経が違うことに気がついて、小声で話すのを、妻が聞いて気にしていたので、葬儀が終わって初七日が経ってから、その寺へ一旦遺骨をあずけたのですが、ちょうどその頃、職場の友人に頼んでおいた真言宗の寺の墓地(横浜市内)を、買うことができたので、妻と二人で亡母の遺骨を、受取りに寺へ行って、事情を話したのですが、住職は大そう機嫌を悪くして、宗旨などは何でもいいのだ、といって承知しないのです。仕方なくその日は諦めて帰ってきて、私はあの坊さんの言うとおりだから、そのままでいいじゃないか、と言ったのですが、それでは御先祖に申し訳ないし、折角墓地を買えたのだから…ということで、再度出向いていって漸く遺骨を貰ってきたわけですが、こう書くと簡単ですが、実際は容易ではありませんでした。
父が急死したのは私が28才の時。突然の葬儀でなにも知らない。親類の一人に相談したところ「○○円ぐらい」という。日頃から話に聞いていた額に比べると安すぎる。と思ったが安いにこした事はないとその金額を包む。その後に続く法要の、お布施も合わせる。自宅の時には、それ程感じなかったが、別の親類の宅の法事に行くと読経の時間が違う。当方は極端に短い。半分位の時間である。戒名料、お布施の金額が気になり、他の事情の詳しい人にたずねるとケタ違いであった。改めて教えてくれた親類に問いただすと、「本当は知らなかった」と言う。(中略)わからない時には、客観的に見て内部事情に詳しい人に尋ねるのが最良の方法である。以後、私は同僚の教員兼僧侶に尋ねる事にした。体験的に言えば、いくら同僚でも金額の中味までは、言いにくそうである。だから、「一般的に言って、社会標準では幾らだ?」と言った調子で尋ねていた。