1993.06 |
労働災害(労災)とは、労働者が業務上発生した負傷、病気、死亡する事故をさし、その事故に対して労働災害補償が設けられている。労働省の調査では、平成3年の労災による休業4日以上の死傷者数は、約20万人。死亡災害は2,489人である。業種では建設業が1,047人と最も高かった。
一方、働き過ぎが原因で死亡する「過労死」も、労働災害といえるが、それが業務による死亡として認定され労働災害補償を受けることは現状ではなかなかむずかしいといわれている。過労死の死因の8割は急性心不全、クモ膜下出血、脳出血で、こうした過労死は長時間労働およびストレスなどが複合してもたらされる。業種ではきついといわれる3Kばかりではなく、コンピュターなどの先端企業にも広がっている。年代は40〜50の働き盛りはもちろん、30代にも多く発生している。
平成3年度の脳血管疾患及び心疾患での労災補償申請件数は555件で、平成2年より42件、ピークだった平成元年よりも200件近く減っている。このうち業務上での負傷によるものとして認定されたのは59件、いわゆる過労によるとして認定されたのは34件(うち死亡18人)である。これだけ過労死がマスコミ等でクローズアップされていながら、申請する人数が減少した理由には、やはり労災認定の壁が厚く、申請しても労働基準監督署の窓口で「申請しても認定されることは難しい」というケースが多いことが考えられる。
過労死弁護団によると、日本全国で1年間に脳、心臓疾患で死亡するのは約30万人おり、そのうち約1万人程度は業務上の過労としている。なお労働基準監督署で労災と認められなかったが、裁判にもちこんで認められたケースは平成2年には5件である。
昭和63年4月、大阪の弁護士会が中心となって、「過労死110番」が開設された。これがマスコミを通して、過労死問題が広く取り上げられるきっかけとなった。その年、6月18日、大阪・東京・札幌などの7つの都市で電話相談を受け付けたところ、当日だけで135件の相談が入った。この開設から1年間で1,000件の相談数を超えたという。相談内容の約8割が、働き盛りの夫を失った妻からで、「手続きをすれば労災補償が可能か」どうかの質問であった。
「過労死」と認定された場合に遺族に支払われるのが、労災補償制度である。過労死弁護団全国連絡会議がまとめた『過労死!』(講談社文庫)によると、「生前の月給が30万円の場合で試算すると、厚生年金だけでは1カ月約12万円だが、労災年金も受けられると合わせて約27万円となる」とある。この違いは大変に大きい。「遺族が職場の地域を担当する労働基準監督署(労基署)に申請して、労災(業務上)と認められれば、妻には再婚する場合を除いて終身、子には18歳になるまで、遺族年金が支給される。年金のほかに一時金や葬祭料もでる。」(同上)のである。
平成3年7月、ペルーに赴任中の国際協力事業団の日本人農業技術者3人が、反政府ゲリラに射殺された事件が起きた。この3人に対して、新宿労基署は業務上の労働災害と認定した。
認定を受けたのは国際協力事業団からペルーに派遣され、首都のリマから北80キロのワラルにある日本・ペルー合同農業研究施設「野菜生産技術センター」で働いていた技術派遣団長の宮川清忠さん(当時58歳)、野菜栽培技術者の中西浩さん(39歳)、業務調整担当の金良清文さん(31歳)の3人。宮川さんらは7月12日、技術センターに出勤した際、玄関付近で待ち伏せしていた覆面の武装ゲリラに射殺されたものである。
各国に職員を派遣している国際協力事業団では、海外勤務者に労災が適用される「海外派遣特別加入制度」に加入していた。そこで平成3年10月、宮川さんら遺族は、この制度に基づいて労災を申請した。これに対し新宿労基署は「同センターがゲリラの標的になっており、狙われる危険性がある中で仕事を続けていたと判断し、業務との因果関係が強い」として申請を認めたものである。
平成元年7月、出張先で大手商社マンが急死した。残された妻は10ケ月で100日を超える海外出張などの激務が原因の過労死であるとして、同年11月に労災補償の認定を請求した。これまでに大手商社マンの労災認定の申請は始めてであるので、新聞にも大きく取り上げられた。
申請したのは、東京都在住、三井物産産業機械二部課長石井淳さん(当時47歳)の妻で、石井さんは7月15日、名古屋市内のビジネスホテルのシャワー内で死亡しているところを発見された。死因は急性心不全だった。
石井さんは死亡する前年9月からの10ケ月間に計8回、103日のソ連出張を繰り返し、6月23日に帰国したもの。三井物産では遺族に退職金の他、弔慰金として3,000万円を支払った。一般に企業は、会社の不名誉になるので、労災申請には難色を示すが、同企業は申請にあたり、遺族側の事実関係調査や資料請求にも全面的に協力する姿勢をしめした。
平成2年11月、愛知県額田郡の採石場の山道で、社有車を運転中の従業員が死亡、労災の認定を求めていた遺族に対し、岡崎労基署はこの申請を受け入れ、労災による心停止が死因と認定した。そして労災保険の遺族年金(年間約335万円)と葬祭料を支払うことにした。
仕事中に心疾患による死亡が労災に認められるケースは、全国でも年間10数件と少なく、昭和62年に労働省の認定基準の改定以来愛知県では初めてのケースである。認定を受けたのは、岡崎市の採石会社従業因北川さん(55歳)。北川さんは採石場から帰る途中、運転していた車が岩石に衝突後、道路に転落して死亡した。事故後、医師の死体検案書には、直接の死因を心停止とし、その原因を不明としていた。これに対して遺族は、労働省の労災認定基準にある「業務に関連する異常な出来事に遭遇したための恐怖や驚愕などによる心疾患が原因」として労災認定を求めていたものである。
出張中の夫が酒を飲んで階段から転落死したのは労災にあたるとして大分市の主婦が大分労基署を相手に、遺族補償不給付処分の取消を求めて控訴した。その結果、裁判長は「宿泊先で飲食したのは仕事を離れた私的行為とはいえない」として、妻の訴えを認めた。
判決によると、夫である放送局幹部(54歳)は同僚3人と出張し、宿泊先で酒を飲み、自室に戻る途中階段から転落して頭を打って昏睡状態になり、1カ月後に死亡した。一審判決では「宿泊先での適量の飲酒は仕事中である」としたが、「酔うことは出張に当然付随する行為ではない」として請求を退けた。しかし、福岡高裁では、「業務と全く離れた私的行為が原因で起きた事故だとはいえない」として、酔って転落しても仕事のうちに入ると認めた。
これと同じような事件であったが、職務上の事由と認められない例がある。東京地裁が平成2年4月に判決を下したものである。その内容は、船員が仮停泊中の船内で、休憩時間中に酒に酔った状態で小用をたそうとして、船尾から海中に転落して死亡した事故が起きた。この事件でも死亡が業務に付随するものかどうかが焦点となった。
「船内にあるかぎり、職務遂行性は認められるが、船員として通常の注意力をもってすれば、船からの転落は一般に考えられず、この事故は当人の不用意な行動に伴って生じたものであるから、船舶施設が原因となって起きたものとはいえない。また職務が原因で起きたものとは認められない」という判断がくだされた。(資料:労働関係民事裁判例索引平成2年度)
埼玉県の倉庫解体作業現場で、外国人労働者(34歳)が転落死した。その外国人労働者は火事にあった倉庫の解体工事のために、屋根に乗ってハンマーでスレートの屋根を割る作業を行なっていた。午前中に屋根の半分をはがし終え、午後から再び同じ作業を続けていたが、大きな音とともに6.5メートル下のコンクリート床に転落し死亡した。作業指揮者と会社は外国人が安全措置のないまま屋根の作業をしているのを黙認していたとして、労働安全衛生法違反の容疑で書類送検された。
昭和55年の夏、東京新宿で乗客の乗る停車中のバスに放火される事件が発生した。この事件で6人が死亡、10数人が火傷をした。死亡者の中の一人は勤め帰りに事故に遭遇したので、遺族は労災の申請を行なった。労災保険では、通勤途中の災害に保険を給付することになっているが、その途中で「逸脱・中断」があれば、それは通勤と見做されないという規定がある。
調査の結果、この女性は都心の会社から新宿に回り、ここで長男と待ち合わせ、次いで次男と待ち合わせて食事をした。そのあと電車で帰る次男と別れて、バスで帰宅途中にこの事故にあったものである。ただしこの女性の家は母子家庭であるため、労基署は、「そういう家庭では途中に子供とあったり、買い物をすることは、通勤途中でもさけられないもの」と判断して、この女性の遺族に労災申請を認めた。
次は同じ通勤災害であるが、こちらは認められなかった例である。
昭和56年6月、札幌市農業センターに勤務する女性が帰宅途中で、夕食の買い物をするために歩行中、後から来た車に追突されて死亡した。夫は労災の申立をしたが、買い物に向かった店が被災者の家の反対の方向にあったために、通勤災害に当たらないとして申請を却下された。これを不服とした遺族は労基署長を相手に不支給取消処分の請求を行なった。この結果、「合理的な経路とは、労働者の住居と就業の場所との間を往復する場合に一般に労働者が採ると認められる経路をいい…食事の材料等の購入は住居と就業の場所の往復である通勤と無関係な行為である。従って通勤災害に当たらない」という札幌高裁の判決(平成元年5月)が出た。
岡山県で失業中の大工が、建築現場で作業員と口論し、その作業員を殴ったことが原因で死亡させるという事件が起こった。倉敷労基署は、死亡した男の妻に、労災保険法に基づき遺族補償、および葬祭料は支給しないことを決定。さらに労災保険審査官への審査請求が棄却された。これに対して、妻はその取消を求める行政訴訟を起こした。
事件の経過は失業中の大工が、友人とともに某工務店の建築現場に職の斡旋を依頼しに出掛けたことから始まる。しかし肝心の現場監督がいなかったので、某工務店に就職を依頼に来たことを作業員の一人に告げた。しかしささいなことで、失業中の大工はこの作業員と口論となり、作業員の頭部を殴って2日目に死亡させたものである。審査の結果死亡した作業員の一連の行為は、本来の業務に含まれず、それに関連する行為でもない。また業務を妨害する者に対して退去を求めるための必要な行為とも認められないため、「業務上の死亡」に当たらないとして、原審の認定判断は正しいとして、訴えが退けられた。
大分県のタクシー会社に勤務する堀さん(52歳)は、昭和63年2月25日、午前9時から翌26日午前1時までの16時間勤務についた。そして仕事を終えて会社の休憩所で突然倒れた。死亡診断書には「急性心不全」と記載された。堀さんの妻はタクシー会社の労働組合に相談を持ちかけ、「堀労災対策委員会」を設置した。そして同4月、労基署に遺族補償等の請求書を提出した。一方対策委員会では「請求人意見書」「労組意見書」「弁護士意見書」などをまとめて労基署に提出するなどの協力を行なった。
堀さんの妻と対策委、弁護土は、昭和63年6月以降作成した「意見書」等々を労基暑に提出するとともに、以下の主張して早期の「業務上認定」を主張した。(資料「過労死!」より)
(1)タクシー労働者の過重労働と健康破壊の実態を重視すべきこと。
(2)被災者堀も長い間の深夜業を含む過重労働の継続の中で、ストレス性疾患、高血圧症が発症し、さらに過重労働によって心筋梗塞が発症し、死に至ったこと。
(3)倒れた当日は、市内の高校の卒業式で、タクシーは平日以上に多忙であり、また午後から雨になり、気温も下がるなど作業環境の変化もあったこと。
(4)以上の事実から業務起因性が明らかに存在すること。
(5)あわせて、過重労働によるストレス性疾患の発症、増悪という過労死の病理を認め、裁判所の判例に見られる「基礎疾病と労働の共働原因」説を認めること。
これに対して監督署長は、次のように回答し、頑な態度に終始した。
(1)労働省の認定基準以上もなければ以下もない。
(2)過重労働によるストレス性疾息の発症という病理は認めない。
(3)裁判所がどのような判断をしているか関知しない。
これを見て、対策委と弁護士は、「業務上」認定は容易でないと考え、業務と発症との関連性を証明する証拠の必要性を痛感した。そこで堀さんの主治医に「意見書」の作成を依頼したのである。
その後、組合対策委は市中ビラ配布、数次の決起集会、署名運動などを重ね、労基署交渉を行ない、認定をせまった。このような追及の結果、同年10月ついに業務上認定が行なわれたのである。前年の62年10月に新認定基準が制定されたが、この認定が第1号となった。
労災補償は国家が行なうもので、企業で働いているすべての人が対象となる。たとえ企業が労働保険料を支払っていなかった場合でも、その会社の従業員には、申請して労災認定を受けて権利がある。
建設業や運送業など、比較的危険性の高い仕事に就いている人たちには、労災に関する意識が高いが、事務職を中心とした人たちは、労災やその補償について知らない場合が多い。その結果、労災認定の時効が過ぎてしまうことがある。
時効年限は(1)死亡と身体障害は5年、(2)その他は2年である。一般に労災申請をする場合は、まず所轄の労働基準監督署で書類を受取り、必要事項を記入して会社と医師の判をもらい提出する。会社が証明するのは、労働保険番番号や給与の額である。他に戸籍謄本や必要書類を添えればよい。
手続きは簡単だが、労災認定を受けるのは申請者の約1割でしかない。申請者は、労災として認定されることを前提で待つが、1年もたってから「認定出来ません」という結果が出てくることがある。そのため、あらかじめ主治医から鑑定意見書を依頼したり、弁護士に応援を依頼するなどの万全の対策をすることが必要な場合がある。
労災保険は、業務災害と通勤災害に関する保険給付がある。業務災害に関する保険給付には、療養補償給付、休業補償給付などであるが、死亡した場合には、遺族補償給付、葬祭料がある。
労働者が業務上の事由によって死亡したときに、遺族に支給される年金が遺族補償年金で、これを受ける遺族がいない場合には、その他の遺族に遺族補償一時金が支給される。遺族補償年金の受給資格者は、労働者の死亡の当時その者と生計維持関係にあったその者の配偶者(内縁関係にあった者を含む)、子、父母、孫、祖父母および兄弟姉妹であるが、妻以外の者は、一定の年齢以上または以下であるか、あるいは一定の障害の状態にあることが必要である。
これら受給資格者のうち、遺族補償年金を受ける権利のある遺族(受給権者)は、死亡労働者の配偶者、子、父母、孫、祖父母および兄弟姉妹という順序である。最先順位者が死亡や再婚で受給権を失った場合は、その次の順位の者が受給権者となる。
遺族補償年金の額は受給権者と生計維持関係にある受給資格者の数などに応じて、給付基礎日額の153日分〜245日分の額である。なお、受給権者が2人以上いるときは、その年金は等分して支給される仕組みである。
遺族補償年金の受給権者が希望すれば、遺族補償年金をまとめて前払する前払一時金の制度がある。前払一時金の請求は、遺族補償年金の請求と同時に行うのが原則である。遺族補償一時金は、(1)遺族補償年金の受給資格者がいないとき、または(2)遺族補償年金の受給権者がすべて失権した場合に支給される。
なお、労働者の死亡当時の遺族補償給付の受給権者には遺族補償給付に加えて300万円の遺族特別支給金等が支給される。
労働者が業務上死亡した場合には、葬祭を行う者に対して、葬祭料が支給される。その額は、労働大臣が通常葬祭に要する費用を考慮して定める額(25万円と給付基礎日額の30日分との合計額か給付基礎日額の60日分かのいずれか高い方の額)である。
通勤災害に関する保険給付には、療養給付、休業給付、障害給付(障害年金、障害一時金)、遺族給付(遺族年金、遺族一時金)、葬祭給付および傷病年金がある。これらの給付事由、給付額等給付の内容は、それそれ、業務災害の場合の給付、すなわち、療養補償給付遺族補償給付、葬祭料および傷病補償年金と同様であり、特別支給金についても業務災害の場合と同様に支給される。
平成元年の保険給付支払総額は7,400億円で前年度と比べて1.1%増加している。これを給付別に見ると、年金給付が41.6%の3,086億円。遺族補償一時金は全体の0.7%51億円、葬祭料は0.3%の20億円となっている。
過労死の労災認定は、1987(昭和62)年10月までは、1961(昭和36)年に出された労働省の通達(旧認定基準)が基準であった。
この旧認定基準では、過労死を「業務上」の疾病・死亡と認定するためには、
(1)発病の直前、少くとも当日、
(2)従来の業務内容に比べて、
(3)「業務に関する突発的又はその発生状態を時間的、場所的に明確にしうる出来事、もしくは特定の労働時間内に過激(質的または量的に)な業務に従事したことによる精神的又は肉体的負担」(災害)が認められ、
(4)基礎疾病等があった場合はとくに当該「災害」が疾病の自然的発生または憎悪に比し著しく早期に発症等させた原因となったとするだけのものと医学的に認められる必要がある、としている。
つまり、倒れる直前に、特別の「災害」のような出来事で著しい負担がかかった場合に、労災と認定するのである。
したがって、この旧認定基準では、「災害」がなく、疲労の蓄積による過労が原因となった脳卒中や心筋梗塞等は、労災でないとされていた。
この旧認定基準は、あまりにも実情に合っていないと批判が強まったため、労働省は、1987(昭和62)年10月に、新認定基準を出した。この新認定基準では、脳・心臓疾息の労災認定について、約26年ぶりに、認定基準を改定したものである。
新認定基準は、過労死を「業務上」の疾病・死亡と認定するためには、
(1)発症前1週間以内に、
(2)発生状態を時間的場所的に明確にし得る業務に関連する異常な出来事に連過したか、
(3)または、「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことによる「過重負荷」が認められればよい、とするものである。