1992.08
遺産相続物語

  平成元年の死亡者数は約78万人、そのうち相続税の対象となる被相続人数は5.3%の4万人。東京弁護士会に平成2年4月から平成3年1月までの10ケ月間に入った法律相談は4992件で、そのうち相続・遺言の相談件数は607件と全体の12%であった。なかでも地価の高騰による遺産分割の問題が多いという。遺産分割でやっかいなのは、相続人全員の承認を得ることであるが、相続人が同一地域に住むことは少なく、北海道などの遠隔地や、国外などに居住する場合もめずらしくないから、大変な作業が伴う。今回は死から発生する「遺産問題」について取り上げてみた。


●天皇の相続税

  昭和64年年1月7日に亡くなられた昭和天皇の相続税の申告は、申告期限である7月7日までに行なわれた。財産総額は18億6900万円。ほとんどが戦後天皇家に残された現金1,500万円を運用した金融資産で、その他の財産は美術品で800件である。遺産相続人は天皇陛下と皇太后さまのお2人で、陛下は相続税の約4億2000万円を金融資産から支払われ、皇太后さまは非課税でゼロだった。また相続に際して、陛下と皇太后さまは、日本赤十字社に5,000万円を贈られた。なお三種の神器など皇位継承する「由緒ある物」は600点で非課税扱いとなる。

 

●遺言通り国に寄贈

  昭和62年2月に亡くなられた高松宮様が、東京・高輪の宮邸の約半分にあたる故人名義の不動産について、「国に寄贈するので、皇室用財産として使ってほしい」と遺言されていた。遺贈となる土地は東京・高輪の宮邸の約半分にあたる8,000平方メートルの敷地で、時価348億円を超えている。皇室の巨額な私有財産が、国への遺贈という形で処理されるのは始めてで、3億円を超えるものを皇室財産として寄付を受ける場合、国有財産法の規定で国会の議決を受けることが必要である。

 

●松下さんは史上最高の相続税

  平成元年4月、94歳で死去した松下幸之助氏の遺産総額は2,450億円と、高額遺産のトップを更新した。相続税も854億円と歴代トップ。遺産の97%以上は、松下グループの株式で合計8,700万株、時価2,387億円相当である。
  遺族の一人である娘婿の松下正治氏は、記者会見で「97.5%が松下電器および関係会社の株で占められており、株価の変動もあって必ずしも最高とはいえない。会社に変動があれば、株価も半減してしまうからだ」と語った。遺産相続者は妻のむめのさん(93)や娘の幸子さん(68)、娘婿の正治さん(77)ら7人である。そのうち妻のむめのさんには、配偶者控除を受けられる限度額である遺産総額の2分の1の1,224億円を相続した。この他松下さんが認知していた4人のうち、男性1人が90億円、男性2人と女性1人が80億円ずつ相続した。松下家は相続税の支払のため、同グループに株を約930億円で売却し、全額納付した。
  上場株式の評価は、死亡した日2〜3ケ月間の平均株価をもとに行なわれるが、松下電産の場合、相続当時の株価は2300円であったが、3年後の6月現在では1340円と6割以下に目減りしている。
  なお高額遺産ベスト5は、第2位が大正製薬名誉会長の上原正吉(669億円)、3位不動産会社社長秋山紋兵衛(598億円)、4位持田製薬会長持田信夫(448億円)、5位服部セイコー会長服部謙太郎(358億円)である。

 

●美空ひばりさんの遺産は10億円

  平成元年6月、52歳で死亡した歌謡界の女王美空ひばりさんの遺産総額は約10億3000万円であることが公示された。遺産の内訳は、東京目黒区の「ひばり御殿」と呼ばれる自宅や別荘が約11億円、それと歌唱著作権、有価証券類が10億円の総額約21億円である。公示額の差額の11億円は、ひばりさんの借金とみられる。相続人は弟の加藤哲也さん(昭和58年死去)の一人息子で、昭和52年に養子縁組した加藤和也さん(18)一人。相続税額は6億円前後。歌唱著作権は過去3年間の印税収入の平均を基礎評価として計算するもので、生前3年間、体調を崩し歌手活動を休止していたため低かった。

 

●裕次郎の遺産は17億円

  昭和62年7月、肝細胞ガンで52歳で死亡した石原裕次郎さんの遺産総額が公示された。その総額は17億4800万円で、妻のまき子さんが16億7000万円、母親の光子さんが7,500万円を相続し、相続税額は計5億円。公示によると、相続財産の大半は世田谷区の豪邸と近くの自宅の計約2,000平方メートル。この土地は地価数十億円とされるが、相続税の課税基準の路線価格が1平方メートルあたり約60万円で、計約12億円と算定された。またハワイ・オワフ島の別荘が約1億円。さらに石原プロなどの株が4億円で総額17億円。このほか、大型クルーザーヨット(時価4億円以上)をはじめ、ロールスロイス、ベンツなどをもっていたが、法人名義で直接の課税対象にならなかった。

 

●吉本会長、遺産は48億円

  お笑いの吉本興業の会長で、平成3年4月、92歳で亡くなった林正之助さんの遺産総額は48億円。遺産は株などの有価証券が大半の41億円。日本での最高税率は10億円超が70%で、相続税は32億円となる。相続人は娘婿の林裕章さんら長女夫婦と孫の3人。裕章さんは「株は吉本関連株がほとんどで、おやじ(義父)は、家を売っても株は売るなといっていた。分割でぼちぼち払っていくつもり。それにしても7割もの相続税は高すぎまっせ」と語った。

 

●野口英世の遺書が63年目に発見

  黄熱病を研究中にアフリカで死亡した細菌学者の野口英世博士(1876〜1928)の遺言書が、死後63年目の平成3年に発見された。遺言書には
  (1)自分の死後、葬式代と借金をすぐに払うこと
  (2)最愛の妻メリーにすべての不動産と所有物を与える
  (3)以前の遺言は無効とする。
その遺産は不動産や株式など当時の金額で1万3000ドル以上あった。このうち約1,800ドルが福島県の実家に送られた。では1万ドルは果たしてメリーさんに渡ったのであろうか?彼女は1947年、70歳で死亡している。

 


国庫に入った遺産

 

●孤独な死、遺産約6億は国庫へ

  昭和59年2月京都市で、腹巻に現金、通帳など約6,000万円もの財産をしまいこんだまま、病死していた1人暮らしの老婦人(64歳)が発見された。その後の調べで、遺産総額は不動産を含めて約6億円であることがわかった。この婦人は両親と弟の4人家族だったが、弟は戦死、父母も病死したため、遺産を相続できる民法上の相続人(配偶者、直系尊属、子、兄弟姉妹)は1人もいない。相続人がいないことが確定すると、特別縁故者による財産分与の申し立てができる。特別縁故者とは、故人と生計をともにした人や療養看護した人に限られ、そのような関係者も見つからないと、「遺産相続人不在」として遺産は国庫に納められる。
  民法の第6章の相続人の不存在に、「特別縁故者への分与」がある。それには「被相続人(故人)と生計を同じくしていた者、治療看護に努めた者、その他被相続人と特別の縁故があった者の請求によって、これらの者に、清算後残存すべき相続財産の全部又は一部を与えることができる」とある。

 

●遺言書の書式ミスで国庫に

  昭和60年3月、名古屋の一人暮らしのリューマチ患者(52)が、「自分が死んだら土地とアパートを売って日本リュウマチ友の会に贈ってください」という遺書を残して死亡した。その後この遺書の法的有効性をめぐって裁判が行なわれた。この人は別に遺言書を書いており、そこに示された自宅等の内容に問題はなかったが、別の不動産の遺贈について記した書面は、正式な遺言書に同封されておらず、日付、氏名などの記入もないことなどを理由に、裁判所は「文書は法的に有効な遺書とは認められない」として無効の判決を下した。このため法定相続人がいないため、土地とアパートは国庫に没収されるもよう。

 


相続税法違反

 

●遺産54億円申告もれ

  平成2年7月、東京都内で平和グループと呼ばれる会社群を育てた経営者の遺族が、約14億円の遺産隠しを含む、約54億円の申告漏れを税務署より指摘され、45億円の追徴処分を受けた。調査の結果、この遺族は約500キロの金地金やプラチナ地金を分散して隠したのをはじめ、約35億円にのぼる割引債などを申告していなかった。東京国税局では、申告された遺産額が少なすぎることから疑問を持ち、「資料調査課」が税務調査を実施して、貸倉庫などで金地金などを発見した。

 

●脱税指南に実刑

  昭和61年4月、会社役員が高額遺産相続者に対し、架空の債務をでっちあげるなどの方法で約3億9000万円を脱税させ、相続税法違反に問われた。この脱税をアドバイスした会社役員には、懲役2年6月の実刑判決が言い渡された。また被告に脱税を依頼した相続人のYには懲役1年8月、執行猶予3年、罰金4,000万円が言い渡された。判決によると、被告の会社役員は、Yが父親の遺産5億円を相続したことに目をつけ、「税金を安くしてやる」ともちかけた。しかし、Yはすでに相続税を申告していたので、Yの父が生前に知人の2億5000万円の金銭貸借契約の連帯保証をしていたとの書類をでっちあげ、税務署に相続税の減額更生を求めて1億7000万円を脱税したもの。

 

●大物税理士の脱税指南

  昭和62年6月、多額の遺産を相続した会社社長Kが税理士から脱税指南を受け、約3億9000万円の脱税をしていたことがわかり、東京地検特捜部では、税理士らを相続税違反の容疑で逮捕した。調べによるとKは昭和57年2月、父の死による東久留米市内の宅地や山林など総額20億円の遺産を他の親族7人とともに相続した。このうちKの相続分は12億円。ところが税理士と共謀して、Kの父が生前7億円の借金があったように装い、相続総額は債務を控除した13億円で、このうちKの相続分は5億4000万円と虚為の申告を行ない、相続税3億8000万を脱税した疑いである。この謝礼として税理士らに1億4000万円の成功報酬が支払われた。税理士法では、税理士が脱税に手を貸すなど違法行為を犯した場合には、最高3年間の業務停止処分を大蔵大臣が行なうように定められている。
  相続税法第9章罰則には、68条「偽りその他不正の行為により相続税又は贈与税を免れた者は、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。免れた税額が500万円を超えるときは、500万円を超え、免れた税額に相当する金額以下にすることが出来る」とある。

 


遺産訴訟

 

●死後の認知訴訟に9年の歳月

  父親の死後、遺族が知らない間に裁判で父の「子」として認知された人から、時価30億円の遺産分与を求められた。これに対し、初めて認知の事実を知らされた福岡市の姉妹兄弟4人は、「利害関係をもつ自分たちに知らされないで行なわれた死後認知裁判は違憲」として、裁判のやり直しを求めた訴訟の上告審が行なわれた。これに対し裁判長は「4人は認知裁判の直接の当事者でないため、原告の資格はない」とし、再審の訴えを却下した。
  初めに認知請求が行なわれたのは、父親の死亡した昭和55年4月の半年後のことで、「認知」の判決は翌56年3月に確定した。確定した時点で事実を知らされた遺族側は、57年1月、認知再判の再審請求訴訟を提訴した。その後2審まで行なわれたが、今回の判決は平成元年11月10日に最高裁法廷で行なわれた。父の死からおよそ9年経過しているが、この間、遺産は凍結されていたのである。

 

●痴呆老人の遺言書は有効か

  昭和62年8月、熊野市内の特別養護老人ホームに入所中の老人が財産・時価数億円のすべてを、津市内の弁護士にゆずるとした公正遺言証書を作成。その翌年2月に79歳で死亡した。同弁護士は遺言にもとづいて所有権移転登記を行なった。そこで原告側である遺族は遺言証書無効の訴えを起こした。訴えを受けた津地裁熊野支部は「当時老人は痴呆状態にあり、遺言状作成の意思能力を欠いていた」として遺言状の無効を言い渡した。このあと原告側は、遺言証書作成に関与した弁護士に対し「私文書偽造、原本不実記載」などの罪で告訴した。告訴状によると、被告弁護士は、財産評価証明書交付申請に必要な委任状を偽造。さらに印鑑登録の改廃手続きに伴う申請書類を偽造・行使したうえ、遺言書作成に当たり、老人に意思能力があるようにみせかけ、公証人に虚委の記載をさせたとしている。

 

●40億円寄贈、遺族が反対

  歌人斉藤茂吉の甥で、永年茂吉の秘書を勤め、昭和60年老衰のため84歳で死亡した守谷さんは、都心にある時価40億円の土地と自宅などの一切の財産を、茂吉の郷里の財団法人「斉藤茂吉記念館」に寄贈すると遺言書を残した。これに対し遺族の守谷さんの甥や姪17人が、「遺言書の証人になった銀行員2人の筆跡が同一で、遺言書は無効」という遺言書の無効の確認訴訟を行なった。
  守谷さんの甥で原告の一人は「法定相続人の我々に何も相談がなかったのは納得がいかない。記念館に遺産を寄贈しないというのではなく、遺言にあることだし、10億円とか20億円とか話し合いによって寄贈したい」と語った。

 

●日韓で相続争い

  タクシー会社社長で在日韓国人の許さんが、昭和60年の秋胃ガンで死亡した。翌年韓国人遺族が、日本側の遺族を相手取って訴えを起こした。訴えたのは韓国に住む、許さんの妻と長男ら遺児3人。訴えられたのは日本人遺児のKさん。訴えによると、許さんは亡くなる1年前、病室で自分の持ち株をKさんに贈与すると言い、全ての株の名義書き換えを行なった。さらに死亡当日の9月9日、Kさんは臨時株主総会を開いて、同社の社長に就任した。しかし韓国側にしてみれば、「故人は韓国の遺族に無断で株式を贈与するはずはない…すべては会社の経営権を奪取するための陰謀で、韓国人遺族には韓国法の相続規定に基づき、14分の10の株主権がある」と主張した。民事訴訟に先立ち、「虚為の株主総会議事録を作成、公正証書原本に不実の記載をさせた」として、私文書偽造などの罪で東京地検に告発した。日本で成功した在日韓国人の中には妻子を祖国に置き、日本でも内縁の妻と子を持つ人も少なくないと言われ、国境を越えた訴訟に注目が集まった。

 

●遺言の有無を検索

  日本公証人連合会は、遺言公正証書のコンピューター検索システムを1989年1月より導入した。遺言者の依頼で公証人が作成する遺言公正証書は、自筆の遺言書とは違って、公証役場で保管するものであるが、偽造や紛失がないことから、年々作成件数が増えている。このコンピューター検索システムは、全国に313ある公証役場のどこからでも、連合会に照会するだけで、遺言を保管している役場名、遺言した日付がわかる。ただし、利用者は遺言者が死亡したあと、相続人などの利害関係者に限られている。

 

●資産は子孫に残すのは郡部の話

  平成3年9月、総務庁が調査した老後の資産に関する調査で、「不動産などの資産について、郡部に住むお年寄りは子供に残すことを心掛け、大都市では子孫に資産を残すことをこだわらず、自分の老後を中心に活用することを考えている」という結果が発表された。資産相続の考え方については「子孫に残すのがよい」は、東京23区では34.2%と低いが、郡部では77.5%という高い%が出た。
海外での遺産の話

 

●鉄鋼王カーネギーの遺産

  富の伝導者である鉄鋼王アンドルー・カーネギー(1835〜1919)は、スコットランドで生まれ、1848年にアメリカに移住した。73年に製鉄会社を設立し、99年にはアメリカの鉄鋼の4分の1を生産するに至った。彼は自著『富の福音』のなかで、財産分与の3つの方法を書いている。第1が親族に分与する。2つ目が死後の遺言で公共に寄贈する。第3に生存中に公共に寄贈するをあげた。
  カーネギー自身はその巨大な富を3番目の方法で寄贈続けた。1881年ピッツバーグに25万ドルの図書館を寄贈、87年には100万ドルの美術館を寄贈した。ニューヨークに15階建の音楽堂を贈ったが、これが有名なカーネギーホールである。彼は生涯に2,811の公共図書館を寄贈することになる。彼が死亡したとき、当時の新聞は「財産は推定6億ドル。各種基金への寄贈分3億5000ドルを差し引いても、家族への遺産は2億5000万ドルは下らない」と書かれた。しかし実際の遺産は3,000万ドルで、2,000万ドルはカーネギー社(残余財産管理法人)へ、残る1,000万ドルが親戚、友人に対する年1万ドル宛の年金の基金と、米大統領などの年金基金…に宛てられた。では未亡人や娘への遺産はどこに行ったのだろう。

 

●最高の遺産額

  世界一の金持ちの一人であった石油王のJ・ゲッテイは、1976年6月6日に84歳で死亡したとき、合わせて20億ドル以上にのぼる2つの別個の富の蓄えを残した。(1ドル140円に換算すると、2800億円)ゲッティ石油会社の約400万株は6億ドルの値打ちがあり、この財産はゲッティ美術館に非課税の贈与としてひきわたされた。またゲッティ信託財産はゲッティ石油株を800万株保有しており13億ドルの価値があった。
  「遺産処分に関するゲッティの基本原則は、無駄使いする政府には1文もやらないということだった。この目標はほぼ達成した。第2に、彼は自分の子や孫たちが労せずして莫大な富を手にいれることを防ぎたいと望んだ。この点ではしくじった。第3の目標は記念になるもの(ゲッティ美術館)を残すことだった。この点に関しては不滅性を獲得した。」(レンツナー『石油王ゲッティ』)ゲッティが38歳の時、父親から残された遺産は50万ドルだった。彼は父親の遺産を4,000倍に増やしたのである。

 

●日系庭師に遺産

  1983年のこと、ロサンゼルス市の裕福な米国人の家で35年間まじめに庭師として働いてきた日系2世が、未亡人の遺産のうち100万ドル(2億4000万円)を相続した。この日系人は福岡県の出身で、終戦後、日系人強制収容所からロサンゼルスに戻り、仕事もなく道でぼんやりしていたところを、ハンセン氏が声をかけて、翌日から庭の芝刈り職人として雇ってくれた。ハンセン氏はその後1965年に「妻を頼む」と言い残して死亡。今度夫人が83年5月に80歳で死亡。夫婦には子供がいなかったので、屋敷、家財道具、預金などの遺産のうち、100万ドルがこの忠実な庭師に相続されることになった。

 

●日本人未亡人の300億円を

めぐる遺産争い
  昭和61年、イタリア富豪の日本人未亡人の巨額な遺産相続をめぐる裁判がベニスで起った。昭和57年に死亡した夫のレンツォ氏(75)はミラノの富豪の家柄で手広くベネチア・ガラスを販売していた。この遺産の相続人はベニスに住むチェスキーナ・永江洋子さん(54)。洋子さんは東京芸大でハープを学び、1960年イタリアに留学。2年後にレンツォ氏と同居し、77年に正式に結婚した。レンツォ氏は離婚した先妻との間に子供がおらず、洋子さんとの間にも子供はいなかった。レンツォ氏が死亡すると「すべての遺産の相続者として妻を指名する」との遺言に従い、全遺産を洋子さんが相続した。
  しかしこれにたいして、レンツォ氏の甥が「遺言書はニセ物の疑いがある」として、遺産分与の提訴を起こした。その後、遺言書の筆跡鑑定が行なわれ、本人の筆跡ではないようだと言う結果が発表され、洋子さんは私文書偽造の疑いで起訴されていた。それから2年後、ミラノの地方裁判所は4月9日、被告のチェスキーナ・洋子さんに無罪の判決を下した。これによりレンツォ・チェスキーナの遺産(チェスキーナ氏の弟の遺産を含め約300億円)を相続することが確定した。

 

●ウインザー公夫人の遺産の行方

  昭和61年4月24日死亡したウインザー公夫人所有の総額1,000万ポンド(約26億円)相当の宝石類は、ダイアナ英皇太子妃が相続されると新聞に報道された。その理由としてウィンザー公が王位を捨てて、シンプソン夫人と結婚して以来冷えきっていた英王室とウィンザー公家の関係修復に尽力したのが、ダイアナ妃の夫チャールズ皇太子だったからといわれる。しかしウインザー公夫人の宝石類を含む十数億円の遺産は、遺言によってフランスの民間医学研究所パスツール研究所に贈られることが明かとなった。弁護士の発表によると、動物や身体障害児に関心をよせていた公爵夫人の遺産は、生きた動物の解剖実験に使わないという条件がつけられている。

 

●ペットに遺産相続

  英国のハンバーサイド地方で老婦人が全遺産をペットの亀に贈った。90年6月に死亡したドリー・ダフィンさん(61)は、遺言で王立動物愛護協会に、自分の家を約700万円で売り、その代金で彼女のペットに飼っていたカメがこれまで通り、不自由なく生活できるよう依頼した。気の毒なのは親戚で、わずかに残った約8万円を分配することになった。

 

Copyright (C) 1996 SEKISE, Inc.