1990.09
救急医療と死

  日本の救急医療は量的にはトップレベルで、全国の救急車の数は4,521台(平成元年)、人口2.5万人に1台という。そして119番による救急電話では、平均5.8分以内に到着する。昭和62年、全国で救急車を利用した数は234万8千人。うちDOA(到着時死亡)の症例は3.5万人で約1.5%。DOA患者の半数は1時的に心臓が鼓動しても、結局は死亡し、救命率は5%以下である。今回のデスウオッチングでは、こうした救急医療の現状をみてみたい。


1.高齢者の救急医療

昭和62年の65歳以上の老人の救急車の利用者は全体の22.2%の52万人。それが30年後の西暦2020年は現在の2.5倍の132万人、つまり救急車の利用者の42.4%が老人ということになる。


淡路島の高齢者救急

人口17万人の淡路島は老人人口比率が17.7%で、昭和59年9月から62年8月までの3年間、救急手術579例のうち70歳以上が142例(24.5%)。救急手術の比率では60歳代が28.5%で最も低く、20歳代が85.3%と最も高率である。全救急手術の41.3%は急性虫垂炎(盲腸炎)で、高齢者の第1位はヘルニアカントン(20.4%。第2位は腸閉塞(19.0%)である。日本の人口の高齢化は、若年人口の都会への流出により、地方からより急速に進行している事実である。したがって高齢化社会の救急医療は、地方の施設においてより急務である。

(兵庫県淡路病院外科調べ)


東京の高齢者救急

  東京女子医科大学救急医科センターの1987年から翌年4月までの入院患者数は772例。入院死亡率は若年が0.9%、成人が9.1%に対し、高齢者は22.3%と高齢になるほど高い。疾患別では消化器疾患が(56.0%)と最も高く、ついで外傷(20.3%)である。
  高齢者救急入院患者112例の臨床経過をみると、入院後4カ月から1年4カ月を経過した時点で、死亡が43例(38.4%)、通院中が29例(25.9%)、健康回復が21例(18.8%)。

(東京女子医科大学救急医科センター調べ)


高齢者と救急センター内ICU(集中治療部)

  岡山県全域をカバーする救急センターの最近3年間のICU入室患者908人のうち、高齢者は338人(37.2%)を占め、このうち25%は80才以上である。ICUの平均在日日数は、若年者9.4日に対し、高齢者は11.8日。死亡率は高齢者32.0%、若年者31.4%で特に差はない。死亡率をみてみると高齢者では熱傷(66.7%)、中毒(60%)、腎不全(46.7%)、外傷(41.9%)の順で高く、若年者では腎不全(54.5%)、中毒の順である。同一疾病でも高齢者では合併症を生じ、まあ手遅れの状態で来院する患者も多い。これは核家族化や寝たきり老人の増加が影響している。

(川崎医科大学調べ)

 

2.救急医療体制

離れ島の救急搬送

  沖縄島から410キロにある石垣島では、発生した救急患者を、海上保安庁のヘリコプターや定期船で運び、島にある病院で治療を受ける。またこの病院で治療不可能の場合には、沖縄本島まで搬送される。1969年から1987年の間の救急搬送患者数は延べ1,500例で、年々増加している。1984年から1987年までの本島への搬送患者190例についてみると、頭部などの重要臓器外傷、クモ膜下出血、大血管疾患などの外科系疾患が多く、近年悪性疾患(ガン)などの緊急度の低い患者の輸送も増えている。1987年でみると、22例中18例が民間定期旅客機を利用しており、機内の居住性の良さからも増加傾向である。

(沖縄八重山病院内科調べ)

 

3.蘇生

  DOA(到着時死亡)正確には病院についた時点で、心停止・呼吸停止状態にある患者のこと。欧米先進国に比べ、日本の救命率は低く、生命に危険のある心肺停止が起きたとき、4分以内に適切な処置が行なわれれば、5割が助かる。5分後では25%、6分後では10%、8分経過で0%という。いかに時間との勝負であるかが明確に示している。


聖マリアンナ医科大学のDOA(到着時死亡)

  昭和58年から63年までに聖マリアンナ医科大学で取り扱ったDOA336例とそれ以前のDOA181例を比較した。5年間のDOA症例数を月別で見ると、最も多い月は12月で、最小は5月というデータが出た。DOAの来院時間は、7時から9時、19時から21時、23時から24時に多数認められた。男女比は、男性が女性の約2倍。今回の報告でCPR(心蘇生術)を実施しなかった例は3.9%のみで、来院時死班の認められた症例、死後硬直した症例、開放性脳挫傷の損傷の激しい症例である。心蘇生術をすることで心電図に、一旦は波形が見られたものが65%あったという。この結果、同センターではDOA症例に対し、心蘇生術を30分以上行なうようにしているという。

(聖マリアンナ医科大学救命救急センター調べ)


岩手県のDOA症例

  昭和58年から62年までに、岩手医科大学高次救急センターに搬送されたDOA症例は432例。病室に入室可能なまでに安定したもの「蘇生」とすると、105例(24.3%)だった。DOAの原因は心疾患が184例(42.6%)が一番で、次に外傷、窒息、脳血管障害の順である。搬送時刻では0〜8時の深夜帯に搬送された場合の蘇生率は、14.4%と他の時間帯の約半分だった。DOAの発生状況別に見ると、入浴中に発生したものは蘇生率が低く、食事中や歩行中に発生したものは比較的蘇生率が高く、人目につきにくい時に発生したものは発見が遅れ蘇生率も低かった。

(岩手医科大学高次救急センター調べ)


高齢者DOAの特徴

  長崎市救急第二病院である済生会病院に受診した救急患者は2万5千例。うちDOA症例は81例(0.32%)。70才以上は44例であった。高齢者DOA症例の特徴は、70才代に多く、死因は心不全、呼吸不全、脳血管障害である。高齢者DOAの多くは高血圧症、虚血性心疾患、底肺機能の基礎疾患をもち、独居生活者で、退院後2週間以内に発症することが多い。

(長崎県済生会病院内科調べ)


DOAの原因と蘇生率

  東京にある東邦大学救命救急センターに搬入されたDOA703例のうち、DOAの原因は、急性心肺停止168例(24%)、ついで心筋梗塞104例(14.9%)次にくも膜下出血などの脳血管障害86例(12.3%)であった。平均年令は57.3才で、高齢者が多かったが、交通事故は若年層に多かった。疾患別蘇生率では、心筋梗塞9.6%、脳血管障害2.3%、外傷1.3%、自損事故0%、呼吸不全は17.9%。その後の経過では、救急処置で心拍再開したものは231例(33%)、死亡が469例(67%)。心拍再開したもののうち、完全に蘇生した例は56例(8%)、植物状態17例(2.4%)、死亡は158例(22.6%)である。

(東邦大学救命救急センター調べ)


熱傷による死亡例

  北里大学病院救命救急センターでの、昭和61年から平成元年4月までの3年間で、熱傷で入院した患者は69例、うち死亡した者は23例で、死亡した患者の平均熱傷面積は68.7%である。熱傷の原因は焼身自殺が10例と最も多く、ついで火事、浴槽への転落がそれぞれ5例、ガス爆発3例。平均在室日数は17.8日である。

(北里大学病院救命救急センター調べ)

 

4.心理的ケア

ICU入室患者の心理

  突然の発症患者の多い救急センターでは、患者や家族の神仏に依存するケースが多く見られる。このセンターに昭和62年から1年間に搬入された患者487名のうち、宗教行為の依頼が17名あり、なかでも10才代が6名と多かった。依頼内容は、お守りやお札(ふだ)などが11件、神社での祈梼、お祓いを受けたタオルや寝巻等が6件、ベッドサイドでの祈梼が3件、お経のテープや御神水が各1件あった。こうした宗教的行為に対し、看護婦の意識は、18名全員が、依頼されたことは出来る範囲ですればよいと答え、ICU内では禁止すると答えた。また17名が宗教的行為には効果がないが、神仏にすがる家族の気持ちはわかると解答した。核家族化とともに、家の宗教から個人の宗教に変わってきているのが特徴で、家族とのトラブルを避けるために、患者の信仰を聞くとともに、誰が熱心な信者か知っておく必要があるとまとめている。

(関西医科大学救命救急センター調べ)


危機状態にある家族への援助

  突然の発症や不慮の事故などで搬入される家族の危機的状態に対し、看護婦はどのように家族への働きかけをしたらよいかを提案している。患者の家族の心理や言動を調べた結果、35例のうち23例は、搬入直後、「衝撃の段階」であった。時間の経過とともに、「防御的退行」から「承認」「適応」への段階に移る。患者の状態が安定するにつれて、危機的状態が回避されるが、患者の状態が悪いと、危機状態は持続する。そこで次の点に注意し援助を行なうことを実践した。

(1) 家族を患者のそばに付き添わせる。
  (2) 時には、家族を患者から離す。
  (3) 家族の安全が脅かされないように、身体的支持をする。
  (4) 頻繁に情報提供し、家族とのコミニュケーションを図る。

(熊本赤十字病院救命救急センター調べ)


脳死患者家族への援助

  日本医科大学救命救急センターでは以前、脳死患者の家族の「死の受け入れ過程」を4段階に分類したが、これを実施した結果を報告した。

(1) 驚愕期
  目標:短期間で驚愕期から脱する
  看護ケア:感情を出させ、見守る態度で接する

(2) 混乱期
  目標:悲嘆感情を整理する
  看護ケア:面接をして混乱の要因を知り、感情の整理を手伝う

(3) 現実検討期
  目標:死を現実として受けとめ、受容し始める
  看護ケア:積極的に励ましや慰めの言葉をかけ、欲求を満たしてあげる。また患者の人生を振り返り、家族の励みになることを見つけ出す

(4) 受容期
  目標:死を安らかな気持ちで見る
  看護ケア:患者の死後に起こる問題の相談相手となる。死を家族とともに、静かに見守る。

(日本医科大学救命救急センター調べ)

 

5.救急業務講習

  救急隊員に任命された者は救急業務に携わるあたって、それに関する講習を受けるか、同等以上の学識経験を有しなければならない。講習は消防法に基づいており、その時間数は合計135時間である。課目は衛生技術、救急実務及び関係法規、その他に分けられている。時間割りでは、救急業務の総論(4時間)から始まり、応急処置に必要な解剖・生理(8時間)、応急処置の基礎及び実技(42時間)、傷病別応急処置(43時間)、救急用具・材料の取り扱い(7時間)、救急実務及び関係法規(10時間)、実地研修、教育効果測定及び行事(21時間)である。

傷病者の観察

  救急隊員は、応急処置を行なう前に、以下の観察を行なうことになっている。

(1)傷病者の表情や顔色を見る
(2)意識の状態をみる(瞳孔反応)
(3)出血の部位、量を見る
(4)脈拍の状態をみる
(5)呼吸の状態をみる
(6)皮膚の状態を見る
(7)四肢の変形や運動の状態を見る
(8)周囲の状況を観察する

これらの観察のあと、次の応急処置を行なう

(1)気道確保及び人工呼吸
(2)外出血の止血に関する処置
(3)創傷に対する処置
(4)骨折に対する処置
(5)適切な体位を取らせる
(6)保温

 

6. 海外の救急活動

上海の列車衝突事故

  1988年3月、上海郊外で列車衝突事故が発生、127名の死傷者が出た。事故現場には応急診療所が設けられ、11の病院から100人の医師及び看護婦が出た。日本人修学旅行者のうち25名は数ケ所の病院に入院、うち11名は病状が重く、移送は危険であるとの中国側の意見で、取敢ず軽傷の14名を日本に移送させた。そのとき移送に当たったのは、日本航空で、旅行社のJTBの要請に基づいて、貸切便(救援機)を2便運航した。このとき日本航空が支給した機器は、ストレッチャー、医療用酸素ボンベ、電源変換器、吸引器などである。


海外救急会社

  世界最大の保健会社ブルークロス&ブルーシールドの子会社、ワールドアクセス社は、海外旅行中に傷病などを受け、緊急に帰国したい人にサービスを提供する会社である。現在安田火災と提携している。ここ数年来、毎年約3千万人のアメリカ人が海外に出かけ、そのうち約100万人が何らかの医療サービスを必要としたり、本国に帰国して治療を必要とし、その数も年々増大している。この会社は、航空機で患者を移送するための、巡航高度や医療設備、随行員の問題などをクリアしているサービス会社と言える。

(「アジア・太平洋大災害医療会議」より)

 

7. パラメディクとドクターカー

  海外の救急活動が日本よりも、DOA症例で救命率が高いのは、米国やイギリス、カナダの場合にはパラメディク(救急看護士)という資格を持った救急隊員がある程度の医療行為を許されるからである。またフランス、西ドイツでは、ドクターカー(医師同乗救急車)が医師を現場まで派遣し、現場到着と同時に医療行為に取り掛かるからである。 いずれにせよ、医療行為は一切まかりならぬというわが国の消防庁の救急業務とは、体制が違うのである。
  パラメディク(救急看護士)は2次的救命処置を行なうことが認められている。1次処置は、心臓マッサージと人工呼吸でこれは素人でも出来る処置である。2次的処置は、心臓への電気ショック、点滴、そして気管にチューブを挿入して人工呼吸を行なう気管内挿管である。日本の救急隊は1次救急処置までしか認められていなく、これが蘇生率に大きな違いとなって現われるのである。


フランス厚生省主管の「ドクターカー」SAMU

  フランスでは事故発生とともに電話番号15番を回すとSAMUにつながる。パリのSAMU本部には救急車が11台あり、そのうち医療設備のある救急車と搬送を目的にした救急車がある。電話での依頼が通信指令室にはいると、専属オペレーターが電話を受け、症状を聞き、必要があれば医師と代わる。医師が中・重症と判断した場合のみ、医師が乗る「ドクターカー」を出動させるのである。


日本でのドクターカー

  兵庫県立西宮病院救急医療センターでは「ドクターカー」の運用を行なっている。昭和54年12月から平成元年4月までの出動回数は232回で、うち119番からの医師要請例が21例。119番からの連絡から医師の到着までの時間は10分。患者の予後は現場死亡4例、入院後死亡9例。心肺停止13例のうち、心拍再開は9例(69%)にもかかわらず、全員入院後死亡。このことから、目撃者による心蘇生術の重要性が示唆されている。
  「ドクターカー」は日本では、昭和56年より7ケ所の消防本部で試験運用されている。松本市消防本部は、信州大医学部が基幹病院となり助手クラス40人が当番を分担。当番の医師はポケットベルで出動に備える。過去7年間の運用実績では、救急車の出動2万4千に対し、「ドクターカー」の出番は604回の25%。現場への出場は142回である。

 

8. まとめ

日本の民間救急

  平成元年現在、日本の民間救急車は518台、303社が経営している。その多くがタクシー会社や互助会の経営である。その用途は会員からの要請で、寝たきり老人を自宅から病院へ運んだりする。しかし「民間救急車」は救急車ではないから、患者の容態が急変してもサイレンを鳴らして緊急移送することが出来ない。運輸省は患者搬送業者に「民間救急車」の認可をしていたが、自治省消防庁は平成元年秋「民間救急車」にもマル適マークを交付することになった。これは、消防本部で病人の運搬や心肺蘇生法などの講習を受け、車には毛布、担架、無線器を備えており、乗務員が運転手を含め2名以上いるなどの条件を満たしている場合に与えられるものである。


日本でも「ドクターカー」

最近新聞記事(8月14日付け)で、「救急現場へ医師、看護婦派遣」という見出しが出た。これは厚生省の「救急医療体制検討会」が医師や看護婦が車で、救急現場に出動する「ドクターカー」の積極導入を求める中間報告をまとめたものである。
  これを受け同省では、来年度から東京など10数ケ所でモデル事業を実施するという。医師や看護婦が出動するケースでは、仮死状態の患者に有効な
(1)気管まで管を入れて空気を送る「気管内挿管」、
(2)点滴、
(3)心臓にショックを与える「除細動」
などの高度な応急処置が可能となる。
  また検討会では、救急隊員の応急処置について、点滴などの医療行為を除き、レベルに応じ血圧測定、心電図検査、吸引器によるノドの異物除去、鼻から管を通して行なう気道確保など「範囲の拡大は可能」と指摘し、その実現のために訓練を受けた隊員の「認定制度」設置の検討も提言した。

(資料:黒岩祐治著「救急医療にメス」情報センター。東京消防庁救急部監修「救急実務ハンドブック」全国加除法令出版。雑誌「救急医学増刊号」1988年3月、1989年3月、10月、へるす出版)

 

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