1990.02
判例に見る死と法律

  死にまつわる「法律」として最初に思いつくのが、六法のなかの刑法である。現在使われている現行刑法典は明治41年(1908)年に施行され、その後11回の行なってきたものである。この刑法は13章ある総則と、40章ある罪編から出来ている。特に「礼拝所及び墳墓に関する罪」、「墳墓発掘」、「死体遺棄」、「変死者密葬」等が興味深い。また死亡診断書の規定を記した「医師法」(昭23制定)、死体の処置を扱った「墓地・埋葬等に関する法律」(昭23制定)も見逃せない。
  今回のデス・ウオッチングでは、明治から今日まで、死や死体の処置に関するいくつかの事件を、判例の中から取り上げてみた。


第1話 火葬後の遺骨を受領した事件(明治43年6月)

  高山の火葬場で、遺族が骨上げをすませたあとの骨灰を、そこの作業員が集め他人に譲り渡すという事件が起こった。刑法第190上には「死体、遺骨、遺髪は、遺棄又は領得した者は懲役に処す」とある。第一審では有罪となったが、これに被告が上告したもので骨灰は遺骨かどうかが争点となった。


判決理由

  被告は高山火葬場に於て死体火葬後、遺族が骨上げをした残りの骨灰、約90貫目を数回に渡りこれを取得し、もう一人の被告に売り渡した。この行為で、2名の被告は、刑法190条を適用され有罪となった。これに対し弁護側は、次のように弁護をした。原判決では、火葬後の残骨は法律的に遺骨である理由を説明していない。刑法190条は「礼拝所及び墳墓に関する罪」の章にあり、そのなかの宗教感情を害する犯罪での遺骨とは、宗教上祭祀すべき人骨、すなわち墳墓に安置すべき骸骨、あるいは骨片のことである。また人の遺体を火葬にした後、遺族がそれをどれだけ収拾するかはは遺族の自由であり、収拾したものを遺骨と呼んでいる。従って遺族が骨壷に納入したものを遺骨とし、残りの火葬場の火葬場の管理人に委ねたものは、一般に棺の灰燼と同一視し、礼拝の対象にならないために遺骨とは呼ばない。法律上の述語はその規定の精神に則って解釈するもので、標本として売買できる医学用の骸骨は、法律上遺骨と言わない。火葬にした骨全部を遺骨とするかどうかを決定するのは遺族の意思だけでなく、風俗慣習による。もし慣習によって全部の骨を収拾すべきであれば、その一部でも残留することは遺骨の遺棄罪となり、同時にこれを買受たものは領得罪となる。もし骨灰の一部を残留する慣習があるならば、慣習に反しない範囲で一部のみを収拾し、その残りは遺族が祭祀の目的とせず火葬場の管理人の自由に委ねたものである。従って一般に尊重することなく、いわゆる理髪店の毛髪が遺髪といわないと同じで、法律上遺骨というべきものではない。
  刑法190条では墳墓に安置、もしくは祭祀の目的である人骨を搾取した場合を言うのであって、遺族の放棄した骨片はその圏外にある。事件のあった岐阜県大野郡高山町では、遺骨に関しては大小形状等一定した納骨壷を作製し、これが一杯になるのを限度に人骨を納入し、そして墳墓に安置する。その残留したものは放置し火葬場管理人の自由処分に委ね、あるいは肥料などに使用することが慣習となっている。しかるに原判決はこうした慣習を何ら取調べをすることなく、残骨を領得したとの事実を認め、刑法190条を適用したのは理由不備の不法である事は免れない。死者の遺族その他葬儀を挙行する者が、死者の遺骸を火葬にする場合に、灰燼に帰した遺骨は全部収拾することはできない。また多少現場に残されたものを、そのまま放棄することは風俗習慣上禁じられてはいない。この種の遺骨は他の砂塵と等しく、これを遺棄したりみだりに領得することは、道義的には厭うことであっても、刑法第190条の犯罪を構成するものではない。刑事訴訟法第224条により、無罪を言い渡し押収物件は差出人に還付すべきものとする。

 

第2話 嬰児の殺人及び死体遺棄事件(大正6年6月)

  川のほとりで分娩した女性が、嬰児をその近くの砂中に埋めて窒息死させたのは、殺人及び死体遺棄に値するかどうか。この事件は第1審で殺人と死体遺棄となったが、これに対し上告したもの。


上告理由

  弁護人は次のように上告理由を説明した。死体遺棄の罪は埋葬すべき人の死体を、故意に遺棄することが必要である。原判決では、被告の供述内容である「分娩後砂をかけて殺してしまい、死体はそのまま放任してきた」、「男の子を分娩したが世間体に恥じて、直ちに砂をかけて亡くしたること、相違ありません」を引用している。これを見るに、被告は単に嬰児を埋殺したに止り、埋殺した嬰児を発掘してその死亡を確認し、さらに故意をもってこれを遺棄したものではないので、殺人行為と独立して、死体を遺棄した行為はない。従って遺棄については、刑法上処罰出来ない。しかるに判決理由において殺人罪のほか遺棄罪の成立を認め、刑法第199条(殺人)、第190条(死体遺棄)を適用処断したのは違法である。


棄却理由

  死体遺棄罪は葬祭に関する良俗に反する行為を罰するものであり、死体を他に移してこれを遺棄する場合はもちろん、葬祭をなすべき責務を有する者が、葬祭の意思なくして死体を放置し、その所在の場所から離れた場合も死体遺棄罪を構成する。原判決が示す事実では、被告は嬰児を殺害した後、その死体をそのまま放置し所在の場所より離れたもので、母は慣習上、死児の葬祭をなすべき責務を有すことが明白であるから、被告の所為は殺人罪のほか死体遺棄罪を構成するものである。

 

第3話 葬儀当日の名誉毀損事件(大正12年12月)

  和歌山県海草郡で葬式の際、寺院内の僧侶等の休憩所で他人の名誉を毀損する事件が起きた。被告は休憩所内で、死亡者の家主である熊原に、自殺と確定しているにもかかわらず、「男は自殺ではなく熊原が殺害し、所持金を奪った」と公言し、熊原の名誉を毀損したとして有罪となった。これに対し被告が上告したものである。


上告理由

  名誉毀損罪となるる「公然の事実摘示」とは、不特定多数の見聞出来る場所で、人の名誉を毀損する事実を発表することを意味する。仮に人の名誉を毀損したとしても、その場所が不特定多数の見聞する場所でなければ、名誉毀損にはならない。しかるにその場所は、会葬に出席する僧侶の集まる場所で、誰でも自由に出入りできる場所ではない。もしこれが名誉毀損になるとすれば、一家団欒の席で他人の名誉を傷つける座談をしても名誉毀損罪となる。
  次に原判決は、「葬式の際僧侶の休憩室とされた寺の一室で、被告は熊原の名誉を毀損した事実を公言・公然と摘示し、もって熊原の名誉を毀損した」と認定している。しかしながら、公然たる事実に対する証拠は一つも示していない。もし原判決が正しいなら、被告は数人集合の席において、他の多数者に伝達すべき状態の中で発表されたことになる。公然なる事実を認定するのために、少なくとも証拠を示さなければならない。しかるに原審判決ではこの点に関する証拠が欠如し、証明をしていない。もちろん本件に関して、かかる公然たる事実は少しもないがゆえに、この証拠は存在しないことは明白である。原審判決は被告が公然事実を摘示し、人の名誉を毀損したものと認定しながら、この証拠説明を欠如しているのは明らかに証拠なくして事実を認定したる不法なものであって、この点においても破棄されるものと確信する。


棄却理由

  葬儀の際の僧侶等の休憩所は、遺族その他の者が自由に出入りする場所と認めるのを通例とするために、こうした場所で他人の名誉を毀損すべき事実を公表することは、即ち不特定多数の見聞出来る状況において、事実を摘示するもので、いわゆる公然事実を摘示することに該当する。
  (参照)公然事実を摘示し、人の名誉を毀損したる者は、その事実の有無を問わず3年以下の懲役、もしくは禁錮又は1,000円以下の罰金に処す。

 

第4話 不義による胎児の死体遺棄事件(大正13年3月)

  この事件はやはり胎児の死体遺棄である。この場合、死児であったため殺人罪に該当しないが、不義の子の処置に困り自宅内に埋めたことが死体遺棄になるかどうかで争われた。第1審は有罪で、上告したものである。


上告理由

  死体遺棄罪は、死体を原野にさらしたり、又は河海に投棄するように残酷で、かつ死者に対する尊敬を欠き、著しく宗教的感情にもとる場合において始めて成立する犯罪である。単に、(1)密かに、(2)墓地以外の地に埋葬した事実のみによって成立するものではない。もしそうであるなら、愛児を失った親が貧しくて、僧侶を招く費用がなく、葬祭をあげ又墓地を求める財がない場合、密かに庭の隅を堀りこれを埋め、朝夕その冥福を祈ったとしても、なおかつ死体遺棄の罪を構成することとなる。この場合には死者に対する礼を欠き、宗教感情にもとる行為をあえてしたとはいえない。従って宗教的良俗の法益とする、本罪の成立に当たるものではないと思う。本件の場合、被告人は不義の子を宿し死児を分娩したもので、仮に僧侶を呼び葬儀を行なう資力を持っていたとしても、外国にいる夫に対し、又家族に対し到底公然と葬儀を上げることは出来ない。やむなく密かに居宅付近に自ら埋葬したもので、その事情においては、前設例の場合と異ならない。かえってかかる不始末より生じた死胎を公然と祖先の眠る墓地に埋葬し、祖先の位牌とともにその位牌を並べる事は、祖先に対し礼を失うものである。そうであれば本件は死体遺棄罪を構成しないことを信ずるものである。


判決理由

  死体の埋葬とは、死者の遺骸を一定の墳墓に収容し、その死後安静する場所として、後の者が追慕紀念するためのものである。必ずしも葬祭の儀式をしなくてはならないことはないにしても、道義上肯定できない事情の下に、単に死体を土中に埋蔵放置した行為は、埋葬というより遺棄と言うべきものである。被告の所為は死体遺棄に該当する。

(参照)刑法第190条 死体、遺骨、遺髪または棺内に蔵置したるものを損壊、遺棄または領得したる者は3年以下の懲役に処す。

 

第5話 火葬後の金歯横領事件(昭和14年3月)


  被告は平市市営火葬場の作業員で、昭和11年7月より13年7月頃まで10回にわたり、火葬・骨上げを終了し、同所に遺留したる骨灰の中から金歯屑約12匁を領得。これは占有離脱物の横領に当たり、被告の行為は刑法第254条に該当するとして有罪となった。これを不服として上告したものである。


上告理由と審理

  第1、遺族が火葬にした遺骸の骨上げ後の金歯屑約12匁を領得、占有離脱物の横領の事実を認め有罪となった事件に関し、死体を火葬にし、骨上げした後の骨灰中の金粒を、遺族は自己の所有にする意思が有るとはいえない。原判決で、「遺族が遺留したもので、所有権を放棄していない。所有の意思が永久にある」として有罪を言い渡したのは錯誤ある不当の認定である。

  第2、原判決は、「遺族が、骨上げ後にもはや金粒など存在しないと誤信したもので、もし発見した場合には直ちに持ち帰ると推察に難くない。よって遺族の誤信によって占有を離れた遺族の所有物と解する」と判じた。これに反論すると
  (イ)火葬に際して、死体と不離の関係にある物件(遺品)を死体と共に火葬場に送るが、これに対し遺族の所有意思は留保されず、処分されるのが古来からの風習である。即ち衣類、茶碗、枕、煙草入れ、義手足、義歯、六文銭等である。
  (ロ)遺族が火葬場において遺骨を拾い上げる際に、そのすべてを持ち帰る者はほとんどいない。
  (ハ)拾い残された骨灰等は他の骨灰と混同され、そののち火葬守または火葬場の経営者が適当に処分するのが通例である。
  (ニ)このような状態において、死者が生前金歯等を被せていたことを知っていた家族が、拾い残りの骨灰を遺留するにあたって、些少の有価物が混入していたとしても、それは骨灰と同様火葬守の適当処分に委ねる、即ち所有権を放棄したと推定することは妥当である。

  第3、本件火葬場に於いて以前経営者たる平市が、骨灰を払い下げ金粒をとつていたことは明らかである。もし原判決のごとくこれを遺族の所有とするなら、平市の行為は横領たるをまぬがれないが、何人も故障等あったことはない。被告人は、火葬の下請けをするものである。その環境にあって、公共団体すら遺族の所有にないと解するものを取ったとして、横領の罪を言い渡されている。
  遺骨を火葬にし、骨上げをした後の骨灰は、遺骨と同一視出来ないが、これを塵芥として直ちに遺棄することは道義上厭うものである。そこで一般の市町村経営の火葬場では、これら骨灰のために特に灰置き場を設置し、骨上げ後の骨灰はことごとくここに移し堆積してから競売にし、その売上金を市町村の雑収入にしている。この場合にたまたま骨灰の中に金属などが混じっていても、それは市町村の所有に帰すものである。

  思うに遺骨を収拾する目的は、死者の祭祀または紀念のために保存する目的を以て、細心の注意を払って収拾すべきものである。そしてその残りについては、この処分を市町村に一任しその処置に委ねるのが慣例である。従って「骨灰中にある金歯屑は遺族が放棄したと推認できないため、所有権は遺族にある」と断じ、被告人がこれを横領したものと処断したことは事安をつくさなかった失当あるものとして、被告人の上告は理由有り。原判決は破棄を免れない。

以上資料(『寺社をめぐる刑事判例 上中下』愛知学院大より

 

第6話 死亡診断書の記載がもたらした事実誤認(昭和42年2月)

  オートバイ事故で、62歳の老女が2カ月の傷害を受けたと診断されたが、2カ月後に死亡した。医師は死亡診断書の中で、この事故が死亡の原因である事を記入し、原判決は、医師の作成した死亡診断書の記載にもとづき、被告人の業務上の過失傷害致死との間に因果関係を認めた。しかし被告はこれを不服として上告したもの。


審理

  原判決の証拠では、被告人がオートバイを運転し、62歳の女性に衝突、同女に対し骨盤骨折などの傷害をおわせた。そして約2カ月後、彼女は死亡した。右の受傷と死亡との因果関係を、被告人はこれを認め、また医師の死亡診断書には、被害者の直接の死因は心臓衰弱であり、心臓衰弱の原因は前記傷害であるとの記載があった。ただし診断書に骨盤骨折など2カ月の治療を要すると判断された傷害が、2カ月後に心臓衰弱により死亡した原因になるかどうか判断が難しいものである。また常識的に言って本件程度の受傷が、結局死亡原因になるとは信じがたいことである。
  被害者の養女の供述によると、被害者は一旦経過が良かったのに1カ月過ぎてから再び悪化し、遂に死亡するという過程において、本件負傷とは全然関係のない死亡の原因の発生ということも考えられ、本件受傷と死亡との間にある因果関係について事実を誤認したのではないかと疑うことも出来る。従って原判決は破棄を免れないものである。

(『判例体系』刑事特別法10、第一法規出版)

 

  最後に最近評判になった前東京監察医務院長上野正彦著『死体は語る』にある話を取り上げたい。これはやはり死亡診断書にまつわる話である。
  何年か前にある大物国会議員が、首吊り自殺をした。しかし自殺では世間体が悪いので病死にみせかけた事件である。死亡診断書は簡単に訂正してもらえると、容易に考えたのがいけなかった。「関係者は虚為の診断書を得るために、医師に頼み込んだ。それが虚偽私文書作成教唆罪となり、診断書を書いた医師は同作成罪、市役所の戸籍係にこの診断書を提出した秘書は同行使罪となったのである。」
  同じく政治家の例に、選挙中運動員が通りがかりの酔っぱらいと口論となり、暴行を加えて死なせてしまった事件がある。これが公に報道されると落選すると、成り行きを心配した市会議員候補の顔役は、事件を内密にするため、知り合いの医師に頼み、脳出血、病死というニセの死亡診断書を作成してもらい密葬した。さて選挙に当選したが、殺された身内が警察に通報して事件が発覚した。遺体はすでに火葬にされてしまっていたが、綿密な捜査の結果殺しであることがわかった。これにより殺人容疑のほか、証拠湮滅、虚偽私文書作成教唆、同作成、同行使、変死者密葬などで関係者は逮捕されたという。(同上)なお虚偽私文書作成罪は、医師が公務所に提出すべき診断書、検案書、死亡証書に虚偽の記載をする罪で、刑は3年以下の禁錮または10万円以下の罰金となっている。
  今回嬰児殺し及び死体遺棄の事件を2件取り上げた。江戸時代には人口が増加することなく3,000万人弱に留まったのは、間引きや堕胎が原因だと言う説がある。中絶規制法は明治6年になって始めて導入された。堕胎罪は妊婦自身による自己堕胎(刑法212、1年以下の懲役)、医師・産婆等により行なわれる業務上堕胎(3月以上5年以下の懲役)などがある。堕胎罪の発生件数は昭和2年で819件、10年後の昭和12年で452件、昭和22年で182件、昭和32年で22件と減少している。これは昭和27年の優性保護法の改正で、年間100万件を超える妊娠中絶をもたらした結果である。
  中絶者の数は、昭和27年に80万件、昭和28年、106万件、昭和36年で103万件で。この数字は正式に届けられた数である。逆に堕胎罪で検挙されたものは、昭和36年から46年までの10年間で平均10件、うち起訴されたものは平均2.5件というなきに等しい数字となっている。
  なお保険婦助産婦看護婦法では、「分娩の介助又は死胎の検案をした助産婦は、出生証明書、死産証書又は死胎検案書の交付の求めがあった場合は、正当の事由がなければこれを拒んではならない。」(第40条)とある。
  

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