1989.04 |
普段私たちは「他人の死」について話すことはあるが、身近な人の死については、重く口を問ざしてしまう。こうした習慣は今に始まったことではない。しかし一方ではマスメディアの発達で、テレビやニュース、マンガなどから毎日、殺人、事故死、病死などの情報に接しない日は皆無である。「死の教育」をそうしたマスメディアだけに依存すれば、子供たちには死のイメージがグロテスクな形でしか伝わらない。
今回のデス・ウォッチングでは、子供たちが「死」についてどんな態度を示すのか、またどんなイメージをもっているのかをまとめてみた。終りには、子供を失った親についても、とりあげてみた。
多くの子供たちにとって、家族のなかで初めて体験する「死」は、祖父母の死である。その死をどのように伝えたらよいのか。フルトン編『デス・エデュケーション』のなかで、祖父の死を孫に話すのに成功した例と失敗した例がとりあげられている。
〈成功例〉
8歳になる少女の祖父が亡くなり、彼女は村の教会の葬儀に参列した。彼女はすべての言葉が理解できたわけではなかったが、葬儀の雰囲気は感じることができた。彼女は自分が体験した事柄を、4歳になる自分の弟に話して聞かせた。
「あなたのおじいちやんは死んだのよ。もうおじいちやんはここにいないから、牛の乳ををしばることもないし、豚にエサをやることもないわ。だから、何でも聞きたいことがあれば、私に聞きなさいね。」
この8才になる少女は、死の事実を受け止め、それによって生じた新しい状況のなかで自分の責任を感じていた。回りの誰もが正直で嘘がなかったし、彼女の反応も素直だった。
〈失敗例〉
同じ年の8歳の少女の祖父がある晩、突然に亡くなった。祖父の遺体は、彼女が目を覚ます前に片付けられていた。彼女の両親は、祖父の死について知らさないほうが良いだろうと考えた。彼らは、娘がこのことを理解するにはまだ幼すぎると思ったからだ。朝食のとき娘は父に祖父のことをたずねた。父は、祖父は病気になってしまったが、大丈夫だから何も心配しなくてもいいよと答えた。しかし彼女が学校に行き、学友に祖父の死を知らされた時に、大変ショックを受けた。そして母親に電話を入れ事実を確かめた。
母は「確かにあなたのおじいちやんは死んだのよ。お父さんもお母さんも、あなたを悲しませたくなかったの」と答えた。この娘は祖父が死んだことで、大きな不安を抱いた。
「私には何も言わないで、どうして皆はおじいちやんを埋葬してしまったの。私はおじいちやんが大好きだってことを皆は知らなかったの?」
彼女の心のなかに癒し難い傷が残った。牧師であり、心理学考である著者は、「人生の終わりにわたしたちが行う葬儀や慣習であるさよならを告げることは、とても大切なことである。子供に死について話す適切な時は、それを体験しているときが一番よい」と結んでいる。
イギリスで、16才末満の子供をもつ親に対し、「死について子供にどんな話をしたことがあるか」というアンケートが行なわれた。126名の回答者のうち56名は、「子供たちに全く何も話さなかった」と答え、35名は「子供たちが見たとおりの事実を話した」と答え、42名は、「例えを使って話した」という。
宗教的な表現を使う場全、「天国に行った、「イエス様のところに行った」などが最も一般的である。
母を亡くした36才の人は次のように答えている。
「母が死んだときに子供たちに、どう話すかが問題でした。私たちは子供に、祖母は天国に行ったと言ってやりました。実際そこは彼女が生まれる前にいた所ですからね。子供たちは気が動転していて、何が起こっているのか知りたがっているのですから、扱うのにとても苦労する問題ですよ。」
「娘には、おじいちやんは天国のイエス様のところに行ったよ、といって聞かせました。嘘にならない範囲で、できるだけおとぎ話のように語ろうとつとめました。」(会計士の妻)
「子供たちには、おじいちやんは天国に行ったのよと話しました」(妻35才)
「上の2人の子供は、話さなくとも何が起こったのか分かっていました。そして一番下の子供にはおばあちやんは天国に行って、姿を変えて戻ってくるのよ、といって聞かせました」(妻、36才)
「私たちは、子供におばあちやんが死んだと告げ、葬儀に出ました。下の二人はどうにかそれを受け入れましたが、上の子は動転しました。そこで私たちは、死と神様について少しばかり語りあいました。それだけです」(妻、35才)
ユダヤ教の教師であるグロールマンは、「子供と死」についての本をいくつか出版している。『デス・工ディケーション』のなかで、彼は子供と死の関係を取り上げ、子供の悲しみについて次のように述べている。
子供は死による喪失や悲しみを体験する。子供の悲しみは、複雑な心理過程をたどる。愛する者の死を悔やみ、その一方で彼自信の痛みをわかってもらいたいために悲しむ。ロンドンのボールビー博士によると、子供は三つの悲しみの経過をたどるという。
初めは、人が死んだことが信じられず、時にはその人を回復させようとする「抵抗」の時期。次は、愛する人が本当にいなくなってしまった事実を受け入れ始める「痛み」の時。最後には、失った人に頼ることなく自分の人生を歩み始める「希望」の時期である。
ペットが死んだとき、子供はペットに十分な世話をしたか、最後まで責任を果たしたかについて悩み、場合によっては罪の意識をもつかもしれないという。
ある少年の犬が車にはねられて死んだ例をあげると、少年の最初の反応は、ショックと狼狽であった。初めは、犬が死んだのは、両親が十分犬の面倒を見てくれなかったからだと思い、両親に八つ当りをした。それから彼は、犬を埋葬するときに、自分の気に入りのオモチャを一緒に埋めたいと言い出した。そのオモチャが、傷ついた犬に安らぎを与えるのに役立つと思ったのである。その儀式は、彼の罪の意識を和らげるのに効果があったのである。
兄弟のうちどちらか片方でも子供の死は、両親に大きな影響を及ぼす。そして両親は残された子供に、今迄以上に密接に接する場合がある。あるいは親が動揺してしまって、健康的な親子関係が続けられない場合には、子供にも大きな影響を及ぼすことになる。
子供は両親が悲しんでいるのを知り、昔のように全てが、うまく行くことを願う。そして彼は死んだ子供の穴埋めをしなければならないのではないかと悩み始める。もし子供の兄弟姉妹と仲がよかったならば、一方の死は喪失の感情をいつまでももたらし、その心に一生わだかまりを残すであろう。
子供の生活で最も悲しい出来事は親の死である。愛されている実感、世話や甘えたい時期に、そうしたものが奪い去られる。ここでは、子供の反応は罪の感情で複雑になる。時には罪は死んだ人に対しての敵意や、生き残った人に死の責任があるという感情から生じてくる。
死によって親との愛情関係が壊れたとき、子供は次の4つのどれかをするであろう。
1. 死んだ人のイメージに執着し続ける。
2. 愛情をモノや仕事にぶつける。
3. 死んだ人以外の他人を愛することを恐れる。
4. その人の死を受け入れ、望みをもってはかに愛する人を見つける。
少年が母親を亡くしたとき、話し方が幼児のようになり、あわれな声を出して、大人の注意を引こうとすることがある。父親を失った小さな子供の場全には、攻撃性や愛情といった感情のはけ口や男性になる手本がなくなるかのように感じる。一般に子供は、愛して信頼できる人を見つけ出せれば、悲しみから抜け出すことができる。もしそれができなければ、彼の残りの人生は、死んだ両親の幻を探し求め、失望することの繰り返しとなる。
よく人は「勇気を出して。泣くんじやないよ。気を楽にもってね。」という。これにたいし、グロールマンは疑問を投げかける。つまり涙は死んでしまった人に向けられる、最も自然なものだ。子供たちは父親が死んだら大いに悲しむべきである。彼らは父を愛していたので、父を懐かしく思い出すのである。
「涙が出るのを恐れてはいけない」と、グロールマンは言う。涙は、死んでしまった人が、忘れられない人を慕う気持の表われである。子供にとって最悪なことは、涙を我慢することである。深い悲しみを内に抑えている子供は、のちに内気な性格になり、時に大きな怒りを爆発させることになる。
〈否認〉
子供は何事もなかったかのように振る舞うことによって、恐ろしい死から自分を守ろうとする。
〈肉体の抑圧〉
「喉が苦しい」。「食欲がない」。などの心配が、肉体的にも精神的にも影響を及ぼす。
〈個人への憎しみ〉
「なぜ私を置いて行ってしまったの」母親が留守にしたときの子供の怒りがある。母親が戻ってきた直後にはさほどの反応を示さないが、少したつと彼女に怒りをぶつける「一体何処にいっていたの。」
これと同様に、子供は死んだ人が回復するようにこの抗議の仕方を取り、母親が二度と自分を一人にしないだろうと信じようとする。
子供が生命や死について、どのように感じているかを調べた結果がある。『死を教える』(メヂカルフレンド社)の中の「幼児教育と両親の役割」宮本裕子から抜粋した。
幼稚園児から小学6年生までの児童に、動物、植物、機械などの10の項目のうち「生きている」と思うものに○をつけさせた。その結果、カエル、トリについては、100%近い子供が「生きている」と答えた。木やチューリップのような植物では、幼〜小1、小2〜3の段階で「生きている〕と答える者が増加する。これとは逆にロボット・飛行機のような無生物を生きているとする者が、小2〜3の段階で減少しはじめる。
子供の発達段階からみると、幼稚園児では
(ア)動く、動かない。
(イ)呼吸する、しない。
(ウ)手足がある、ない。
のような目に見える現象を生物・無生物の根拠にしている傾向がある。小学1年ではそれに
(エ)成長する、しない。がつけ加わるの
である。
木や道具などの無生物に意識や魂があるとする、いわゆるアニミズムは何年生頃まで残るのだろうか。ボールがけられて「痛いと感じている」またトラックは荷物を積んで「重いと感じている」かどうかの調査で、幼〜小2迄の子供の場合、意識や魂があるとする比率は変わらないが、小3になるとその比率は急速に減少する。また、女子は男子に比ベアニミズムが残存する傾向が強いことがわかる。
動物と人間の死についての調査では、幼稚園児では「動物のはうがかわいそう」と答える子供のはうが多い。しかし小学1年生で「動物」とする子供が急減し、「両方とも」とする者が学年を追って増加する。
「死ぬのが怖いか」という問にたいし8o%が怖いと答えたが、幼児では「怖くない」と答えた者が少なくない。また小学生では、「わからない」とした者が10%近くいる。また「テレビのなかで、ピストルで撃たれたり、刀で切られて死んだ人は生き返ってくるか」との問では幼児は、「生き返らない」とするものが圧倒的に多く、学年が進むに従って「生き返ってくる」と答える者が増加する。
幼稚園児の男子では2.9%、女子では2.1%が「死にたいと思ったことがある」と答えている。これが年代が上がると増加し、小学校3年で21.3%、中学3年では男女差が激しく、男子が12.2%にたいし、女子は40.8%である。
子供に死んだらどうなるかと質問した結果。「天国か地獄に行く」、「死ぬと木や星になる」などの彼岸型。「神様のところへ行く」の再生型。「死ぬのは遠くに行くのと同じで、又帰ってくる、「死ぬのは眠りといっしょで、又目が覚める」の復活型と3つのパターンが出た。
まず死後のイメージでは、「彼岸型」、「再生型」、「復活型」の順に多い。また「彼岸型」は小学校6年をビークに減少し、反対に「再生型」、「復活型」が増加する。
人は誰でも、死後に又生まれ変りたいと考えることがあるが、子供の場合はどうであろう。調査結果では生まれ変りたいと願う考は、小学校6年を境に女子のはうが高くなる。しかも各学年とも、5割前後が生まれ変りを肯定し、学年別の差はそれほど見られない。
死んでいく子供を看取る母親(ペアレント・ケア)を支えてくれる要素に3つあるという。一つは両親が看病できる小児科病棟が利用できること。この小児科病棟に、他にも子供を看取る母親たちがいること。そして3つ目には、思考の支えになってくれる友達がいること。
これははキューブラー・ロス編の『死ぬ子供たち』の3章、「ペアレント・ケア」のなかで、白血病で子供を亡くした母親のエリオットさんが書いている。このなかで、死んでいく子供をどのようにケアしていったか、その悩みと作業を見ていきたい。
彼女のいたペアレント・ケア病棟には30人からの親たちがいて、こみあった状況のなかで生活していた。
それぞれが、何らかの悪性疾患にかかった子供の親である。こうした環境の中での看護仕事と、日常活動の量たるや、圧倒的である。病棟スタッフは家族たちとやがて親しい関係となり、子供たちやその親に強い愛着を覚えてくるという。この病棟では、死が間近になった時点でも、無理にカーテンは引かず、ドアも閉ざさないという。
子供たちは受療、学業、作業セラピーなどで忙しく、また母親たちの日常はみんな労働で忙しかった。子供のシーツを変え、食事を運び、体温をはかり、病気によっては楽を与える手伝いもする。こうした状況におかれたどの母親も、不快で、退屈な仕事でさえ、それをやることに感謝していたという。汚物をきれいにふき取ったり、異臭のする包帯替えなど、楽しんでする母親はいなかったが、他人にさせたがる母親もいなかった。こうした手伝いをすることで、母親たちに「自分にも価値がある」「自分にも人を助ける力があるしという感情を与えることができるのである。
病棟には必ず、先に死んでいく子供とその親がいる。ある母親は自分の娘を亡くして、病棟を去っていくときに、
「娘さんが行ってしまうことを怖がらないでね」といって彼女を慰めた。また息子を亡くした母親のアドバイス、
「わたしたちが葬儀、死体解剖、その他の場合にしなければならない多くのことを、予め心に決めて準備しておいたはうがよい」という言葉もこの母親を力づけた。
クリスマスに近くなる頃、娘は死ぬことを恐れ始めた。親子はどちらも引きこもりはじめた。二人は軽寝台で一緒に休み、他の誰とも口をきかなくなった。娘は怖いとしか言わないのだった。「何が怖いの」ときくと、「ただ怖いの」と答えるのだった。妹が悪くなったので彼女の兄を呼び寄せた。12才の兄は、昏睡状態にある妹を見、頭を撫でて、
「僕が誰だかわかるかい」、「僕は君を愛している」とささやいた。妹が死んだとき、彼は病院にいなかった。皆で家に帰る途中、彼は「病院で間違えることだってあるじやないか。妹は本当は死んでなどいないのだ。」といった。
死を直視することは大変に難しい。死が一日一日と迫っていることを、家族の誰よりも知っていた母親ですらそうだった。こうしてずっと彼女は悲しみ続けた。特に、最初の診断のとき。それから最初の再発のときが深刻だった。こうしてついに死が間近まで来たとき、母親の心は定まっていた。家族の誰もが、終りが長引けばよいとは望まなかった。
「それが早く終ればよい」、その気持だった。
「3日後、棺のなかの彼女を見たとき、死はもはや最期のときとは同じではなかった。それはもはや別種の死であった。」と母親は感じた。
葬儀のとき以来、彼女は喪失感処理に悩まされている。
「わたしたちが長い間、一緒に生活しなくなったあと、どう再び家族との関係を調整したらいいのか。私は自分の人生に方向と目的を見ることが出来ないでいる。私の価値観は変わった。今迄のそれはもう通用しなくなったのだから。」彼女の希望は、死と死ぬことについての領域で現在進められている探究のなかから、もっとも助けになる情報が生れてくれば、ということである。それによってわたしたちみんなが「死の恐怖と死」についてのタブーから解放されるかも知れないからである。
子供の死後6週間たったときに、母親が若い心理学者と会話した一部である。
心理学者
いつだったかお嬢さんが「生きるって何が生きるの?」と聞いてきたのです。それでそのことについて話し合ったのです。また「なぜ老人は死ぬの」と聞くんです。それでバラの話をしました。バラはまずつぼみから出発する。そして成長して花になる。バラは世界中の花を愛する人に沢山のものを与える。けれどもやがてパラは花びらを失い、葉を失い、そして死ぬ。すると今度はこうきいてきたのです。
「人はみんな人生を通り抜けて、それから歳をとって死ぬの」って。それでもう一度逆戻りして話してやったんです。ときどき虫が来て花を駄目にするね、子供が病気になるのもこれと同じことだと。
「じやあ、子供はみんな死ぬの」
「花に虫がいたら、虫除スプレーをかけるね。でもスプレーをかけるのが間に合わなかった場合、花が枯れてしまうことがあるね。」
この学者は、子供が生と死というものがどうしても分からないなら、今のように比喩を使って話せば分かってくれると言っている。