1988.03
アメリカ版「死別の克服」

問題となる家族へのケア

  家族の一員が亡くなると、残された遺族には、個人差はあるが、そうとうなショックを受けるには違いありません。主人の死後、悲しみが1年以上続いている未亡人。子供を亡くした母親が、ノイローゼになってしまった例は、数知れません。このように、非常に大切な家族のケアについて、日本ではまだ、多くの研究がなされてはいないのが現状です。
  それに対して、アメリカでは小学校から「死の教育」が学ばれ、残された遺族のケアに対する研究も、日本に比較できないくらい進んでいます。今回の『デス・ウォッチング』では、こうしたアメリカの家族の癒しの問題を扱った、8冊の本(末翻訳)を抜粋して紹介します。専門的なものから、実際に苦しんでいる人が手にする、実用的なものまで、バラエティをもって、選んでみました。


●『医療関係者のための死の教育』

ジュアンヌ・ベノリュール編(ヘミスフェア出版)

多くの学生は病院での末期患者の対応に不満

〈個人の死〉

  核家族やそれに似た家庭のほぼ半数(43%)は、家族の死を体験していないといいます。そのゼミナールでは、クラスの半数(57%)は、家族の死を体験しており、その約3分の1の学生が、医師が適切な介護をしなかったと感じていました。家族の死を体験した生徒の4分の3は、医療体制が、患者及び家族のニーズや要求に答えていないと感じています。

〈学生にとっての死〉

  医学生たちの、末期患者についての報告によれば、彼らが立会った死(91%)は「突然死」か病院内での死で、重傷患者や遺族との面会は含まれていません。これらの生徒が体験した死の約4分の1(26%)は、医師(修練者あるいは付き添い人)による、ふさわしい介護がなかったと感じていました。またこうした体験をした生徒のうち、3分の1(31%)は、末期患者および彼らの家族と、自信をもって対応することができると述べています。しかしその他の生徒は、患者とその家族とに対し、上手に対応することに自信がないと答えています。こうしたさまざまな体験は、彼らの技術や自信づくりに役立っています。(84頁)

(寸評)

アメリカでは、医者になるために「心理学」や「死の教育」が必須ですが、実情はまだ成果が上がっていないことがわかります。


●『あなたの愛する人が死ぬとき』

アール・グロールマン著(ビーコン出版)

末期患者を抱える家庭に

〈適切な診断〉

  著名な精神病理学者であるカール・メニンジャー博士は、医学生たちに治療の過程でもっとも大切なことは何かとたずねました。
  ある生徒は、手術の技術と答え、ある者は患者との接し方、他の生徒は薬物治療の進歩と答えました。
  メニンジャー博士は、これらの答えを否定しました。彼の答えは「適切な診断」でした。もしも患者に適切な診断をしなければ、患者を助けることはできないでしょう。
  多くの医者はその分野での素晴らしい治療技術の知識を持っています。しかし彼らの知恵は、医療看護のすべての領域には、及びません。医者は「医学の博士」であって、「医学の神」ではないからです。
  治療のなかで、しばしば使われる、程度の低い言葉に、「わかりません」「発見しましょう」「私は何らかの結果が得られる所を知っています」があります。
  しかし主治医をあれこれ変えたり、治療を組合せるために、国中飛び回ることには気をつけたいものです。
  これによって自分で病気を否認するようになったり、愛する人を首尾一貫した治療過程から、妨げることになるからです。(71頁)

〈寸評〉

日本にも『後悔しない医者のかかり方』鈴木鉦一郎(こう書房)という本がありました。本書はもっと深刻です。


●『先取りされた悲しみ』

バーナード・ショーェンバーグ編(コロンビア大学出版)

ガン患者の日記に記された「死への抵抗」

〈タイプ4−死の拒否者〉

  患者は死ぬかもしれないと感じています。彼は「現実主義者」ですが、良い結果を求めています。彼は病気が疑わしい段階に来ても、回復する見込みがあると信じているのです。患者は生きるという強烈な意志、回復への戦い、死に敗けることを拒否し、流れが変わることを希望しているのです。
  患者はあらゆる医療が空しいとわかるまでは、ただただ、生と死との戦いが終わることを首を長くして待っています。この段階で彼の「威厳に満ちた態度と行為」が、元のように回復しないのですが、それでも戦う様子を示し、悲しみと、悲しみの予感を感じています。しかし、それに押し潰されてたまるかと思っています。
  患者は怒りと熱望でもって、病気と死を手なづけ、克服しようとしているのです。(71頁)

患者Eの例(日記より)
第1段階=この病気は、致命的ではない。私はまだ死の川を渡ることはない。
第2段階=生命!私はまだそれを味わってはいない。戦うんだ。
第5段階=この(念入りな診断)は、はじめての良いニュースだ。これは未来に希望と力を与えてくれる。先に何が待ち構えていようとも。
第6段階=私は休みたい。私は力を蓄えているところだ。私は時間が無駄になったとは思っていない。まだ先に治療が待っているからだ。それが終ったとき、私はもとの生活は帰る計画をしよう。(日記の続き)まだリラックスしていない。特に今現在、この治療により、健康か病気に違いが出てくるはず。
第7段階=敗北しないことを学べ。まだ強くなれる。(72頁)

〈寸評〉

キュープラ・ロスの説に死の5段階がありますが、本書では7段階説を取っています


●『誰かが死んだら』生きるためのハンドブック

エリザベス・ジョンソン編(ヘイハウス)

イメージコントロールで心を安らかに

〈どうすることもできない気持〉

  死に行く人を見守り、患者に対して何もすることができないということは、情緒的に苦しいことです。私たちは自分の無力さの犠牲者なのでしょうか。しかし、容態が変化する患者に関わって、そこにいることで、その人のために、もう何もしてあげられないなどとはいえません。私たちは死に行く人の介護者なのです。
  枕を膨らませたり、手を握ったり、話したり、聞いたり、水を飲ませてやったり出来ます。さらほもっと様々のことが。

1. 患者のいる部屋か、あるいはほかの場所でもいいですが、静かに座り、目を閉じます。自分の呼吸に意識を集中します。心のなかに自分が好きで、安全と思う色を思い浮かべます。あなたが選んだ色は、明瞭である必要があります。さて、あなたの心配している患者が、この色に取り巻かれているところをイメージしてください。その人が、この色に包まれて、気持ちよく守られているところを想像してください。このイメージを心に思い浮かべながら、自分の呼吸を意識しなさい。あなたが、満足がいったら、目を開いてください。

2. あなたの好きな優しいグラッシック音楽か、柔らかい音楽を選んでください。音楽が鳴り始めたら、静かに座り、目を閉じてください。
  自分の呼吸に意識してください。さてあなたはこの音の響きを自在に操り、患者の身体に完全に浸すことができると思い描いてください。心のなかで、身体のなかに音楽が通り抜けていき、平和で、安全で、どの部分も満足している様子を思い描いてください。これを音楽が終るまで続けてください。自分の呼吸を意識してください。そして自分で良いと思ったら、目を開けてください。

3. たとえ嵐のような考えと感情があなたをひっくりかえす様に見えても、静かに座り、目を閉じてください。足が床にしっかり支えられているように感じてください。深く息を吸ってください。息をするたびに新鮮な空気に満たされるようイメージして下さい。最初は、あなたの意識を足の裏に向けてください。第2の呼吸で足を満たし、3度目で丁度、足首まで移します。4度目でふくらはぎの下、5番目でふくらはぎの上、6番目で膝迄いきます。このようにして、頭のてっぺんまで、新しい空気で満たします。呼吸を続け、自分で良いと思ったら目を開けます。(15頁)

〈寸評〉

イメージによるコントロールは、様々の分野で研究が進められています。


●『死について』

アール・グローマン編(ビーコン出版)

遺族の思いは千差万別です

〈未亡人と男やもめ〉

  私はこれまでの11年の間に、未亡人となった3000人近い数の人々と働いたり、交際する機会に恵まれた。こうした背景があれば、基本的な問題を見出すことは、たやすいことだと思いました。しかし、それは大きな間違いでした。未亡人には決まり切った型がなかったのです。
  これは、死が人種、肌の色、心情、富、健康、知性などによって分類できないことを知っていれば、簡単に理解できることです。死は我々皆に共通した分母でしょう。しかし未亡人ややもめが抱えている、基本的な問題領域を明らかにしなければなりません。でも私が持ち出す説明や反応を、あなた自身のものと考えないでください。あなたはユニークな人だからです。本当に彼らは、多くの感情を表わしているのです。

〈夫や妻がなくなったあとの主な感情は何か?〉

  あなたの伴侶の死にたいして、悲しみの来るのをどんなに引き伸ばそうとしても、それは無駄です。実際の死は、衝撃とともにやって来るでしょう。死は最終的で、取り消すことのできないものだからです。たとえその死によって、伴侶が苦しみから開放されたと考えても、「あと数日でも、数時間でも一緒にいられたら、言いたいことや、してやりたいことができたのに」という思いが残るものです。
  普通ショックは、何日、何週、場合によっては何か月も続くものです。ショックの強度は、あなた自身の感情の強さや、身内や親友の慰めによって、緩和されます。あなたが死後の世界を信じていれば、この時期の死の反応に、大きな力を与えるものです。しかしながら、死を体験した遺族の反応は、あたかも突然、硬いものにぶちあたったようなものです。時として、感情が無感覚となり、身体だけが動いているようになります。後になって、その時のことを思い起こすと、どのように、いつ行ったかと疑問に思うことでしょう。
さまざまな感情の波が打ち寄せてくるでしょう。
「なぜ彼女は、私を残していってしまったのか?」
「わたしが、もっと良く彼の看護をしていたら」
「神よ、どうして彼を召して、私を一人残したの」
「彼女なしで、どうやっていったらよいの!」
「神よ、私の罪の償いをさせたのか」
「公平でない。私たちは、隠居生活を楽しむために準備をしていたのに」
あるいは次のように言う人もあるでしょう。
「公平ではない。子供たちを育てるために、彼女が必要なんです」
「彼が死んだら何が救いとなるの?私は彼がゆっくりと死んでいくのを、毎日毎日、そこに座って見ているうちに、おかしくなるのではないかと思いました」
「とても寂しい。彼が生きている間は、たとえ病気になっても、彼の助けがあれば何とかなると思えた」
これらは未亡人ややもめの、複雑な心のほんの一例です。(289頁)

〈寸評〉

本書は質疑応答の形を取っていて、読みやすい本となっています。


●『悲しみを通して生きる』

ハリエット・シェーフ著(ペンギンフック)

残されたものの罪の意識

  マスキン博士によれば、死に対する悲しみは、人生と同じくあるときは楽しく、あるときは悲しいというように、何百万という瞬間によって組み合わされているといいます。長期間にわたる病気の看護の場合には、より静かに、悲しみに至ることでしょう。「死から解放されたあと、遺族は、自分に寛容になる者は少なく、多くの人が自分に厳しくあたります。また死後の世界を強く信じる人にとっては、自分自身を納得させることができます。」(138頁)
  博士がいつも言っていることには、遺族は剥奪感からくる罪の意識と、快楽の求めすぎからくる罪の意識を感じているという。多くの遺族にとって性が大きな悩みの原因と感じています。なぜなら、快楽の追及は何かやましい感じを与えるからです。
  子供が亡くなった場合には、親は、性を拒否しはじめます。遺族の兄弟や子供、あるいは友人も、同じ理由から性を否定し始めます。マスキン博士は「性はそれ自身正常な行為で、欲望の追求も正常です。人は性や親しみに対して、充分な権利を持っているからです」と語っています。

〈寸評〉

本書には、遺族をサポートするグループのための、マニュアルが付いています。


●『死別』心理学的上の見方

バーナード・ショーエンバーク編(コロンビア大学出版)

1年以上の死の悲しみ

〈癒されない悲しみ〉

  私たちの文化の伝統では、悲しみの時を1年としています。これは宗教的、あるいは社会的慣習によって確立されています。今回の調査対象は24人で、家族の死を体験して1年以上経た人たちです。このうち12名は、厳しい悲しみをもち続け、3人は程よく、そして9人は減少していました。
  私たちは1年以上経ても、激しい反応を持ち続けている場合を、「癒されない悲しみ」と名づけます。
  癒されない悲しみをもつ12人のうち、5人は、配偶者であり、4人は子供、1名は親、1名は兄弟、1名は叔母です。癒されない悲しみをもつこうした、多くの人たちに密着して調べてみると、そこに、故人との関係、病気の長さ、死を看取る遺族の立会う時間などの要素によって変わってくることがわかります。癒されない5人の配偶者のうち、3名は、故人に1年以上の看護をしています。そのうちの一人は、1年前に死を知っていましたが、他の二人は、死の時期を知ったのはわずか2、3日前のことでした。あと一人の未亡人は、夫の死が病気になった2か月目で、その死が信じられないといいます。5番目の人の場合は、配偶者は突然死でした。
  子供をなくし悲しみが癒されない親たちの場合は、1年以上の病気の期間がありました。従って病気を知っている期間と、悲しみとは直接結び付かないことがわかります。(84頁)

(寸評)

本書は31の小論文からなり、死別の社会心理学百科といえます。


●『愛する人を亡くしたとき何が私を助けるのか』

アール・グロールマン編(ビーコン出

  およそ10歳になる少女ダイアナは、自動車事故によって即死し、彼女の母も又重体を負いました。彼女の死から2年たった1972年10月、母ポーラ・シャムレスと父アーノルドは、死別した両親を支える国際組織、「慈悲深い友の会」支部を、最初にアメリカに結成しました。
  1968年、若き英国国教会の牧師、サイモン・ステフェンズは、イギリスのコベントリィ&ワーウイックシャー病院付きの司祭に任命されました。病院では多くの少年が、病気や事故で死んでいきます。彼らが亡くなったとき、死別した両親を慰めたり、注意を払うことはほとんどありません。ある時、二人の少年が同じ日に亡くなりました。そこで両親同士が合い、相互の理解のうちに、悲しみを分かち合えば、その出来事から来る心の傷に対処することができることを見出しました。そこで親たちは、ステファン牧師に相談して、すべての残された両親のために、理解と友情を捧げる組織を作りたいと述べたのです。こうして「慈悲深い友」が発足しました。それ以来、支部はイギリスを中心に、全世界に普及しました。「慈悲深い友の会」は、悲しみを解決するために、短期的な方法を取りません。苦しいときのためには安らぎを、そして自信をもつことからくる慰めを通して、死別を経験した家族が、悲劇から人間の成長の、意味のある経験へと導いていくものです。(55頁)

〈寸評〉

本書の末尾には、遺族のための22の団体が、記載されています。

 

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