1987.11
良い終りの準備教育

いつまでも死はタブーなのか?

  総務庁が9月22日に発表した統計では、現在高齢者(65才以上)の人口は1,331万人、13年後の西暦2000年には、2千万人を突破するといわれている。4人で1人の老人を養う勘定である。こうした高齢化現象の時代に入り、ますます「死」をめぐっての情報がとびかうものと思われる。反面死はタブーとして、公の席で口にすることははばかられるであろう。現代人が冷静に「死」に直面できず、死から逃避する傾向を持つに至った理由の一つには、現実に「死」が孤独で非人間的なものという実感を持っているからである。今日では多くの末期患者が、自宅ではなく病院の、複雑な生命維持装置に取り囲まれて生活している。そこでは家族に暖かく見守られて息を引き取るのが最早困難になっている。
  またかって人々は、神や死後の世界を信じており、たとえ地上の生活が苦しいものであっても、良いことをしていれば、死んでから浄土で永遠の平安が得られることを信じて死んでいった。しかし科学の進歩とともに、死後の生も疑わしい、あるいは証明することの難しいものになってしまった。こういうなかで「死」はますますタブー化されていった。

 

死の準備教育

  人間が生涯のうちで、最も困難なことは自分の死に向い、それを受け入れることである。そしてこれが出来るためには、彼が生活する文化のなかに、死を受用するためのシステムや教育がなければならないのではないだろうか。かつては、日本にも死の教育や「死生観」があった。しかし現在は、死を迎えるにあたっての、教育や「死生観」が埋没しているというのが現実である。デス・エデュケーション(死の教育)という言葉は、もともとアメリカで生まれたものである。「ニューズ・ウィーク」78年5月1日号に、1964年頃から死の学問が盛んになり、それまでタブー視されて来た「死」が、教育者や宗教者によって語られてきたとのべている。その理由の一つには、1959年より1975年まで続いたベトナム戦争が挙げられる。

 

セミナーにみる15の教育目標

  上智大学では、一般市民のための死の準備教育講座として「生と死を考えるセミナー」を1982年から年1回開催している。参考のために上智大学のA.デーケンさんがあげた「死の準備教育の15の目標」をみてみたい。

1. 死に行く心者の意識の変化や、患者が抱える問題を深く理解する。
2. 自分自身の死を準備する。
3. 人の死から受けた悲嘆のプロセスを学ぶ。
4. 死の恐怖を和らげ、無用の心理的負担を取除く。
5. 死にまつわるタブーを取除く。
6. 自殺の予防を行なう。
7. 末期患者の知る権利や、告知についての認識をもつ。
8. 安楽死などの倫理的な問題についての認識をもつ
9. 脳死や献体など、死にまつわる医学知識をもつ。
10. 葬儀の役割についての理解を深める。
11. 時間の貴重さを発見する。
12. 死の文学、美術を学ぶ。
13. 死の哲学の探究。
14. 宗教におけるさまざまな死の解釈を探る。
15. 死後の世界について積極的に考える。

これがいわば、「死の教育」の目標である。非常にジャンルの広さを感じるものであるが、社会人の教養として身に着けたいものばかりである。

 

先進国アメリカの実情

  ミネソタ州立大学の中に1969年開設された「死の教育と研究センター」がある。アメリカ社会でも、死に関する話題は歓迎されないし、死の8割以上が病院で迎えるため、身近な人の死を、体験することは稀になっている。アメリカでは、「ベトナム戦争」以来、死に対する関心が目覚ましくなったが、同センターでは、医学、看護学、教育学、文化人類学、社会学、神学の専門家が集まり、共同研究が続けられている。またそのテーマは、死の歴史的考察、死の体験、悲嘆、未亡人、葬儀の方法や死体の扱い方、戦争、原爆など、多岐に渡っている。次にアメリカの学校で行なわれている「死の教育」をみてみよう。
◆5〜6才以下の子供の死の教育=「生命の誕生、成長、死」が、植物や動物を教材にして行なわれる。また墓地を訪れ「墓地の意味」や「墓参りの意味」などを学ぶ。
◆小学生2〜3年の子供の死の教育=死亡記事のスクラップを作る。葬儀社の見学。
◆小学生4〜5年の子供の死の教育=生命の寿命を調べたり、人口統計を調べる。
高学年では自殺、中絶、安楽死、末期患者に対する医療措置、植物人間といったテーマに対する学習。

資料:『死の準備教育』第1巻、メヂカルフレンド社

 

萌芽期の死を学ぶグルーブ活動

「生と死を考える会」
  Tel:03-5361-8719  Fax:03-5361-8792

仏教情報センター
  Tel:03-3813-6577(本部)  03-3811-7470 (テレフォン相談)

 

「自分の死」入門 --- 死に関するチェックリスト

 デス・エデュケーションは最終的には、「汝自身を知れ」ということに行き着きます。そこで近藤裕さんの『「自分の死」入門』より、死に対する自己診断資料を取り上げてみました。

 

●死に関するチェック・リスト

*自分に該当する答えを○印で囲む。一つ以上でも良い。

1. 生涯においての最初に死と出会った体験

1. 祖父母、親戚の者の死
2. 親の死
3. 兄弟・姉妹の死
4. その他の家族の一員
5. 友人の死
6. 有名人の死
7. 他人の死
8. ペット類の死

2. 子供時代においての家での死の話題

1. 大ぴらに語られた
2. ある程度の不快感があった
3. 自分は除け物にされた
4. はとんどタプーであった
5. 語りあった記憶がない

3. 子供時代における死に自する自分の考え方

1. 天国か地獄に行く
2. 魂が永続する
3. 永遠の眠り
4. 肉体と精神の活動の停止
5. 神秘、不可解なもの
6. 特に考えたことがなかった
7. 覚えていない
8. (       )

4. 死後に関する現在の自分の考え

1. 天国か地獄に行く
2. 魂が永続する
3. 永遠の眠り
4. 肉体と精神の活動の停止
5. 神秘、不可解なもの
6. 特に考えたことがなかった
7. 覚えていない

5. 死に関する現在の自分の考えは左記の理由より影響を受けたと思う

1. 身近な者の死
2. 読書を通して
3. 宗教的な考え方
4. 自己洞察により
5. 葬儀に参列したことにより
6. マスコミ、映画などにより
7. 家族の考の健康、病気により
8. 自分の健康、病気により

6. 死に関する自分の考え方に与えた宗教の役割

1. 非常に重要
2. やや重要
3. さはど重要ではない
4. ほとんどない
5. 全くない(以下28項目まで省略)

 

最期のひと言

  死ぬ直前の時間、それも自分の死が間近に迫った時間に、自分を取り巻く家族の者や親近者に1言ずつ、「最期の言葉」を語るとしたら、あなたはどんな言葉を口にするだろうか。あまり気持の良くない仮想だが、これが今日の課題である。すなわち、自分の妻、夫、そして子供の1人1人に、あるいは自分にとって大事な人に、この最期の言を書く、という作業である。

(ルール)

死を前にして、多くの言葉を語ることができない。そこで、1言ずつ簡単に記す。それも、是非これだけは言い遺しておきたいと思うことがらを書いてみよう。

わが妻(夫)に遺すことば

わが友(   )に遺す言葉

(以下略)

 

「悲しみの消化年表」に役立つエクササイズ

1. 死別した者に手紙を書く

 死別したものに、生前に行っておきたかったことを手紙に書くことによって、本人に「告げる」。その場合は、心にあるさまざまな気持を素直に記す。例えば、自分の罪責感や、後悔していること、また、怒りの感情などもありのまま記すこと。

2. 日記を綴る

 愛する対象の死後に続いて生ずるさまざまな思い・考え・感情などありのまま綴る。これらの内容は日々変動することが良くあるが、たとえわずかでも1日の終りに書き綴ることが良い。誰に見せるものでもないので、感情のおもむくままに自由になぐり書きしてもよい。(後略)

近藤裕さんの『「自分の死」入門』から、巻末の資料の1部を引用させていただきました。厚くお礼申し上げます。

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