1987.10 |
古代エジプトでは、死後の魂は冥界に行き、そこで永遠の生命を受けると考えられていた。しかし死者が冥界に入るまえに、42柱の神々の審判を受けねばならなかった。死者は神々の前で魂の潔白を告白し、また1人1人の神の名を呼び、「私は生前に大罪を犯していません」と宣言しなけれなければならなかった。それから死者は、大きな天秤の前に立たされ、一方の皿には真実を象徴する羽根が、もう一方の皿には死者の心臓が乗せられた。運命の女神は死者の人柄について証言し、学問と文字の神トートがその記録を付けた。死者はかたずをのんで判決を待っている。天秤の羽根と心臓がバランスを保つと潔白の印として、トート神は無罪を宣告し、死者は永遠の生命が与えられた。しかし有罪になった者の心臓は、グロテスクな動物たちに投げ与えられ、その餌食となった。
「葦の野原」と呼ばれるオシリスの冥界は、永遠の春があり、豊かな実りが約束されていた。そこには何の憂いも苦しみもなく、富める者も貧しい者も土地を耕して楽しく毎日をおくることができた。
さらに古い初期王朝時代には、王のみが太陽神の支配する天に行き、永遠の生命を受けると考えられていた。当時のピラミッドの表面は、白い大理石で覆われ、さん然と輝いていた。このピラミッドは王が天へ登っていく階段であり、太陽の光の象徴、天へ登った王が地上に降臨する場であった。
一方貴族たちは、死後も地上で豊かな生活を営むことを願っていた。地上でこの世と結び付くためには、肉体をできるだけ完全な形で保存することが必要であった。魂はカーと呼ばれていたがミイラに「開口の儀式」を行なうと、丁度仏像に精をいれると同じようにカーはミイラに宿り、生命と五感を与えられて活動できるようになった。ミイラを安置した墓は「カーの家」と呼ばれ、そこに納められた多数の副葬品も呪力を与えて、カーが使えるようにした。
このカーの存続には食べ物が不可欠であり、墓に食べ物と飲み物を供えることが、子孫の義務であった。しかし幾世代もたつと、この義務が困難になっていくことは、祖先崇拝を行なう者の共通の悩みである。墓は放置され、カーは飢餓に脅かされた。そこで彼らはカー神官を雇い、土地を与え、神官とその子孫に収穫物を墓に供えさせた。これも長続きせず、ついには墓の壁に食料をうず高く積んだレリーフを描き、それを呪力でカーの世界に送り、家族や神官に依存しなくても、食科を充分確保できるようにしたのであった。