1993.12
仏教の「死者の書」

最近NHKで「チベットの死者の書」が放映され、その影響で翻訳本や解説書が版を重ねている。しかしチベットの宗教といっても、もともと日本とそのスタートは同じインド仏教である。そこでインド仏教の死後観が日本の中にどんなところに反映しているのかをたずねてみた。

死に至るまでのプロセス

仏典のひとつである「修行道地経」は、中国で西暦284年に漢訳されている。この経典は禅の実践過程を段階を追って示したもので、教えのなかに輪廻のことも記述されている。それによると、人は死後再び地上に生まれ変わる、いわゆる輪廻を繰り返すが、生きている間の行為に応じて地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の六道に生まれると説く。よりよい所に生まれ変わるというよりは、迷いから覚め正しい行ないをするためにも、修行をしなければならないが、そのための方法をこの経典では詳しく述べている。また死後の世界である地獄の描写にも詳しくふれている。

「修行者は常に五陰成敗の変化を知らなければならない。例えば人の命が終わることを望む時。その体に四百四病が前後して現われ、多くの夢となって病人を苦しめる。夢には蜜蜂や鷲が自分の上にいるのを見たり、山が自分の上に崩れてくるのを見たり、さらに虎に乗って奔走したりするような数々の恐ろしい夢を見る。

生きている間には数多くの楽しみがあっても、命の終わりを迎えるときには、誰もが恐れを隠すことは出来ない。病いのなかに中傷され、身体も思うようにいうことがきかない。心は憂いにみち、夢を見てうなされることは、丁度犯罪者が警察に追われるようなものである。またこの夢からさめたらさめたで、心に恐怖を抱き戦慄する。病いはついに全身にまわって医師に頼らざるをえなくなる。親族はこれを見て医師をよぶこととなる。

人が健康の間は好きなことを行なって、医療のことを思うことはない。しかし身体がいうことをきかなくなると、初めて床について医師の到来を願うようになる。しかし医師はすでに病人の死を察している。それはなぜかというと、依頼者の服装とその日の星の位置が大変に悪かったからである。案の定、医師がその病人の家についた時には、南の方角で狐が鳴くなど、多くの悪い兆しが現われていた。

医師は病人に対面するが、すでに死相が現われている。顔色は悪く、口中によだれが出て舌は乾いている。苦しそうな息は早かったり遅かったりして、大変に乱れている。声は変わり咽はふさがっている。

人が死を迎える時には、口は食物の味を感じることがなく、耳も遠くなっている。全身が痛く体をじっとさせることはできない。目も見えなくなり、便も通じない。

数々の罪を作り、人生の垢がたまり残りの命は短い。医師は付き添い人に語った。「この病人は好きな食物を求めたなら、逆らうことなく与えたらよい」と。

命が終末に向かうときに、病人は罪が至っているのにそれを自覚しない。不思議な現象が自然と発生し、たとえ金剛菩薩でも彼を救うことは出来ない。

このとき家の者たちは、医師の言葉を聞いて、もはや薬や数々の呪術を諦め、病人を囲んで悲しみにうちひしがれる。命が終わりとなれば、閻魔の使いが自然とやってくるからである。多くの縁者が集まって来たとしてもそれを感ずることなく、まさに風前の灯である。

この人の心中には心意根があり、その生存時になすところの善悪は、心に即して今後、後世でなすべきところを心はあらかじめ知っている様子である。善を行なう者は顔つきが穏やかであるが、悪を行なう者はその反対である。

すでに安穏を離れて究極に至れば、悪を行なった者は、その時になって恐怖し、深く自ら招いた悪の結果が訪れることが間違いないことを実感する。善を行なった者は、死に臨んで心が喜びにあふれ、天に帰ることを実感する。

その時、人の命が終わると、身根と意識が滅し、中有(死んで次に生まれ変わるまでの間)の次元に入るが、死者の意識や感受性はそのまま残っている。死んだときの意識は中有の領域に至らないが、中有の意識状態はまた元を離れることはない。丁度泥に印章を押した時のように、印は泥に接しているが、印は泥につかないことと似ている。人が死んだときには、精神と意識状態とは等しいとは言えないが、また元を離れてはなりたたない。元の種々の行ないによって、それぞれの結果を得るのである。善行を行なった者は善の中有に行き、悪を行なった者は悪の中有へと向かう。中有には三つの状態があり、一つは感覚的な意識、二つは思い、三つは認識といえる意識状態である。この中有にある期間は一日、長い者で七日である。

●生まれ変わりのプロセス

その人の生前の行いによって地獄・餓鬼・畜生、人間、天上界へと行く。悪を多くなした者は、中有中に大火が発生してその火が自分の体を取り巻くのを見る。また動物の顔をした化物が、手に武器を持って自分に襲いかかってくるのを見る。そこで大変に恐怖を抱いてそこから逃げ出すと、遠くに大きな樹木があるので、そこに逃げ込むと「中有」は終わり、死者は地獄界に生まれ変わっている。

小さな悪を行なった者は、火煙や塵が全身を包むことを感じる。あるいはライオンや虎に追われる。その時に泉や深い水を見てそのなかに入ってしまう。その時は「中有」の意識が失われて、畜生界に生まれ変わる。

もし罪が軽い者であれば、四方を熱風に囲まれる。そのため体は大変に熱く感じ、咽が乾く。遠くには刀や弓を持った者たちが自分を取り囲んでいることを感じる。そこで城を発見しそこに逃げ込もうとすると、なんとそこで「中有」の意識が終わって、餓鬼界に生まれ変わる。

善徳を積んで死んだ者は、芳しい冷風が四方から吹いて大変に気持ちがよい。そして樹木や花々が咲き乱れた所に行こうとしたら、たちまちに「中有の意識を失って刀利天に登る。」

生前の行ないが善悪一定していないものは人間界に生まれる。両親が会合してその精が合一すれば、子供として再生する。

もしこれが男性と女性が会合している際に、この男性に嫉妬心を感じて怒りを抱き、女子に敬愛心を抱くならば、男性を排して女性に向かおうとする。そのときに中有の意識が失われ母の胎内に入る。

以上のプロセスは『チベットの死者の書』の中有から再生へ至る過程とほぼ同じで、『チベットの死者の書』がこれに大きく依存していることがわかる。

●誕生のプロセス

仏教では死のみでなく、誕生も7日を単位としている。胎内にあるとき、意根と身根となる。7日目には増減しないが、二7日に胎が多少変化をみせる。三7日目にチーズのようになり、六7日には肉になる。九7日には肘、首などが生まれる。十一7日(77日)には手、指、目、耳、鼻が生じ、途中の過程を略して、三十八7日(266日=約9カ月)には母の腹のなかにあって、その性質に従って風が起こる。

前世の行ないが正しいものは香風があり、その身体は大変に整っている。これに対して前世で悪をなした者は、臭風が発生し体の見栄えも貧弱な者になる。

●中有の説

中有については、『阿毘達磨大毘婆沙論』に詳しい。これによると、中有あるいは中陰の期間は49日であるという説や、7日であるという説がある。生前生きていた者の形量は、死後には欲望界、特に人間界に生まれ変わる定めをもつ者は、中有では5、6歳の小児のようであり、色界(物質的なものが清められた世界)に行く者は生前の形量が同じであり、菩薩となる者の中有は、生前の修行時のようにその身を32相・80の理想的特徴で飾られている。

次に形態については、中有の領域ではこれから生まれ変わる世界の形態になるという説がある。つまり地獄界に生まれ変わる者は地獄の住人に相応しい形状、人間界には人間の形態というように。

中有の衣装は欲界に生まれる者は裸体で、色界に生まれるものは衣をまとっているという。これは欲界では恥ずかしいという意識がないからという。次に中有での食事は、線香などの香りを食べるという。ただし善行を積んだ者は高貴な香を、卑しい行ないをなした者は脂や糞などの臭い匂いを好むという。

以上はあくまでも一つの説であるが、仏教の基本的論書のなかでこのように扱っていることは興味のあることである。さて中有は、これから向かう六道世界の中間地帯にあたるので、いうなれば空港ロビーから目的地まで49日間かけて旅に出ることになる。さてこの途中、お互いの領域はどうなっているかというと、論によると地獄の中有にある者は地獄の中有だけを見、天の中有にある者は天の中有だけを見て、それ以外の中有を見ないという。また互いの中有を見るという説も同時に説かれている。では現実に生活している者は中有を見るかどうかという意見では、我々は中有を見ることはないが、天眼をそなえた者は見ることができるという。

●死を見つめる不浄観

人は誕生から序々に成長し、年をとって老衰し最後に死に至る。そのあと身体が腐敗して白骨が現われ、青くやぶれて節々が離れ、最後にはことごとく摩滅してしまう。この過程を瞑想するのが不浄観である。この教えは禅の基本的経典である、「達摩多羅禅経」のなかでふれている。不浄観の目的は、欲望の世界を観察し、それが無常で醜いものであることを認識し、それを実感することができれば、自分の欲望から解放されて自由になれるというものである。人間は死ぬまで欲望に動かされているが、この習慣は死後にも継続するがゆえに輪廻を繰り返すのである。

「達摩多羅禅経」に、「修行し観察すると、自分と欲の世界とは、無量の不浄の種であって汚れたもので充満していることがわかる。たえざる苦しみに圧迫され、その炎は大変に激しいものである。この世が無常でたえず破壊されていくプロセスを認識すれば、この世界に嫌悪を感じるようになる。この思いが強くなれば、欲を離れて喜びが生まれ、心は清浄な状態となる。」これは禅の修行の目的の一つで、天眼が生まれて一切がリアルに見ることができるとある。

●「摩訶止観」のなかの不浄観

不浄観には九想ある。九想観は日本に伝わると、それにもとづいて絵が描かれた。不浄観を瞑想のプロセスの一つに取り入れた中国天台宗の経典である「摩訶止観」によると、女性に愛着を持ち過ぎて修行の妨げになる場合に行なう瞑想行として紹介されている。

それには「愛する人が死んでいくところを思い浮かべる。体は冷たくなって色が変化し、うじ虫がついて皮膚の裂け目より膿が溢れてくる。体内が発酵して臭い匂いが充満し、それはまるで塚に捨てられた腐った樹木のようである。昔は大変に美しかったものが、今では見るかげもない。これによって欲望が過ぎ去ることを知り、みだらな心のやむ。」(第7章)

九想を詳しく見ていくと、一に張想、二に壊想、三に血塗想、四に膿爛想、五に青お想、六にだん想、七に散想、八に骨想、九に焼想となっている。これを順に説明していくと、

一の「張想」は、顔色が暗黒となり身体は硬直して全身が膨張し、なめし皮の袋に空気を一杯入れたように膨らみ、皮膚の穴より体液が流れ、大変に汚い。このとき行者は自分の体も同じようであり、また愛する人を思い浮かべるときもそのように行なう。これを瞑想することによって心が安定し惑わされなくなるという。

二の「壊想」は、膨張した遺体が、風や太陽にさらされて皮膚や肉が破れ、形や色が変わって、ついに誰かはわからないような状態になる。

三の「血塗想」は、破裂した部分より血が中より出て、外部に溢れ、あるいは地面に流れ、悪臭があたりに漂う状態となる。

四の「膿爛想」は、腐った膿が流れ出て、それはろうが火によってどろどろになったようである。

五の「青お想」は、残った皮膚や肉が風雨にさらされ半ば青色、「お」は半ば血液が溜まっている状態となる。

六の「だん想」は、遺体が狼や鳥によってつつかれて、肉が食い荒らされている状態をいう。

七の「散想」は手足がばらばらになり、内臓がちらばってもとの形をうしなっている状態。

八の「骨想」とは、脂や膿にまみれた骨と純白な骨、そして全ての骨がつながった状態と、通りにばらばらに散らばった骨を想像する。

九の「焼想」については記述がないが、これは骨を焼いたところを想像するものと思われる。このプロセスは、『大乗義章』では、新死相、ぼう張想、血塗想、方乱想、だん食想、青お想、白骨想、骨散想、古墳想となっているが、本質的には同じ性質のものである。

なお九想観のこのプロセスを、現代医学にいうところの死後変化によって説明した本がある。(養老孟司、斎藤磐根著「脳と墓」弘文堂)

●死のガイドブック「往生要集」

仏教はいかに死にいかに生きるかを学ぶ学問でもあるが、釈尊自身は死後の世界についてふれてはいない。それは当時は生まれ変わりの思想が当然であったため、(現在のヒンズー教でも生まれ変わりが大前提となっている)あえてそれについて残さなかったといわれる。

日本に仏教が入って来たときには、当時の最高の学問体系であった。当時は医学も科学も仏教の一分野といってもよく、執行される儀式は大変に現世利益的なものがあったと思われる。また死後の世界に対する信仰は、仏教が入ってくる以前から日本古来からの信仰としてあったので、仏教が扱っている死後の領域は大変に整備された貴重な情報として受け入れられたと考えられる。10世紀末に比叡山の源信によって書かれた「往生要集」は、死後の世界である極楽と浄土のガイドブックであり、また「いかにして西方浄土に生まれる事が出来るか」という実習マニュアルであった。このテキストは大変珍重され、平安時代の貴族社会に浄土信仰を普及させるきっかけとなった。

では人々はなぜ、それほどに死後にこだわったのか。これが宗教や文化の恐ろしいところである。よくいわれるのが、当時は医療技術が発達していないので、伝染病や死産などが発生すると、それは魔や怨霊のせいにされた。死が日常であったので、常に死の準備はかかせなかった。こうした災いを加持祈祷して払拭することが仏教の大きな役割の1つであった。当時の仏教が今日の医学や心理学を扱っていたのである。もちろん日本に伝来した仏教は大乗仏教であったので、大衆を救う事が目的であるという原則はそれなりに理解はされていた。しかし仏教といっても、まず自分たちを救うことが先決であったのである。

「往生要集」は数多くの仏典のなかから、死後の描写と浄土に往生するための部分を抜粋した文章からなりたっている。従ってこれは源信の著作というより編集といったほうがいいかも知れない。しかし多くの仏典から関連部分を抜粋することは、なみなみならぬ作業であるので、コンピュータの発達した現代でも大変である。次はその中から末期患者を対象とした「臨終行儀」の部分である。

はじめに行う事は、祇園の西北の角で太陽の沈む方角に無常院を作る。これは今でいうホスピスである。もし病人があればその中に寝かせる。寺院のなかに寝かせておくと患者は衣装や道具に目がいくので、未練が残らないよう何もない所に寝かせるのである。ここに来る者は多いが、生きて帰る者は大変に少ない。この堂のなかに立像を起き、表面を金箔にし、面を西方に向ける。その像は右手を挙げており、左手の中には、五色の細長い綱を持ち、その端は垂れ下がっている。病人を安心させるため像の後ろに寝かせ、左手で幡の端をもたせ、仏につき従って浄土に行く気分にさせるのである。

次に導きの和尚は次のように述べる。

「行者どの、病気が重くなって命が終わるときには、念仏三昧の法による。顔を西に向けてもっぱら阿弥陀仏を観想し、念仏を唱えながら西方浄土より迎えにくる聖衆を思い浮かべる。もし病人がこれを思い浮かべることが出来れば、付き添い人はそれを記録する。もし病人が黙っていた場合には、何を見たかをたずねてそれを記録する。もし病人が罪の意識があって苦しみ悩んでいる場合には、まわりの人は念仏を唱え、一緒に懺悔をしてその罪を発散させてあげる。もし罪の意識が滅して、迎えの聖衆を見るようになったら、同じように記録をとる。

また病人の親戚縁者が、見舞に酒や肉などを持って来たら、それを入れてはならない。もしそれを許せば、病人はそれに欲望をもって穏やかな気持から遠ざかってしまうからである。

死のまぎわに死者を迎えに来る聖衆の瞑想を行なうことによってどんな効果があるのか。欲しいものがあれば、そのイメージを思い浮かべることによって、その達成を助けることになる。これは臨終のときだけでなく、普段の場合も同じである。

十念を持続させることは大変である。多くの人間の心は動物のように動き回ってじっとしていることがない。十念とは一心に南無阿弥陀仏と十回唱えることである。

●臨終時の心念

いよいよ最後になったとき、次のように語りかける。「臨終の心念、その力はどのようなものであるのか。臨終の時の念は百年の行ないにも匹敵する力である。この臨終の心を名付けて大心という。それはこれまでの自分の体や感覚器官を一気に捨てなければならないからである。この時には、一心に念仏して仏が自分を迎えに来ることだけを思うのである。」

『チベットの死者の書』では、「クリアライト(純粋な光)が迎えにきたら、それを恐れてはならない。それは悟りの世界である」と僧侶が死者に語りかけるように、臨死患者に語りかけるのである。

ただし、生きているうちに悪事を積み重ねた者は、命の終わりを迎えたときには、心が落ち着かずに様々な妄想に悩まされる。自分の周りを見ると尿が一杯で外に溢れている。そのとき彼は「どうして私はこんな所にいるのだ」と思う。そのとき、地獄から獄卒が拷問の道具を持ってやってくる。しかし仏を念じて心身が安穏となれば、悪の情景がすべて消滅し、代わりに聖衆があらわれるのを見るのである。看病の人はよくこのことを知って、病人の心の状態を問いかけて、その心を和らげるようにもっていけとある。このように『往生要集』は、「日本の死者の書」として実際に実習されたものであるが、それがのちに浄土教の念仏として一般に普及したのである。

付録『仏説無常経』臨終方訣

この経典は、葬儀場読誦の為の経典として中国で用いられたものである。訳は唐の三蔵法師で、最初の部分が『仏説無常経』、後半が臨終後の葬儀を指導した「臨終方訣」である。

もし寿命がつき心身苦痛する人を見たら、まさに慈悲の心を起こして救済すべし。香湯をもって身体を清浄にし、新しい衣を着けて静かに坐らせ、正しく念を持たせる。もし病人が自分の力がなければ、付き添いの人が坐らせる。又坐ることが出来なければ右脇を下にして合掌させ、顔を西に向けさせる。病人の前には四角の祭壇を作る。そこに花を敷き、香をたき、四角に火をともす。壇の上には像を置き、病人の心を仏に結びつけるためにその姿を見る。菩提心を起こさせ、この世界は苦しみの地であり、仏の世界のみが真の頼るべき地であることを悟らせる。仏に帰依することによって十方の仏の国土に生まれ、菩薩とともに暮らし妙なる楽しみを受けることが出来る。

病人にどの仏土に生まれたいかをたずね、病人は某仏土に行きたいという。説法の人は病人の願いに従って、仏土の因縁を説明して仏国土に生まれたくなるようにする。説法のあとにまた、仏身の姿を見させる。これが終わると仏や菩薩に呼びかけ、つぎのようにいう。

「願わくば、我を哀れんで救いたまえ、我今、諸々の罪を滅することを願う。また仏菩薩の弟子を率いて、仏国土に生まれますように」

このように願いを告げ終わると、病人は仏の名を賛えて、仏弟子となり懺悔を行なう。このあと病人の為に戒律を授ける。もし病人が弱っていてこれが出来ない場合には代理人がこれを行なう。授戒のあとに北枕にして寝かせ、顔を西に向け、仏の三十二相を想像させる。また因果十二因縁、無明老死などの考えを説く。命が終わるときには、看護人は仏の名前を途絶えることなく唱え続ける。仏の名を唱えるときは病人の信仰している仏の名を唱えて、それ以外の名は唱えないほうがよい。そうすれば、病人が命終わるときには、仏や菩薩が妙香花を持って行者を迎えに来るのを見るであろう。行者はそれを見ると喜びを生じ、苦痛も消える。心も乱れず禅定に入ったように命を閉じる。地獄・餓鬼界に入らず、教えに従って仏土に生まれるだろう。

在家者の死の場合

もし在家人が命を終わるときには、死者の新しい好きな衣装を、及び身に付けていた物を三分する。一つは死者のために仏に施し、死者の罪を清めて功徳を与える。そのために死者の好きな衣装を着せて送ってはならない。もし死者が斎場に着いたら、風下に安置し、右を下にして寝かせ面を日光に向ける。そして風上に高座を敷き、そこを祭壇とする。読経するために僧侶を招き、法座に昇って死者のために無常経を読ませる。子供たちは悲しむのをやめ、泣くこともやめなければならない。会葬者は皆心より死者の為に焼香散華して、経典と僧侶に散じ、そのあと安座して合掌礼拝して一心に経を聞く。経を聞く者は、各自わが身の無常にして久しくないことを悟り、心は世俗を離れて三昧地に入る。この経を読み終わったらさらに花を捧げ、焼香供養せよ。また僧侶を招いて何らかの呪文を唱え、その水で死者の体に注ぎ、そのあと呪文をとなえた土を死者の体にかけ、そのあと卒塔婆の中か、火葬を行なう。

この功徳因縁の力によって、死者は一切の罪が消滅し、諸仏の前に大きな功徳を得、惑いからさめて段々と智恵をかち得、遂に無上の菩提を獲得し、悟りに至るのである。

 

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