私が小学校3年の時、クラスメイトのまゆみ君が死にました。まゆみという名前ですが男の子です。死因は登っていた木から落ちたためだったと思いますが、何しろ40年近く前のことですので、今でははっきり思い出せません。
お葬式には、クラス全員が参加したように記憶しています。あるいは、先生とクラス委員、それにまゆみ君と特に親しかった者だけが行ったのかも知れません。その辺もあいまいです。とにかく私は葬儀に参列し、生れて初めてお焼香をしました。いや、これさえも確かではありません。もしかしたら先生だけがお焼香をして、私達はただ手を合わせただけだった気もします。
確実に心に残っていることもあります。それは、葬儀が一段落したあと、私達何人かが連れだって、毎日、学校の帰りにまゆみ君の家へ行ったことです。死んだまゆみ君が寂しがらないように、という気持も確かにありまたが、本心を言えば、まゆみ君のお母さんが必ず出してくれるお菓子が目当てだったのです。
昭和20年代後半の日本は、まだまだ貧しく、すきっ腹をかかえた私達にとって甘いお菓子の魅力は大変なものでした。まゆみ君のお母さんは、おそらく、そんな私達の心を知っていたに違いありません。でも、一度もいやな顔をせず「まゆみ、今日もお友達がきてくれてよかったね」と写真に語りかけました。
そんなある日、まゆみ君のお母さんが学校へ来て、私達お話をしました。「人間には寿命があります。でも、このクラスの50人は神様がきめた寿命より1歳だけ全員長生きし、それをまゆみにプレゼントしてください。そうすればまゆみも60歳まで生きたことになりますから…」
死んだ我が子と同い齢の子が、毎日家を訪れる。母親にとって、それは何と残酷なことだったでしょう。その罪ほろばしのためにも、遠い昔のまゆみ君のお母さんとの約束を、私は守らなければと思うのです。