家は代々、浄土真宗でした。
ある事情から、かけがえのない母を伯母宅に預け、仕事の都合で外国に赴任しました。それから十余年、母は天寿を全うし他界したのですが、伯母の家がキリスト教で、急遽帰国したときは、すでにキリスト教式で埋葬されており、私として、改めて仏式で葬儀をとり行なうべく分骨を申し入れたのですが、様々の理由から拒否されてしまいました。
こうした事態に至ったのも身の不徳と片付けてしまえばそれまでですが、このままではただ鬱々と日々を送るほかなかったのです。そんなとき、ある禅宗の僧侶の方とお話しする機会を得、こうした事態を相談してみました。御坊から「宗旨がどうあれ、また遺骨がなくとも、あなたが朝夕に心から真摯な気持ちで合掌なされば、御霊は安堵されます」とのお話しを伺い、三ヶ月遅れの戒名をいただき、母が生前、丹念につくりあげた極彩色の手鞠を仏壇に収め、母と語らう日々を送るようになりました。
このような親不幸の極みの体験など、持つ人はないかと思いますが、もし似たようなことに当面される方がおられたら、どうぞ形だけに促われず、鬼籍にある大切な人に対し、ご報謝の変わらぬ気持ちこそ最大の供養であることを信じ、今日の安心を得ていただければと思います。