たった一言の失言

[男性 34歳]

イラスト

 「お疲れさまでした」……。

 なんの変哲もないこの言葉が、あんなに重みがあるとは思 いもしなかった。

 3年前、肺がんの治療で入院していた父の容態が急に悪化し、出張先からあわてて帰宅。医師から2〜3日がヤマだと聞かされた。「葬儀屋を探さなくては…」とっさにこのことが頭に浮かんだ。段取りが全くわからない。地元に長く住むKさんに信頼できる業者を紹介してもらい、色々アドバイスも頂戴した。もしものことがあったらよろしく、とあたふたと病院へ戻った。父が帰らぬ人となったのは、その翌日の夕方だった。

 「喪主役は長男のおまえに任せる。お父さんのために、頼むよ」と涙にくれながら話す母。私の心の中では、張り裂けんばかりの悲しみと、ずっしり重い葬儀の責任感とが交錯した。親族や世話になった人への連絡、会場の設定、通夜、葬儀、火葬。怒涛のごとく2日間が過ぎ去った。そしていよいよ最後の行事、初七日の準備だ。心身共くたくただが、段取りがうまくいったことで、心地良い疲れを感じる。34才にして初めて知り得たしきたりの数が、なんと多かったこと。すごい体験をしたという満足感と、周囲から「よくやった」というお褒めの言葉。うれしさで舞い上がり、体から力が抜けた。

 悲劇はそのあと起こった。初七日の準備が整い、会場に親族一同が並ぶ。すっくと挨拶に立つ。 元気良く口に出たのがこの言葉だった。

「みなさん、お疲れさまでした!」

叔父達がざわめく。手でバツ印を作る長老。母からは小さくヒジ鉄。故人を送る厳粛なセレモニーなのに、まるでひとつの仕事を片付けた時のような軽率な言葉。気づいた時はすでに遅かった。赤面し、目がぼうっとかすむ。ああ、よりによって最後の最後でのドジ。人間、気持ちに正直であればいい、なんていうのも時と場合によりけりだなあ。

 今でも、この言葉を発するたび、当時を思い出す。本当に恥かしかった。親父、ごめんな。


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