嬉しいお葬式

[新潟県 男性 67歳]

イラスト  お手伝いさんが、「母の様子がおかしい」と知らせにきた。急いで台所へいくと、母が妙な目付きで突つ伏していた。昼食中の出来事である。以後一言も口をきかず、母は、2日後この世を去った。84歳の生涯であった。
 母には子供が5人いたが、2人の子供に先立たれ、末っ子の私と地方の町で暮らしていた。私も既に52歳。常に抱く一つの危懼があった。それは、いつ第3の悲劇が突発するか−?の恐れである。
 もし私が先に旅立てば、母はどんなに嘆き悲しむことだろう。これ以上、子の葬式を味わわせる訳にはいかぬ。何としても、私が見送らねば……頭はその事で一杯だった。親不孝な考えだろうか?それとも親孝行だろうか?葬儀は私一人の肩にかかった。次兄と長姉がいたが、一人は遠く、一人は高齢だ。だから万般、妻と相談してやる他なかった。葬儀店の依頼は勿論、寺との交渉、お通夜の段取り、葬儀当日の進み、その後の料亭での客のもてなし……諸々を一気に片付けねばならない。
 細かい事が一杯で、一つおとしても大変だ。そこで、進みごとにすべての用事を箇条書にした。更にそこから必要事項が発生するし、それも又書く。大学ノート2頁にぎっしり。すんでいくものから消すことにする。でないと、どうなったか迷う。電話は何度かけまくったことか。通夜の晩は殆ど睡眠出来なかった。 それ程細心にメモし処理していったに拘らず、火葬場への到着の際“埋葬許可証”持参を失念!「よく忘れる人がいるから」と言われ、メモし用心していたのに…。ごった返しで、再確認の余裕を失したのだ。が、火葬場は理解してくれ、助かった。
 おときと称する料亭でのもてなしは、私たち夫婦は絶えず客への酌に回った。私は「…これで親不孝をかけずほっとしました。本日は皆さん、母のことを思いながら十分楽しく過ごして下さい。」と挨拶した。葬儀社の助力で万事やれたのである。職業とはどんなものでも役に立ってくれる。


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