永遠の訣れの日のために

[岡山県 女性 ピアノ教師 62歳]

イラスト  人生がたとえシナリオのないドラマであるとしても、せめて自分がこの地上から姿を消す日の別れの儀式なりと、自らの手で演出することは可能であろう。
 花輪、供物、その他一切の飾りつけのないすっきりと簡素な一室。それは生前の私の自室でありたい。かつての愛用の机上には、たった一輪の真紅のバラ。そして朱夏のころの、生気あふれる私の全身を写した大きなカラー写真。かたわらのテレビの画面には、ビデオによる私のピアノ演奏の姿が静かに流れる。曲目は故人が限りなく愛したリストの「愛の夢」もしくはショパンの「夜想曲」である。香も焚かれず、読経の声もない。聞こえるのはただ甘く優雅なビアノの音色のみである。最愛の家族と近親者、限られたわずかの友に見送られた静かな野辺の送り、やがて私の肉体は、紫色の一筋の煙となって、はるかな白い雲の彼方に昇ってゆく……。
 春ならば土筆が芽をふき陽炎のゆれる暖かな午後。夏ならば燃えるような黄金に輝く向日葵に、太陽のさんさんと降り注ぐ日。そして秋は冷たい時雨が落ち葉を濡らす静かな夕暮。冬ならばちらちらと舞う純白の小雪が人々の肩に降りかかる日。

 いずれの季節であろうと、私はひっそりとつつましく、この世に別れを告げたい。この上もなく愛した曲とわずかな最愛の人々に見送られて、惜しまれることもなく淡々と土に還りたい。それがこの地上で孤独に生きてきた私にふさわしい別れの形であると思うからだ。
 海の見えるふるさとの丘の一隅に立てられた小さな墓標。あたりにコスモスが乱れ咲き、木々の梢に小鳥がさえずる。

 「生きているときは晴れやかにして、
  嘆くことはない
  命は束の間
  時は容赦なく終わりを刻む」

座右の銘としたその言葉を刻んだ白い墓碑銘が、たまに訪れる人の心に、何ものかを語りかけてくれるであろう。


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