今春、世話になっている会社の社長の娘さんと、そのお子さんが交通事故で同時に亡くなった。私は葬儀の受付を手伝うと共に葬儀の模様をビデオカメラで撮ることになった。
当日、その責任を果たすべく、初めのうちは訪れた方々を一人ものがすまいと、また式次第を全て冷静に撮影していた。しかし式が進行するにつれ、いたましい交通事故、しかもひき逃げという最悪の事態もあり、その怒りと悲しみはひとしおになり、誰もが涙々の状態になってしまったのである。特に長女と初孫を同時に失った社長夫妻と、娘さんの親友達の様子は参会者の涙を倍加したのだった。私自身も、この間までの元気だった娘さんを思い出し、ビデオを撮るどころではなくなっているのだった。涙でファインダーも良く見えないしカメラぶれを押さえるのが大変だった。
そしてクライマックスの最後の別れがやってきた。2人とも安らかな顔であったが、明かに事故の傷をぬい合わせたあとが分り、改めて参列者の鳴咽と涙は最高潮に達した。私は片手にビデオ、片手にハンカチという状態だった。
出来上がったテープはブレがひどく、とても他の人に見せられるようなものではなかった。つまり私の感情が入り過ぎていたのだ。このように急死された方の葬儀のビデオ等による記録は第三者に頼むのがベターなのではないかとつくづく思った。
おそらく、あのテープは社長が愛娘と孫にしてあげた自分の心づくしの努力を記録してもらったという満足感のみで、悲しみを再び思い出さないよう、どこかにそっとしまったままになっているにちがいない。