無言の教授

[男性 54歳]

イラスト  葬式なんかしないでいい ---- が、父の遺志であった。だが残された者にとって、これは難しい事ですぞ。親類縁者の中に、死者とのつながりが強い人物や、格式と世間体に執着する者がいれば、そう簡単に遺志を実行できるもんじゃない。
 幸いなことに、そのような人はいなかった。父は白菊会なる献体団体の会員だった。入会時に妻子、兄弟が承認の印を押す。これはドタン場になって、遺体の提供を拒否する者がいるためだそうである。現実に、そうしたケースがあるという。
 われわれは父の遺志を優先した。死後、すぐに日本歯科大学へ連絡する。仏はお通夜を済ませてから提供するらしかったが、「新鮮なうちに送れ」という父の命に従ったのだ。遺体なきお通夜である。いや、お通夜と呼べるかどうか、故人の思いで話はすぐに底をつき、後は酒を飲んでドンチャン騒ぎ。団地住まいの悲しさ、上の階から苦情が来る始末で幕となった。
 告別式もなく、花輪もなく、親しい人達の献花で、父は見送られた。われわれの行動は常識破りに受け取れられたようだ。しかし中には、「簡素でいい」「こういうやり方も素晴らしい、やりたいけれど、出来ませんよね」との声もあった。

 そのかわり、大学の慰霊祭は盛大にして威厳のある催しであった。父の遺体は、いや、献体者のすべての人々は、「無言の教授」と呼ばれ、若き学徒の教材となったが、それは、父の死後の生き方としていまだに忘れられない。
 家族に、葬式の煩わしさ、経済的負担をかけたくないという気持ちが、父にあったのかもしれない。遺族の一人として、それを体験してみると、これで良かったのだ、の思いが強まってくる。
だからといって、人にすすめるわけにはいかないだろう。独身の姉は、すでに白菊会に入会済みである。私も、そろそろと思っている。


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