昨年の秋、我が家の長男が急性心臓死で亡くなった。我が家をこよなく愛し、親達の面倒をみるのは当然だと同居を自ら申し出ていた息子。心優しい思いやりのある息子がある朝急逝。信じられない出来事であった。
葬儀社の方を呼び、式場はどこにするかが問題になった。今はお寺様か斎場でするのが多いとか。掛かる費用は同じで、狭い家で行うのは大変だからという。お寺でなさったらどうですかと再三言われたのだが、息子を一日でも多く我が家に置いてやりたい親心で、自宅で執り行う事に決定した。葬儀社はたまたま葬儀が重なり人手不足で洋間の家具一切や道具類を外に出すことは大変な事で、全部親戚の方たちが手伝って庭に出してくれた。それでも8畳間の式場ではいっぱいで、ご住職にお座り頂く所と、左右に私共両親と娘がご挨拶のために座る所だけ。しかし、立派な祭壇が出来た。
通夜のお客様には、正面の庭に葬儀社が準備した椅子を並べて、掛けて頂いた。涼風の心地良い季節でもあって、通夜のお客様はほどんどが庭で読経を聴き、哀調を帯びた御詠歌の涙をそそる何とも言えない心に染み渡る通夜の儀式であった。お清めはそのまま庭の木立の中でビールにお寿司程度を召し上がって頂き、さながら園遊会のような通夜であった。高校時代の先生方、同級生、大学時代の友人など皆様去りがたく、旅行、サークルの写真など持参して下さって話は尽きなかった。
庭からの焼香、行き交う通夜のお客様、ご近所の皆様方の姿を拝見し、我が家から出して良かったとつくづく思った。感謝の気持ちでいっばいだった。
告別式では、若い人の場合、弔辞はいらないと言われたが、同年輩の義兄が心暖まる愛情のこもったお別れの言葉を述べて下さった。最後に息子の好きな音楽を流して葬送曲とした。ささやかな葬儀ではあったが、息子もさぞ満足してくれたであろうと思う。