日本画家だった父が急逝した時、私は未だ学生で古い京都の仕来たりなど能く知らず、弔門客の対応位しかできなかったが、親類や故人の友人などが駆け付けて葬儀社や新聞社への連絡などてきぱきとやって呉れた。告別式は週末に行うことにした。その方が会葬者や手伝って呉れる人にも都合が好かったからだ。
ところが葬儀社の人が、
「当日は友引どすけど宣しおすか?」
と私のところへ来て念を押した。するとその場に居合わせた大酒飲みで血圧の高い葬儀委員長がビビリ出した。この人が、うんと言わないと前へ進まないので一寸困ったが、それを聞いた母が、
「友引は一番近い人を引くということやさかいに、それやったら私です。私はもう還暦も済ましましたし、引かれたら本望どす」
と言ったので葬儀委員長も返す言葉が無く、式は予定通り挙行された。
一昔前のベストセラーで冠婚葬祭の事を書いた本に友引の日の葬式は避けた方が好い、火葬場の閉っているところが有る、という意味のことが書いてあった様に記憶するが、古くて新しい京都ではそんなことは無く、市営火葬場はちゃんと営業していた。その上「相客」が幾組も有った。
さてその後だが、夫婦仲が余り良くなかったお陰か母は引っ張られることも無く未だにピンピンしている。ビビっていた葬儀委員長氏も多少よいよい気味だったが長生きした。
今から20数年前の話である。