8年前、姑が脳血栓で倒れて入院した時、看護以外で最も頭を悩まされたのが、“見舞品の処置”だった。豪華な果物篭や菓子折を御見舞ノートに記入しながら、病人に与えられるのはほんの僅かで、そのまま詰所に出しては申し訳ないし、病棟で分けるのも不自然。かといって家に持ち帰るものでもなかった。“見舞う心”より、健康な人の贅沢な手土産のような物が多く、頂戴物に苦慮するというもう一つ余分の仕事が加わった。
そんな時「○○さんの附添の方…」と、アナウンスされて外来の待合室に行くと、遠路はるばる訪ねてくれた友人が「元気出しなさい!!看護人の貴女がしょぼくれてたら病人さんが気の毒だから、貴女の見舞いにきた」と、真顔でいい、ゆで卵3個、みかん3個とお手製というよもぎ餅をやっぱり3個にティーバックを添えて1対2が、病人と貴女の比率よ…」と。
まるで小学生の遠足のおやつのような見舞品に2人は顔を見合わせて笑ったが、病室に戻り、不揃いな形のよもぎ餅を、ティーパックの煎茶で頂くおいしさ…姑も喜ぶ、暖かくて、安らぎの伝わる友人の見舞品だった。彼女は17年間、寝たきりの姑を看護して、“看護のいろは”を知りつくしている大先輩。見舞い疲れの心と体が一番きつい…という。確かに、姑は面会にくる賑わいの顔ぶれを喜んで迎えていたが、彼等が帰ると熱を出して主治医は首をかしげ、そのうち「見舞い客が置いていくウイルス感染」と、私に苦笑されるのだった。
健康体には分からない“心の負担”が病人を苦しめることを知ってほしい。
「持久戦には看護人への見舞いが第一」ぽんと肩を叩いた友人の“言葉”が、私をどんなに勇気づけ、姑への愛の還元になった事か…。