献体の世間体

[男性 63歳]

イラスト  私は、子供のころから今日まで何度となく、入院するほどの病気や怪我をしてきた。人並み以上に医者の世話になってきたわけで、それだけ医学の発展のお陰をこうむってきたと言える。今日まで生きてこれたのも、医学のお陰である以上、それに報いる方法を考えておくのも、当然の勤めであると思う。
 こうした思いの結論として、私は自分の遺体を医学の研究のために「献体」しようと思っている。どういう病気か、あるいは事故で死ぬかわからないが、「献体」することによって、いささかなりとも医学の発展に寄与することが出来たら幸いであると思う。
 しかし、私がいくら「献体」を遺言状で書いておいても、後に残る妻や子供たちが反対すれば、「献体」を受け入れる側との間に、トラブルが起きることは避けられない。そうした事の起こらないように、私が生きている間に、妻や子供たちに、はっきりと私の意志を伝え、かつそれを承認させておかなければならない。
 妻や子供たちは世間体を考えて、「献体」を主張する私に反対するだろうと思う。なぜなら「献体」するとならば、世間で行われている葬儀はせずに、大学の医学部あたりに直行するらしいからである。つまり「献体」された遺体は学生や教授の研究材料として、解剖され、その後何年かして遺族に返されて、そこで改めて、葬儀が行われるからである。こうした世間並みの葬儀が行われなかったり、遺体が医学の研究材料として、何年間か大学の医学部に留置されていることに対する罪悪感めいたものが、、妻や子供たちにある限り反対するのは当然であろう。
 こうした妻や子供たちに対して、「献体」の意義や、私の医学に対する考えを、今生きているうちに充分に納得させておくことが、私に課せられた義務であると思う。
 新聞などによれば、大学医学部の中には、「献体」の数が少ないために、学生の解剖の実習が出来なくて困っている所もあるそうである。それだけ、世間ではまだ「献体」に対して尻ごみしている点があるわけで、こうした風潮の中で、私の「献体」への意志は妻や子供たちを戸惑いさせるかも知れない。しかし、私が「献体」によって医学がほんのわずかでも進歩することを、私が願っていることを、必ず分かってくれるものと期待している。


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