60歳の死後便利帳

[新潟県 男性 63歳]

イラスト  昭和一ケタという世代は、「あとは野となれ山となれ」という発想ができないらしい。死支度は、あまり嬉しいことでもないが、健康のうちなら、かなり客観的な処置も出来るのである。
 そこで「良き終わり」をどのように設定するかを、60歳の時に考えてみた。
 自分が死んだ後に妻が困らないこと。妻が死んだときに自分が困らないことが前提となる。私と妻の双方で遺書を作成した。どちらが先でも私の財産は妻に、妻の名義の財産は私に遺贈されるようにした。
 2人とも死亡したあとの財産処理は、付加事項として遺言の第1条に詳記した。長男、長女がともにプラスになるように、土地、預金の配分を計画した。この場合、土地・建物の維持は考えず、売却して現金化することも含める。持ち家には利点もあるが、それ自体は金を産み出さない。遺贈された家族が、自由に処理できれば、アパートの家賃の足しくらいにはなる。
 墓は、私たち夫婦のどちらかが死亡したときに建てる、場所と経費は用意してある。葬式は、私が総代の一人である寺で挙行する。葬儀屋さんもきめている。連絡すべき人は、夫婦それぞれにリストアップしてある。葬式費用(2人分)は、専門の預金通帳で銀行に預けてある。
 葬式に関しては、「死後便利帳」という名のノートに、まとめてある。夫婦が世話になった人や、かかわりをメモ形式で書き、補足や削除をしている。親類は勿論である。急死した場合は、預金通帳や印鑑などの所在がわからないと困るので、土地の権利書などと共に金庫に収納して置く。
 死んでゆく人は、残る人に迷惑をかけないことだけを考えればいい。死支度は、元気なうちから始めたほうがいい。「死期はわからない」。そのことがすべての基本だと考えるからである。
 どうしてもしておきたいことの一つに、先祖のことを含めて、自分史を書き残すことが、手をつけないままに残っている。自分史が大袈裟なら、俳句などの趣味を句集に、あるいは句文集にまとめてもいい。
 死んだあとで、その家がどうなったか、ある意味では、そのことが死者の価値を決めるのかも知れない。借金だけは残さない。それさえできれば「もって瞑すべし」とも言えるのである。


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