母と子の絆

[岡山県 主婦 42歳]

イラスト  母は私が中学1年の秋、突然倒れてしまった。苦しい時代の子育ての苦労が、山積されていたのであろうか。十二指腸潰瘍であった。腹膜炎も煩らい、食べる物もままならず、流動食でさえ受けつけなくなった。水がたまり、まるで妊娠の様な大きなお腹をしていた。往診に来て下さる先生に、母はまるで駄々っ子の様に同じ懇願するのだった。「先生、後生ですから楽にして下さいな!」
 あの絞り出す様な切ない溜息まじりの声が、今だに耳に残っている。血色の水を洗面器一杯抜いて貰らうと、少しは楽になるのか?やさしい表情になって眠った。“安楽死”を求め続け、苦しみ抜いて、中学2年のお正月2日の朝亡くなってしまった。1年3ケ月、母は闘い続けローソクの灯が静かに消える様に終りを告げてしまった。
 私は懸命に母の看病をした。母の「ありがとう」の言葉に支えられ、絶対によくなると思い祈りながらの毎日であった。その母が、私に残してくれた言葉がある。末娘を思う万感の思いが身にしみる言葉である。「早よう別れる事になりそうで、ご免よ。死んだら、草葉の陰で見守っているからね」。母と死に別れて28年、母と過ごした歳月の倍生きてきた私。辛い時、嬉しい時、その言葉を思い出す。子供にとって、母の存在は絶大で計り知れないものである。
 最近体調の思わしくない私は、病院で検査して貰った。「心臓が弱っている」と言われ複雑な気持になる。9才と14才の息子達の母である私は、母親としてしなければならない事が山の様にある。死に急ぐ事は出来ない。例え我侭だと言われても、お迎えはもう少し先に延ばして貰いたいものだと思ってしまう。


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