宣告の日から

[群馬県 主婦 65歳]

イラスト  父の、主治医は父の教え子であった。何でも話せる仲であったので、医師は父に、皮膚ガンで半年のいのちであることを宣告した。
 周囲の心配をよそに、父は顔色ひとつ変えず、黙々として死への準備にかかった。
 先ず、本。その他身のまわりの整理であった。次に家族旅行。青葉の頃、家族で汽車(当時)に乗り軽井沢へいった。それから、数名の親友を招いた。父も割合元気であったのでお酒を飲み、調子はずれの声で歌も歌った。そんな父を見て、誰も死のくることを信じなかった。父は、友人をバス停まで送っていったが、その友と再び顔を合わせることはなかった。
 村では人が死ぬ、と近所の人が親せきや知人の所へ告げにいってくれた。父は、その人の通る道まで記し、ここは近道だか、道が悪いなどと、こまかな説明までつけた。
 葬儀次第も、よくわかるようにノートに記した。
 また葬儀に必要なものに写真と棺がある。父は自分で町へ出かけ、写真の引き伸ばしを頼み、棺の注文もした。棺を頼む時、お店の人に「ご愁傷様でございます。どなたがお亡くなりに?」と聞かれたので、「ここにいるおれだよ」といったら、相手は目を丸くしていたそうである。
 限られた半年の後半は寝たきりとなった。そして、秋11月、父は静かに息を引き取った。しかし、父の死はガンと戦った壮絶な戦死のように私には思えた。
 人は誰でも死ぬ。それはいつくるかわからない。現にこの3月、私の弟が心筋こうそくで急死してしまった。葬儀に出席した時、死への準備も必要であることを痛感した。
 (父のように立派なことはできないが残る人達に迷惑をかけないようにしたい……)誰にも言えないけれど、心の中に私はそっと思った。


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