2000.07 |
死者を埋葬したあと、そこに埋葬されている人を示すために、石や金属板に碑文を刻む習慣が、宗教や民族を問わず、今日まで続いている。もちろんそれは身分の高い者を中心に行われてきた。
最近の墓では、故人の氏名や死亡年月日を刻むだけで、死者の経歴や死者への哀悼の言葉を印すことが少なくなった。墓に書かれた碑文を見て、故人を偲ぶという習慣は過去のことになったのかもしれない。しかし、墓碑は死者のためだけでなく、格言としていまでも我々の心に訴えかけてくれるのであるが。今回は欧米を中心に墓碑名を取り上げた。
墓碑名に掘られている文面は格調高いものか、事実だけを伝えたそっけないものが大半である。
止まれ通行者よ、死の領域に思いをめぐらし
教えの意味がわかるまで
今日を生きることを学べ人生はむなしい!
翌日の夜明けに
あなたはたぶんカーテンのわずかな隙間から
永遠と汝自身をみることはできない
ここにロンドン市民で馬車作りの
ジョナサン・ベントレーの優しい妻
ドーカス・ベントレー夫人の遺体が眠る。
彼女は人生の絶頂を生き
より大きな悲しみのなかで亡くなった
(1693年8月3日)
無慈悲な死よ 汝の息は冷たい
神が与えたもっとも美しい花
すでに沈黙の墓の向こうに横たわる
とだえし声は永久に静まり
可愛く美しいキャリーよ
夏空のもとの一本のばら
死ぬにはまだつぼみだった
「思いは遂げられた」とはいいがたく
私の涙を通して笑顔が蘇る
冷たく灰色の石、言葉のない土盛りに
いまも残る声「私は知る
愛の命は年月を待たない」と
ここに無垢で貞淑な人がやすらう
彼女の息は早く過ぎ
時あらずしてうばわれぬ
彼女の死は、悲しみを知る年頃
いまだ罪を知らなかった
この罪と悲しみを妨げし死は
豊かに過ごせし人生を祝福する
止まれ旅行者よ
私から学べ希望は空しく
人の楽しみの移ろいやすいことを
ここに眠れしはわが妻キャサリーン
妻の中でもっとも洗練されしもの
美しく貞節で愛らしく
彼女を超えるものはなかった
肉体と精神の極みに失われし命
悲しみに従属しているいま
私の悲しみの終わるときを告げよ
(1690年6月、クローチェスター寺院)
この石はジャネット・モリソン夫人の夫
エーネアス・モリソンにより彼女の
遺体が安置される場所を指示し
彼女の子供たちが成長したときに
畏敬の念をもってこれに近付き
天に対し彼女の徳を受け継ぐことを誓うために建てしもの
(1801年2月)
さようなら、いとしい夫よ
心から慕っていた人
あなたの思い出は私の涙におおわれる
さようなら!あなたの死がとても残念です
あなたの死を悲しんでも、もはやいない
(1852年、ホックストン教会墓地)
ここにフランシス・メイネルの長女メリー眠る
1863年3月27日4歳5ケ月
「愛しい小さな百合の花よ
なんじはあまりにもはやく
まばゆい真昼ではなく
新鮮で露にみちた朝につみとられた
主はなんじを抱きとめるために天使を送り
そして天国のしおれることのない庭に
なんじを植えたもうた」
溺れた子がここに埋まっている
読者よ止まれ、そして涙を流せ
赤子のためでなく、母親のために
彼女にもはや子供はいない
神の意志として私は諦める
天国で赤子が主とともにあることを願って
(ウェストベリー教会墓地)
3人の子、死とはいえない、それは眠り
彼等はあの空の上キリストとともに住む
彼の血で洗われ彼の衣装
キリストの輝かしい正義の衣装
そこに彼等は太陽や月
あるいは明けの星よりも明るく輝く
天国で彼等は翼をつけ
永遠の一日に咲き誇る
(ブロードウェイ教会墓地)
男性の場合、職業と人生とは密接に結びついている。ここでは面白い内容の碑を取り上げた。
この石の下にキャサリン・グレイ夫人が眠る
忙しい彼女は粘土に変わった
土と粘土で彼女は富を得ていたが
今では彼女は土に返った
悲嘆にくれる女よ、忠告を聞け
泣くのはやめ、涙をふきなさい
涙をながして何になるのか
何年かしたらそれは水差しや鍋に化けて
彼女の店に並べられるかも知れない
ここに医師リチャードが眠る
この霊園に眠る死者の半分は彼の患者だった
ここに横たわるは、激務から解放されし
最初の海軍中尉
彼はのちに「勤勉」という華やかな船上に生き
今は勇者の外観を脱ぎ捨て、
楡の箱に埋葬され
細い区画の大地に閉じ込められ
次なる命令があるまで目覚めることはない
(ョークシャの教会墓地)
正直でまじめな海の男のために泣け
漂流せず、ここに錨を下ろせ
嵐は彼をうちまかし、良心に悔いて
彼を茎へと誘う
彼をまつるこの港では、海難から彼を守り
天からの最期の印があらわれる時まで
彼は再装備して
この港から永遠の海へと船出する
(聖プルレード教会墓地)
私のエンジンは冷たく動かない
ボイラーに水はなく
コークスも燃えていない
役にたった日々は終わり
出した記録的スピードは過去のもの
もう自分の運転は不必要で、
汽笛が鳴ることはない
かん高く感激する音は過ぎ去った
ピストン弁は開いたまま
車輪はもう滑らない
蒸気はいまはもとの水滴となった
いくつもの駅を通過し人生の鉄道は終わる
死が私をとどめ、ついに安らぐ
さようなら女よ、泣かないでおくれ
キリストの身元に、私は眠るのだから
(ブロムアウグローブの教会墓地、1840年)
さらばパーカー、汝の旅は終わり
死の鞭で、塵がまいあがる
運賃を調べると、思っていたとおり
最後の勘定は丁度ぴったり
彼が四輪軽馬車を運転していた頃
人生は軽く、その言葉は道に響く
旅行者はすべての年代にわたり
すべての土地から最後の旅程を終える
慈悲深い神よ、そして愛の神よ
天国への道を指し示しておくれ
(ダントン教区の教会墓地)
ここにジョン・ミルズが眠る。彼は丘を越えて
声をあげて猟犬のあとを追った
地上から空に向けて高く飛び上がる
猟師のあとをある日我々は追いかける
ユーモアのある文章というものは墓に相応しくないと思うが、それが実際に彫られていることが驚きである。
ここに眠る男は薬代のために
小銭を出すのを渋り、そして命を失った
彼にもう一度生き返ってほしいと思うが
そしたら彼は葬儀代がいくらかかるか
心配することだろう
この沈黙の石の下に眠るものは
騒がしい老齢の未婚女性
彼女は揺りかごから墓場まで話しつづけ
息がきれることがなかった
ここにジェミー・リトルが眠る
働き者の大工で大変よい性格である
しかしすこしどなり散らすところがあり
こんな時彼の小さな妻は、彼の威圧に耐える
彼は小さな杖で彼女を力任せにたたく
妻は現在一人残され、彼女は嘆き悲しむ
彼女はジェミーが生き返り
もう一度たたいてほしいと願う
彼はすでに死んでしまい
この欠点も今では小さく思われる
小さなことなので
いまでは欠点とは思わなくなっている
(彼の妻が刻む)
私のために泣かないでおくれ、私の夫よ
私がここに埋葬されているのを忘れないで
そして私があとに残しておいた
9人の母なし子を可愛がっておくれ
(エセックスにある教会墓地)
ここに眠るのはトマス・プロクター
彼は生きているときも亡くなるときも
医者にかからなかった
(ルートン教会)
この墓の中にジョン・ラウンドが眠る
彼は海に溺れ
いまだに遺体は発見されていない
(ノーフォークのワットン教会墓地)
私は朝に生まれ、時は春私は笑った
私は昼に歩き始め、時は夏私は喜んだ
私は午後に座り、時は秋私は悲しかった
私は夜に横になり、時は冬私は眠った
(マサチユーセッツの墓)
この世界はよじれた通りであぶれる町
死は人々が出会う市場である
もし人生が買うことのできる商品ならば
金持ちは生き、貧乏人だけがくたばる
(ハートフォードシャーの古い教会墓地)
碑文は本人の詩や言葉を刻んだものか、あるいは偉人の生涯をたたえるものが多い。
(1564〜1616)英国の劇作家。
「友よ、願わくば
ここに埋められし遺骸を
あばくことなかれ
この石に触れざる者に幸いあれ
我が骨を動かすものに災いあれ」
(1667〜1745)英国の作家
「激しい怒りも
この上わが心を裂くことのできないところ」
(1741〜1790)ドイツ皇帝。マリー・アントワネットの兄
「ヨゼフ二世ここに眠る。彼のあらゆる企ては
不成功に終わった」
(1706〜1790)米国の政治家。
「ベンジャミン・フランクリンの遺体ここに、
虫の餌となって眠る。まだ彼の作品は失われて
おらず、作者によって訂正されて、新しく改定
版として蘇るであろう」
(1724〜1804)ドイツの哲学者。
「星空はわが頭上に
道徳律はわがうちに」
(1797〜1828)オーストリアの作曲家
「ここに音楽の至宝が埋められた
なおそれよりはるかに貴い希望を葬りぬ
フランツ・シューベルト ここに眠る」
(1783〜1843)フランスの作家。
「ミラノの人書いた恋した生きた」
(1809〜1849)米国の作家。
「大ガラスいわく、永遠になしと」
(1795〜1822)英国の詩人。
「その名水に書かれた人ここに眠る」
(1757〜1827)英国の詩人。
「私はこの堀のそばに埋められた
友人たちが思う存分泣けるように」
(1772〜1834)英国の詩人。
「止まれキリスト教徒よ、止まれ神の子よ
そして優しい心で読めこの墓の下に詩人が
あるいはかってそうであった者が眠る
コールリッジのために祈れ
彼は長年苦労のなかに過ごし
人生に死を見い出し
ここで死のなかに生命を見い出した。
賞賛のために慈悲を、名声のための許しを
彼は嘆願し、そしてキリストに希望を託した」
(1810〜1857)フランスの詩人。
「私が死んだら墓に柳を植えてほしい
私はこよなく枝垂れ柳を愛する
その姿は優しく親愛でその影は
私が眠る土地を軽やかにさせるだろう」
(1839〜1876)米国の軍人。
「合衆国陸軍名誉少将は1839年12月5日、オハイオ州ハリソン郡に生まれ、1876年6月25日、リトル・ビッグ・ホーンにて、全部隊と共に散る」
(1859〜1881)米国の無法者。
「真実と経歴。21人殺害。ごろつきの少年王 彼は彼らしく死んだ」
(1847〜1882)米国の列車強盗団の首領。手下に撃たれ死亡。
「1882年4月3日死亡
34歳6か月28日
ここにその名を印すに値しない裏切り者
かつ臆病者によって殺害される
ミズーリ州カーニー」
(1818〜1883)ドイツの経済学者。
「全国の労働者よ団結せよ。哲学者たちはただ
世界をいろいろな風に解釈してきた。だが、
世界を変革することこそが大事なのだ」
(1808〜1889)南部連邦の大統領。
「アメリカ軍人であり憲法の擁護者。信義に篤く、主義に殉じた。彼は軍事と政治の両方を見
事に調和させた。アメリカ人として生き、そし
て死んだ」
(1850〜1894)英国の作家『ジキル博士とハイド氏』。
「広い星降る空の下
墓穴を掘って私は眠る
喜んで生きそして喜んで死ぬ
そしていさぎよく横たわる
これは私の墓のためのあなたの詩
船乗りは帰る海より帰る
猟師は帰る山より帰る」
(1854〜1900)英国の詩人。
「最期のトランペットが鳴り響き、斑岩の墓に
横たわるとき、私は振り向いて、ロビー、君に
囁くだろう。ロビー、聞こえないふりをしよう」
(1876〜1916)米国の小説家。
「建国者たちの捨てた石」
(1857〜1924)英国の作家。
「辛苦の後の眠り、嵐の海を乗り切った果ての
港、戦さの後の平安、人生を乗り切った果ての
死、何と喜ばしきことよ」
(1875〜1926)オーストリアの詩人。
「バラよおお清らかな矛盾
たれが夢にもあらぬ眠りを
あまたなる腕のかげに宿すよろこび」
(1840〜1928)英国の小説家。『テス』
「生まれたくなかったこの世に生まれ
取り出されて体を抑えられ
しかめ面して足をばたばた
熱いレンガの上のネコのように
床から飛び上がって奇妙なダンス
ぶっ倒れて息がとまるまで」
(1865〜1939)アイルランドの詩人。
「生と死に
冷ややかな目を向けよ
馬上の人よ過ぎゆけ」
アル・カポネ
(1899〜1947)米国のギャング。
「神よ、あわれみ給え」
(1856〜1950)アイルランド出身の劇作家。
「わたしはすべてと戦った、
争う値うちがあったから
自然が大嫌いで、その次に芸術が嫌いだった
私は人生の薄い氷の上に立って両足を震わせ
それが割れたとき、最期のおならをした」
(1875〜1961)スイスの精神分析学者
「まずは地上に住む者よ
次は天上に住む者よ
呼ばれし者も呼ばれざる者も
神はいるのだ」
(1875〜1965)オーストリアの医師。
「ここにアルバート・シュバイツァー博士眠る」
(1950〜1983)米国歌手。
「地上の星 天国の星」
(1917〜1995)米映画俳優。
「誰かが誰かを愛してる」