1999.11 |
1999年も多くの著名人がこの世の舞台から姿を消していった。そのあとを振り返ってみたい。
昨年12月30日に脳こうそくで亡くなった日本映画界の巨匠、木下恵介さん(享年86)の葬儀・告別式が1月8日、東京築地本願寺で営まれた。代表作である映画「野菊の如き君なりき」にちなみ、祭壇は白い菊5,000本が使用された。
脚本家の山田太一さんが弔辞を読んだ。この日は、ファンを含め約600人が最後の別れをした。遺体はすでに荼毘に付されており、遺骨は鎌倉の円覚寺に埋葬される。
1月7日に漫才コンビ「Wけんじ」の東けんじさんが、肝不全のため75歳で亡くなった。告別式は1月10日、東京文京区の護国寺桂昌殿で営まれた。喪主は妻の多恵子さん。会場には、約400人の会葬者が訪れた。会場入口に設置されたモニターには、生前のWけんじの漫才がVTRで流された。遺体は最後の舞台衣装を着け、棺には愛用のメガネ、電話帳、小犬のぬいぐるみ、かりんとうが入れられた。
葬儀委員長はコンビの宮城けんじ。出棺の際には「お疲れさま」と声をかけた。東さんの遺体は東京・新宿の落合斎場で荼毘(だび)に付された。
1月9日に肝臓がんのために死去した俳優、芦田伸介さん(享年81)の納棺式が10日、東京・白金の自宅で営まれた。午後2時から20分間にわたり親族、関係者ら約20人が参列して、自宅でキリスト教式の納棺式が営まれた。
密葬は、1月12日、東京港区赤坂の霊南坂教会で営まれた。遺体には稽古のとき着ていた紺色の大島紬が着せられ、棺にはマージャンの牌、トランプ、愛用の筆記用具と手帳、「七人の刑事」の台本などが納められた。芦田さんの棺は、港区白金の自宅マンションから霊柩車で同教会に向かい、教会での密葬には、親族ら約120人が教会で最後の別れを告げた。
葬儀は1月18日、密葬と同じく赤坂の霊南坂教会で営まれ、芸能関係者ら約2,000人が参列して、遺骨が安置された祭壇に献花した。森繁久彌さん(85)が友人を代表して弔辞を述べた。
故・大屋晋三・帝人社長の妻で、タレントで実業家の大屋政子さんが1月16日、胃がんのため大阪府立成人病センターで死去した。78歳。通夜は18日午後7時から、葬儀・告別式は大屋家と、理事長を務めていた医療法人「健友会」帝塚山病院などの合同葬として19日午前11時から大阪府堺市の敬愛シビックホールで営まれた。葬儀委員長は弁護士の山崎武徳氏。喪主は長女、登史子さん。多くの人に愛された政子さんらしく、各界の著名人ら約1,300人が参列し、別れを告げた。好きだったオペラ歌手マリア・カラスの歌曲が流された。
ラジオの深夜放送DJの草分けで、テレビ司会者としても活躍した土居まさるさんが1月18日、膵頭部(すいとうぶ)がんのため、東京・渋谷区の自宅で死去した。58歳。昨年9月、がんと診断され、すでに手遅れの状態だったが、昨年暮れまで仕事をした。
土居まさるさんの密葬は1月19日、「お別れ会」は1月22日に東京新宿区の千日谷会堂で営まれ、約1,400人が参列した。祭壇には遺影が飾られ、生前愛したカントリー&ウエスタンが流された。会場には故人のお気に入りの20点の写真も飾られた。立教大の同級生で、同じフリーアナの徳光和夫さん(58)が友人代表として弔辞を述べた。また、長男の京祐さん(31)が喪主挨拶。土居さんの遺骨は、静岡・小山町の富士霊園に納骨される。
肝臓がんのため1月25日に喜劇俳優で演出家の三木のり平さん(74)が死去した。葬儀・告別式は1月31日午後1時から、東京文京区の護国寺桂昌殿で営まれた。葬儀委員長は俳優、森繁久弥(85)。弔辞は「桃屋」の社長、劇作家の別役実さん、女優の水谷八重子らが述べた。遺族の希望で出棺は、はっぴ姿の木遣りの先導で行われた。萩本欽一、伊東四朗ら8人に担がれた棺は掛け声とともに霊きゅう車に。棺の中にはロイド眼鏡、パズルの本、演出を手がけた「放浪記」などの台本、競馬新聞、たばこなどが納められた。遺体は新宿区の落合葬祭場で荼毘(だび)にふされた。
俳優、森繁久彌さん(85)の長男で広島県東広島市にある賀茂カントリークラブ社長、森繁泉さんが23日、肝臓がんのため、神奈川県横須賀市内の病院で死去した。58歳。泉さんの通夜は24日夜、横須賀市野比の自宅で行われた。
密葬は1月25日に自宅で営まれた。泉さんの合同葬は2月6日、東京港区の青山葬儀所で行われた。約1,500人が弔問に訪れ、全員で泉さんが作曲した「ふじやま丸の唄」を歌い故人の冥福を祈った。祭壇には、海を愛した泉さんのために、操舵輪と愛用のヨットの帆が飾られた。
イスラエルとパレスチナとの和平仲介の半ばで、がんのため7日死去したヨルダンのフセイン国王の葬儀が2月8日、首都アンマンで行われた。葬儀には日本の皇太子ご夫妻、小渕恵三首相のほか、クリントン、エリツィン両大統領ら各国の要人が参列し、中東和平に貢献した故人の死を悼んだ。
ひつぎを乗せた車列は、市東部のラガダン宮殿までの約15キロを進み、沿道に詰めかけた市民が最後の別れを告げた。 宮殿内での葬儀終了後、アブドラ新国王は各国首脳と握手や抱擁をしながらあいさつした。
1923年にトランスヨルダン王国が成立して以来、100人以上の世界の元首がアンマンに集まるのは初めて。ヨルダン政府は軍・警察を総動員して厳戒態勢を敷いた。
女優、山岡久乃さん(享年72)が、胆管がんによる心不全のため2月15日死去した。通夜は18日(木)午後7時より。葬儀・告別式は19日(金)正午より、東京都中央区築地の築地本願寺第2伝道会館で行われた。喪主は養女、泰子(やすこ)さん。芸能界関係者ほか約2,600人が参列した。告別式では女優の森光子さん、長山藍子さんらが涙ながらに弔辞を読んだ。
沖縄県大宜味村で3月17日に義弟に殺害された歌手、安室奈美恵さん(21)の母親でスナック経営、平良恵美子さん(48)の遺体が3月19日、那覇市の安謝火葬場で荼毘(だび)にふされた。
恵美子さんの葬儀・告別式は20日午後2時から、沖縄県那覇市松山の大典寺(だいでんじ)で営まれた。親族、知人のほか、芸能関係者ら約2,000人が弔問に訪れた。奈美恵さんは正面左の女性親族席、SAMさんは同右の男性親族席に別れて着席した。遺骨はこの日、沖縄市内の墓に納骨された。沖縄では告別式に参列する人が多く、また寺院が繁華街のなかにあるため交通渋滞が心配されていた。
全日本プロレス社長でレスラーのジャイアント馬場さんが1月31日午後、肝不全で死亡。享年61歳。仮通夜は身内だけで、その日のうちに行われた。
密葬は2月2日、東京・渋谷区の自宅で行われた。遺体は霊きゅう車に納められ、愛妻元子さん(59)と一緒に出発。品川区の桐ケ谷斎場で荼毘に付された。
お別れの会は4月17日、東京・千代田区の日本武道館で「ありがとう」と題して午後1時からとり行われた。前日16日にはチャンピオンカーニバル決勝戦が開催され、翌日のファン葬では、リング上に馬場さんの遺影が飾られた。3万8千人のファンがリングに献花し、瞬く間に花束でいっぱいになった。
5月2日に電車にはねられ死亡した東京スカパラダイスオーケストラのドラマー、青木達之さん(享年32)の葬儀・告別式が6日、東京・世田谷区の成勝寺会館(小田急線「豪徳寺」駅下車)で営まれた。
葬儀・告別式には、スカパラのメンバー8人をはじめファンら約300人が参列。出棺のあいさつは喪主で夫人の布由子(ふゆこ)さん。 会場には青木さんが作曲した小泉今日子さんのヒット曲「丘を越えて」などが流れ、遺体は渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された。
いソノてルヲ氏のお別れ会(5月12日)
4月21日に68歳で死去したジャズ評論家のいソノてルヲ氏のお別れ会が5月10日、東京都港区虎ノ門・ホテルオークラ別館曙の間で行われた。葬儀はあらかじめ近親者で済ませ、お別れの会では約800人が酒と食事を楽しみ、ステージでトランペット奏者の外山喜雄氏らバンドマンたちが陽気にジャズを奏でた。祭壇に遺影はあったが、盛大なラストコンサート。バンドマンたちは「聖者の行進」を奏でた。
5月 13日に肝不全のため亡くなったジャズドラマー、日野元彦さん(享年53)の通夜が5月16日、東京・目黒区碑文谷の円融寺(示真殿)で営まれ、約700人が弔問に訪れ冥福を祈った。関係者によると、日野さんの棺には生前愛用していたドラムスティックと眼鏡が納められた。会場には元彦さん演奏のジャズが流れた。
葬儀・告別式は翌17日に営まれ、トランペッターで兄の日野皓正がトランペットを吹いた。曲目は、「ソング・オブ・バード」。元彦さんが昨年11月、東京医大の創立80周年記念アルバムのレコーディングにドラマーとして参加した縁から、同大応援団が駆けつけ応援歌「必勝の歌」を熱唱。その歌声にのせて出棺された。葬儀には約700人が参列。そのあと遺体は、東京・西五反田の桐ケ谷斎場で荼毘に伏された。
6月24日、76歳で心不全のため死去した別所毅彦氏の葬儀が6月28日、東京都目黒区の正覚寺境内にある実相会館別館たちばなで行われた。長嶋茂雄監督をはじめ、投手の金田正一氏ら多数が参列した。巨人選手会長の桑田真澄投手、滝川中の後輩、村田真一捕手らも姿を見せた。バッハの『G線上のアリア』が流れる中、親族やプロ野球関係者に見守られながら出棺。
石原裕次郎さんの十三回忌法要が7月3日、裕次郎さんの墓がある横浜市鶴見区の総持寺で営まれた。総額10億円をかけた一大イベントには、5,000人を超える徹夜組を含め、法要・葬儀の数としては芸能界史上最大の20万人のファンが駆けつけた。平成5年の7回忌では豪雨の中、約4万人が参列しており、同プロでは参列者を5万人と予想していた。
徹夜組だけで5,000人以上が列を作ったが、この日も早朝から、中高年を中心としたファンが続々と総持寺に集結した。JR鶴見駅も大混雑。こうした状況を受け、石原プロモーションでは予定を約2時間繰り上げ、午前8時半に開門。高さ約7メートル、幅約6メートルの裕次郎さんの遺影が迎えた。午前11時すぎからは、150人の僧侶が本堂内を歩きながら読経。招待客は約370人。4,000本の竹でヨットの帆をかたどった一般用の祭壇にも裕次郎さんの遺影。約400人の混声合唱団がヒット曲「夜霧よ今夜もありがとう」など33曲を歌った。
石原プロは、裕次郎さんが生前に愛飲していたというカリフォルニア産の赤ワインと日本酒のセット「メモリアルBOX」5万ケースを無料で配布。
法要や一般ファンの焼香が行われている間も、ファンの列は伸びて午後1時すぎには、行列は約12キロに達した。午後4時までの予定の焼香、献花を6時半まで延長して応対した。
昭和30年代にヒットを飛ばした、「ダニー飯田とパラダイスキング」のリーダーのダニー飯田さんが、7月5日、急性腎(じん)不全のため65歳で死去した。通夜は7月8日午後6時から、品川区にある桐ケ谷斎場(東京博善)で行われた。葬儀・告別式は翌午前10時から同斎場で行われた。祭壇にはスチールギターが飾られ、棺の中にはステージ衣装が納められた。なお、この斎場には火葬設備が整っている。
小型機を操縦し、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード沖に墜落死したジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)は、沿岸警備隊などによって21日午後までに、同乗していた妻のキャロリンさん、その姉のローレンさんの遺体とともに海中で発見された。そのあと、3人は火葬にされ、海軍の船上で民間の式典を行ったあと、事故現場近くの海にその遺灰が撒かれた。なお23日には、追悼ミサがニューヨークの教会で行われた。
文芸評論家の江藤淳さんの通夜祭が24日午後6時から、鎌倉市御成町のカドキホールで行われた。平成10年11月に亡くなった夫人の慶子さんの葬儀もここで行われた。神式による通夜祭には、約400人が参列した。キク、ユリの大きな花祭壇が設けられ、遺影が飾られた。遺影の前には、江藤さんが日ごろ愛飲していた飲みかけのブランデーのボトルとたばこ、つえが置かれ、これらが棺に納められたという。告別式は同ホールで7月25日午後1時から行われ、約350人が参列。
胃がんのため8月9日に41歳で亡くなった元女子プロレスラーのジャッキー佐藤(本名・佐藤尚子)さんの葬儀・告別式が11日、横浜市鶴見区の総持寺・大祖堂瑞応殿式場で営まれた。
ビューティ・ペアでタッグを組んだマキ上田さんやファンら約800人が参列して、女子プロレス界の功労者に最後の別れを告げた。喪主は彼女の父。 棺にはたばこが納められた。
ビートたけしさんの母で8月22日に老衰のため亡くなった北野さきさん(享年95)の葬儀・告別式が25日、東京・葛飾区の蓮昌寺で営まれ約800人が参列した。会社役員の長兄、重一さん(71)が喪主あいさつ。棺には、さきさんの着物や自伝エッセー「ここに母あり」、子供たちと撮影した写真が入れられ、二男で淑徳大教授の大さんらが担ぎ、霊きゅう車に運んだ。さきさんの遺体は四ツ木斎場でだびに付され、遺骨は蓮昌寺の墓に納められる。
9月16日に老衰のため亡くなった時代劇スター、市川右太衛門さん(享年92)の遺体が17日、千葉・館山市の館山火葬場で荼毘に付された。
午後2時過ぎ、同火葬場にひつぎを乗せた霊きゅう車が到着。二男で俳優の北大路欣也さんが火葬場の建物の中に入った。「派手な形でお葬式をしてくれるな。秘密にしてほしい」との右太衛門さんの遺言に従って、親族ら約20人だけでひっそりと営まれた。
老衰のため9月22日に92歳で亡くなった歌手、淡谷のり子さんの密葬が26日、東京都品川区の安楽寺で営まれた。「ひっそりと送ってほしい」という淡谷さんの遺志により、近親者約20人だけで営まれた。なお音楽葬は10月25日、文京区の護国寺桂昌殿で行われ、約千人が参列した。
10月3日死去したソニー名誉会長、盛田昭夫氏の通夜が4日夜、東京都目黒区青葉台の自宅で行われた。当初は親族だけでひっそりと営むはずだったが、経済界や政界などから1,500人が駆け付け、献花で故人のめい福を祈った。葬儀・告別式は11月8日、新高輪プリンスホテル国際館パミールで行われる。