1997.08 |
葬儀が今後どのように変化していくか。ここではその潮流と方向性を探っていきたい。アメリカでは葬儀産業を最近ではデスケアインダストリーと呼んでいる。それは生前契約から、死後の墓地・霊園までを含めた巨大なマーケットである。日本では、葬儀と霊園を同一の業者が携わっている例は少ないが、アメリカではサービスコーポレーションなどの大手が両者にかかわっている。しかしこうした巨大な企業がある一方、8割の業者が独立した葬儀社として頑張っている。
さて、日本での葬儀業界は、死亡者の増加傾向によって、今後有望市場とみなされ、ホテルや農協、鉄道などの異業種も新規参入して、この市場では生き延びるための淘汰合戦が進行すると指摘されている。
アメリカでは、事前に葬儀料金を明確にしないと罰金が課せられるが、日本でも消費者保護の立場から、料金体系の明確化が進む。
結婚式場の案内所が交通アクセスのよい場所に設けられているように、葬儀の相談コーナーが設置され、そこで事前相談や会館案内などの情報が得られるようになる。
人が死亡すると、その人名義の預貯金が一時的に凍結される。しかし、死のあとには、医療費や葬儀の支払いが待っている。そうした遺族のために、死亡診断書をファックスで保険会社に送ると、その日に300万円までが支払われる保険が発売された。これは「保険金即日支払いサービス」であるが、こうした種類の保険が普及する。現在、プルデンシャル生命保険ではこの商品が販売されている。
葬儀後の悲嘆のケアや法的手続きも、高齢者世帯や単身世帯では大変である。そこで、弁護士や司法書士、社会保険労務士などの専門家がネットワーク化され、顧客のニーズにあったアドバイスや代行が受けられるサービスが普及するだろう。
消費者の葬儀に対する要望の一つに、公共の葬儀会館の設立がある。単身の高齢者の死亡数の増大などの理由から、設立の方向に向かうだろう。
高齢の死亡者の増加に反して小子化が進んでいるので、遺族関係のうち、社縁の会葬者が減り、アメリカのように身内や友人中心に送られるようになる。
散骨は増えないだろう。散骨は葬儀よりも、むしろ火葬後の遺骨処理に属することである。
東京都が1995年3月に実施した『都市型墓地に関する意識調査報告書』では、散骨希望者は23.1%、他人の散骨を容認する人の46.0%を合わせると、8割近くが散骨を容認している。しかし東京都生活局1996年の調査で、
「自分の骨を散骨したいと思いますか。」の質問に、「したい」と思う人は14.4%。「したくない」という人は85.1%と圧倒的に多い。性・年代別にみると、男女とも若年齢層ほど「したい」という人が多くなる傾向がみられる。
雑誌『フューネラル・ビジネス』96.12に、全国の葬儀会館分布と、葬儀会館あたりの死者数が紹介された。それによると、全国の会館数は1,627カ所で、平成6年の死亡数875,933人を会館数で割ると、年間1会館あたり538人の死亡者となる。ただし会館での葬儀の割合が5割とすると、その半分の269人となる。九州地区では葬儀会館数が409カ所、死亡数が111,712人であるから、1会館当たり273人で、もっとも会館が普及している地域となる。これはあくまでも平均値であるから、葬儀会館の普及がすでにピークを迎えた都市や、これから普及する町村などばらつきがある。
自宅葬や寺院葬が減少し、葬儀会館に移行しているということは、葬儀の非宗教化が進んでいると考えられる。ただし完全に非宗教化されるかというとそうでもない。日本人はそれほど論理的に割り切るだけの合理性をもっていない。葬儀のなかのある一定時間寺院に割くことで、住み分けをしているのである。
非宗教葬には3つある。
1つは、社葬・団体葬の場合、密葬を仏式で行い、社葬を非宗教葬で行う場合。
2つは、公けの団体が主催する市長葬などの葬儀で、宗教葬が原則として禁じられている場合。
3つは、先進的な考えを持った個人が、死ぬ前に非宗教葬を遺言しておいた場合である。
このなかで、2の公葬は絶対数が少ないので論外であるが、1と3のケースはこれからも増大していくと考えられる。
1の場合は、密葬を終えている関係から、会場もホテルなどで行うことが可能であり、その意味でも、非宗教葬の比重は実施しやすい。
それでは個人の非宗教葬は、どんなテンポで増加していくだろう。ところで個人が非宗教葬をするためには、故人が生前に非宗教葬をしたいという意思表示をしておかなければならない。故人が生前に遺言あるいは、「生前葬儀契約」で非宗教葬を希望していた場合に行われるのである。その意味では「葬儀遺言」あるいは、「生前葬儀契約」が、今後増加するかどうかにかかっている。
平成8年3月、東京都生活文化局が調査した、「生前予約のシステムを利用したいと思いますか。」との問いに、「死後、家族やまわりの人に負担をかけなくてすみ、安心できるので利用したい」は3.3%で、『利用意向あり』は3.7%である。両方で7.0%である。
一方、「便利なシステムだが今は利用したくない」は8.1%、「利用したくない」は20.9%で、『利用意向なし』は29.0%となる。
中間的な「システムがよくわからないので様子をみてきめたい」は19.0%である。また、「考えたことがない」という人が48.0%と約半数に近い。
性・年代別にみると、「様子をみてきめたい」は若年齢層ほど多く、『利用意向なし』は高齢層になるほど多くなっている。
この調査から類推できることは、生前契約を希望するという層が、一割に満たないということである。しかし死亡者90万人の1割は見逃せない数字である。ではどんな層が生前契約を希望するのであろうか。
1. 一人暮しや、子供がいないなどの理由から、自分の葬儀や死後をあらかじめ準備しておかなければならない人たち。その層は今後ますます増加し、その数の拡大にともなって、生前契約も増えていくことが予想される。そしてその何割かが非宗教葬を選択するだろう。
結論を出す前に、高齢者や一人暮しの人の人口を見ておこう。
平成7年時点の65歳以上の親族のいる世帯数は1,299万世帯で、5年前に比べ226万世帯増加している。世帯全体に占める、高齢親族のいる世帯数割合は、29.9%である。
高齢単身世帯、いわゆる一人暮らしの高齢者は225万世帯である。うち男子が47万人、女子が178万人である。また、65歳以上人口の男子が6.2%、女子が16.2%である。(統計局情報138)
以上からわかるように、平成7年の高齢単身世帯の225万人(世帯)が生前契約の潜在希望者といっても差し支えないであろう。
厚生省人口問題研究所の推計によると、65歳以上人口は、平成12年(2000年)には2,170万人、22年(2010年)には2,775万人となる。さらに第1次ベビーブーム期(昭和22年〜24年)に生まれた世代が70歳代になる平成33年(2021年)には、65歳以上人口は3,275万人に達すると見込まれ、全人口における高齢者の割合が増加する。
こうした状況のなかで、どのように葬儀の規模が変化するだろう。
まず
1.会葬者の減少
2.一人当たりの香典額の減少
3.葬儀の簡素化
の3つがあげられる。これらはいずれも関連しており、会葬者と香典額が少なくなれば、香奠額に依存している葬儀では、葬儀費用をおとさざるをえなくなる。
1の会葬者が減少する理由は、高齢者層の単独世帯が増加して、社縁による会葬者が減少することがあげられる。
2の理由は、高齢者の死亡者数が増加し、地縁関係の葬儀に参列する回数が増え、1回当たりの香典額が抑えられる。
3、香典収入の減少により、簡素な葬儀が増大する。
このように葬儀は簡素化されると思われるが、情報ネットワークの普及により、葬儀に関連するビジネスが外部の専門家(アウトソーシング)によって処理されるようになるだろう。
これまで葬儀は、葬列↓祭壇↓葬儀会館へとそのポイントが移行していったが、そのあとの変化についても考える必要がある。そのためには、葬儀会館での葬儀の増加によって、人々の意識はどう変化したかを見る必要がある。
(1)自宅葬の場合、家の格式が葬儀に反映したが、葬儀会館での葬儀では、それが見えにくくなった。
(2)葬儀会館葬において、葬儀の手伝いをする人がプロに取って代わり、喪家と地域の人の関係が薄くなった。
(3)公の場所で葬儀をすることにより、遺族の悲嘆がより表に出せなくなった。
このように、もはや会葬者にとって「葬儀」は非日常の出来事ではなくなり、誰の葬儀も平均的な式典と化した。こうした葬儀の非個性化に対する反発として、なかには自由葬や音楽葬が、個性的な形式として、これからも新聞などで取り上げられるだろうが、実際にはそれをすることが容易でないため、絶対数は増えるとは思われない。
会館でのマイナス要因を、どうしたら補填できるだろうか。マイナス部分に葬儀社が取り組むことにより、葬儀の社会的価値が認知されていくようになるが、そのための研究や活動が必要となる。
(1)の家の格式を葬儀に反映するにはどうしたらよいか。
これは葬儀の画一性に対する批判である。単に豪華な葬儀を提案するというわけではない。そこには、品位のある葬儀の提案を考える必要がある。どうしたら会館で、品位のある葬儀が出来るかを研究しなければならない。
(2)の喪家の家庭の事情がわかりにくくなった。
葬儀に参列する人が感じることは、「どの葬儀に参列しても、中味は同じである」ということではないだろうか。違いと言えば、遺影写真と喪主が述べる会葬の挨拶くらいのものである。それを改善するためには、故人の個性が盛られている葬儀を目指すことが必要である。
(3)の悲嘆が表出できなくなった。
悲嘆は大変にプライベートなものであるが、悲しみを人に話し、発散することで心の傷が癒されるケースが多い。そのために、それを支える人や組織が必要とされる。アメリカでは地域ごとに、悲嘆を支えるグループが存在しているが、日本ではほんの一握りの組織がほそぼそと活動しているにすぎない。そのため、悲嘆を解消する手段の一端を葬儀社が受け持つことが、社会的貢献からも重要である。以上の3点をまとめると、
(1)は、喪家の社会的体面のお手伝い
(2)は、故人の人間性を知らせ、会葬者に葬儀に参列した意義を感じさせる
(3)は、遺族の悲嘆をどう解消させるかとなる。
葬儀社は、これにどう取り組んでいったらよいか。たとえば、もっとも簡単な方法として次のようなことが考えられる。
(1)は、品位ある葬儀のためのチェックリストを作成し、その基準以上の葬儀を実施することを内外に知らせる。
(2)は、故人のプロフィールを当日式場でお渡しし、式の待ち時間に読んでいただく。
(3)は、悲嘆のプロセスや体験談を冊子や情報紙などにまとめ、喪家に配布する、などが考えられる。
「アメリカ葬儀デレクター」1996年10月号に、ユナイテッド・ファミリィ保険会社副社長トーマス・バーナード氏の「2002年、ニューエージ・オデッセィ」の記事が載った。それにはアメリカが今後、どのように葬儀が変わっていくかが記されているので、日本との比較で見てみたい。
2002年の葬儀は、今とどう違っているか?今後の産業は、家族のために行う事業が成功もたらすという。過去数年の流れをみると、葬儀業界は新しい形成期を迎えている。霊園や火葬協会、サービスコーポレーションなどの大手買収企業の動向は無視出来ない。これらは新しい家族サービスを行うパイオニアであり、その動きが注目される。
1990年代は葬儀業界にとって変化の時期と言われているが、トーマス氏は西暦2002年が本当の変化の始まりで、1996年はまだ過去の世代に属していたという。「西暦2002年は、今後40年間の葬儀産業を形成する新しい変化の始まりの年になる」と予測している。
1.葬儀サービスとデスケア(死亡関連サービス)は、メージャー企業が推進する。ただし全国的に普及する企業といえども、施行は地域ごとのスタイルに則って行われる。
アメリカの葬儀社の8割が地元の零細業者である。そうした業者を大手が買収した場合、地元に馴染んだその葬儀社の名前をそのまま残すという。アメリカでは伝統を大事にするが、日本では地元の葬儀社の名前を残すという方法は取らないよう思われる。
2.消費者は葬儀の契約締結のため、ふさわしい業者を探すが、葬儀(デスケア)の実施は別の場所で行うようになる。消費者を中心とした総合サービスが急速に発展し、個別的な産業が大きく拡大するチャンスとなる。
これは葬儀情報先と葬儀施行場所が分離することを指す。それは日本の結婚式場の案内所と式場が分離していることと同じである。
3.葬儀会館が中心であるというセールスは終わり、自社の葬儀会館以外の葬儀が実施されるようになる。
日本では葬儀会館での葬儀の比率は年々増加しているが、アメリカでは葬儀の多くが葬儀会館で行われている。(現在アメリカで問題になっているのは、葬儀なしで直接火葬して終わりというもの)また、教会や墓地での葬儀もある。今後、船の上とかいろいろのロケーションが出現するといわれる。
4.火葬はイギリスやカナダなどと同じようにメインの葬儀形式になる。
この理由は火葬費用が埋葬費用の約十分の一という経済的理由があげられる。
5.団塊の世代は、これまで40年間販売してきた商品に魅力を感じなくなる。また彼等は両親の葬儀の手配をすることになるが、彼等を満足させるには、まったく異なったアプローチが必要となる。
6.女性はこの業界で革命的な役割を果たす。女性の進出により、男性中心の雰囲気にはさよならする。
アメリカでは葬儀デレクターの免許を取得するために、葬儀大学に入学してそこで専門の単位を取得するが、そうした学校へ入学する学生に女性が増えている。一つは葬儀社の子息であり、まったくそうした関係のない女性の入学も目だっている。葬儀デレクターの役割の一つは遺族とのコミュニケーションであるから、女性がそうした場面で、きめの細かいサービスをすることが期待されている。
7.これまでのような家族や遺族のケアでは不十分となる。世話の出来る良い人材不足が表面化し、よい社員の競争が激化する。人件費の高騰が、このケア業界の運営での鍵となる。
これまでのようなといってもわかりにくいが、アメリカは人種問題、犯罪、宗教、エイズなど、死にともなって複雑な問題を遺族が抱えることになる。こうした場合には、担当者はそれなりの専門知識が必要とされるかもしれないし、また心理学や弁護士などの専門家を抱えた葬儀社が評判を得ることになるかもしれない。
8.1980年や90年代に作られた葬儀に関連する法律や規制が変化する。われわれは他社の参入を阻もうと努力するが、企業の成長や成功はよりむずかしくなる。
アメリカでは葬儀に関する法律が大変に厳しい。たとえば、葬儀料金を電話で問われたときには答えなければならないし、エンバーミングも法的にする必要がないことを遺族に明示しないと多額の罰金が課せられる。こうした法律は厳しいし、あるときは骨壷に他人の遺灰と間違っていたというだけで、何千万という損害賠償が提示されたことがあるなど、法的に対応するために常に企業努力が必要とされる。
今日の市場の競争は変化する。全国規模の葬儀チェーンは多くの市場に進出し、地域の独立した葬儀社はこれまで以上によいサービスと作業を提供するようになる。葬儀サービスは、全国規模の企業と地域業者との闘いとなる。これは他の業種がかって経験したものであり、そこから教訓を学ぶことが出来る。
たとえば、地域の不動産業界は1990年代に嵐にみまわれた。全国規模の「センチュリー 社」や「リーマックス」などの企業が、地方に乗り込み、地元の不動産業者はその代理店となってサービスを行った。知名度、イメージ浸透力、相談センターなどのサービスなどをバックアップし、地域の営業所展開を開始した。
これら地域の業者は全国規模の会社のサービスを受けることで、商売の継続が可能となった。このネットワークモデルは、地域の葬儀社が生き残る方法であり、彼等の社名がレベルアップしてナショナル・チェーンとして生き残ることになる。
葬儀社が提供するサービス領域を広げれば、消費者はもはやどこでデスケア商品を買ったらよいか迷うことはなくなる。フランスには葬儀のスーパーがあり、そこでは墓から生花、棺、葬儀設計など葬儀に関連するサービスをワンストップで求めることが出来るという。葬儀があれば、家族や友人は出かける前にこの店に立ちよって、供花や供物を買う。そうした風景は珍しくないという。
アメリカの消費者は、葬儀を一カ所で集合的に行うイベントと考え、霊園、葬儀、墓石購入などを一カ所で購入したい思ってている。調査によれば、消費者は、葬儀の事前設計をする場合、霊園の区画までを視野に入れるという。そこで消費者は、葬儀社よりも霊園業者や保険会社と生前契約をすることになる。
そのため消費者が必要とする商品構成が取り上げられる。そうした状況のなかで、今後、葬儀会館においても、小売部門を拡大するかどうかの選択を迫られることになる。
アメリカでは、葬儀社が霊園を販売したり、霊園業者が葬儀をすることが盛んになってきたが、日本ではまだまだである。ただし火葬場に式場と食堂が設けられ、さらに同じ敷地内に納骨堂があればワンストップショップといえるだろう。
ここでいうバーチャル葬儀とは、インターネットなどを使って葬儀を中継したり、会葬したりするという意味ではない。消費者の希望をあらかじめ聞き、それにふさわしい会場をさがし、提案してさしあげるサービスをさす。旅行代理店は自社で航空機をもっていないし、アメリカの医師は自分の病院をもっていない。また婚礼プランナーは自分の教会やホールをもっていないが、会場の手配から結婚式の演出までをこなすプロである。
同じように、葬儀デレクターは葬儀に関するすべての準備から手配を行うが、自社の葬儀会館は所有していなくてもよい。顧客のニーズを聞き取り、顧客が望むサービスを提案するが、葬儀会館を販売するわけではないからである。
顧客のなかには、屋外や思い出の場所などの葬儀会館以外の葬儀を希望する人が出てくるだろう。そうした客の希望にも対処することが必要となる。2002年には、葬儀会館以外での新しい形の葬儀の始まるが、拡大するのはまだ先だという。
これまで葬祭業が成功してきた理由は、顧客の希望にかなうよう努力したためであり、これからも消費者のニーズにそって動くならば、うまくいくだろう。「消費者の考えが理解できないのは、彼等が死について語らないことと、彼等の考えが変化しつつあるからである」という。しかしそれを見つけ、それに答えるサービスを提供出来れば、来るべき変革の時代に大きな発展を勝ち取ることが出来る。このあたりまえのことが最も難しいことである。