1996.08 |
世界の人口は1987年に50億人を突破し、毎年2%の割で増大すると今世紀末には60億人を突破する。人類が最初に10億人になったのは19世紀初めで、1920年代に20億人、60年代に30億人、74年に40億人となった。
生まれてくる子供の9割は発展途上国で、先進国に対する発展途上国の人口比率は、1950年の1対2が80年で1対3、2000年に1対4(12億人対48億人)、2025年には1対5となる。(石弘之『地球環境報告』17頁)
世界の死亡人口は、1995年の人口56億人に世界の平均死亡率9.9をかけた5500万人が導き出される。年間日本人の人口の半分が死亡している勘定である。また第2次世界大戦の死亡者は約5000万人であるから、毎年ほぼ同数の死亡者が出ていることになる。
西暦2000年の世界の人口と各エリアでの死亡人口を出した。(資料は国連1986年)
地域 | 人口 | 死亡率 | 死亡人口 |
---|---|---|---|
全世界 | 61億2000万人 | 9.3% | 5600万人 |
アフリカ | 8億7000万人 | 13.7% | 1100万人 |
ラテンアメリカ | 5億4000万人 | 7.1% | 380万人 |
北アメリカ | 2億9000万人 | 8.9% | 260万人 |
東アジア | 14億7000万人 | 6.7% | 980万人 |
南アジア | 20億7000万人 | 10.0% | 2000万人 |
ヨーロッパ | 5億1000万人 | 10.6% | 540万人 |
ロシア | 3億1000万人 | 8.9% | 280万人 |
オセアニア | 3000万人 | 8.2% | 24万人 |
地球上で農業生産に利用できる土地は陸地面積の10%であり、この面積では1950年当時の人口である25億人を養うのがやっとであるという。それ以後、需要と供給のバランスがくずれ、自然破壊、環境汚染が進んできた。
人口がこの50年間に25億から55億に増えた。世界銀行の推定で10億7000万人、つまり5人に1人が満足な栄養を取っておらず、改善の見込みはまったくたっていないといわれる。(『地球環境報告』163頁)飢餓はたんに異常気象だけではなく、内戦によって難民生活をよぎなくされ、避難先で餓死する場合も含んでいる。
・ロシアでは1914年から24年にかけて1300万人が餓死、1930年代初めには500万人が餓死した。(同上、164頁)
・中国では前世紀半ばの清朝時代に1300万人が餓死。また1960年から1961年、農業政策の誤りから数億人が飢餓にさらされ、2000万人の餓死者を出した。(丁抒「人禍」)
・1968年5月18日、ナイジェリア連邦政府軍がビアフラの港町を制圧。ビアフラは70年1月11日まで抵抗を続けたため、国際赤十字の7月の推計では、ビアフラの餓死者は150万人にのぼる。
・1968年から73年にアフリカ大陸のサハラ砂漠の南側に位置する地域で起きた干ばつで、2500万人が被災、10万から20万人の餓死者が出た。エチオピアでも20万人を超す餓死者が出た。
・1972から73年のインド南部から北西部にかけての干ばつで100万人を超える餓死者が出た。
・1979年8月、国際赤十字と国連は、225万人のカンボジア人が飢餓状態にあると報告した。
・1982年から85年の干ばつで、セネガルからスーダンに至る地域で300万人以上が餓死した。
・1989年だけでスーダンの餓死者は25万人という。(国連調べ)
人口10億人を超える中国では、毎年の死亡者も600万人を数える。この半数が土葬されても、棺桶だけでも100万立方平方メートルの木材が必要になるという。すでに森林面積は国土の12%を割り、これ以上棺桶に貴重な木材を提供できないという。ネパールやインドでも薪不足で伝統的な火葬も思うにまかせず、形式的に遺体の一部を焦がしただけで埋葬するのも増えてきた。(『地球環境報告』100頁)
・1939年 中国北部で洪水、死者20万人を出す。
・1953年2月1日、オランダとイギリスの沿岸地帯が洪水に見舞われ、オランダでは干拓地の堤防が決壊して死者1487人を出した。
・1981年夏、揚子江上流を襲った洪水で、堤防決壊が続出。この影響で家屋の倒壊が50万戸、死者は4000人に及んだ。
・1996年の中国の南部と中部を洪水が襲い、716人の死者を出した。
・1900年9月8日、テキサス州ガルベストンにハリケーンが襲い、洪水で6000人の生命を奪う。
・1970年11月13日バングラデシュにサイクロンが発生、20メートルの高潮が、ガンジス河河口地帯を襲い、50万人が死亡。74年の洪水と飢餓で30万人、85年には1万1000人が、91年4月には死者14万人の犠牲者が出た。海面から3メートル以内の低地に人口の7分の1が住むバングラデシュでは、毎年自然災害にみまわれている。
・1906年4月18日、サンフランシスコで大地震が発生。地震後の火災で町の3分の2が消滅。死者約1000人、家を失った人は30万人に達した。
・1908年12月28日、イタリアのシチリア島で大地震が発生。西岸のメッシナと本土のカラブリアが被害を受け、両方の死者は15万人。
・1915年1月13日、イタリアのローマ周辺で地震が発生。死亡者は2万9500人に及ぶ。
・1920年12月16日、中国甘粛省で地震が発生。死者20万人を出す。
・1923年9月1日、関東大震災が発生。死者・行方不明の合計は14万2800人。
・1935年4月21日、台湾中北部で地震。死者3000人。
・1935年5月30日、パキスタンのケッタで地震が起き、死者5万人を出す。
・1939年12月27日、トルコのアナトリア半島の東北部で地震。火災が発生し、死傷者は人口の7割の11万人にのぼり、吹雪と飢えが重なり、死者は3万人を超えた。
・1970年5月31日、ペルー北部の山岳地帯と太平洋岸一帯に地震が発生。地震後の山崩れと洪水で死者5万人、負傷者は60万人。
・1976年に中米のグァテマラで起きたM7.5の大地震で、死者2万2千人を出した。この地震で100万人が家を失った。
・1976年7月28日、午前4時頃、中国河北省の唐山士にM7.8の地震が襲い、同市の人口の14%にあたる15万8千人が死亡した。
・1978年9月16日、戒厳令下のイランをM7.7の地震が襲い、イラン全土での死者2万5千人といわれる。
・1980年10月10日、アルジェリア北西部でM7.5の地震が発生。震源近くのエルアスナムで死者2590人。
・1980年11月23日、イタリア南部で大地震発生。死者・行方不明約4500人。
・1985年9月19日、メキシコ南西部でM8.1の大地震が発生。死者は約8000人。
・1985年11月13日、南米コロンビア西部のネバデルルイス火山(5399メートル)が噴火。約2万5千人が死亡する。
・1902年5月8日、カリブ海の仏領マルティニーク島プレー火山が爆発、約4万人が死亡。
1960〜81年に、日本では43件の大きな自然災害があり、約2700人の死者が出た。ペルーでは同じ時期に31件の災害があり、1件あたりの犠牲者は2900人である。地震の場合、レンガ作りの建物に住んでいる地域では、同じ震度数でも死亡者数が異なるため、政策上のミスが被害を多くしたといえる。
中国 1000万人、朝鮮 20万人、ベトナム 200万人以上、フィリピン 105万人(うち市民100万人)、インド 350人(大部分はベンガルの餓死者)、ニュージーランド11625人、モルディブ 数10人、シンガポール 5000人、ビルマ 5万人、セイロン、ラオス、カンボジア、オーストラリアは不明、以上合計約1882万人。日本221万3903人(うち一般国民65万8595人)本多公栄「ぼくらの太平洋戦争」による。
なおベトナムの死者200万人は、ほとんどが餓死といわれる。(早乙女勝元「ベトナム200人飢餓の記録」)。
第2次世界大戦後の戦争で死亡した数は2000万人をかなり上回っている。1991年1月時点における第3世界で交戦中の48の戦争で、350万人から850万人の死者が出た。そして恐ろしいのは、これらの戦死者の4分の3が民間人で、難民を含めて犠牲者の90%が民間人と指摘するものもあるという。(スーザン・ジョージ「債務ブーメラン」朝日新聞社)
1950年6月に始まった朝鮮戦争で、北朝鮮の死者は250万人、韓国市民100万人、韓国軍人5万人、米国人5万4000人、中国軍人100万人。(J・ハリデク「朝鮮戦争」岩波)南北朝鮮の合計死者数が355万人というから、太平洋戦争での日本人死亡者221万人をはるかにうわまっている。アメリカ軍人の死者も、ベトナム戦争の時より1万人も多い。
1950年に中国に併合されたチベットでは、数十万人の住民が殺された。アジア監視委員会では「1950年から1980年に百万人を超えるチベット人が不自然な死を遂げたと推定される」と報告されている。(タッド・シュルツ「1945年以後」)
インドシナ戦争
1954年5月7日、ディエンビエンフー陥落。フランス軍の死傷者5,000人、ベトミン軍の死傷者8,000人。
1973年1月28日、南ベトナム全土で停戦が発効。アメリカ軍の死者4万6000人、重軽傷者30万3000人。南ベトナム軍民の死傷者は300万人以上。
ポルポトのクメール・ルージュ政権は1975年のアメリカ軍撤退後の4年間に、300万人の市民を虐殺し、2800の寺院を破壊。
1960年代の内戦以来死者・行方不明者は14万人にのぼる。
ウガンダでは1971年から1979年までにアミンの軍によって30万人以上の市民が殺害された。
1979年以来の内戦で、81年8月までに死者が2万6000人に達する。
1989年末で12年目を迎えアフガン内戦の推定死者は130万人。
1994年、アフリカ中部のルワンダでは3か月で50万人規模のジェノサイド(民族せん滅)が起きた。
ルワンダの南に接するブルンジでは、1993年10月から始まった内戦で、死亡者が1996年7月現在、15万人に達した。
・1912年4月14日、イギリスの豪華客船「タイタニック号」がニューファンドランド島沖で氷山と衝突。1513人が死亡、救命ボートが1100人しか用意されてなかったため、婦人と子供711人が救助される。
・1914年5月29日、カナダのセントローレンス川の河口で、カナダ客船とノルウェーの石炭運搬船が衝突。19分後に客船は沈没、川の水温が冷たかったため1,012人が死亡。
・1978年11月22日、254人のベトナム難民を乗せた小型汽船がマレー半島沖で座礁して沈没、203人が死亡した。
ギネスではこれまで地球上で起きた災害の記録を42項目に分類し、そのなかで最も被害の大きかったものを取り上げている。(ただし他の資料で確認されなかった記録を含む)
災害名 | 死亡者 | 地域 | 発生時期 |
---|---|---|---|
黒死病 | 7,500万人 | ヨーロッパ、アジア地域 | 1347〜51年 |
餓死 | 4,000万人 | 中国北部 | 1959〜61年 |
民族根絶 | 3,500万人 | 蒙古族による中国農民虐殺 | 1311〜40年 |
インフルエンザ | 2,164万人 | 世界中 | 1918〜19年 |
暴風雨 | 100万人 | バングラデシュのガンジスデルタ諸島 | 1970年 11月12〜13日 |
洪水 | 90万人 | 中国黄河 | 1887年10月 |
地震 | 83万人 | 中国狭西省 | 1556年2月2日 |
ダム決壊 | 23万人 | 中国河南地方、バンチャオとシマンタンダム | 1975年8月 |
地滑り | 18万人 | 中国甘粛省 | 1920年12月16日 |
原爆 | 15,5200人 | 広島 | 1945年8月6日 |
空襲 | 14万人 | 東京 | 1945年3月10日 |
火山 | 9,2000人 | インドネシア、スンバワ、タンボラ | 1815年 4月5〜10日 |
雪崩 | 18,000人 | ペルー、ファスカラン、ユンゲイ | 1970年5月31日 |
沈没 | 7,700人 | ソ連潜水艦魚雷によるドイツ客船ウイルヘルム・ガストロフ号(2万5千トン)沈没 | 1945年1月30日 |
パニック | 4,000人 | 中国重慶、防空壕 | 1941年6月6日 |
スモッグ | 3,500 〜 4,000人 |
イギリス、ロンドンの霧 | 1952年 12月4〜9日 |
工業(有毒ガス) | 3,350人 | インド、ボパールのユニオンカーバイド工場のガス流出 | 1984年 12月2〜3日 |
トンネル作業(珪肺症) | 2,500人 | アメリカ、ウエストバージニア州ホウクスネスト・トンネル | 1931〜1935年 |
火災(単独建造物) | 1,670人 | 中国広費東省の劇場火災 | 1845年5月 |
爆発 | 1,635人 | カナダ、ノヴァ・スコチァ、ハリファックス | 1917年12月6日 |
炭鉱 | 1,549人 | 中国満州本渓湖の炭鉱爆発事故 | 1942年4月26日 |
暴動 | 1,400人 | 台湾、禁制品のたばこ販売の女性逮捕による暴動 | 1947年2月28日 |
竜巻 | 1,300人 | バングラディシュ、シャチュリナ | 1989年4月26日 |
集団自殺 | 960人 | イスラエル、マサダ、ユダヤ人のジーロット派 | 73年 |
鉄道事故 | 800人 | インド、ビハール、バグマチ河へ転落 | 1981年6月6日 |
花火 | 800人 | フランスのセーヌ河でのダフィンの結婚式 | 1770年5月16日 |
航空機 | 583人 | カナリア諸島でのKLMとパンアメリカンの旅客機衝突 | 1977年3月27日 |
動物による人喰 | 436人 | インド、チャンパワット地区での虎の子の射殺が原因 | 1902年〜1907年 |
テロ | 329人 | インド航空ボーイング747型機の過激派による爆発 | 1985年6月23日 |
みぞれ | 246人 | インド、ウタープラデッシュ、マラダバード | 1888年4月20日 |
道路 | 176人 | アフガニスタン、サラントンネル内での石油タンク爆発 | 1982年11月3日 |
油田事故 | 167人 | 北海、パイパーアルファ石油 | 1988年7月6日 |
潜水艦 | 130人 | カリブ海でのルスーク号、アメリカ船と衝突 | 1942年2月18日 |
エレベーター事故 | 105人 | 南アフリカのバールリーフの金鉱内のエレベータ | 1995年5月11日 |
落雷 | 81人 | アメリカのメリーランドでボーイング707に落雷 | 1963年12月8日 |
ヘリコプター | 61人 | グルジアでロシア軍のヘリコプターが撃墜 | 1992年12月14日 |
登山 | 43人 | キルギスタン国境、タジキスタン、レニン・ピーク | 1990年7月13日 |
スキーリフト | 42人 | 北イタリア、カベリーズ保養地 | 1976年5月9日 |
原子力発電所 | 31人 | ウクライナ、チェルノブイリ原発 | 1986年4月26日 |
ヨットレース | 19人 | 28回ファーストネット・レース | 1979年 8月13〜15日 |
宇宙探検 | 7人 | フロリダ州ケープカナベラルでのチャレンジャー打上 | 1986年1月28日 |
核廃棄物事故 | 不明 | ロシア、キュシュチムでのプルトニュウム廃棄 | 1957年12月 |
ユニセフによると、第3世界では毎年1500万人近い子供が死んでいるが、大半は医療体制があれば助けられる病気という。
ユニセフでは1990年までに第3世界の子供の大半に6つの致命的な病気。結核、天然痘、ジフテリア、小児麻痺、ハシカ、破傷風の予防接種をしようと運動をしている。また子供の死亡原因のなかでとくに多い下痢(1987年には世界で400万人が死亡)を撲滅するために努力している。
世界保健機関(WHO)の推定によれば、第3世界で毎年1700万人が予防できる病気で死亡している。病名でいうと、毎年マラリア患者が1億人、結核患者が1000万人、住血吸虫患者が2億人発生している。
国連エイズ計画が1996年7月に発表した世界のエイズ累積死亡者数は、1995年の1年間で130万人。累積死亡者数は580万人であると発表された。またこれまでの累積エイズ感染者は2790万人である。西暦2000年には4000万人に達すると予測されている。。地域的にはサハラ以南のアフリカが850万人、東南アジアおよび東アジアの300万人がこれに続く。日本での累積エイズ患者数は、1995年8月現在で1026人。
1994年WHOへの報告では、患者数は38万人で、死亡数は1万余人。
1918年8月27日、米でスペイン風邪が流行。約50万人が死亡。ワシントンでは棺の在庫がなくなった。日本人の死者は38万人。このスペイン風邪は世界中で約2500万人が死亡したと推定される。
増え続ける結核
結核で毎年約300万人が死亡し、約800万人の患者が新たに発生している。その95%は発展途上国が占める。WHOでは新規患者は2000年には1000万人に達すると予測している。
WHOによると、1996年、中央アフリカで髄膜炎が流行し、15000人が死亡した。
『地球環境報告』岩波新書
『ブリタニカ国際年鑑 96』
『ギネスブック96』(英語版)
S・ジョージ『債務ブーメラン』朝日新聞社
早乙女勝元『ベトナム200人飢餓の記録』大月書店
丁抒『人禍ー餓死者2000万人の狂気』 学陽書房