1996.07
人は何歳まで生きるか

100才老人の調査

  日本では1973年に100才老人調査が行われ、100才以上の人が405名いた。26年後の1999年に厚生省が発表した「全国高齢者名簿」では、100才以上の高齢者は11,346人に達し、うち女性は9,373名で女性が約8割を占めている。

  それ以前の調査では、昭和7年(1932)に日本橋の三越デパートの「延命長寿の会」が調査して、『延命長寿』を発行している。そのなかで長寿者は、新潟県の斉藤庄吉さんで文政5年生まれの102才。彼は壮年までは車夫をしており、その後は製菓業についた。何才まで生きたのだろう。

 

ギネス・レコードに見る長寿者

  ギネス・レコードはいわずと知れた、世界中のトップ記録を一同に集めた本。その1996年版の長寿の記録を見ると。

 1位は故人となった徳之島の泉しげちよさん(120才237日)が記録保持者として登録されている。
 2位 ジャンヌ・カルメン/仏(1875〜1995)120才40日
 3位 カリー・ホワイト/米(1874〜1991)116才
 4位 シャーロット・ヒューズ/英(1877〜1993)115才
 5位 ピェール・ジュベール/カナダ(1701〜1814)113才
 6位 キャロリーヌ・モックリッジ/豪(1874〜1987)112才
 7位 ジョン・エバンズ/英(1877〜1990)112才
 8位 ヨセファ・マテオ/スペイン(1860〜1973)112才
 9位 マレン・トープ/ノルウェー(1876〜1989)112才
10位 モハメッド・モクリ/モロッコ(1844〜1957)112才
  これで見る限りすごいという感じは受けない。やはり世界的にみても120才が人間の寿命の壁のようである。
  なおギネスの記録のなかで、双子の最年長者はアメリカ人のエリ・シャデラックとジョン・フイップで、1803生まれで1911年108才で死亡している。

 

長寿者伝説

  戸籍の記録が正確かどうかは問題だが、何正世紀もさかのぼって調べて見ると、120才をはるかに超えた長寿者が見つかる。
農業のトーマス・パー/英(1483〜1635)152才
貿易商のクリステン・ヤコブセンドラッケンベルグ/デンマーク(1626〜1772)146才
農業のピトラス・ソアルテン/ハンガリー(1539〜1724)185才
セノス・ロウェン/ハンガリー(1553〜1725)172才
ハテス・ハムス/トルコ(1764〜1928)164才
漁業のマームッド・オグリー・エイバゾフ/ロシア(1808〜1959)151才
僧侶のケンタイ・ジャーン/スコットランド(不明)185才
フリア・シェピブ・ヘロウ/イラク(1807〜1977)170才
農業の満平(1602〜1796)194才
農業の松原仙右衛門(不明)185才
(出典「図説老年病医学1」同朋舎出版)
このなかのトーマス・パーはウイスキーの銘柄である「オールド・パー」で有名で、122才で再婚して子供を作ったという農夫。チャールズ1世の宮廷に招かれた1635年に152才で死亡した記録が残っている。
最近の長寿の例では、米議会の最長老の共和党のストロング・サーモンド上院議員は現在93才の現職議員。96年の11月の本選出馬を決めた。政治家は長生きするというが、彼の場合は特別。彼は65才で21才の女性と再婚、73才までに4人の子供をもうけているという。長生きの秘訣は酒、たばこはやらず腕立て伏せと腹筋運動をすることか。(「毎日新聞」6月14日付)
日本では1990年現在、10万人に対し2.5人の割合で100才を超えた人がいるが、120才を超えた人はいない。

 

聖書のなかの長寿者

  聖書はもとよリ神話の部分を含むため荒唐無稽な記載が多い。しかしそれはそれとして立派な資料である。
  人類の祖であるアダムは何才まで生きたのか。彼は130才の時にセツを産み、そのあと800年生き、930才で死んだ。アダムの子のセツは105才の時にエノシュを生み、912才で死んだ。
   セツの子エノシュは905才。その子ケナンは910才。その子マハラルエルは895才。その子エレデは962才。その子エノクは365才。その子メトシェラは969才で、聖書中1番長生きをしている。そこで劇作家のショーは、彼にあこがれて『メトシェラに帰れ』という戯曲を書いている。メトシェラの子レメクは777才。このレメクが182才の時に生んだ子供がノアである。
   箱船で有名なノアが何才で死亡したかを知っている人は少ない。彼は『創世記』によると、大洪水のあと350年生き、950才で死亡した。ノアは500才の時にセム、ハム、ヤペテを生んだ。
   このセムのあとの子供は寿命が100才単位で短くなっていき、そして神話の時代から歴史の時代に入るようだ。
セムは100才でアルパクシャデを生み500年生きた。アルパクシャデは35才でシェラフを生み500年生きた。
シェラフは30才でエベルを生み403年生きた。エベルは34才でペレグを生み430年生きた。
ペレグは30才でレウを生み207年生きた。レウは32才でセルグを生み同じく207年生きた。
セレグは30才でナホルを生み200年生きた。ナホルは29才でテラを生み119年生きた。
テラは70才でアブラハムを生み205年生きた。
  ここからはいよいよ歴史の時代である。
  アブラハムが100才の時、その妻サライは90才で子供イサクを生み、127才で死んだ。アブラハムは財産をイサクに与えたあと175才で死んだ。イサクは180才で亡くなリ、その子エソウとヤコブが彼を葬った。
ヤコブが147才で亡くなった時、その子ヨセフは父をミイラにし、エジプトは彼のために70日間嘆き悲しんだ。ヨセフは110才で亡くなリ、ミイラにされて棺に納められた。イスラエルの民をエジプトから脱出させたモーぜは120才で亡くなった。

 

日本の記録

70才以上のお役人

  『半日閑話』25巻に、寛政6年(1794)における70才以上の役人の名前と年齢が記録されている。
旗奉行 奥田土佐守(91才)、二の丸隠居 辻六郎左衛門(86才)、寄合 比留輿十郎(84才)、槍奉行 松下隠岐守(82才)。以下34人の名前があリ、その合計年齢は2,624才。平均年齢は77才である。当時は隠居制度はあったものの、仕事を続けることは差し支えなかったようである。
  それから40年後の天保5年に行われた幕府役人を対象とした年齢調査では、70才以上の在職者は50人である。最高年齢者は西丸槍奉行の堀甲斐守(94才)で、翌年に辞職している。以下80才台は10人、70才台は39人。(佐々悦久「江戸サラリーマンの隠居術」)


80才の賀祝

  日本では60才、70才、80才の年齢になると、その長寿を祝う算賀の行事が行われていた。享保10年(1725)にも、旗本の隠居生島幽軒の80才の賀を祝うために、老人7人が集まった。その客たちの顔ぶれは武士の志賀金五郎(167才)、医師小林勘斎(136才)、武士佐治宗見(107才)、旗本隠居石寺権右衛門(97才)、医師谷口一雲(93才)、旗本下条長兵衛(83才)、浪人岡本半之丞(83才)で、いずれも長寿者である。このなかの医師の谷口一雲は、寛政12年(1800)に亡くなったという記録から、死亡した年齢はおよそ168才ということになる(『梅翁随筆』より)。作家の滝沢馬琴は、この書物のなかの志賀金五郎に興味をもち、実際に墓を尋ねて不断院に行ったが、墓はすでになく過去帳を調べると享保15年(1730)に葬られていることを確認している。


上杉鷹山の賀祝

  質素倹約の方針で米沢藩の財政を助けた上杉鷹山は、70才の時、側室の豊も80の傘寿ということで、2人で年祝いをした。祝いの宴は米沢の隠居所で行われたが、上杉鷹山は領民の70才以上の高齢者に対しすべてに賀酒を贈った。その数は4,560人という。このあと上杉鷹山は文政5年(1822)3月、72才で亡くなっている。

 

滝沢馬琴の記録

  滝沢馬琴の『玄同放言』三巻を見ると、長寿の例が多く載せられている。長寿の順に並べると、


百才以上

百姓満平(195才)三河国宝飯郡水泉村の百姓。(1602〜1796)幕府の慶賀に江戸に招かれ白髪を献上した。彼の長寿法は膝の下に毎日お灸をするという。妻が173才、子が153才、孫が105才という長寿一家。敷地内に霊水があり、それを飲むことが長寿の理由との説もある。

渡辺幸庵(128才)寛永6年没。武蔵の生まれの武士。故あって浮浪し、海外を歴遊して至らない所ないという。資料「幸庵対話記」。

禅修法師(119才)伊勢国長命寺住職。禅修は土佐の人で元禄7年生まれ。天明6年、93才で長命寺住職となる。彼は質朴で欲がなく、物にこだわらない性格。ただし酒をたしなみ豆腐が好きという。彼は2里ばかり離れた本山にも酒を携えて出かけ、途中で独酌するという。

清円尼(114才)大石良雄の娘。馬琴の所有している手形の写しに、「こんひら月参。大石良雄娘。百十四才清円」と印されてあるという。しかしこの手形が本物かどうかについては作者の馬琴も疑っている。

江村専斎(100才)加藤肥牧に仕えた医師。寛文4年死亡。100才になる元旦に詩歌を作った。
  もゝとせも猶あきたらず行末をおもふこゝろぞ物笑ひなる
  (資料「近世畸人伝」)。

食客七兵衛(100才)江戸本船町与右衛門の食客である七兵衛は、文政元年9月、100才を祝って御米10俵を賜わる。


90才以上

堀部弥兵衛の娘妙海尼(93才)墓は四十七士が葬られている芝の泉岳寺。墓誌には「清浄菴。宝山妙海尼。堀部弥兵衛金丸娘。行年93才。安永7年2月25日」と記されている。

 

職業別長寿リスト

●剣豪・武術家

  渡辺誠の調べによると、剣豪は長生きした者が多いという。

天真正伝神道流の祖飯篠長威斎は102才(1488年没)
陰流の祖愛洲移香斎は87才(1538年没)
念流十三世将定86才(1751年没)
総合武術の竹内流の祖竹内久盛は93才(1995没)
竹内流二世の久勝は98才(1663没)
法神流の楳本法神は168才(1830没)
高橋藩士寺田五右衛門は82才(1825没)
塚原卜伝は82才
九州の剣豪丸目蔵人佐は90才
白隠の師である仙人の白幽子は240才
渡辺氏の説では、彼ら剣豪・武術家は正しい姿勢と呼吸法を体得しており、特に丹田の鍛練によって自ずと長寿の身体を身につけたという。


●実業家

  実業家にも調べて見ると80才を超えて長生きした人が多い。

鉱山業林末翁(1653没)113才
甲州財界の巨頭若尾逸平(1913没)93才
金原銀行創業者金原明善(1923没)92才
関西実業界の大物大井卜新(1924没)91才
産業資本家大倉喜八郎(1928没)91才
日本株式会社の父渋沢栄一(1931没)91才
ビール王馬越恭平(1933没)89才
神戸築港の創建者網屋吉兵衛(1869年没)85才
博多の豪商神屋宗湛(1635没)83才
近江商人岡田八十次(1650没)83才
明暦の大火で巨利を得、新井白石が日本一の分限者と呼んだ河村瑞賢(1699没)83才
セメント王浅野総一郎(1930没)83才
易占で有名な経済人高島嘉右衛門(1914没)82才
安田財閥の安田善次郎(1921没)82才
密貿易の容疑で獄中で死亡した銭屋五兵衛(1852年没)81才


●天皇

  神話時代の天皇は長寿者が多い。百才以上の長寿者が10名で、死亡年が確認されている最高長寿者は87才の昭和天皇である。
垂仁天皇/11代 139才
孝安天皇/6代 137才
孝霊天皇/7代 128才
神武天皇/初代 127才
崇神天皇/10代 119才
孝元天皇/8代 116才
孝昭天皇/5代 114才
開花天皇/9代 111才
応神天皇/15代 111才
仁徳天皇/16代 110才
昭和天皇/124代(1989没)87才
後水尾天皇/108代(1680没)85才
陽成天皇/57代(949没)82才


●戦国武将

北条幻庵  97才
北条早雲 (1519没)88才
島津義弘 (1619没)85才
宇喜多秀家 (1655没)84才
尼子経久 (1541没)84才
金森長近 (1607没)84才
朝倉宗滴  81才
武田信虎 (1574没)81才


●宗教家

天海/天台宗(1643没)108才
渡会家行/神道家(1349没)107才
性空/天台宗(1007没)90才
親鸞/浄土真宗(1262没)90才
一休/臨済宗(1481没)88才
忍性/戒律宗(1303没)87才
蓮如/浄土真宗(1499没)85才
白隠/臨済宗(1768没)84才
行基/僧(749没)82才
法然/浄土宗(1212没)80才


●画家

葛飾北斎/画家 (1849没)90才
富岡鉄斎/画家 (1924没)89才
鳥羽僧正/画僧 (1140没)88才
雪舟/画僧 (1506没)87才
狩野元信/画家 (1559没)84才
尾形乾山/陶工 (1743没)81才
本阿弥光悦/工芸家(1637没)80才


●学者

西依成斎/儒者 (1797没)96才
土肥豊隆/茶道家 (1732没)94才
荒井千春/画家 (1812没)94才
石川丈山/学者 (1672没)90才
落合東堤/儒者 (1841没)89才
雨森芳洲/儒者 (1755没)88才
伊藤長衡/儒臣 (1772没)88才
斎藤彦麿/国学者 (1854没)87才
佐藤中陵/物産学者 (1848没)87才
伊藤坦庵/儒者 (1628没)86才
杉山和一/儒学者 (1694没)85才
伊藤常足/地理学者(1858没)85才
伊沼慾斎/医師(1865没)84才
青木北海/国学者(1865没)84才


外国

●思想家

ラッセル/英(1970没)97才
デューイー/米(1952没)92才
ファーブル/仏(1915没)91才
ホッブス/英(1679没)91才
ハイデガー/独(1976没)86才
ヤスパース/独(1969没)86才
カーライル/英(1881没)85才
スウェーデンボルク/スウェーデン(1772没)84才
ベルグソン/仏(1941没)81才


●画家

ピカソ/スペイン(1973没)91才
ミケランジェロ/伊(1564没)90才
マチス/仏(1954没)84才
クラナッハ/独(1553没)81才
ボナール/仏(1947没)80才
ショー/英(1950没)94才
パウンド/米(1972没)87才
メーテルリンク/ベルギー(1949没)86才
クリスティー/英(1976没)86才
ストウ夫人/米(1896没)85才
クローニン/英(1981没)84才
ユゴー/仏(1885没)83才
テニソン/英(1892没)83才
トルストイ/露(1910没)82才
ゲーテ/独(1832没)82才

 

老いぼれの独リ言

  1733年に、医師の杉田玄白は84才の時、長寿を願っている人のために次のように記している。
  「私の若いころ、日本橋通四丁目に家主の宇右衛門という者がいた。この男は90いくつまで長生きをした。…彼は常になく長生きしたので自分の寿命に飽き果ててしまい、死ねる薬がほしいと人々に所望したという話を私は聞いたことがある。これは1見狂人の言葉のように思われるかもしれないが、気血が弱まる一方で、何事につけても不自由を感じるようになったら、まさしくそんな気持ちになるだろう。大して驚くほどのことでもないのだ。長生きしてもどうせ「何しても同じ浮世に同じ花 月は真ん丸雪は真っ白」(油煙斎貞柳)の歌のようなものだから、無理に長命を願ったりするのは無益なのである。」

 

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