1995.01 |
中国人は死を生と同じように重要視した国民である。また中国は2000年の間「儒教」という宗教を通して先祖崇拝を続けてきた。これは祖先の墓を立派にすることが生きている者に繁栄と幸福をもたらすと信じてきたことからもわかる。中国では共和国成立後、そうした信仰が批判され、故毛東沢主席は国民に火葬を提唱した。しかし長年つちかった土葬の信仰は根深く、火葬率は30%(90年)である。
中国の人口は11億人で、年間の死亡者数は、1,500万人というから死者の数では日本の約20倍。蘇州は中国の景勝地であるが、上海人の墓がここに集中している。毎年上海の死亡者6万人のうち、3分の1が蘇州をめざしているという。坑州・西湖でも83年にお墓禁止令が出されたが、効き目はなかった。土葬から火葬に変わってからも、彼らにとって亡くなった人の骨灰を納める墓が必要なのである。
確かに葬式は大いに簡略化され、火葬が増えている。政府は1985年に全土を沿岸地域と内陸部とに分け、沿岸部については火葬が義務づけられた。
1994年4月の新聞記事によると、上海市民の間では、286柱の遺灰を海上にまく散骨式が行われた。1991年からこうした散骨式が始められた。散骨は一つのデモンストレーションであるが、それでも参加者がある理由は墓不足が考えられる。今回は、中国の都市部で行われる、葬儀次第とそれに使用される小道具に焦点をあててみた。
北京市には10の霊園と12の葬儀場がある。葬儀場では元首相の周恩来の葬儀を行った八宝山殯儀館が有名である。この葬儀場では、北京市内の死者年間5万体のうちの2万2千体を扱うという。(単純計算で、1日平均60体を扱う事になる。受付時間は午前8時から午後4時30分まで)火葬場と告別式場が同じ敷地内にあり、ここで簡単な葬儀を行った後、遺体を火葬場に運んで火葬をする。火葬にする際には遺族は立ち会うことはない。火葬後の納骨も職員だけで行い、当日または翌日遺族に連絡して、遺骨は遺族の立ち会いのもとに付属霊堂のロッカー式の納骨棚に安置する。
骨灰盒(骨箱)は、3年間しか保管されず、その期限が来ると遺族に連絡して引き取ってもらい、それまでに用意した墓地に納めることになる。しかし事情があって骨灰盒を引き取らない場合には、他の遺骨と合祀されることになる。
式場には一般向けの小庁(小ホール)と高官などが使用する大庁(大ホール)があるが、大庁の使用料は1,000元。一般の平均所得の5か月分である。(91年)
一方商業都市上海には、14ケ所の火葬場と有料共同墓地が15ケ所、有料納骨堂が9ケ所ある。上海の殯儀館のなかには、遺体処理の施設があり、多くの遺体には防腐処置や美顔術が施される。また遺体の副葬品用として、カラフルな寿衣、帽子、はきものなどが売られている。ただし棺は高額なため、一般の人が使用する例はまだまだ少ない。
(1)死者を殯儀館に移送する
医師より死亡宣告を受けたら、遺族は殯儀館に連絡を取って、遺体をマイクロバスで殯儀館まで搬送してもらう。殯儀館で所定の手続きをしたのち、遺体を冷凍庫に安置する。(遺体の数が多いときはここに安置し、葬儀の日程の調整とする)。そのあと遺族は殯儀館の担当者と相談して、弔問時間、葬儀形式などを決定する。中国の「戸口登記条例」(日本でいう戸籍法にあたる)によると、「市民が死亡したときは、都市においては葬る前に、農村においては1か月以内に、戸主・親族・扶養者または隣人が、戸口登記機関に死亡登記を申告し、戸口を抹消する」(第8条)とある。
(2)霊堂(式場)設営
式場正面中央の壁面に黒の額に入れた遺影を安置し、両脇は黄色の花で飾る。そしてその手前の棺台に遺体を安置し、そして生花(主に黄や白の菊)と果物、野菜が供えられる。その両脇には大きなローソク一対と、香炉が置かれる。棺台の上のローソクは一般的に白が用いられるが、80を越した人などの場合には、赤いローソクが使われることもある。また両側に篭に入れた花が置かれることもある。また遺影の上には「奠」という文字がひときわ大きく飾られる。これは「香奠」の奠と同じ字で、おごそかに供えるという意味である。
その他のお供えとして、死者の夫あるいは子供たちから贈られた哀悼の言葉が書かれた幕である挽章が、遺影の両脇の後方に掛けられる。これは大抵縦に書かれている。花輪や花籠は入口を入った両側に並べられ、式場内の両脇には長卓が置かれて、ここで弔問者が腰を掛けてお茶を飲むようになっている。
(3)受付
式場入口には長卓が置かれ、そこで受付を行う。普通、葬儀の時に贈るものには、花輪、花籠、挽聯、挽章、奠儀(香奠)などがある。そしてこれら供物を記録するための「礼簿」や「謝帖」が用意される。日本での供物控帖のようなものである。
(4) 次に火葬された骨灰を入れる骨灰盒が求められる。これは木製の物が多いが、値段によって色々な種類があるので、遺族の経済状態などによって選択する。
(5) 死者に対する死化粧(理髪)とか死者が身につける衣装も、遺族の考えによって決定される。衣装に関しては実物が展示されているのでそれから選択する。
(6) 出棺の際の注意として、車の準備のため、人数を明確にするなどの必要がある。(ただし火葬場が離れた場所にある場合)
死亡通知は死亡した人の家族や友人に対して行われるが、それを紙に書いて渡す場合がある。この紙を「報条」などと呼び、形式に則って書かれる。
家○○○先生于○月○日○時因○○逝世。 即日移霊○○殯儀館治喪。 茲定于○月○日 ○時大斂、 謹此奉 聞 家人叩稟 |
(大意:○○家○○月○日○○にて逝去。
即日遺体を○○葬儀場に移して葬儀を施行する。
○月○日○時納棺。慎んでここに報じる。家族敬白)
用紙は白を用いるが、若い人の死亡の場合は銅色の紙を使用する。そして上の角には、書いた人の名前と住所を赤で記入する。
死亡告知には一般的形式と公告的形式がある。
一般的な形式には、次の5つの項目から組み立てられている。
1. 「訃告」と云う文字か、○○訃告。
2. 死者の姓名、身分、死因、死亡日、死亡場所、年令。
3. 故人の経歴。
4. 追悼会の日時、場所の通知。
5. 訃告をした個人または団体名。
●実例
魯迅先生訃告 魯迅先生は1936年10月19日午前5時25分、上海の住居で病気により死亡。享年56歳。即日万国殯儀館に移す。各界遺容を拝する時間は20日午前10時より午後5時。先生の遺言「葬儀において、どなたからも金銭を受理しない」により、哀悼文や花輪は除き、香奠は辞退します。ここに慎んでお知らせします。 |
「公告」を行うかどうかの決定は身分、党、国家、機関、団体によって行われる。「公告」に記される項目は、
1. 「公告」という題と、発表する役所名。
2. 死者の職務、名前、死亡原因、場所及び年令。
3. 死者の簡単な経歴と哀悼の辞。
4. 公告年月日。
弔電とは喪家に出す電報で、その目的は死者に対する哀悼の気持ちと、喪家に対する慰めが記されている。
1. 第1行に弔電という文字。
2. 最初に呼びかける対象名を記す。例えば、同志、先生、夫人など。
3. 本文。
4. 末尾に「特電慰問」、「粛比電達」などと記す。
5. 署名、年月日。
挽章とは、葬式の時に贈る布や絹の掛物で、そこに弔慰をあらわす言葉が漢字で書かれる。大きさは縦2メートルくらいで、白や青、黒の素材が用いられる。
書かれる文字は縦に3列で、右上から死者の名前とそれに添えた言葉。
2列目中央は、四文字の言葉が選ばれる。またいわゆる挽聯(ワンリェン=死者を哀悼する対句)を書いたものもある。最後の行にはこれを贈った人の名前が書かれる。
○○姐孺人仙游霊鑑 |
「挽聯」はかって死者を埋葬するさいに歌われた「挽歌」が、こうした形で残されたという。「挽聯」は、死者の性別や年代によって、さまざまな言葉が用意されており、一般の人はそうしたリストから適当な言葉を選択するようである。
花輪は死者の友人や親戚から捧げられるもので、哀悼の意を示すものである。花輪は竹あるいは木で丸く作り、色紙で大小の花を貼り付けて作られる。
中央に「奠」(供え祭る)と大きく書き、右上には「○○同志千古(とこしえに)」と左下に「○○敬挽(慎んで哀悼の意を表する」などと記す。
現在、葬儀は簡素化に向かい、一般の追悼会は殯儀館の中で簡単に行われることが多い。従って儀式は無宗教、つまり僧侶がお経を唱えるということはなく、あっさりとしたものである。
1. ○○追悼会開始
2. 全体粛立(起立)
3. 奏哀楽(哀歌の演奏)
4. 献花
5. 読祭文
6. 奏哀楽
7. 向霊前行礼三鞠躬(棺に向かい三礼する)
8. 来賓致祭一鞠躬(来賓礼一回)
9. 演説(弔辞)
10. 奏哀楽
11. 遺属謝来賓一鞠躬(来賓に対し遺族は一回礼)
12. 礼成(以上)
1. 奏哀楽
2. 参列者起立
3. 身分のある人による弔辞朗読
4. 来賓による哀悼の辞
5. 家族代表による謝辞
6. 棺を1周して死者と告別する
7. 遺族の機嫌をうかがい、慰める。
8. 哀曲の流れるなかを出棺。火葬場に向かう。
また、死者の生前の希望により追悼会を開かない場合に、遺体告別式のみを行うことがある。
骨灰盒安放儀式とは墓の中に骨灰盒を納める儀式である。普通、火葬にしてから3年間は納骨堂にあずけ、その間に墓を用意して3年目に墓に納めることが多い。墓碑正面には死者の名前と建てた人の名前、墓を立てた年月日が彫られている。
死者の親族は墓穴の前に立ち骨灰盒を墓穴に納めて蓋をし、親族は花輪や果物を供える。もし骨灰盒を殯儀館か火葬場の安置室に納める場合にも、儀式は簡単である。すなわち骨灰盒の前に花輪と果物を供え、哀しみを示す(泣く)。
墓碑名の書き方は、一般に右から左に4段に分けて記される。1列目は死者の歿年月日、2列目は死者の姓名、3列目は碑を建てた人の名前、最後に碑を建てた年月日を刻む。
五四運動以降、様々な分野で変革が行われたが、葬儀についても同じである。葬儀については簡略化が進められ、1929年、国民政府では「喪礼草案」が提案された。以下がその草案である。
(1)報喪(死の通知)
人が死亡したら、家族は親友に通知する。この際に新聞に掲載したり、訃帳を用いる。
1. 納棺を告知する。
2. 棺を並べる。
3. 入棺。
4. 蓋棺(棺にふたをする)。
5. 喪主は棺の前に行き、三度礼。次に親友は棺の前で一度礼。喪主は手伝い人に感謝の礼をする。
来賓が棺の前で三度礼をする。この時、哀悼の曲を演奏する。花を捧げ、喪主は感謝の礼を一度する。
(4)祭式
1. 序立
2. 哀悼曲演奏
3. 主祭者就位(位置につく)
4. 参霊(棺に向かい三度礼をする)
5. 献祭品(香、 花、果物を捧げる)この時、曲が演奏される
6. 読祭文
7. 辞霊(棺に向かい一礼する)
8. 哀悼曲演奏
(5)別棺(棺との別れ)
A. 来賓辞霊礼
(来賓が死者に別れを告げる礼)
1. 就位
2. 哀悼曲演奏
3. 棺の前に行き、三度礼をする。花を捧げ、喪主は感謝の礼を一度する。
B. 喪主辞霊礼
(来賓が死者に別れを告げる礼)
1. 就位
2. 哀悼曲演奏
3. 棺の前に行き、三度礼をする
銘旗を先頭に、花輪、楽隊、肖像(遺影)、会葬者、喪主、棺と続く。
(7)葬儀
A. 喪主が埋葬を告げる礼
1. 就位
2. 哀悼曲演奏
3. 埋葬文を読む
3. 三度礼をする
B. 喪主祭墓礼
1. 就位
2. 哀悼曲演奏
3. 墓の前に行き、三度礼をする
同上。花を捧げ、喪主感謝の一礼をする
(附規)
1. 喪服。礼服または普段着(衣服には装身具をつけない)。
2. 死者の服。白衣で白冠。
3. 古い慣習である祭壇を設け、僧侶による儀式や、死者のための紙製の道具、冥器、龍頭、及び葬列に使う旗、銅鑼、太鼓、傘などを排除する。
4. 死者を記念する遺像は使ってもよいが、そこに死亡年月日や死亡年を記し、神主(位牌)として使用。
5. 葬儀は倹約し、挽聯、挽章、香花、香奠、花輪などは使用してもよいが、紙燭や冥器などは排除する。
近代は火葬が普及し、儀式も殯儀舘(葬儀場)で行われるようになった。
「婚葬喜慶全典」の解説によると、キリスト教の葬儀は教会で行われる。教会にとって死は喜ばしいことであって、決して棺などに向かって泣いてはいけない。また友人は棺に向かって礼をしてもいけない。こうした行為は非キリスト教的な行為とされる。
1. 序奏
2. 唱詩(我が家は天にあり)
3. 祈祷
4. 献詩
5. 伝略
6. 献詩
7. 読経典
8. 献詩
9. 証道
10. 献詩
11. 宣読弔電
12. 葬儀会代表遺族感謝
13. 唱詩
14. 来賓起立(哀悼の曲)
15. 祝寿
16. 出棺
葬礼
献詩
祈祷
唱詩
中国は漢民族が人口の93%を占め、残りが55の小数民族で占められている。残り7%といっても、ウイグル族、イ族、ミャオ族、チベット族、満州族などは人口百万人を越し、こうした民族は15民族もあるという。この小数民族に対しては、昔ながらの葬送習俗を続けてもよいことになっているので、これからもそうした風習が続けられるものと思われる。参考までに羅開玉の「葬送と中国文化」から、民族とその葬法をまとめた表をのせた。
民族 | 主要分布 | 伝統葬法 | 現在主要葬法 | その他の葬法 |
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漢 | 全国 | 土葬 | 土葬と火葬 | 崖葬、水葬 |
壮(チワン) |
広西、広東 |
土葬 (2次拾骨葬) |
土葬 (2次拾骨葬) |
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チベット | 青蔵高原 川西高原 |
土葬、水葬 天葬、火葬 |
土葬、水葬 天葬、火葬 |
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彝(イ) | 貴州、四州、雲南 | 火葬 | 火葬、土葬 | |
羌(チャン) | 四川岷江上游 | 火葬 | 火葬 | 石葬 |
布依(プイ) | 貴州、四州、雲南 | 土葬 (2次拾骨葬) |
土葬 | |
苗(ミャオ) | 貴州、湖南、 雲南、広西、他 |
土葬,崖葬 | 土葬 | |
瑶(ヤオ) | 広西、湖南 雲南、広東、他 |
火葬、土葬 | 土葬 | 嬰児は床下に葬る |
・松濤弘道「世界の葬儀」新潮社
・羅開玉「葬送と中国文化」三環出版社
・「婚葬喜慶全典」上海社会科学院出版社(表7)
・「婚葬喜慶百事通」福建科学技術出版社他。