1992.05 |
日本全国の葬儀の風習を知ることは大変に難しい。尾何県でも15分と違わない地域で、異なったしきたりを行っているところがあることも珍しくない現状である。ちなみに葬儀後に火葬する県が28県。火葬してから葬儀を行う県が東北地方を中心とした10県。そし同じ県でもこの両者が共存している県が8県であった。
通夜・葬儀とも公民館や齋場を利用する場合が多い。通夜には弔問客が積極的に参加し、通夜が終わると、通夜ぶるまいが用意される。葬儀は午前中に行なわれ、焼香のあと出棺。火葬場で焼香の後、火葬される。そのあと、初七日や七七日の法要を行ない、「忌中引き」と呼ぶ精進落としの料理をとる。札幌市には寺院が270ケ寺で浄土真宗が多い。会館は約400。函館では通夜の前に、根室市では葬儀の前に火葬が行なわれる。
道内では、香典返しは粗供養品で、会葬礼状とともに渡すのが慣例。道内の一部では供花の代わりに「供花紙」を利用する地区がある。
県内では火葬したあとに通夜を行なう。通夜は6時から始まり、青森市では寺院などで行ない、自宅は1割くらい。自宅から遺骨と位牌、遺影の他、「いっぱい飯」と団子をもって祭壇に安置する。香典返しは受付でその場返しをする。葬儀終了後はただちに墓地に行き、埋葬する。墓地から帰宅すると初七日の法要を行ない、精進落としを行なう。忌明けは青森市では三七日、八戸市では五七日に行なうのが一般化している。
通夜は一般に自宅で行なわれる。通夜ぶるまいの招待を受けた者は、香典とは別に「御夜食料」を包む。通夜のあとに火葬が行なわれる。その際、遺影・死花などを一人ずつ携えて行く。火葬場で僧侶の読経のあと遺族、参列者が焼香し、遺族は参列者に挨拶する。収骨のあと遺骨を祭壇に安置したら、葬儀の準備をする。火葬を先にするのは、遺体を本堂に入れることを禁じたためと考えられる。盛岡地方の葬儀は寺院で行なわれる。始めに会葬者が式場に入り、遺族が行列して入場する。会葬者は焼香をすまし遺族に挨拶して帰る。香典返しはその場返しである。埋葬は葬儀当日に行なうのが普通である。
仙台市内では通夜は自宅で行なうが、葬儀会場は自宅より寺院が多い。仙台市ではホテルを利用して献花で葬儀を行なうこともある。通夜のあと出棺となり、霊柩車で火葬場に行く。骨あげのあと、遺骨を祭壇に安置して葬儀を行なう。葬儀のあとに埋葬を行ない、そのあと七七日法要までが行なわれ、祭壇は8日目に撤去される。香典返しはその場返しである。なお気仙沼市では、通夜の前日に火葬が行なわれる。
秋田市では火葬のあとで通夜を行なうのが一般的である。遺体を納棺したあと釘うちを行ない、火葬場に向かう。火葬場から戻ったら遺骨を祭壇に安置し、近親者のみで通夜を行なう。市内南部では今でも近隣組織が葬儀全般をとりしきっている。通夜の翌日に葬儀が行なわれる。地域によって葬儀終了間際に、会葬者の前で遺骨の「収骨」が行なわれる所がある。葬儀あと初七日法要が営まれ、そのあと遺族は遺骨と卒塔婆をもって墓地に行き納骨を行なう。埋葬の後、精進料理を食べる。
山形県では通夜を「おつうや」と呼び、念仏講や観音講の人が集まって御詠歌を唱和する。通夜の翌朝、葬儀に先だって火葬が行なわれる。出棺には玄関以外の所から行なわれる。火葬場から帰宅すると、塩と水で清め、遺骨を祭壇に安置して葬儀を行なう。葬儀は普通寺院で行なわれるが、葬儀終了後、五七日の法要が行なわれる。埋葬は七七日の忌明けに行なわれる。香典はその場返し。
福島市内では自宅葬が3割、あとは齋場で行なわれる。福島県では葬儀前に火葬する地域と、葬儀後に火葬する地域がある。福島市では葬儀の前に火葬を行なう。葬儀のとき、親族の男性は麻のかみしも姿をする。会津若松市では、葬儀の後火葬を行なう。玄関先に竹で仮門を作り、そこから棺をくぐらせる。火葬場から帰宅し、初七日法要のあと精進落としを行なう。福島市では香典返しは告別式後に行なう。
茨城では通夜ぶるまいに餅、おこわ、酒が用意される。火葬は葬儀の後に行なわれ地域と、通夜前に火葬する地域がある。水戸市では火葬の後に通夜が行なわれる。葬儀のあと棺を担ぐ人を「陸尺」といい、組内の者が担当する。また放生といって、鳩を放つ儀式も見られる。火葬場では読経のあと、焼香が行なわれ、骨あげとなる。県内では当日に埋葬することが多く、埋葬を終えたら塩をかけて清め、そのあとに精進落としを行なう。香典返しはその場返し。
宇都宮市では葬儀のあとに火葬される。農村部では玄関先に竹で仮門を作り、棺をくぐらせる。火葬場で焼香のあと、火葬。骨あげのあと、塩で体をきよめてから遺骨を安置し、初七日法要のあと精進落としが行なわれる。県内には土葬を行なう地区も残っている。香典返しはその場返し。
県内では葬式組として近隣のひとの相互扶助が生きている。県南部の前橋市や高崎市では、伝統的な習慣が失われている。通夜のあとの通夜ぶるまいは「きよめ」として刺身を出す習慣がある。郡部や農村部では告別式のあと、「ではの飯」という膳が回されることがある。葬儀の後、火葬場では遺体を荼毘にふし、骨あげののち、自宅の後飾り壇に遺骨を安置する。ここで初七日法要を行ない、精進落としをとる。これを「あと念仏」と呼ぶ。香典返しはその場返し。
浦和市では火葬は葬儀のあとであるが、秩父市では火葬のあとに葬儀が行なわれる。葬儀は浦和市や大宮市などの都市部では齋場で行なわれるようになった。郡部や農村部では「出立ちの膳」を回したり、玄関先で茶碗を割ったりするしきたりが残されている。火葬場から帰ると、塩や水で体を清め、遺骨が祭壇に安置されてから初七日法要が行なわれる。香典返しはその場返しが多いが、秩父市では忌明けに返す習慣である。
館山市をはじめとして葬儀当日の朝に火葬を行なう地域が多いが、千葉市では葬儀後、銚子市では通夜の前などと同県内でも異なっている。銚子市では香典は通夜、葬儀の両方に出す。火葬後の骨あげも、千葉市では一部を骨壷に収めるが、銚子市や館山市では全部収めるという。葬儀当日に初七日の法要が行なわれ、そのあと、「忌中払い」という精進落としがあるのは共通である。香典返しは当日返し。
都心部では寺院や齋場での葬儀が多い。また通夜に参列する者が、葬儀に参列する者よりも数が多い。葬儀は通夜の翌日行なわれ、葬儀後に遺体は火葬となる。火葬後、初七日法要、精進落としの順に進められる。なお香典返しは「忌明け」に行なわれる。
通夜・葬儀とも自宅で行なわれる地域が多いが、都市部での齋場利用も増えてきた。相模原市は自宅葬が8割である。県内では一部、葬儀の朝に火葬を先にする地域(南足柄市)がある。葬儀のあと、火葬場で荼毘にされた遺骨を安置しての初七日法要が行なわれる。香典返しは横浜では忌明けに行なわれるが、小田原市、平塚市などその場返しがある。
新潟では浄土真宗の檀家が多い。葬儀・通夜は自宅で行なう場合が多い。新潟市では会館での葬儀が多い。通夜は午後7時頃はじまり、通夜の後には僧侶による法話がある。翌日の葬儀が終わると、棺に釘うちをして出棺となる。新潟市内では旧来の習慣が失われているが、農村部では野道具をもって、野辺の送りを行なう地域が残されている。火葬場では読経、焼香のあと骨あげ。骨壷は使わず骨箱を用いる。遺骨は祭壇に安置し、自宅で初七日法要を営む。香典返しは葬儀後2週間前後に行なう。
富山市では通夜には「死花花(しかばな)」を用意し、祭壇に飾る。翌日葬儀が行なわれるが、高岡市では出館のさいに棺を白のさらしに巻いて霊柩車に運ぶ慣習がある。またかっては「善の綱」といって、棺につないだ白のさらし布を遺族の人たちが、手にとって行列していく習慣があったが、現在では葬儀の前に白い布を手に取ることで代用している。火葬のあとの骨あげでは、高岡市では「総骨あげ」が行なわれるので、骨壷も大きなものが用意される。帰宅すると遺骨を中陰壇に安置し、初七日を行なう。香典返しは富山市では当日返し。
金沢市内では通夜は自宅で行なうが、近くの寺院で行なうことも多い。北陸では喪主が白の装束を着る習慣がある。翌日の葬儀の後、火葬。分骨した遺骨を当日、菩提寺に納める地域もある。金沢市では香典返しはその場返しである。
福井市では通夜・葬儀会場は寺院で行なわれることが多い。納棺には、男性には剃刀、女性にははさみを入れるという習慣がある。福井県嶺南地方では禅宗の寺院が多く、葬儀は自宅で古くからの伝統的な習慣を守って行なっている。出棺時には玄関先で送り火をたいたり、茶碗を割ったりする。また喪主は白のかみしもを着ている。火葬場には位牌、遺影の他、死花を持参する。自宅に帰ってから塩で清め、初七日までの法要を行なう。福井市では香典はその場返しが多い。
通夜・葬儀とも自宅で行なわれることが多く、また大月市など、火葬を行なってから、葬儀を行なう地域がみられる。火葬率は6割と低い。県内では友引でも葬儀を行なうことが多く、その場合には「供人形」を入れたりする。県内では出棺にさいして、念仏講の人々が御詠歌を唱えたり、庭に仮門を作ってそこから棺をくぐらせたりする。甲府市では葬儀後に火葬をし、埋葬してから初七日法要を行なう。香典はその場返し。
通夜・葬儀は自宅で行なう。近隣の人々の相互扶助で行なわれる。松本市では火葬の後、遺骨による葬儀を行なうが、長野市では葬儀のあと火葬する。このとき喪主は白の布を身につける地域がある。故人が生前善光寺詣りをした場合、納棺にさいして血脈を入れる。先に荼毘にふした松本市では、葬儀のあと初七日法要を行ない、そのあと墓地での埋葬を行なう。香典返しはその場返しにする。
通夜・葬儀は自宅で行なうことが多いが、高山市では寺院葬が多い。また高山市では浄土真宗が多く、その場合には枕飾りに水や鈴(りん)を供えない場合が多く、禅宗では枕飯を用意する。市内では斑が葬式の準備を遺族に代わって行なう。岐阜県では「廃仏毀釈」の影響で神式の葬儀も多く見られる。葬儀のあとに火葬が行なわれるが、郡部では土葬の地域が残されており、その際には野辺の送りが行なわれる。香典返しは忌明けに行なわれる。
通夜は自宅、葬儀は寺院で行なうことが多い。県内各地に「弔組」が残されているが、都市部では葬儀社が行なう。静岡市、下田市では葬儀の前に出棺し、出棺にさいしては、僧侶に読経してもらう。棺はアーチ状仮門をくぐり、そのあと火葬にされ、遺骨をもって寺院に行き葬儀を行う。遺骨は葬儀の後、境内の墓地に埋葬され、そのあと精進落としが行なわれる。静岡市内では、その場で香典返しを行なう。
通夜、葬儀は自宅が多いが、名古屋市では齋場で行なうケースが見られる。通夜には、香典の他「淋し見舞」を出す習慣がある。名古屋市周辺の瀬戸・一宮では、喪主が白装束を着ける習慣が残っている。出棺にさいして茶碗を割る習慣がある。葬儀のあと、火葬し、その日に初七日法要が行なわれる。香典返しは、忌明けに行なわれる。
自宅葬が7割以上。普通伊勢、松坂市では年中しめ縄をつけているが、喪家ではこれをはずす。通夜は「夜伽」といい、自宅で行なう。また「組」が葬儀の手伝いをする。津市や松坂市は葬儀後に火葬を行なうが、尾鷲では通夜の前に火葬を行なう。また伊勢市や熊野市では葬儀に先だって、火葬を行なっている。葬儀のあと、出棺に先だって出立ちの膳が回される地区がある。火葬の後、墓地に埋葬するが、墓地には野位牌や死花花、卒塔婆などが用意される。香典返しは忌明けに行なう。
葬式は近隣の人の手伝いによって行なわれる。葬儀のあと出棺。出棺は玄関以外の所から出す。また門で茶碗を割ったり、門火をたくが、浄土真宗の檀家では行なわない。彦根市では棺を、玄関から出した所で読経をする「門勤め」の式が行なわれる。火葬の後、玄関で塩をふりかけてから家に入り、還骨勤行を行なう。そのあと会食である「お仕上げ」をとる。彦根市では受付で香典を出すと引替券をもらい帰りに会葬御礼品を頂く。
京都では「枕膳」とよぶ膳を枕飾りに出すのが正式である。また「友引」には「供人形」を入れて葬儀を行なう。葬儀の準備は町内会で行ない、通夜は自宅で行なわれる。葬儀には竹祭壇が使用される。出棺時に門口で茶碗が割られるが、浄土真宗の家では行なわない。火葬後、遺骨を後飾り壇に安置して法要が営まれる。京都府では供花に樒(しきみ)を贈る。京都市内では会葬御礼に商品券が用いられる。
大阪市内では齋場での葬儀が増えているが、それ以外では自宅での通夜・葬儀が多い。葬儀のあと出棺、門口で茶碗を割るのが一般的であるが、浄土真宗では行なわない。また放鳥といって、鳥を放つ儀式も取り入れられている。火葬のあと、自宅に帰るが、その時、塩を掛けたり、塩を踏んで家の中にはいる。初七日の法要のあと、「仕上げ」という精進料理を取る。香典返しは忌明け。
葬儀には近所の人が手伝う習慣がある。葬儀のあと出棺、この時門口で茶碗を割るのが一般的であるが、丹波地方では行なわない。火葬場では樒(しきみ)の枝を水に浸し、棺に振り掛ける儀式がある。火葬のあと、自宅に帰るが、その時、塩を掛けたり、塩を踏んで家の中に入る。初七日の法要のあと、「精進あげ」という料理を取る。香典返しは忌明け。
枕飾りには、内位牌と野位牌の2つを用意する。また奈良市では逆さ屏風を行なうこともある。葬儀のあと出棺、この時門口で茶碗を割るのが一般的である。また。火葬のあと、塩をかけて家に入る。続いて初七日と三七日の法要を行ない、精進料理を取る。香典返しは忌明け。
県内には互助組織があり、葬儀は世話役が中心に行なう。葬儀は友引の他、三隣亡の日も避ける。喪家には「忌」と記した提灯を門口に立てる。葬儀のあと出棺、この時門口で茶碗を割るのが一般的である。また門火をたくこともある。火葬のあと塩をかけたり、塩を踏んで家に入る。初七日の法要のあと、「精進上げ」という料理を取る。香典返しは忌明け。
郡部は自宅葬であるが、市内は寺院葬である。葬儀は近隣組織が喪家を手伝う習慣がある。鳥取市を中心にした地方では枕飾りに、枕だんごを「送りだんご」とよび、4個の団子を供える。納棺は出棺間際で、それまでは北枕のままにしておく。通夜は「伽」とよぶ。県下では半分が火葬後葬儀を行なう。米子市も葬儀前に火葬を行ない、午後から葬儀が行なわれる。火葬のあと、塩をかけたり、塩を踏んで家に入る。七七日の法要のあと墓地に埋葬に行き、そのあと「精進上げ」という料理を取る。香典返しは忌明け。
全体に自宅での通夜・葬儀が多いが、松江市では寺院での葬儀が多い。通夜を「夜伽」といい、その時間は決まっていない。そのため、弔問客は適時喪家に訪れて焼香する。さて松江市、出雲市では葬儀の前に遺体を火葬にする。葬儀のあと、引き続き初七日の法要を行なうか、墓地に埋葬に行く。そのあと「しまい」という精進料理を取る。香典返しは当日。
岡山県では友引は火葬場が休みのため、葬儀が行なわれない。通夜は「伽」という。葬儀が終わると出立ちの膳が回され、故人との食い別れのあと、棺に花を入れて出棺となる。門口で茶碗を割る習慣がある。火葬のあと、玄関先に用意された塩をかけて家に入る。還骨法要のあと、「仕上げ」という精進料理を取る。香典返しは当日行なうことが多くなっている。
広島県は浄土真宗の檀家の多い地区である。葬儀のあと、備後地方では門口で茶碗を割り、米をまく習慣があるが、浄土真宗の多い安芸地方では行なわない。郡部では庭で棺を3回まわす習慣がある。火葬のあと、玄関先で塩をかけて家に入る。初七日の法要のあと、「お齋」という精進料理を取る。
通夜・葬儀とも7割以上が自宅で行なわれ、寺院葬が約2割。葬儀には近隣組織が中心となって行う。葬儀のあと、門口で故人の茶碗を割ったり送り火をたいたりする。仏壇のみで葬儀を行なう地域もある。家から霊柩車までのわずかな距離でも野辺の送りの様に葬列を組んで行く。火葬のあと、塩をかけて家に入る。初七日の法要のあとには、「まないたばらい」という精進料理を取る。香典返しは忌明けに行なわれる。
通夜を「おつや」といい、近親者が「通夜見舞い」を持参して弔問する。葬儀のあと、出棺にさいし門口で故人の茶碗を割ったり送り火をたく。この時、鳩を飛ばす儀式も行なわれる。県南地方では、徐行した霊柩車のあとを葬列を組んで1区画歩く。火葬のあと、初七日の法要を行ない、「まないた直し」という精進料理を取る。香典返しは忌明けに行なわれる。
弘法大師の生誕の地で寺院が多い。喪家では神棚封じを行なうさいに白い紙の上に「忌」という字を書く。通夜の会場は高松市内では寺院で行ない、地方では自宅で通夜、寺院で葬儀を行なう。葬儀のあと、故人の茶碗を割ったり送り火をたく。また近親者の女性が髪に三角の紙を挟んで火葬場にいく風習が残されている。火葬のあと、初七日の法要を行ない、「なぬか」という精進料理を取る。香典返しは忌明けに行なわれる。
葬儀の準備は近隣の組織が葬儀を手伝う。葬儀のあと、門口で故人の茶碗を割ったり送り火をたく。火葬のあと、遺骨をそのまま墓地に行き、埋葬する。そのさい野道具も一緒に持っていく。帰宅後、初七日の法要を行ない、そのあと「弔いあげ」といって精進料理を取る。香典返しは忌明けに行なわれる。
高知市では寺院での葬儀が多く、葬儀社を中心に準備が進められる。また土葬が多く、その時には土葬用の棺が用いられる。葬儀の準備は近隣の組織が葬儀を手伝う。葬儀のあと、棺の上に羽織をかぶせ、その上に茶碗を乗せ、門口で故人の茶碗を割り、羽織を三回振るしきたりが残っている。火葬の場合、遺骨を全部拾い、野道具を一緒に持って墓地で埋葬する。帰宅したあと、初七日法要を行ない、「精進落ち」といって精進料理を取る。香典返しはその場返しが行なわれる。
全般に自宅での葬儀が多いが、福岡市内では齋場で行なう率が高い。通夜には近親者が「夜伽見舞」に菓子を持参する。葬儀のあと、出棺にさいし門口で故人の茶碗を割り、棺を左に3回まわしたりするしきたりが残っている。火葬のあと、遺骨を携え、家に入る前に体を清め、そのあと初七日の法要を行ない、「精進上げ」といって精進料理を取る。香典返しは忌明けまでに行なわれる。
通夜・葬儀も自宅で行なわれる。枕飾りには枕団子を供えるが、それは49個だったり地域によって異なる。葬儀の前に身内だけで「出立ちの膳」を食べる。出棺にさいしては、門口で故人の茶碗を割り、棺を左に3回まわしたりするしきたりがある。火葬のあと、遺骨を携え、家に入る前に体を清め、そのあと「三日参り」の法要を行ない、「精進落ち」といって精進料理を取る。香典返しは忌明けまでに行なわれる。
葬儀は通夜、告別式、火葬、三日参り、初七日の順で、初七日まで祭壇を飾る。通夜には「目覚まし」のために菓子を持参したが、最近では香典に代わった。葬儀のあと、出棺は、縁側から棺を出するしきたりがある。火葬のあと、遺骨を携え、家に入る前に塩で体を清め、そのあと「還骨勤行」を行ない、「あと祓い」といって精進料理を取る。香典返しは忌明けまでに行なわれる。
人口の7割が浄土真宗で、友引でも葬儀を行なう。従って火葬場は無休である。葬儀は「葬式組」の人たちがし、通夜には近親者が酒や菓子を「夜伽見舞」として持参し、弔問客には握り飯などが振る舞われる。熊本市では、午前中に火葬にし、午後から齋場などで葬儀が行なわれるケースが多い。出棺には、門口で故人の茶碗を割り、棺を3回まわしたりする地域がある。火葬のあと、「還骨法要」を行ない、葬儀を手伝った人をねぎらう精進料理を取る。香典返しは忌明けまでに行なわれる。
通夜は「淋し見舞」、通夜ぶるまいを「別れの膳」などといい、近親者で故人を偲ぶ。一部の地域では葬儀前に火葬をするところもある。出棺にさいしては、会葬者にだんごを配る。門口で故人の茶碗を割り、棺を3回回したりする地域がある。火葬のあと、遺骨を携え、家に入る前に塩で体を清め、そのあと「初七日法要」を行ない、精進料理を取る。香典返しは忌明けまでに行なわれる。
宮崎市では通夜・葬儀とも齋場で行なう所が多くなっている。葬儀の後、出棺にさいしては、門口で故人の茶碗を割る習慣がある。火葬のあと、「初七日法要」を行ない、精進料理を取る。日向市では火葬場から帰った後、神職によって祓いをうけることもある。
齋場での葬儀が4割で、6割が自宅葬である。自宅で行なう場合、葬儀の後、出棺にさいしては、縁側から出すことが多く、棺のあった座敷をほうきではく習慣がある。火葬のあと、そのまま墓地に行き埋葬する。そのあと「七七日」までの法要を行ない、精進料理を取る。種子島では火葬のあと、通夜、葬儀である。
喪家では葬儀の前に墓を掃除し、入り口に納骨まで白の紙を貼る。納棺には膝を少し曲げるため、棺は短くて、深い物が使用される。通夜には近隣の人が集まる。那覇市を中心とする多くの地域では、火葬の後、遺骨を安置して葬儀を行なう。納骨は葬儀の当日に行なわれ、そのあと精進落としをする。夏は通夜を行なわず、すぐに火葬をする。
「都道府県別冠婚葬祭大事典」主婦と生活社
「日本の葬送・墓制全十巻」明玄書房他