1991.04
江戸時代の検視テキスト

  人が死亡した時には、それが自宅の畳の上で老衰で亡くなった場合でも、医師の死亡診断書がないと葬式も出来ない事態が生じることがある。普段からかかりつけの医者があればまだしも、医師にかからず健康のまま老衰で死亡すると、電話しても医者はやってこないことがあるので死亡診断書がもらえず、「異常死体」として警察のお世話になることになる。原因不明の死体はたとえ病死であっても「異常死体」として取り扱われ、「行政検視」または「司法検視」が行なわれる。
  「行政検視」とは警察官が死亡状況や死因を調査することで、死因が犯罪に関係していると疑いがある場合には「変死体」として扱われ、検察官が「司法検視」を行なう。そして検視の結果、犯罪に関係のある解剖を「司法解剖」、死因の明らかでない病死者の遺体を解剖することを行政解剖という。
  上野正彦著『死体は生きている』によると、日本では東京都だけが監察医務院という独立した庁舎をもち、80人のスタッフで、年中無休の体制でローテーションを組み、都内の変死(年間7,300体、1日20体)を扱っているという。
  こうした検視は法医学の領域であるが、今回のデス・ウオッチングでは江戸時代の検視のテキストの一つであった『無冤録述』を取り上げ、当時の医学知識の一端を垣間見ることにしたい。なお読者を考慮に入れて、なるべく犯罪操作に関するものは略し、死体現象に関係あるものを取り上げることにした。


江戸時代の死者の扱い

  江戸時代、およそ260年間に作られた法令は1万を越すと言われている。そのなかで検視が重視されたのは、傷害を受けそれが原因で死亡したのか、あるいは死因は負傷とは関係のない余病のためか等、医者の知見が必要とされたのである。又、変死者や手負いの病人を隠して届け出なかった者に対して罰金が科せられ、変死者を内緒で葬った寺院には50日間の閉門が命ぜられたお触れ書きもある。
  又旅の途中で倒れ死亡した人についてのお触れ書き(1733年)には、「死者の郷国がわかれば、遠国であっても通知し、親類縁者が引き取りに来たら証文をとって引き渡すこと。もし遺体の身元がわからない場合には、そこに3日間さらし、病人の様子を書いた札を建てて土葬にするべし」とある。死因に不審な場合には検視をするが、当時は医師の立会で検視が行なわれた。

 

江戸時代の檢験のテキスト

  日本でできた檢験のテキストはまず『無冤録述』があげられる。このテキストは1308年、元朝で編纂されたものである。その後朝鮮を経由して日本では1736年に日本の状況に合わせて翻訳され、明治43年頃まで幾度も刊行され用いられていた。『無冤録』は上下からなり、題名の「冤」とはぬれぎぬのことである。上巻では肉体の部位とその名称および、検視にあたっての心がまえ、注意点が述べられている。下巻では31の死因とその死体に現われた特徴が記されている。

 

検視上の注意

  初めに「検法」と題し、検視上の注意が述べられている。「およそ遺体を調べるときには、現場に行ってすぐに遺体の近くによらず、風上に座り、死者の親族または現場の係りの者を呼び、詳しく様子を確かめてから調べにかかるべし」とある。これは風下に座ると死臭が強いためそれを避けるための注意である。

  次に「遺体がまだそのままの状態にあるときに、家の内にあるのか、外にあるのか、畳の上か地面の上か、あるいは山か、峰か谷間か、木の上かを確かめ、その遺体を検視する場所を考えてみる。もし山か谷の場合には、山までの距離とその持ち主、及び地名を聞くべし。もし家の中であればどこにあって、その傍らにある道具類、又は遺体の上に着せてあるもの、下に敷いている物を気を付けて見るべし」とある。続いて現場にいた人々に訊問する個所は略して、季節による遺体の変化が記されている所を見てみる。

  「春の3ケ月の間は、死体は死後2、3日たてば変化する。口、鼻、腹の皮、両脇、胸の上は肌の色は少し青い。もし10日以後になれば、鼻、耳の中より悪い汁が流れ出て、腹の皮が膨張する。これは肥満した人の場合で、痩せた人であれば変化が遅れ半月以後に変化する。」

  「夏の3か月では、死体は1、2日すればまず顔、腹の皮、両脇、胸の上の皮膚の色が変わる。3日もすれば口鼻から汁が流れ出て、蛆虫がわいて全身が膨れて腫れあがり、唇は反り返り、皮膚はぶつぶつと起き上がり、6、7日過ぎれば髪が抜け落ちる。」(秋は、夏の死体現象が1日遅れで同じように変化する)

  「冬の3か月では、死後4、5日過ぎると、全身の肌色が黄いばんでくる。半月以後はまず顔、口、鼻、両脇から変わる。」

  「とても熱い日であれば、遺体は1日たてば、皮膚の色が変わって青黒色になる。臭気も出て3、4日たてば皮膚の皮がくずれ、腫れて蛆虫がわく。」

  次に遺体は、季節の変化や死者の年令、体重によってその変化の度合いが異なるとまとめている。現代の法医学では死因や死亡時間の割り出しのために、死体の冷却、死斑、死体硬直、腐敗などの死体現象とその時間推移に関して詳しくデータが集められている。

 

死のレパートリー

  『無冤録述』下は、絞殺された遺体の鑑定から始まるが、ここでは31の項目から次の18項目を取り上げる。「水死」「棒殴死」「刃傷死」「自割死」「毒殺死」「火燒死」「湯発死」「病患死」「凍死」「圧死」「車碾死」「雷震死」「飽食死」「窒息死」「蛇毒死」「男子作過死」「死後仰臥停泊微赤黄色」「首吊り死」。


1. 水死

  まず「水に落ちて死亡した者は、その肌の色は白く、口は開き目は閉じ、腹は膨れ上がり、指の爪の中に砂や泥が入っている」
  「寒季では死体は溺れて数日してから浮かび上がるが、夏などはすぐに浮かび上がる。」
  「水に入って死亡した者は、その多くは目が外れ、口、耳の中から泡が出る。腹は膨れ、両足の裏は白くなっているが腫れてはいない。両方の手足とも前に屈んでいる。男はうつ伏せになって流れ、女は仰向けになって流れる。」ここに出てくる男女の見分け方は、中国小話にも出てくるくらい有名な一説である。

  「水に入って死亡した死体は、両手は握りしめ目は見開いて、腹は少し張っている。生きているうちに水に溺れて死亡した場合、死者の頭は仰向きになっており、両方の手足とも前方に屈め、口は閉じ、目は開く場合も閉じる場合もある。」

  「泳ぎそこなって死亡した者は顔色が赤く、他に傷も痕もない。」

  「水のなかに入って長くもがいて死んだ者は顔色が赤く、口や鼻のなかにも泥水の泡がある。腹にも水が入って少し膨れている。」

  溺死は川や海で溺れ死ぬことをいうが、法医学では気道に液体が吸入されて死んだ場合に溺死という。水泳中に心臓麻痺で死んだ場合、このような死体は水を飲んでおらず、肺や気管支にも溺水がないので厳密には溺死とは言わない。古畑種基著『法医学の話』に溺死の経過と症状についてのべてある。それには4段階あり、
1. 初めに息を止めて溺水を飲まぬようにする時期(30秒から1分)。
2. 呼吸困難の時期で吸気性と呼気性の痙攣が全身に起き、まもなく意識を失い盛んに水を飲みながら痙攣をする(1〜2分)。
3. 呼吸が停止して静かになる(1分)。
4. 末期呼吸期で、口を開き末期呼吸を2、3回繰り返す。呼吸は停止するが心臓はしばらく動いている。この時期に人工呼吸すれば蘇生できるという。溺死の経過は4分から7分である。(72頁)
  「溺死して何日も経た遺体は、全身が膨れ頭髪は抜け落ち、目も腫れ唇も反り返って、全身上から下まで青黒色になって剥けかかり、年令も見分けにくくなって、口鼻の穴からは水沫が出、腹が張っていることがわかるばかりである。」
  また溺死と死亡推定時間の関係は、東京都内459例の水死体を調査した結果が報告されている。それによると手足の皮膚が容易に剥がれるのが、1〜3月の平均は10日〜2週間、これが7〜9月であると2、3日である。同じく死体硬直が解けるのは冬期で5日〜1週間、夏期では2、3日。顔が巨人のように変化するのは冬期で1週間〜10日、夏期で2、3日、頭毛が容易に脱落するのは冬期で10日〜2週間、夏期で3〜4日である。((7)17頁より)


2. 棒殴死

  「棒で叩き殺された死体は、目開き、手開き、腹は張れず、全身に小さな傷があっても別に大きな傷があるはずである。その傷痕が急所にかかっていれば、そこで死んだと定める」

  「物でもって叩き殺した痕は、青、赤、紫又は黒く膨れて黒くなっている。痕の形は斜め、横、縦にあるはずである」

  「棒などで滅多打ちに打った傷は、多くは急所でない所にあたる。そして打たれた人が1〜2時間過ぎてから死ぬ場合もある。又1、2日、3、5日から10日過ぎてから死ぬ場合もある。又堅いもので打たれて即死する場合もある」

  「物か手足で打ったりした傷痕は、重症の場合は紫黒色をして腫れあがっており、次に重いのは紫赤色して少し腫れあがっている。次は紫赤色で腫れのないもの」

  「およそ物で叩き破れた傷が頭にあれば、皮が破れていなくても骨肉が損している」。

  生存中に鈍器で叩くと皮下の下の血管が破れて出血をおこす。これを皮下出血という。皮下出血は生存中に受けた傷である証拠で、死ねば血の循環が止るので出血しない。((7)より)


3. 刃傷死

  「死んだあとに刃物で切った傷は傷口が乾いて、その色が白く出血もない。捻ってみればただの水が出るなり」

  「刀にて切った傷口は、浅いものは狭く、深いものは広い」

  「生きているときに首をはねたのは首筋が縮まり込んで短くなり、死んでから首を刎ねたのは首筋が縮まらず、長いままのろりと伸ばしている」


4. 自割死

  「自分で喉の下を刺して死んだ場合、唯一度ですぐに死んだ場合、その傷痕深さ5センチで食道、気道ともに断ったためである。もし1日過ぎてから死亡した場合は、その傷の深さは4センチで、食道だけを断ったためである。喉の下を割ったときに、その傷が気道まで入れば即死である」

  「自ら喉の下を刺して死んだ場合、口目共に閉じ、両手握り肘は曲がって縮まっている。その死体は刃物をきっと握って力んでいる様子がある」


5. 毒殺死

  「毒薬にあたって死んだ場合は、口目共に開き、顔は黒紫または青い。口目耳鼻の中に出血している。唇は破れ舌はただれ、口の肉は黒紫色で手の指の爪は青くなっている」


6. 火傷死(やけど)

  「火に焼けて死亡した場合は、皮が焦げ肉はただれ、手足は縮み、口鼻耳のなかには皆灰が入っている。これはその人がまだ死なない前に、火から逃げ回り口を開き悶え死したために、息につれて口の中に灰が入ったためである。また死んだのちに火の中に入れた場合には口鼻耳の中には灰は入らない。」

  「老病の人などが寝ているうちに失火して焼け死んだ場合には、肉の色が焦げて黄ばんでいる。あるいは、両手を屈めて胸の上にあり、両膝も曲がって、目は開き歯、又は唇も噛みしめ、脂汗が出て黄色になるのである」

  「眉毛なども焼けて巻き縮まっており、爪の指は焦げて黄色になっている」。

  現代の基準では、火傷は1〜4度までの段階に分類されている。1度は赤くなり、2度は水疱が出来、3度はかさぶたを生じ、4度は炭化する。普通、焼死の死因は燃焼したガスで窒息するためで、生前に火の中に入って死んだ者は、1度から4度までの火傷の後があり、気道内に煤を吸い込み、血液中に炭酸ガスが送り込まれ、それがヘモグロビンと結びつくので、焼死体の血液の色は赤味をおびている。従って死斑の色は鮮赤色で、内臓の色も鮮赤色である((7)より)。また火焼死体の手足を引っ張る時には、切創(きりきず)によく似た裂傷をつくりやすいので注意しなければならないとある((7)44頁)。
  ここで、昭和63年に起きた灯油で燒身自殺をした者の救急搬送事例をみてみると、次のような処置を行なっていることがわかる。「現場到着時の状況は、火は消化されていたが身体全身に熱傷がひどく仰臥位で倒れており、意識レベル3-300、脈拍-微弱、呼吸困難(気道熱傷の疑い)な上、顔面は特にひどく両眼は失明の恐れがあり、熱傷範囲は全身の70〜80%と判断した。応急処置として気道確保・酸素投与・カバー付毛布で保温しショック防止処置を施した。医療機関への収容は、外科当直のA病院を選定搬送した。((8)907より)


7. 湯発死(湯傷死)

「熱湯を浴びて死んだ死体は、皮肉は皆さけ、皮は剥けて白くなっている。肉についている皮も又白く、肉の見えているところは多くただれている」

  「もし煮え湯の中にあれば、多くは転げ伏して手足、顔、胸の上に傷が残っている。その痕は打ち叩かれた痕に似ている。あるいは頭はつき、足はふんばり、手は推し開いている。また多くは両足と股と尻とに打ち損じた所がある。それが小さな出もののように吹き出て、ぶつぶつとしている」


8. 病患死

  「およそ病死の場合には、形痩せ弱って、肉色しぼみ黄ばみ、口も目も閉じ、両手は少し握っている。また腹も落ち、両目は黄ばんでいる」

  「病人が飢え凍えて路上で死んだ場合には、その遺体は痩せ弱って肉色はしぼみ、黄ばみ口目ともに閉じ、両手は少し握っている。口は食いしばり歯は焦げて黄色で、唇は歯につかない」

  「卒中風で死亡した者は、その遺体は多くは肥っており、色は少し黄ばみ、目口とは閉じ、口の中によだれが出ている」

  「はやり病で死んだ者は、目は閉じて口は開き、全身黄ばみ、薄皮が腫れているように見える。そして手足共に伸ばしている」

  「卒中で死んだ者は、目を開いて、歯を食いしばり、又は口目ゆがみ、口の両方、鼻の内に涎泡が流れ出て、手足は屈み、全身は黄ばみ痩せている」

  「暑気にあたって死んだ者は、目合って舌は出ず。面は黄白色である」


9. 凍死

  「凍え死んだ者の死体は、首が縮まり、足屈み両手足を抱き、全身凍えて鳥肌になって、肉色は黄ばんでいる」

  「凍死の死体は顔の色は衰えて黄ばみ、口の中に涎泡があり、歯は堅く閉じ、身はまっすぐ、両手は厳しく胸を抱く。その死体を改めるには酒粕を暖めて洗う。少し暖まれば顎の下が紅色になって、口の中から涎泡が出る」


10. 圧死

  「垣根などが倒れかかるか、又は屋根などが落ちて押しつけられて死んだ遺体は、舌は出て、瞳は膨らみ、耳鼻口の中はすべて出血している」

  「重いものが落ち急所に当たった場合、両眼が飛び出、舌も出て、両手は少し握る。強くおしかかれば、まだ息の絶えぬうちに血が死んで流れないため全身が紫黒色になり、あるいは鼻から血又は水が出ている。血が流れ皮が剥けた所は回りが赤く腫れ、骨も筋も損なっている。」


11. 車碾死(轢死)

  「車の輪におされて死んだ者は、その死体は少し黄ばみ、口目ともに開き、両手は少し握っている。その当たった場所の多くは胸の上、両の脇骨で、その他も急所を外れては死ぬことはない」。

  自動車や電車にひかれるのを轢死とい。電車に轢かれたときは体はバラバラになってしまうが、生きていた人が跳ねられる場合には、どこか生活反応が残り、死体を投げ込んだ場合には生活反応が見られないという。自動車事故による死亡は頭蓋骨骨折、肋骨・大腿骨・腕骨の骨折、内臓破裂、内臓転移が多く、内臓の破裂では肝臓、腎臓、脾臓である。また胃、腸、膀胱は中身が詰まっているときは破裂するが、空の時は破裂しないという。((7)より)


12. 雷震死

  「雷にうたれて死んだ者は、その肉の色が黄色に焦げ、全身は柔らかに黒色になっている。両手は開き、口は開き、目の皮は破れ、耳の後、髪のは生え際は焦げて黄ばみ、焼け焦げた痕は、皮肉がこわばり縮まり衣服も焼けて破れている。あるいは火の気ない場合もあり。そのうち損じた痕は、多くは脳の前か又は後の方にあり、多くは脳が割れて開いている。髪も炎に焼きついたようになって、全身に手の掌ほどの皮が浮いて、紫赤色になっている。肉は損なわれず、又胸、背、腕に文字の様な痕がついていることもある」

  雷や強い電流で死ぬ場合には、電流の出入口に色々の火傷のあとがあり、また皮膚に電紋という樹枝状の赤斑がみえる。電圧の力や個人差によって生死を分け、100ボルトで死ぬ人もいれば、2,000ボルトでも死なない人がいるという。((6)より)


13. 飽食死

  「およそ飲食で満腹になった時に付き倒されるかあるいは踏まれれば、内臓が破裂して死ぬ場合がある。その場合、別に外の異常がなく、ただ口鼻肛門に食べたものが出、便には血が混じって出ている」


14. 窒息死

  「布などで口鼻を押しつけて殺した死体は、腹が膨れている。これは空腹時でも同じである。また目は開き瞳は突き出、口鼻の中の血が流れ、顔は血が寄って赤黒色になっている」

  現代の見解では、顔が暗紫赤色に膨れている。結膜に小溢血点がある。胸や顔の皮膚に溢血点がある。死斑が顕著などである。


15. 蛇毒死

  「まむしなどに噛まれて死亡した者は、その個所が小さく損なわれて黒い痕となっており、その回りは青く腫れ、青黄色の水が流れ出て、毒気が手足に流れ全身腫れて光っている。顔色は黒くなっている」


16. 男子作過死

  「男子セックスが多すぎると、精気が抜けて婦人の身体の上で死ぬ者がある。真にそれが原因の場合には、死んだ後にも陰茎が怒張しており、偽物は萎えている」
  今日ではいわゆる腹上死は、心臓病か脳の動脈軟化症の者が腹上死するので、この記述はあてにならないというのが一般的である。


17. 仰臥停泊微赤黄色(死斑)

  「およそ遺体の衿もと、背、両脇骨の後、腰腿のうち、両肘の上、両腿の後、膝の曲がった内側などに、少し赤色になって疑わしいことがあっても問題ない。遺体が死んでから仰向きのままに置いておくと、血が下に溜まって色合いが赤くなることがある」

  上野正彦著『死体は生きている』にも「背中の皮下の静脈にたまった血液の色が、皮膚を透して見えるのが死斑である。暗赤褐色の色調で、見たことのない人は皮下出血と思うのも無理はない」(145頁)と死斑について述べている。


18. 首吊り死

  「自分で首を吊った者は、その死体の両目が閉じ、唇の色が黒く外に開いて、歯を現わしている。もし咽の上の方を絞めたときは口が開き、こめかみが堅く歯で舌先を噛んで舌が出ない。咽の下の方を括ったときには口が開いて舌が歯より先に出ている。顔色は紫赤で口の両縁、胸のあたりに涎がたれている。両足の先が下に垂れて、腿の上の血が集まるあとが火で焼いたようになっている。腹の下も凹んで青黒色になっており、大小便も出ている」
   「首吊り死体は数日もたてば、全身がくずれただれてその首は括られたまま上に残り、体は地に落ちる。その時には肉は潰れ骨が出て来るものである。括った縄が絞め込みが深くなるため、両腕の骨、頭骨なども赤く、歯や指先の骨なども赤色になっている」
  首吊りは外見は見苦しいが、首を吊った瞬間に意識を失うから一番苦痛の少ない死に方であるという。((7)61頁)

 


  最後に「死体取扱規則」(国家公安委員会規則4号)について載せておく。

第3条[報告]警察官は、死体を発見し、又は死体がある旨の届け出を受けたときは、すみやかにその死体の所在地を管轄する警察署長にその旨を報告しなければならない。

第4条[警察署長の措置] 1.前条の規定による報告を受けた警察署長は、すみやかに、警察本部長にその旨を報告したのち、その死体が犯罪に起因するものでないことが明らかである場合においては、その死体を見分するとともに死因、身元その他の調査を行い、死体見分調書を作成し、又は所属警察官にこれを行なわせなければならない。

第5条[死体に対する礼儀]死体の取扱に当つては、死者に対する礼が失われることのないように注意しなければならない。

第8条[死体の遺族等への引渡] 1.死体について、身元が明らかになったときは、着衣、所持金品等とともに死体をすみやかに遺族等に引き渡さなければならない。ただし、遺族等への引渡ができないときは死亡地の市区町村長に引き渡すものとする。

 

資料

(1)尾佐竹猛解題『無冤録』武侠社(昭和5年版)
(2)上野正彦『死体は生きている』角川書店
(3)氏家幹人『江戸藩邸物語』中央新書
(4)『明治前日本医学史』臨川書店
(5)富田功一『標準法医学・医事法制』
(6)小南又一郎『実例法医学と犯罪捜査実話』
人文書院
(7)古畑種基『法医学の話』岩波新書
(8)『救急医学』89.10 増刊ヘルス出版他

 

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