1989.07 |
1986年の人口動態調査では、自殺者数が2万6千人を突破して、20分に1人の割合という。今回は自殺の色々な側面を見ていきたいと思う。
日本は世界でも自殺の多い国として有名だが、1984年の人口10万人あたりの自殺死亡率を見ると、日本は20.4人、ドイツ連邦の20.5人とほぼ同じである。高いところではンガリーの45.9人、福祉国家として有名なデンマークが28.7人、フィンランドの25.2人と、それぞれ日本より高い数字を示している。アメリカは12.1人とかなり低い数字でもある。もっともアメリカでは自分で死ぬという書き置きがなけれぱ、自殺と認めないなど一概に比較できない面がある。
日本の場合の特徴として、65歳以上の高齢者の自殺者死亡卒が急激に上昇していること。また20歳代に多かった自殺のピークが、40歳後半から50歳前半に大きな山を描くように変化してきていることがあげられる。この傾向は男性だけにいえることで、仕事の上のストレスが関連していると思われる。また夫婦が離別、あるいは死別したことが原因で自殺する割合は、男性244.5(離別)、126.9(死別)にたいし、女性は35.9(離別)、48.8(死別)となっている。また日本では都市住民よりも農村住民に自殺率が高いと言うのも特徴である。
一般に自殺の場全、遺書が残されている場合が多く、また仏壇に花を供えたり、基参りをしてからふみきるケースが多い。自殺の場合、死者の表情に苦悶のあとがない場合が多いという。自殺の手段としては第1位が絞首およびその他の窒息(54.7%)、ガス中毒(10.9%)、入水(7.3%)、服毒(6.8%)、飛び降り(6.3%)となっている。(1981年)
1986年の調査では、もっとも多いのが、病苦で42.9%、次いでアルコール中毒、精神障害が17.4%、3番目に経済生活問題で10.8%となっている。これを男女別に見ると、男性では病苦が38.4%、経済生活問題が15.2%、アルコール症、精神障害が同じく15.2%である。女性は病苦が51%、アルコール症、精神障害21.3%、家庭問題が11.8%となっている。
自殺問題の権威であるシュナイドマンの意見では、自殺には三つの要素があるという。まず第1は「生活の乱れ」である。自分の得にならないことをしたり、人の反感をかう行為を行ったりして、自分の人生を破滅へと導くのである。この例として酒に溺れたり、対人関係での衝突などが上げられる。
第2の要因は平素の落ち着きをすっかり失ってしまい、取り乱すことである。自殺をしようとする人は、普段の落ち着きを失い、恐れや疑い、戸惑いなどの否定的感情に支配されている状態にあるという。
第3の要因は、抱えている問題に対し、非常に幅の狭い片寄った考え方に固執するのが特徴。世界は「善か悪」、「生か死か」取るべき道がないと思い込んでしまうのである。
シュナイドマンの著作『死の声』(誠信書房)に、著者あてに残された自殺者のテープの抜粋がある。これは車の中にガソリンをまき火をつけて自殺未遂をした女性のもので、彼女が死んだ翌日にそのテープが送られてきたものである。
「死のうとして2カ月も3カ月もあれこれ思案いたしました。幾度も幾度も計画を立てては、また立て直すということを繰り返しました。10月の初め、一度自殺を立てましたが、この時はうまく行きませんでした。そこでまた、あらたに計画を立てることになったのですが、死ぬことができなかったことで、一層わたしはうちひしがれました。焼身自殺をえたのはそんなときでした。
ベトナム人だったと思いますが、焼身自殺したという新聞記事を記憶があったのです。これは確実に死ぬ方法でした。(中略)その日早く起きたかどうかはっきりしないのですが、でも、その時までに身の回りの整理は終わっていました。整理をしたものは本、衣類、自分の持ち物、いろんなガラクタ、それに私が買い求めた装身具や絵の類。私の大切ないろいろなもの。意気消沈して半分泣きながら、それでもまだ力は残っていました。(彼女はその日の夕方、死を覚悟した。そしてなぜか彼女は近所の友人の家にトースターを借りに行くが、誰も彼女の様子が変であることに気がつかなかった。
それからガソリンスタンドでガソリンを買い、自分のアパートに帰った。しかし、建物に火がついて他人に迷惑をかけては中し訳ないと思いなおし、アパートの前に停めてある車の中で死ぬことにした)
「私はマッチを取り上げました。私の動きはゆっくりしていました。素早い普通の動きとは違って、まるでスローモーションのようでした。死ぬ覚悟を決めて行動しながら、その時何を考えていたのか思い出すこともなければ、胸の張り裂けそうな悲しみのことも覚えていません。私があれこれ思い悩んできたことに終わりが来たように感じました。私はもう存在しなくなり、もうこれ以上悩むこともなくなるのです。光が見えてきたようでした。私を満たす何かが近づいてきたようでした。私は強くなろうとしていました。何かをやり遂げる力を得ようとしていました。私の頭の中にたくさんのことが浮かんでは消えていきました。(中略)
私はまず前の座席と自分のからだにガソリンを注ぎ、次に後ろの座席にかけました。良い気持ちでした。心の安らぐのを感じたのはその時が初めてでした。その日のその時まで、次のような光景が幾度も頭の中に浮かんでいたのです。私が体を刺されて血を流しているのに、皆はそれを見ているだけで、何もしてくれず、私の知ったことではないわ、アハハハと笑っている光景が。でも、今一度だけ、自分で自分の問題に始末を付ければ、もう誰も、私の苦しみを見ないでもすむし、私の苦しみ自体が消え去ってしまいます。悲しみも苦しみも、特に心の苦しみは、もう存在しなくなります」
彼女は車に火を付け、そばにいた人が彼女を助け出したが、この出来事の3年後に彼女は死亡した。
自殺者の4人に1人が遺書を残して死ぬという。カリフォルニア大学降学部教授のシュナイトマン坤士は、1949年、司法関係の書庫で数百通の遺書に巡り合い、自殺を理解する手立てとして遺書について調べ初めた。この研究の中で博士は遺書を残した自殺者をいくつかに分類している。
1910年、ウィーンの精神分析の集まりがあり、そのテーマは自殺であった。精神分析学派は当時、自殺を「自分の心に無意識のうちに投影された愛憎半ばする人物に対する敵意の現われ」と考えていた。この例を見つけることは簡単なことであるという。1934年から40年までの6年間に、ニューヨーク市の警官が93人自殺している。このうち19人が遺書を書き残している。博士が取り上げたものは、37歳の警官のものである。彼が、上司の巡査部長を酒場で待ち伏せていたが、いくら待っても来ないので、怒りに満ちた書き置きを残してピストル自殺をしたものである。
「身に覚えのある男に ---
あばよ、老いぼれのクソ野郎。俺にクソ野郎と言われた奴はクソ野郎なんだ。俺の仲間も、きさまも一緒にくたばってしまえ。腰抜けのうす汚い野郎。警察はきさまがいなくても立派にやっていくだろうよ。」
カール・マルクスには3人の娘がいたが、そのうち2人が自殺している。末娘のエレノアは数年来の恋人に宛てて遺書を残し、自分のアパートで青酸カリを飲んで死んだ。遺書には次のように書かれてた。
「エド、いよいよお別れね。お別れの言葉は、つらい思い出を過ごしてきた何年もの間、いつも繰り返した言葉、『愛しています』。」
自分にかけられた疑いを晴らすために、自殺するケースは、世界共通のものらしい。オーストリアの生物学者カメラーは、自分の研究のインチキが暴露され、これまでの社会的信用が一気に失われてしまった。非難を受けてから2カ月後に、彼はウィーンの森で、ピストル自殺をした。そこに残されていた遺書には次の内容が書かれていた。
「この手紙を発見された方に家族に変わり果てた姿を見せたくありませんので、どうかボール・カメラー博士に遺体を自宅にお送り下さらないように。遺体を大学の解剖学教室に寄贈してくださらないでしょうか。それがもっとも世話がなく、安上がりの方法と思います。(中略)尊敬すべき私の同僚は、生前の私に欠けていると見倣された、知的活動の痕跡を私の脳に見いだしてくれるでしょう。埋葬でも、火葬でも、解剖でも、どのように扱われようと構いません。ただ無信仰の私は、どの派の葬儀もご免こうむりたく思います。」
知性的な人間ならだれしも、ボケが来たり、狂気に捕らわれるという恐れに勝ることはないという。イギリスの著名な女流小説家であるヴァージニア・ウルフを捕らえたのもこの恐れだった。彼女は狂気の前触れにたえることができなく、夫にあてて遺書を残し、自宅近くの小川に入水した。
「愛するレナード。きっとまた頭がおかしくなるような気がします。あの恐ろしい体験にもう一度たえることができないような気がします。今度は治りません。いろんな声が聞こえだして、精神を集中することができません。それで私は一番よいと思われることを致すつもりです。あなたは考えるかぎり、最大の幸福を私に与えてくれました。(中略)私たちより幸福であったカップルがいたとは思えません。Vよリ」
「私は不幸な星の下に生まれ、幸せのために骨折ってくださった人たちに、病いと痛みとを与えるほかに益のない存在となりました。この息をし、動き回る自分に最期をもたらすことが最上だと考え初めたのは、もうずいぶん前のことです。私の死のニュースが、皆様の心を痛めるかも知れません。しかしほどなくこの存在が、忘れさられるという栄誉を受けることでしょう。」
この遺書を書いたのは著名人の私生児であったフアンニー・イマリーと言う女性で、保養地の宿屋で毒薬自殺をとげた。享年22歳であった。
自分の無実を訴えるため、あるいは自分の名誉を守るために、自らの命を犠牲にするケースがある。次の遺書は殺人罪で訴えられた男が残した遺書である。
「検視官、ならびに陪審員の皆様。殺人を犯したという告発に対し、私は無実であると申し開きを致します。皆様方の良心に反する決定を甘受するよりは、裸で戸外にほうりだされたほうがましです。私のしたことは、あまりに大胆なことだと思われるでしょうか。としたら罪のかけらもない私に、殺人の罪を宣告するのは、もっと大胆なことではないでしょうか。実際、私には何の罪もないのです。陪審員の皆様、私は皆様一人一人に罪があると考えています。しかし、今、心からの愛をもって皆様とお別れいたします。」
1963年、クアン・ドックは、ヴェトナムの仏教徒の窮状を訴え、自分の体にガソリンをかけ自殺した。当時13歳だった。8月2日には、2人目の仏教僧がカトリック政権の仏教徒に対するやり方に抗議の自殺をした。2年後の1965年11月、アメリカ人ノーマン・モリソンが国防省の前で抗議自殺をした。この時、妻が彼の死から数時間後に、次のメッセージを発表した。
「夫は、ヴェトナム戦争による多数の死者と、人類の苦しみに憂慮を表明するため、本日自らの生命を投げ出しました。夫は、政府のこの戦争への極端な介入に抗議したものです?」
多くのアメリカ人は彼を狂人扱いしたが、ヴェトナムでは英雄扱いを受けた。それから2年後、サイゴンの女性教師が焼身自殺をした。彼女は自分の着ているガウンに火をつけて炎の中で死んだ。彼女の遺書、
「私の願い。私の体がたいまつとなって、闇を払い、愛を目覚まし、ヴェトナムに平和をもたらすように。」
この事件から3年後に、抗議自殺がフランスに飛火した。若いフランス人の少年が、学校の校庭でガソリンを浴びて火をつけ「ビアフラで行われた悪事、戦争、暴力、人間のすべての愚行を償うために、この体を提供する」というメッセージを残した。それから1週間のうち5件もの焼身自殺が起こった。
1986年4月、アイドル歌手の岡田有希子の自殺にともない、その年には少年少女の自殺が大幅に増えて783人(前年比56%増)となり、岡田有希子現象と呼ばれた。この現象の持続効果は約7カ月で、翌年には前年の7割の577人に留まった。
1961年に、シュナイトマンとファーブロウは、自殺に関する誤った概念をあげ、事実を上げている。それは次の七つである。
1. 「自殺を口にするものは自殺をしない。」
実際は、自殺者の10人中8人までが、何らかの意志表示をする。
2. 「自殺は予告なしに生ずる。」
悲嘆の多くは信号を発している。
3. 「自殺をする人は、自己断絶をしている。」
治療を受けたいと願う人は、自殺から救って欲しいと願っている。
4. 「自殺は長期に持続する問題である。」
悲嘆の期間はそんなに長く続かない。
5. 「自殺未遂後の改善は危機が過ぎた現われ。」
未遂者は3カ月は、危険な状態にある。
6. 「金持ちや貧乏人に自殺が多い。」
すべての層に起こる。
7. 「自殺傾向は遺伝する。」
遺伝する証拠はない。
『死の瞬間』の著者、キューブラ−・ロスが、『死ぬ瞬間の対話』の中で、質問に答えている。
問:「ガン患者が実際に自殺するというケースはごく少ないようですが、実際に自殺したケースはどうなんですか?」
答:「悪性腫瘍の初期段階で自殺を企てたり、実際に自殺をしたケースはそう多くないようです。自殺は、末期段階の方がはるかに多く起こります。末期段階では、もはや自分で自分の身体の始末ができなくなり、苦痛がたえられないものとなり、経費がかかり過ぎて、家族のことが心配になりだすのです。」
問:「自殺をした人の家族や友人達をどのように援助したらいいですか?」
答:「そうした家族や友人のすべては、自殺があった後、一般的な死の全段階を通過しなければなりません。あるいは通常の場合以上の大きな罪責感と悔恨が生じることになるでしょう。家族が平和と受容の段階に達するには専門家の援助が必要な場合が多いものです。こうしたときの悲嘆は、自然的な死に方をした場合よりはるかに持続するものです。
問:「自殺を企てる患者は、末期患者が通過するのと同じ、死のための準備段階を通過するのですか?」
答:「自殺患者のうち、幾人かは死と同じ諸段回を通過するのだと思います。長期の慢性憂鬱状態にあり、自分の生命の終結を意識的に緩慢する神経症患者の場合も同じだと思います。」
日本では旧刑法も新刑法も、自殺を犯罪と見なしていない。その理由は、
「自殺に可罰的違法性が認められない」と、「自殺は罰すべき価値のある違法行為であるが、自殺者を非難することは残酷であり、責任阻却事由が存在する」とがある。何れにしろ刑法に自殺関与罪はあっても自殺罪、自殺未遂罪はない。
イギリスでは1916年の政策下で、自殺未遂者は逮捕されるとあった。1946年から1955年の10年間に5,794件の自殺未遂者が審理され5,477人が有罪とされ、308人が実刑を宣告されている。しかし1961年の刑法改正で犯罪とは見なされなくなった。しかしこうした改正によって自殺者数になんら目立った影響が出ていない。
現行のカトリック教会法では自殺と自殺未遂をともに罰している。自殺未遂の前歴のあるものは聖職に「不適応」とし、精神異常でない者が自殺した場合、教会基地に埋葬することを拒絶し、葬儀ミサを禁止すると規定している。
参考文献:
『死の声』シュナイトマン著、白井徳満訳(誠信書房)、
『自殺学ハンドブック』ウェクスタイン著、大原健士郎訳(星和書店)、
『自殺のパンセ』ピアソン著、岡本訳(サンリオ)、
『死ぬ瞬間の対話』キュプラーロス者、川口訳(読売新聞)
(リンクからamazon.co.jpで購入できます)