1988.01 |
日本には昔から伝統として死生観という大袈裟なものではないとしても、それに類するものが、寺院、寺小屋などで教えられたものと思います。死の問題は、いかに生きていくかという問題と大きな関係がありますが、今回は新年にあたり、日本人の死生観を大急ぎで見ていきたいと思います。
はじめに宗教者の立場からの死生観を、次に歌人や儒教・国学者の考えを、最後に現代に生きる人たちの死生観を見ていきたいと思います。
夏4月、もろもろの弟子たちに告げて言われた、「わたしの命はもう長くはあるまい。もしもわたしが死んだあとは、みんな喪服を着てはならない。また山中の同法(同門の弟子)は、仏のさだめた戒律によって、酒を飲んではいけない。
ただし、わたしもまた、いくたびもこの国に生れかわって、三学(戒・定・慧)を学習し、一乗(「法華経」の教え)を弘めよう
『叡山大師伝』
迷いの世界の狂人は狂っていることを知らない
生死の苦しみで眼の見えないものは眼の見えないことが分からない
生れ生れ生れ生れても生の始めは暗く死に死に死に死んでも死の終りは冥い
『秘蔵宝鑰』の序
仏弟子である君よ、この年ごろ、世俗の望みをやめ、西方浄土に往生するための行を修してきた。今、病床にあり、死を恐れないわけにはいかないであろう。どうか目を閉して合掌して、一心に誓いをたててください。
『往生要集』
ある弟子が尋ねた、
「このたびは本当に往生なされてしまうのでしょうか」と。
法然は答えた、
「自分はもと極楽にいたものであるから、こんどはきっとそこへ帰る」 と。
法然にとって極楽とは、帰るべき故郷であったのである。
自分はわるい人間であるから、如来のお迎えをうけられるはずはないなどと、思ってはならない。凡夫はもともと煩悩をそなえているのだから、わるいにきまっていると思うがよろしい。また、自分は心がただしいから、住生できるはずだと、思ってもならない。自力のはからいでは、真実の浄土に往生できるのではない。
「われ如来の本意を得て、解説の門に入ることができた、汝等も如来の禁戒を保ち、その本意を得て、来世共に仏前で再会せん」
(弟子への訓戒)
「この生死は即ち仏の御命なり。これをいとい捨てんとすれば、即ち仏の御命を失わんとするなり。これにとどまりて、生死に着ずれば、これも仏の御命を失うなり。仏のありさまをとどむるなり」
『正法眼蔵』(生死)
六道輪廻の間には
ともなふ人もなかりけり
独りうまれて独り死す
生死の道こそかなしけれ
『百利口語』
「仏祖を截断し 吹毛常に磨く機輪転ずる処 虚空牙を咬む」(仏祖さえも否定超克して吹毛の剣にも比せられる性根玉をいつも磨いてきたその心の機は虚空が牙を咬むとも言える、空が空を行じる心境と言えよう)
『遺偈』
「そもそもいづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。それを五色の皮につゝみてもてあつかふほどこそ、男女の色もあれ。いきたえ、身の皮破れぬればその色もなし。上下のすがたもわかず。……貴きも賎しきも、老いたるも若きも、更に変りなし。たゞ一大事因縁を悟るときは、不生不滅の理を知るなり」
『骸骨』
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
…我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
…されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすベきものなり。あなかしこ、あなかしこ」
『白骨の文』
全身を後の山にうずめて、只士をおおうて去れ。経を読むことなかれ。斎を設くることなかれ。道俗の弔賻(おくりもの)を受くることなかれ。衆僧、衣を着、飯を喫し、平日のごとくせよ。塔を建て、像を安置することなかれ。謚号を求むることなかれ。木牌を本山祖堂に納むることなかれ。年譜行状を作ることなかれ。
『遺戒』
「万事をうち置て、ただ死に習うべし。常に死を習って、死に余裕を持ち、誠に死する時に、驚かぬようにすべし。人を教化し仏法を知る時にこそ、知恵は必要だが、我が成仏の為には、何も知識はあだなり。 ただ土と成りて、念仏をもって、死に習うべし」
『驢鞍橋』
「身共は、生死に頼らずして死まするを生死自在の人とはいいまする。又、生死は四六時中に有て、人寿一度、臨終の時、はかりの義では御座らぬ。人の生死に預からずして、生るる程に、何れも生き、又死るゝ程に、死が来らば、今にても死る様に、いつ死んでも大事ない様にして、平生居まする人が、生死自在の人とは云、又は、霊明な不生の仏心を決定の人とは云まする」
『説法』
「涅槃の大彼岸に到達しようと思えば、つつしんで精神を集中して、それぞれの臍下、気海丹田を黙検せよ。そうすれば、まったく男女の相もなく、僧俗の区別もない。老幼、貧富、美醜、地位の高下なぞの差別の一点の痕跡もなくなる。このように精神を集中して、細かく工夫精進して昼夜おこたることがなければ、いつしかあれこれ考える想いもつき、妄情煩悩も消えて、盆をバラバラに投げこわし、氷の塔をぶちこわすように、たちまち身心ともに打失しよう」
『仮名葎』
形見とて何か残さん春は花
夏ほととぎす秋はもみじ葉
願はくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月のころ
「誰でもみんな、本当にこの生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないのではなくて、死の近いことを忘れているのだ。しかし、もしまた、生死というような差別の相に捉われないと言う人があるなら、その人は真の道理を悟り得た人と言っていい」
『徒然草』
「生死は終身の昼夜であり、生死は終身の昼夜であり、昼夜は今日の生死にあたる。生死の理も、昼夜を思う ごとく、常に明かにすれば、臨終とても別儀は無い。薪つきて入滅するごとく、寝所に入で心よく寝るが如く、何の思念もなく、只明白なる心ばかりである。」
『集義和書』
「天地の道は、生有って死無く、実有って散無し。死は即ち生の終り、散は即ち実の尽くるなり。天地の道、生に一なるが故なり。父祖身投すといへども、しかれどもその精神は、すなはちこれを子孫に伝へ、子孫又これをその子孫に伝へ、生生断えず、無窮に至るときは、すなはちこれを死せずといいて可なり」
『語孟字義』
「礼は生を養い死を送り鬼神につかうるところとなりとぞ「礼」に記せり。又明にしては礼楽あり、幽にしては鬼神ありとも侍り。幽と明とは二つなるに似たれと、誠は其理一つにこそはかよふらめ。是により通せば彼にも又通じぬべき」
『鬼神論』
「二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにわかることは、及ばざることなり」
『葉隠』
「死すれば、妻子眷族朋友家財万事をもふりすて、馴れたる此世を永く別れ去りて、再び還来ることあたはず、かならずかの汚きよみの国に行くことなれば、世の中に、死ぬる程かなしき事はなきものなる…」
『玉匣』
「生れば智あり、神あり、血気あり、四支・心志・臓腑みな働き、死すれば智なし、神なし、血気なく、四支・心志・臓腑みな働くことなし。然らば何くんぞ鬼あらん。又神あらん。生て働く処、これを神とすべき也」
『夢之代』
「生死は人の能く知る所に非ず。いわんやすでに死の後をや。死後の知るべからざる、なほ生るる前の如きのみ。」
『約言』
人と生れては人々天に事ふる職分なり。身形は我一生の仮託、身形は変々生々して此道は往古来今一致なり。故に天に事ふるよりの外何ぞ利害禍福栄辱死生の欲に迷ふことあらん乎」
『沼山閑話』
「余は、今迄禅宗の悟りということを誤解していた。悟りということは、如何なる場合にも平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は、如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」
『病床六尺』
生と死のうねりをなして常住の
いのちの水の流れゆくなり
無二寿をおもう心に死を超えて
生もおもはずたゞほがらかに
何処でも死ねる体で春風
何時でも死ねる草が咲いたりみのったり
人間の永い生涯には妻が先に死んでくれた方がいいと、ちょっとでも考えない人があっただろうか、その夫が若し先に亡くなったら、ああしよう、こうしようと死後の策を考えない婦人があっただろうか、折々職しっかりした眼附と身構えを持って見合せた眼こそは、たしかに今まで生きて来た善後策を講じかかる、のっぴきならない眼附だったのである。どちらかが生きのこった時には、先ず後始末をしなければならないのである。
『生きたものを』
老年も死も、よく分からないから不気味であり、よく分からないから、何かが在るようにも思われる。そしてそれだからこそ、生命は尊厳なのだ。
『死』
死はほんとうにおそろしい。わたしは年60余になったし、これまでになんども死にそこねたような病人だから、もはやいつ死んでもかまわぬといえる覚悟がありそうなものだが、それがなかなかそうはいかず、死はいまもっておそろしい。
『生のこと死のこと』
電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
『死の淵より』
生きるということは、世の中のつまらなさとは無関係なのだ。死にたくないから生きているというだけのことだ。そのかわり生きていきたくなくなったら、いつだっておさらばするというのが、市民の自由というものだ。
『老人と自殺』
しかし、そうはいうものの、やはりわたしは、人眼をかすめて、とろとろと燃えつきてしまうような死にかたよりも、猛烈ないきおいで燃えあがり、派手にあたりに火の粉をバラまいたあとパッと消えてしまうような死にかたのほうに心をひかれる。
『犬死礼讃』
一生を頑健に生きたような人は、木が次第に枯れてゆくように、あるいは朽木がいっきに倒れるように、きわめてあっけなく安楽な死を遂げるものである。
『死を受け容れる考え方』(人間と歴史社)
いずれは逃げられない私の死に様は、果してどの様なものか、どんな変死にせよ、やはりあんまり人の目に不様でない死に様を願うのは、まだ私がしやれ気のある若さの証拠であるかもしれない。
『死に様』
人間は年中死を意識している、そして、意識しながら、上手に死ぬことはいっさい考えず、ただもう不老長寿をのみねがい、健康こそが人間の幸せと信じこんだふりをする、あまりに意識し過ぎる怯えが強すぎて、具体的に考えない。
『死について』
肉体で現世にいるということは確かに苦痛である。因果のサイクルから解脱しない限りわれわれはいつまでたってもこうしてこの世に生まれてこなければならない。この世は神の国に入るための修行の場でもある。しかし、この修行の場での修行を怠れば、永遠に神の国に入ることが許されず、ついにその魂までもこの宇宙から消滅しかねない。これ以上の悲劇がどこにあろう。肉体であろうと霊魂であろうと、自分がこの宇宙のどこかにいるということは素晴らしいことである。
『生れ変り死に変る』