1989.12
スキタイ

スキタイは紀元前8〜7世紀に、中央アジアから南ロシアに移住してきた遊牧民族である。彼らは熱心な狩猟・漁撈民で、自然の諸力を崇拝したが、神殿などの建物は建てなかった。彼らが崇拝したものは火と獣の保護者である女神タビティで、他に天の神、太陽の神、大地の神、月の女神、水の神を崇拝した。スキタイ人は祖先の墳墓を崇拝し、豪華な内装を施した。アルタイでは、埋葬を春と秋の2回のみ行ない、そのため遺体の保存が不可欠であった。

南ロシアのスキタイは遺体を馬車に安置した。それから会葬者は、髪を短く切り、嘆き悲しみながら自分の衣服を引き裂いた。また死者が生前所有していた土地を40日の間馬車を引いて巡り歩き、故人が土地を持っていない場合には、親類や友人の家を訪れた。知人たちはそれぞれこれを迎えて遺体の付き添いたちをもてなし、死者にも同じ食事を出した。こうして40日間引きまわされたあと、埋葬されるのである。死者の妻妾の1人と召し使いと、多数の馬が殺され、そして殉死者は墓に、馬は墳丘に埋葬された。

埋葬のあと、彼らは油を頭に付けてから洗い落とし、汚れを祓い、毛氈の幕でこしらえた蒸風呂で体を浄めるのである。スキタイや祖の血族の遊牧民の墓の形は、すべて騎馬の埋葬の形態を取った。重要人物は、貴金属装身具や死後の世界で必要とされた最上の品物が副葬品に選ばれたのである。

スキタイ王の葬儀

スキタイの王が死ぬと、埋葬用の大きな穴を掘る。一方、遺体には保存のため全身にろうを塗り、腹を裂いて内蔵を取り出した後、引き潰した香料を一杯に詰めてから、再び縫い合わせた。それから遺骸を車に乗せて別の国へと運んでいくのである。運ばれてきた遺骸を受け取った者たちは、王族スキタイと同じく、耳の一部を切り、髪を剃りおとし、両腕を切り付け、顔と鼻をかきむしり、左手を矢で貫くのである。それからまた王の遺骸を車に載せて支配下の別の民族の国に運んでいくのである。このように属国をすべて一巡すると、遺骸の両側に槍を立てて上に木を渡し、そこにむしろを被せる。墓の中には妻妾の1人、さらに料理番、馬丁、馬、それに黄金の杯も同じく埋める。

1年がたつと次の儀式を行なう。故人の侍臣50人と、馬50頭を絞め殺し、臓腑を抜いて掃除した後モミガラを詰めて縫い合わせる。一方、車輪を半分に切った輪縁を下向きに2本の杭で留め、残りの半分の輪縁は別の2本の杭で留め、このように多数地面に固定させる。それから馬の胴に太い棒を首の辺りまで縦に通し、これに輪縁をかける。前方の輪縁は馬の肩を受け、後方は腿の辺りで馬の腹を支える。四肢はいずれも宙にぶら下がる。手綱とくつばみを馬に付け、手綱は前方に引っ張って杭に縛り付ける。次に絞殺された50人の死骸の背骨にそって棒を通してから馬に乗せる。このように騎馬の人間を墓の周りに立ててから、一同は立ち去るのである。

(資料:ヘロドドス『歴史』)

 

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