1990.01
北欧

戦士たちの天国

北欧に住んでいたゲルマン人たちの死後世界については、神話『エッダ』や『アイルランドのサガ』に詳しく記録されている。それによると、古くは死者は土葬にされ、魂は北にある暗く陰気な地下の国「へル」へ行くと考えられていた。その国には流れの早い川ギョッルに囲まれ、ギョッルの橋が架かっていた。国の入口はヘルあるいは「死者の格子戸」と呼ばれ、死者が来ると自然に開き、死者が中に入ると勢いよく閉まった。後に好戦的なバイキングの時代になると、死者は火葬にされ、その魂は風に乗って死者の国の支配者であるオーディンの住む天国、ワルハラヘ行くと考えられるようになった。

ワルハラは戦争で死んだ王侯・戦士たちの天国で、そこで戦士たちは永遠に繰り返される戦闘を行なっていた。彼らには戦いこそが最も充実した価値ある行為なのである。一日の戦いが終わると、そこで酒肉の宴が行なわれた。

船葬による葬送儀礼

この時代では遺体は舟のなかで焼かれた。いわゆる舟葬である。貧しいものは小さな舟を作って、そのなかで遺体を焼いたが、金持ちの場合には、盛大な葬式宴を張り、大きな船を作り、死者のために食料や贈答品などの副葬品をふんだんに入れ、その上、女奴隷を一人殉死させ、船ごと焼いたのである。死者はまず遺体に処理が施され、墓に安置された。墓には覆いがかけられ、財産の三分の一を費やして、死者の死装束が作られた。また三分の一で大量の酒を作り、葬式宴に供した。残りの三分の一は遺族のもとにいった。葬式宴(グラヴェル)は本来「墓のビール」という意味があり、酒宴で死者が出るほど、ふんだんに酒を出して、ぜいたくな宴を行なったのである。

この宴は目に見えない、死んだ親族全体と共に行なう一種の聖餐式であり、別名相続宴とも呼ばれた。それは相続人が自分の権利を親族や部族に示す場でもあったからである。同時にそれは一族の権力をまわりに示す機会であった。

船とともに焼かれる女奴隷

死者と女奴隷を焼く儀式は、死の天使と呼ばれた老婆が執り行った。墓から死体を運びだし、死者に死装束を着せ、船上のテントに運び込んで座らせた。食料を次々とその前に供え、犬・馬・牛・鳥を殺して船のなかに入れた。その間女奴隷はテントからテントに次々と入って、テントの主たちと交わった。こうして酒と性的耽溺を繰り返すうちに、一種の忘我状態になり、幻想のなかで死者の世界を覗き見るようになるのである。このとき、女は死者の世界の先祖や主人を見、そこに入るための「門の枠組」の儀式を行なうのである。その後女奴隷に「別れの杯」を呑ませたのち、老婆が短剣で女の心臓を刺し、そのあと近親者たちによって船に火がつけられるのである。

(吉野)

 

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