1989.5
古代ギリシャ

古代ギリシャ人は、死者を冥界に送るための葬儀を非常に重要視した民族である。まず死者が出るとその目と口を閉じ、そして顔を布で覆う。葬儀費用はすべて親族の負担である。次に死者が冷たくなる前に遺体は洗われ、布に包まれる。そして特別の衣装で飾られる。時には埋葬の前に死者の口に貨幣が入れられる。これは三途の河を渡る渡し賃である。また死者の口に小麦粉で作った菓子が供えられるが、これは地獄の番犬をなだめるためのものであるといわれてる。

子供は家の壁に埋葬された

また死者の髪の毛を剃り、戸口に掛けておく習慣がある。これは喪の家である目印であり、死者が外に出るまでは、入り口に水の入った壷を置いて、死者からの汚れを守る。

次は死者を外に出す儀礼があるが、古代の埋葬では死後3〜4日後に行ない、貧しい者は死の翌日に埋葬する。偉大な人間の場合、8日後に火葬を行い、9日目に埋葬したという記録がある。

ギリシャ人の間では自殺者、子供、そして奴隷階級の人間は土葬で、火葬は許されなかった。火葬は市民階級の者だけが許された。生まれて40日未満の幼児は家の壁のくぼみに埋められ、火葬が許されるのは歯が生えて来てからである。こうした習慣の背景には彼らの死後の霊魂のあり方にとても関連を持っていた。

葬儀に音曲は禁じられた

葬儀は昼間に行われ、夜は悪霊が出るとして避けられた。悪霊は光りに弱いのである。若者は大腸が昇る明け方に埋葬された。葬列では遺体は鳥の背か車に乗せられ、遺族は死者のあとに従った。

また遺族は悲しみを表わすために自らの髪を切り、死者を焼く火のなかに投じることがある。また泣き女が雇われることもある。そして葬儀には楽器が使われることはなく、特に立琴は禁じられた。

ギリシヤが火葬である理由

魂の去ったあとの肉体は汚れているため、ます火によって浄化しなければならない。また魂が天界に帰るために、魂の俗な部分を焼き尽くし、清らかな部分にするためには火が不可欠なのであった。

火葬にさいして薪のうえに遺体が乗せられ、そこで様々な動物も一緒に焼かれた。また高価な香油や香科が火の中に投じられる。これは死者が天国に行く間に必要な装備といえよう。兵士の死では武器が火のなかに投じられる。火は死者の親族によって点火される。高官の葬儀では死者に敬意を表わすために火の回りを3周回る。火が燃えているなかにワインを注ぎ、火が燃え尽きるとワインで完全に火を消し、骨と灰を拾い集めて壷のなかに納める。また遺骨はワインで洗い、油を塗られる。骨壷は木、石、全、銀など様々な材質で作られ、花や花輪で飾られる。

なお古代ギリシャでは、ピタゴラスの影響を受け死後の審判や輪廻思想が広く普及していた。死者が行く地下の国と、英雄が行くエリウシオンがある。これは地球の西の果ての海岸にあって、ここに行く者は神と同じ不死の生活を送るとされた。

 

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