1988.11 |
アステカはメキシコ共和国の首都のメキシコ市と、その周辺に栄えた都市国家で、14 世紀からスペイン人に征服された1521年迄栄えた文化である。アステカとは伝説の上地アストランの人を意味し、のちにメシトリ神をあがめる人を意味するメシカ(Mexica)と称した。
アステカ族はその領地が拡大するに従い、大量の捕虜や奴隷をいけにえにしたのが知られている。都テノチティトランで、1487年に大神殿が完成したときの祭りには、数日間に何千人者いけにえが捧げられたことが知られている。
アステカでは豪華な副葬品を並べた貴族の墓も発見されているが、庶民はすべて火葬だったという。しかし一説には、死に方によっては雨の神に帰属する者は土葬にされたという。
臨終になると死者の悪因縁を氏族のなかに留めておかないために、神官に懺悔をした。型通りの臨終の懺悔が終わると、呪術師はタバコの煙を死者に吹き付け、その口のなかに一片の硬玉を含ませる。これはあの世に落ち着く上に必要な「心臓の印」なのである。第九地獄にいる死神の王ヘ、身代金がわりにあずけるのである。いよいよ息を引き取ると、昼はさめざめと、夜は声を張りあげて泣く習慣であった。遺体は布に包まれ、紐でゆわえられ、人工の花かざりが取りつけられる。火葬後の灰は壷に納められて、家に保存された。
アステカの世界観では天上界は3層から、地下界は9層からなると信じられていた。地下界はほとんどの死者が行く暗黒の場所で、4年間旅を続け、色々な試練に耐えねばならなかった。そして9番目の場所に着くと、無になり消滅したらしい。天国に行けるのは犠牲になった者だけであった。いけにえや戦死した男たち、出産や戦争で死んだ女たちが、太陽の天国に行くことができた。太陽の天国に行くには、橋を作っている人形、くじらなどに頼み、天国で年中、美しい花に囲まれて暮らした。戦士は咲き乱れた東方の天国へ、難産で死んだ母は西の天国に昇ったのである。そして溺死者もまた、雨の神によって天国に迎えられた。
あとに残された者は、清めの儀礼が待ち受けていた。10日間の喪に服し、食物、衣服、性交にもタブーがあった。骨壷には祈祷、供養を行ない、耳や舌から血をとって供えなければならなかった。この儀礼は、亡者のたたりを避けるために、実施されるかどうか厳重に監視された。
アステカは、1521年コルテス率いるスペイン軍によって減ばされたが、実はその10年前から不吉な預言や前兆によってアステカ族は恐れおののいていたのであった。