1988.02 |
インドを中心に南アジアに広がる民俗宗教であるヒンズー教は、シャーマニズム的なものから、梵我一如を説く深遠な思想、実践体系に至るまで多様性を包括した宗教の宝庫である。その神々、儀式は日本にも仏教を通じて、形を変えながらも多くが伝来している。インド人は日本の寺院で護摩を焚く儀式を見ると驚くという。ちなみにヒンズー教では護摩(ホーマ)を焚くことは古来よりバラモンの中心儀式であった。
インドでは人が死ぬと荼毘(火葬)に付される。死者はその火とともに天に昇って、神か祖霊の道を進む。生前に真我(アートマン)を認識する修行を行った者は、神の道、即ち炎、光、昼、満ちゆく月、北行する太陽を通って、梵(ブラフマン)の世界に行く。そして再びこの世に輪廻することはない。それ以外の人間は、祖霊の道、即ち欠けゆく月、煙、夜、南行する太陽を通って、祖霊(ビトリ)の国に至る。やがて時期が来ると、同じ道をたどって、地上に生まれ変り、死者の生前の行為(カルマ)に従って、人間・動物の胎内に入り生れ変わる。悪を犯した者は閻魔(ヤーマ)の世界に行き、罪が清められるまで責苦を受ける。
来世にどこに生まれ変わるかは、死者の臨終のときの心のもち方が、決定するとも言われている。即ち臨終のときに生前もっとも関心を寄せた事柄が頭に浮かび、この最後の思念が来世への運命を担っていくのである。ヒンズーの聖典、『バガバッドギータ』に「臨終にさいして、如何なる状態を念じつつ肉体を捨てようとも、常に思念したその状態に達する。その時私(クリシュナ、最高神)のみを念じ、肉体を脱していくものは、私の状態に達する。」と述べられている。
死者は火葬の炎によってのみ天に帰ることができると考えられ、変死したもの、葬式を行わなかったものの霊は地上に止まり、悪霊(ブート)、亡霊(プレータ)として人間にさまざまな悪をなすといわれている。ベナレスでは死体はガンジス河のほとりの沐浴場(ガート)近くにあるバーニングガートで、男は白、女は赤の布に包んで、薪のうえに乗せ、衆人の前で焼く。そしてそのあとの遺灰も骨も川の中に投げ込まれる。昔はスマナーサという塚を作ったことがあったが、現在では墓も仏壇も位牌も作らない。
昔は夫が死ぬと、妻も一緒に火葬される寡婦殉死の風習(サティー)があったが、近代にサティー禁止法ができ無くなった。祖霊祭(シラダー)は『マヌの法典』に規定されているとおり非常に重視された。死後12日間が喪の期間にあたり、10日目に祖霊祭が行われ、1年間は毎月死者のために祖霊祭が行われ、1年を過ぎると他の先祖と一緒に1年に1度お祭りする。団子(ピンタ)を供えて、過去3代の祖霊を祭る。3代の先祖のかわりに3人のバラモン僧を供養する。
教の聖地ブッダ・ガヤの北にあるブラフマ・ガヤはヒンズー教の先祖供養の聖地である。毎年大勢の人が先祖の解脱を求めてガヤに巡礼に出かける。インドはまだ宗教が生きている国である。