1993.12
仏教の死後世界

死のガイドブック「往生要集」

日本に仏教が入った時代には、それが当時の最高の学問体系であった。当時は医学も科学も仏教の一分野といってよく、執行される儀式は大変に現世利益的なものがあったと思われる。

10世紀末に比叡山の源信によって書かれた「往生要集」は、死後の世界である極楽と浄土のガイドブックであり、また「いかにして西方浄土に生まれる事が出来るか」という実習マニュアルであった。このテキストは大変珍重され、平安時代の貴族社会に浄土信仰を普及させるきっかけとなった。

では人々はなぜ、それほどに死後にこだわったのか。よくいわれるのが、当時は医療技術が発達していなかったので、伝染病や死産などが発生すると、それを魔や怨霊のせいにした。死が日常であったので、常に死の準備はかかせなかった。こうした災いを加持祈祷して払拭することが仏教の大きな役割の一つであった。当時の仏教は今日の医学や心理学を扱っていたのである。もちろん日本に伝来した仏教は大乗仏教であったので、大衆を救う事が目的であるという原則はそれなりに理解はされていた。しかし仏教といっても、まず自分たちを救うことが先決であったのである。

「往生要集」は数多くの仏典のなかから、死後の描写と浄土に往生するための方法を抜粋した文章からなりたっている。従ってこれは源信の著作というより編集といったほうがいいかも知れない。しかし多くの仏典から関連部分を抜粋することは、なみなみならぬ作業である。次はその中から末期患者を対象とした「臨終行儀」の部分である。

はじめに、祇園の西北の角で太陽の沈む方角に無常院を作る。これは今でいうホスピスである。もし病人があればその中に寝かせる。寺院のなかに寝かせておくと患者は衣装や道具に目がいくため、未練が残らないよう何もない所に寝かせるのである。この堂のなかに立像を置き、表面を金箔にし、面を西方に向ける。その像は右手を挙げており、左手の中には、五色の細長い綱を持ち、その端は垂れ下がっている。病人を安心させるために像の後ろに寝かせ、左手で幡の端をもたせ、仏につき従って浄土に行く気分にさせるのである。

次に、導きの和尚は次のように述べる。

「行者どの、病気が重くなって命が終わるときには、念仏三昧の法による。顔を西に向けてもっぱら阿弥陀仏を観想し、念仏を唱えながら西方浄土より迎えにくる聖衆を思い浮かべる。もし病人がこれを思い浮かべることが出来れば、付き添い人はそれを記録する。もし病人が黙っていた場合には、何を見たかをたずねてそれを記録する。もし病人が罪の意識があって苦しみ悩んでいる場合には、まわりの人は念仏を唱え、一緒に懺悔をしてその罪を発散させてあげる。もし罪の意識が滅して、迎えの聖衆を見るようになったら、同じように記録をとる。

また病人の親戚縁者が、見舞に酒や肉などを持って来たら、それを入れてはならない。もしそれを許せば、病人はそれに欲望をもって穏やかな気持から遠ざかってしまうからである。

死のまぎわに死者を迎えに来る聖衆の瞑想を行なうことによってどんな効果があるのか。欲しいものがあれば、そのイメージを思い浮かべることによって、その達成を助けることになる。これは臨終のときだけでなく、普段の場合も同じである。

十念を持続させることは大変である。多くの人間の心は動物のように動き回ってじっとしていることがない。十念とは一心に南無阿弥陀仏と10回唱えることである。

臨終時の心念

いよいよ最後になったとき、次のように語りかける。「臨終の心念、その力はどのようなものであるのか。臨終の時の念は百年の行ないにも匹敵する力である。この臨終の心を名付けて大心という。それはこれまでの自分の体や感覚器官を一気に捨てなければならないからである。この時には、一心に念仏して仏が自分を迎えに来ることだけを思うのである。」

『チベットの死者の書』では、「クリアライト(純粋な光)が迎えにきたら、それを恐れてはならない。それは悟りの世界である」と僧侶が死者に語りかけるように、臨死患者に語りかけるのである。

ただし、生きているうちに悪事を積み重ねた者は、命の終わりを迎えたときには、心が落ち着かずに様々な妄想に悩まされる。自分の周りを見ると尿が一杯で外に溢れている。そのとき彼は「どうして私はこんな所にいるのだ」と思う。そのとき、地獄から獄卒が拷問の道具を持ってやってくる。しかし仏を念じて心身が安穏となれば、悪の情景がすべて消滅し、代わりに聖衆があらわれるのを見るのである。看病の人はよくこのことを知って、病人の心の状態を問いかけて、その心を和らげるようにもっていけとある。このように『往生要集』は、「日本の死者の書」として実際に実習されたものであるが、それがのちに浄土教の念仏として一般に普及したのである。

死に至るまでのプロセス

仏典のひとつである「修行道地経」は、中国で西暦284年に漢訳されている。この経典は禅の実践過程を段階を追って示したもので、教えのなかに輪廻のことも記述されている。それによると、人は死後再び地上に生まれ変わる、いわゆる輪廻を繰り返すが、生きている間の行為に応じて地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の六道に生まれると説く。よりよい所に生まれ変わるというよりは、迷いから覚め正しい行ないをするためにも、修行をしなければならないが、そのための方法をこの経典では詳しく述べている。また死後の世界である地獄の描写にも詳しくふれている。

「修行者は常に五陰成敗の変化を知らなければならない。例えば人の命が終わることを望む時。その体に四百四病が前後して現われ、多くの夢となって病人を苦しめる。夢には蜜蜂や鷲が自分の上にいるのを見たり、山が自分の上に崩れてくるのを見たり、さらに虎に乗って奔走したりするような数々の恐ろしい夢を見る。

生きている間には数多くの楽しみがあっても、命の終わりを迎えるときには、誰もが恐れを隠すことは出来ない。病いのなかに中傷され、身体も思うようにいうことがきかない。心は憂いにみち、夢を見てうなされることは、丁度犯罪者が警察に追われるようなものである。またこの夢からさめたらさめたで、心に恐怖を抱き戦慄する。病いはついに全身にまわって医師に頼らざるをえなくなる。親族はこれを見て医師をよぶこととなる。

人が健康の間は好きなことを行なって、医療のことを思うことはない。しかし身体がいうことをきかなくなると、初めて床について医師の到来を願うようになる。しかし医師はすでに病人の死を察している。それはなぜかというと、依頼者の服装とその日の星の位置が大変に悪かったからである。案の定、医師がその病人の家についた時には、南の方角で狐が鳴くなど、多くの悪い兆しが現われていた。

医師は病人に対面するが、すでに死相が現われている。顔色は悪く、口中によだれが出て舌は乾いている。苦しそうな息は早かったり遅かったりして、大変に乱れている。声は変わり咽はふさがっている。

人が死を迎える時には、口は食物の味を感じることがなく、耳も遠くなっている。全身が痛く体をじっとさせることはできない。目も見えなくなり、便も通じない。

数々の罪を作り、人生の垢がたまり残りの命は短い。医師は付き添い人に語った。「この病人は好きな食物を求めたなら、逆らうことなく与えたらよい」と。

命が終末に向かうときに、病人は罪が至っているのにそれを自覚しない。不思議な現象が自然と発生し、たとえ金剛菩薩でも彼を救うことは出来ない。

このとき家の者たちは、医師の言葉を聞いて、もはや薬や数々の呪術を諦め、病人を囲んで悲しみにうちひしがれる。命が終わりとなれば、閻魔の使いが自然とやってくるからである。多くの縁者が集まって来たとしてもそれを感ずることなく、まさに風前の灯である。

この人の心中には心意根があり、その生存時になすところの善悪は、心に即して今後、後世でなすべきところを心はあらかじめ知っている様子である。善を行なう者は顔つきが穏やかであるが、悪を行なう者はその反対である。

すでに安穏を離れて究極に至れば、悪を行なった者は、その時になって恐怖し、深く自ら招いた悪の結果が訪れることが間違いないことを実感する。善を行なった者は、死に臨んで心が喜びにあふれ、天に帰ることを実感する。

その時、人の命が終わると、身根と意識が滅し、中有(死んで次に生まれ変わるまでの間)の次元に入るが、死者の意識や感受性はそのまま残っている。死んだときの意識は中有の領域に至らないが、中有の意識状態はまた元を離れることはない。丁度泥に印章を押した時のように、印は泥に接しているが、印は泥につかないことと似ている。人が死んだときには、精神と意識状態とは等しいとは言えないが、また元を離れてはなりたたない。元の種々の行ないによって、それぞれの結果を得るのである。善行を行なった者は善の中有に行き、悪を行なった者は悪の中有へと向かう。中有には3つの状態があり、1つは感覚的な意識、2つは思い、3つは認識といえる意識状態である。この中有にある期間は1日、長い者で7日である。

生まれ変わりのプロセス

その人の生前の行いによって地獄・餓鬼・畜生、人間、天上界へと行く。悪を多くなした者は、中有中に大火が発生してその火が自分の体を取り巻くのを見る。また動物の顔をした化物が、手に武器を持って自分に襲いかかってくるのを見る。そこで大変に恐怖を抱いてそこから逃げ出すと、遠くに大きな樹木があるので、そこに逃げ込むと「中有」は終わり、死者は地獄界に生まれ変わっている。

小さな悪を行なった者は、火煙や塵が全身を包むことを感じる。あるいはライオンや虎に追われる。その時に泉や深い水を見てそのなかに入ってしまう。その時は「中有」の意識が失われて、畜生界に生まれ変わる。

もし罪が軽い者であれば、四方を熱風に囲まれる。そのため体は大変に熱く感じ、咽が乾く。遠くには刀や弓を持った者たちが自分を取り囲んでいることを感じる。そこで城を発見しそこに逃げ込もうとすると、なんとそこで「中有」の意識が終わって、餓鬼界に生まれ変わる。

善徳を積んで死んだ者は、芳しい冷風が四方から吹いて大変に気持ちがよい。そして樹木や花々が咲き乱れた所に行こうとしたら、たちまちに「中有の意識を失って刀利天に登る。」

生前の行ないが善悪一定していないものは人間界に生まれる。両親が会合してその精が合一すれば、子供として再生する。

もしこれが男性と女性が会合している際に、この男性に嫉妬心を感じて怒りを抱き、女子に敬愛心を抱くならば、男性を排して女性に向かおうとする。そのときに中有の意識が失われ母の胎内に入る。

以上のプロセスは『チベットの死者の書』の中有から再生へ至る過程とほぼ同じで、『チベットの死者の書』がこれに大きく依存していることがわかる。

誕生のプロセス

仏教では死のみでなく、誕生も7日を単位としている。胎内にあるとき、意根と身根となる。七日目には増減しないが、二七日(ふたなのか)に胎が多少変化をみせる。三七日(みなのか)目にチーズのようになり、六七日(むなのか)には肉になる。九七日(くなのか)には肘、首などが生まれる。十一七日(77日)には手、指、目、耳、鼻が生じ、途中の過程を略して、三十八七日(266日=約9カ月)には母の腹のなかにあって、その性質に従って風が起こる。

前世の行ないが正しいものは香風があり、その身体は大変に整っている。これに対して前世で悪をなした者は、臭風が発生し体の見栄えも貧弱な者になる。

中有の説

中有については、『阿毘達磨大毘婆沙論』に詳しい。これによると、中有あるいは中陰の期間は49日であるという説や、7日であるという説がある。生前生きていた者の形量は、死後には欲望界、特に人間界に生まれ変わる定めをもつ者は、中有では5、6歳の小児のようであり、色界(物質的なものが清められた世界)に行く者は生前の形量が同じであり、菩薩となる者の中有は、生前の修行時のようにその身を32相・80の理想的特徴で飾られている。

次に、形態については、中有の領域ではこれから生まれ変わる世界の形態になるという説がある。つまり地獄界に生まれ変わる者は地獄の住人に相応しい形状、人間界には人間の形態というように。

中有の衣装は欲界に生まれる者は裸体で、色界に生まれるものは衣をまとっているという。これは欲界では恥ずかしいという意識がないからという。次に中有での食事は、線香などの香りを食べるという。ただし善行を積んだ者は高貴な香を、卑しい行ないをなした者は脂や糞などの臭い匂いを好むという。

以上はあくまでも一つの説であるが、仏教の基本的論書のなかでこのように扱っていることは興味のあることである。

 

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